平成18年(2006年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 2月14日(火)仕事を終え慌ただしく事務所を出発
- 2月15日(水)単独で摩文仁之丘南斜面に入り遺骨収集
- 2月16日(木)摩文仁・糸満等で終日情報収集
- 2月17日(金)摩文仁で初参加の若者4人と遺骨収集
- 2月18日(土)第33回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 2月19日(日)第33回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
2月14日(火) 仕事を終え慌ただしく事務所を出発
今回の沖縄遺骨収集での滞在は過去最長の5泊6日の日程を組みました!。
2月17日(土曜日)・18日(日曜日)の二日間が、第33回金光教沖縄遺骨収集奉仕となっていますのが、今年から少し早めに沖縄入りして戦跡の巡拝や、遺骨収集に関わる情報収集をしておこうという訳です。(^o^)
当然の事ながら、沖縄滞在中の5日間相当の仕事は、全部その前後の期間に振り分けなければならないのでした~。前週は土曜日は仕事をして、今週月曜日も残業!そして火曜日の1時過ぎまで仕事をして、一定の区切りをつけた上で、羽田空港に向かいました。
幸い全ての仕事に一定の区切りをつけることに成功したのだ!。これほどスッキリと区切りがつけられたのは珍しいが、単に仕事が手薄だったという事だったりして。(笑)
仕事に心残りのない状況、つまり仕事を完全に忘れて沖縄に向け出発出来た事がなによりも嬉しいです。もちろん、それは遺骨収集に全精神を集中できるという嬉しい喜びでもありますよね。遺骨収集は “集中力が最も大切!” なのですからね。(^o^)
すでに大きな旅行カバンに、遺骨収集作業用の衣服や道具を詰め込んで、滞在予定のホテルに送ってあるのです。毎年同じように荷造りしていていつも感ずるのですが、この詰め込んだ旅行カバンの重たいことといったら…。無理して持ち上げると腰痛になったりして。
消耗品など現地調達が出来るものは、出来る限り現地で買うようにしているのだが、主要な装備は一定のレベルの機能を備えていないと、迅速なる遺骨収集作業が出来ないことから、満足できる装備の購入が出来なかったなどというリスクを回避するため、どうしてもほとんどの装備を自宅から送り出すことになります。
今年は長丁場なので、装備の消耗品や着替えなども、例年より多く持って行くことにしたので、旅行カバンはこれ以上入らないと思えるほどパンパンになりました。このように、すでに大型の旅行カバンで荷物を発送してあるにも関わらず、カメラやノートパソコンなどは当日の手荷物として持って行かざるを得なかったりするので、当日の荷物もかなりの大きさの旅行カバンに相成った。
お昼過ぎには仕事を切り上げ、車輪付きの旅行カバンを引きながら、地下鉄有楽町線の江戸川橋駅から電車に乗った!。電車に飛び乗った瞬間から、気分は「遺骨収集モード」になる。(笑)
忙しい時ほど切り替えが大事! そして集中することはもっと大切!。電車などを乗り継ぎ、旅程のトラブルもなく予定通り、ANA131便にて18時35分那覇空港に降り立ちました。(^o^)
金光教那覇教会を訪ねる
沖縄入りして最初にやる事。それは毎回同じ事なのだが、沖縄の新聞「琉球新報」と「沖縄タイムス」を買い求めることから始まります。それは “沖縄の今” を知るためですよね!。
沖縄と本土の記事の内容については、まるで別の国の新聞ではないかと思えるほど、掲載記事が違っている場合がある。現在沖縄県民が最も注目している事柄は、当然のことながら米軍再編です。本土のメジャーな新聞でも、米軍再編は時折登場するに過ぎないのですが、この日の沖縄の新聞では、かなりの部分が米軍再編に伴う諸問題についての記事が掲載されていました。
3月末の日米政府による取りまとめに向けて、議論が大詰めを迎えているようです。沖縄にとって、こらから10年から先、いや20年30年先までの米軍基地との関わりが決定づけられるのですからね。本土の人たちのように、どうして他人事のようにいられようか…。
