令和6年(2024年)沖縄遺骨収集奉仕活動

  ※金光教那覇教会による遺骨収集は本年の第49回で終了しました
   サイト管理人は第10回から参加させて頂きました。衷心より御礼申し上げます

2月14日(水) 糸満市役所、戦没者遺骨収集情報センターご挨拶

羽田空港には人の波が戻ったようです。コロナの影響も和らぎ、航空機を利用しての修学旅行も復活したのでしょう、空港待合室には修学旅行生が溢れていました。JALの機内も昨年よりも一段と乗客が増えました。

経済活動や人の移動が萎縮している‥‥。こう言う時だからこそ沖縄に行かねばならないと、私達は信念にも似た覚悟を持って、コロナが蔓延している渦中でも、一度も中断する事なく沖縄に通い続けました。毎度の事ですが、機上の人となれば決意して良かったと心から思えます。沖縄遺骨収集を中断せず継続した事に自信と誇りを感じている今日この頃です。(^o^)

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

快晴のなか見事な富士山が見えます。今年の富士山は、例年よりも積雪が多いという印象で、例年通り北側よりも南東側に積雪が広がっていますね。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

静岡県側から見た南アルプスの山々が写されています。ただ南アルプスを覆う積雪面は、一月のそれと比べてかなり少ない印象を受けますね。積雪のピークは一月という事でしょうかね。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

飛行機は沖縄本島に沿いながら雲の中に入りました。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

雲の下に降りて視界が広がると摩文仁は全く見えず、初めて見るような小島が見えます。那覇空港への直線的なアプローチに入っているはずだけど‥‥。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

着陸した瞬間です。ジェットエンジンの航空機は、着陸時にはエンジンの羽根を転回し、逆方向に噴射させる事で制動力を生み出していますよね。着陸してすぐにエンジン音が一段と大きく「ゴーーー」と聞こえてきますが、あの音が逆噴射している音ですよね。あの音を聞く度にホッとするのは、私だけでは無いはずですよ。(^o^)

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

飛行機は羽田空港離陸後、約三時間程で那覇空港の新しい滑走路(第二滑走路)に着陸しました。新滑走路は埋め立て面積が約160ヘクタールと、大規模に造成され令和2年(2020年)3月26日から運用開始となりました。那覇空港上空の雲が少ない事からも解るように、冬型も緩んで北風も弱いらしく安全安心なランディングでした。古い第一滑走路と新しい第二滑走路とはかなり離れていて、その離間距離は、なんと1,310mもあるそうですよ。広大な海面が埋め立てられたのが判ります。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

エプロンエリアに入ってきました。写真中央部に飛行機が二機駐機していますね。小さく写っているので判りにくいですが、これらは海上自衛隊の「P-3Cオライオン」です。対潜哨戒&攻撃が任務の航空機です。「P-3Cオライオン」は、P-2Jの後継機として昭和53年~平成9年までの間、98機製造されましたが、現在も哨戒任務の第一線で活躍している機体ですね。因みに同機はロッキード社製でライセンス国産されたものです。

エンジン部に羽根がある事から、まさかレシプロ? と思われた方もおられるかもですが、ターボプロップエンジンです。対潜水艦が任務ですから潜水艦を探知・発見した場合、次の作戦行動へ移るに際しては、旋回径が小さいと捕捉が続けやすいですよね。その点プロペラ機だと旋回径を最小に出来ますからね。

老朽化するP-3C哨戒機の後継として、国産の哨戒機が既に開発され順次実戦配備につきつつあります。機体名は「P-1」と呼ばれ純粋な国産機です。機体、エンジン、任務システムの全てを新規開発しており、操縦性やレーダーの性能など哨戒機としての機能が一新されました。沖縄の海上自衛隊那覇航空基地第五航空群では、2025年度に格納庫を大型化してP-1を配備する予定だそうですよ。

因みに、2023年4月7日、鹿屋航空基地(鹿児島県)に所在する第1航空隊のP-1哨戒機部隊が、アメリカ海軍主催の多国間共同訓練「シードラゴン2023」において実施された、カナダ、インド、韓国を含めた5カ国による対潜水艦戦競技で見事優勝したそうですよ。昔から海上自衛隊の対潜水艦索敵能力は世界トップレベルと知っていましたが改めて感動しました。海上自衛隊凄~い。(^o^)