おっと、話が少し逸れてしまったので、グイッと舵を切り直して。(^^;)
今回の拠点となるホテルは、国際通りから横に50メートル程横道に入ったところにある『那覇グランドホテル』という所です。ホテルの規模としては小さい方だが、とにかくホテルのある場所が気に入りました。今回は沖縄遺骨収集を主催する金光教那覇教会に何度か訪ねることになるであろうからと、那覇教会のある那覇市壺屋に近い場所を選んだのでした。
そして遺骨収集に参加する他のメンバーも、この近辺のホテルに滞在しているようです。交流する必要がある場合は、スムーズに移動できるというメリットもあった。もちろん、国際通りのお土産屋さんは目の前だったりして!。もちろん牧志公設市場もかなり近いです。
フロントで事前に発送しておいた旅行カバンを受け取り部屋に入りました。時間も午後7時半を過ぎていたので、小休止する間もなく金光教那覇教会の林先生を訪ねなければならないので、荷物は旅行カバンに入れたままで、持参した地図のみを持ってタクシーに飛び乗りました。
10分程で教会のかなり近い所に降り立ちました。かなり狭い露地が入り組んでおり、少しばかり教会を探すのに手間取りましたが、無事に教会を見つける事が出来ました。以前何度か教会へは来ているのですが、すべて昼間の訪問であり、夜の風景とはかなり違って見えたので、少し迷ってしまったようです。
一年ぶりの林先生との再会でした。林先生は、遅い時間帯にもかかわらず、奥様と共に暖かく迎入れて下さいました。金光教那覇協会の遺骨収集への取り組みは、表記のように今年で第33回となります。驚くほど長い年月取り組んできたことに、改めて敬意を表さずにはいられませんよね。
金光教の遺骨収集に先立って、明日15日(水曜日)から17日(金曜日)までの3日間。明日明後日の二日間は単独で、3日目は、東京から始めて参加する若者4人と合流して遺骨収集を実施する事にしましたと、その経緯を詳細に説明しました。この事前調査は、すでに電話で概略お話しさせて頂いていましたが、安全面での諸注意や緊急時の連絡手段等何かあった場合に備えて、十分に林先生のご意見を聞く必要があったのです。
摩文仁南斜面に入る予定の大まかな場所や、私の家族との連絡方法の確認。そして壕内部に入る場合のマーキングの表示の仕方等々…。私なりに沖縄入りする前から、緊急事態発生を避けるための対応を十分に考えていた事を中心にまずお話しさせていただいた。その上で、私よりもはるかに経験豊富な林先生に諸注意の見解を伺いました。
多くの事柄のご教授を受けながら、先生は普通では手に入らない摩文仁の詳細な地図を持って行きなさいとコピーしてくれました。また、迷った場合に必ず役に立つからと、携帯サイズの『羅針盤』を貸してくれました。「詳細な地図と羅針盤」を新たに手に入れて、単独行動での不安を和らげることが出来そうですよ~。(^o^)
それから17日の金曜日には、経緯は後ほど詳細に説明しますが、東京から遺骨収集をやってみたいという若者4名と共に、摩文仁南斜面に入って、遺骨収集をする予定です。主に初体験の彼らに遺骨の探し方のノウハウを解説する事が目的ですが、その過程でもしかしたら御遺骨が見つかるかもしれないので、発見した場合に備え、金光教でよく御祈念に使われる『御神米』を五つ拝受いたしました。
林先生をお訪ねしてから、すでに1時間30分ほど経過して長居に過ぎると気付き「ご心配をお掛けしないように、頻繁にご連絡致します」とお伝えして那覇教会を出てホテルに向け帰路につきました。ホテルから那覇教会までタクシーで来たわけですが、その距離を見て"歩いて帰れない距離ではないな"と感じていたので、帰路は歩いてホテルに向かうことにしました。
旅行して何が楽しいかといえば、地元の人たちが暮らしている場所を見るのが、なによりも楽しみな私にとって、こうして町中を歩くのはとても楽しみの一つです。庶民の暮らしというのは、主要な観光地ばかり歩いていたのでは得られないですよね(^o^)。多くの風景は東京などの風景とさほど変わるものではありませんが、時折沖縄ならでわの風景に出くわすと、足取りも止まって目をこらすという事も少なくありません。
遅くなって那覇教会を訪ねたのでは失礼なので、まだ夕ご飯を食べていません。まずは、夕食を食べるところを探しながら、歩みを進めました。
数百メートル歩いたところで、お食事処『うちな家庭料理』という名前の、いかにも沖縄の定食屋さんといった風情の店だったので、迷わず入ってみました。さっそく大好きな「沖縄ソバ」と「ゴーヤチャンプル」を注文しました。しかし、驚くことに「ゴーヤチャンプル」は作れないというのです。本場沖縄だというのに…。
聞けば、沖縄でもまだゴーヤは収穫出来ないからというのがその理由らしいですが、本土なら一年中ゴーヤは手にはいるので、一年中「ゴーヤチャンプル」を注文する事が可能でしょう。しかし、このご主人は沖縄のゴーヤだけを使うという信念の持ち主のようでした。沖縄以外で栽培されたゴーヤは、まずくて食べられないというのですよ~。
お店のご主人は、熱弁をふるい沖縄のゴーヤと本土のゴーヤでは、味はまるで違うというその根拠をかなりの時間を使って説明してくれました(^^;)。私も、家庭菜園でゴーヤを毎年栽培するので、野菜栽培には関心があるので、問わず語りで聞き続けました。ゴーヤの味の違いの話から始まって、ゴーヤの栽培ノウハウまで話はつながり、他のお客様が居なかったこともあり、食事中もず~と店主と話をしながら食事しました。
話が弾んだせいでしょうか、ご主人は注文もしないのにヨモギの天ぷらとか、ニガ菜、ヘチマ料理などを次から次へと出してくれました。もちろんサービスですよ。沖縄ではヘチマ料理は庶民料理として広く普及しているようですね。
観光地でなく、庶民の暮らしの中に入っていくと、このように色んな話が出来たり、オマケがあったりと楽しいですよね~。お店では「サーターアンダギー」を販売していたので、摩文仁岳に入ったときに食べようと、たくさん買い求めました。「仕事で一年に一度しか沖縄に来れないけど、また来年来ますよ」 と伝えて、お店を後にしたのでした。
早くもトラブル発生(^^;)
ホテルに帰着したのは、午後10時をすぎていました。かなり疲れました~。明日の朝も早く出発しなければならないので、寝る前に旅行カバンから装備を出して、大まかな準備をしておかなければなりません。部屋に置いてあった旅行カバンを開けようとしたときに、大変な事態になっていることに気づきました。(^^;)
「ガーン 旅行カバンを開ける鍵が無い」。自宅で旅行カバンに施錠してからの鍵の行方を必死に考えましたが、どうやら自宅の部屋の何処かに置き忘れてしまったようです。「ウーム! 年相応に老人力がついてきたな」
あたふたした後の結論は、やはり旅行カバンを壊す以外にないという事でした。「買えばいい!」と早々と結論をつけて、それではどうやって旅行カバンを壊すかが問題でした。しばし考えて、フロントに行けばバールのような物を借りられるのではないかと考え、恐る恐るフロントに訪ねてみた。
「すいません、旅行カバンの鍵を忘れたので壊して開けたいのですが、バールのような道具を貸してもらえませんでしょうか…」と小さい声で訪ねてみました。イヤ~驚くことに奥の部屋に何か取りに行ったと思ったら、すぐ出てきて 「ハイどうぞ」 とバールを差し出してくれました。手際の良いこと驚きましたね~。
これってホテル側にしてみれば、よくある事なのでしょうか~。(笑)
まずは道具が手に入ったので、旅行カバンを壊しにかかりました。そしてまたまた驚くことに、壊すのに長時間かかりそうだと思っていたのに、壊し始めてから1分でコジ開けることに成功しました。こんなに簡単に壊せて良いものなのでしょうか~。(^^;)
確かに安物の旅行カバンではありますが、あまりにも貧弱なボディ、驚きを隠せませんでした。すぐにバールをフロントに返しに行き、そこで旅行カバンを売っているお店は何処にありますかと聞いたのですが、これまた驚いたのですが、フロントの人たちや警備員まで出てきて、カバンを売っている場所の説明をしてくれました。
いや~、感激ですよね。こんなに親切にしてもらっちゃうと~。お店のある地図をコピーしてもらい受け取って、感謝の言葉を述べて部屋に戻りましたが、すでにお店も閉店しているでしょうから、旅行カバンは明日購入することにしました。
初日から波瀾万丈の遺骨収集活動が始まりましたが、明日からどのような体験ができるのでしょうか、とても楽しみです。(^o^)