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

糸満市役所へのご挨拶を終え昼食のため、「ひめゆりそば」屋さんに立ち寄りました。ひめゆりの塔の真向かいにあるお店です。お店には地元の方々が大勢訪れている事から、沖縄滞在時に結構な頻度で立ち寄る食堂でもあります。

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

今回注文したのは「卵焼き付きみそ汁」です。本土では味噌汁は、副食として野菜や豆腐やわかめなどの具材を入れて煮た汁ですが、沖縄では主食として、ご覧のようにどんぶりに具材がたっぷり入った料理として出されます。味噌だしなので味噌汁の感覚を味わいながら、お腹いっぱいになるほどボリュームがありますよ。沖縄に行かれた場合は、ぜひ一度「みそ汁」を味わって下さいませ。(^o^)

戦没者遺骨収集情報センターご挨拶

私達は糸満市役所を訪れた後、戦没者遺骨収集情報センターにご挨拶する為にお伺いしました。本日から13日間摩文仁海岸線で遺骨調査・収集作業に取り組ませて頂きますので、同活動の統括部署である戦没者遺骨収集情報センターを訪ね、まずは到着のご挨拶をするのが慣例となっています。因みに、私達は「南部戦跡遺骨収集会」という団体名で同センターに報告し、各種書類を提出したうえで活動しています。

また遺骨収集奉仕活動に関わる手続き上の手順や事柄について変更や修正が時折行われるので、そうした変更の有無についても確認し、掌握した上で適正にルールを遵守するように努める為にも、初日に戦没者遺骨収集情報センターを訪ね、ルール遵守等についてすり合わせをするのは必須となっています。また遺骨収集作業について、近年は掘削作業が必須になる作業になりやすい事から、重量や容積のある作業道具が必須になりつつあります。このような飛行機で運べない大型の道具について、借りる事が出来ますし、私達の道具を預かってもらう事も可能となっているので大助かりという状況です。(^o^)

戦没者遺骨収集情報センターご挨拶

令和5年(2023年)2月8日/沖縄遺骨収集の様子no.

戦没者遺骨収集情報センター前で記念撮影をしました。左側から長年遺骨収集に取り組まれているベテランの福岡さん、そして同センター調査員の磯辺さん。そして久しぶりの参加である田中さんです。私達は情報センターに足を向けて寝られないぐらいに、多大にお世話になっているのが実情であり、毎年のご高配に感謝しつつ、本年も今日からよろしくお願い致します。(^o^)

令和6年(2024年)2月14日/沖縄遺骨収集の様子no.

凄く日差しが強いですね~。そしてとても暑いです。何より風が強い! もしかしたら春一番が吹いているのかも知れません。それぐらい強い風が吹き荒れています。私達は情報センターへのご挨拶を終え、糸満市真壁の真壁公園内にある「真和の塔」にやって参りました。真壁公園は「萬華之塔」から100m余りの距離にありますので、ぜひ皆様も同慰霊塔を訪ねて見て下さい。

私達が「真和之塔」を慰霊巡拝するようになったのは、数年前に具志頭での調査・遺骨収集作業中に、写真に写っている田中さんが、野戦高射砲第81大隊将兵が身につけていたと思われる認識票を発見した事によります。日本軍の認識票は単なる識別番号みたいなものですから、個人が名前を彫り込むなどしない限り、身につけていた将兵の氏名を追跡する事は叶いません。但し所属部隊は判明するケースがありますね。

その認識票に書かれている記号・番号を、沖縄から帰ってから福岡さんが調査を行った結果、所属部隊名が判明しました。発見された認識票の持ち主は、この慰霊塔に祀られている野戦高射砲第81大隊の兵士だったのです。福岡さんは、この部隊の編成地である福井県鯖江市嶺北忠霊場に「福井県平和祈念館」があると聞いて、何か情報が得られるかも知れないと車で出かけて行ったりもしました。結果として新たな情報は得られませんでしたが、それにしても福岡さんは驚くべき行動力です。こうした経緯もあり、久しぶり参加である田中さんが是非とも「真和の塔」に慰霊巡拝したいとの事で、今こうして認識票の兵士が所属していたであろう部隊の慰霊碑に向かってご冥福をお祈りした次第です。(^o^)

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