金光教へ感謝の言葉

私が金光教が実施している沖縄遺骨収集奉仕活動に参加させて頂く事となったのは、NHKテレビの『ニュースセンター9時』というニュース番組を見た事がきっかけでしたという話を、「参加経緯」の項目で説明させて頂きました。

あの時『ニュースセンター9時』での、金光教の遺骨収集活動をニュースにした映像を、国内ではどれくらいの方々が見たのでしょうか…。あの頃のNHKニュース番組は、現在よりもはるかに信頼のおけるニュースメディアであった事に違いなく、おそらく平均して10%以上の視聴があったと頭の隅に記憶しています。だとすると、一千万人近い人々が見ていたという事になりますね。

あの映像を見たと思われる推定一千万人の中で、昨日放映された遺骨収集についての問い合わせをして来たのは私一人であったと、後日金光教の担当者からお聞きしました。

たった一人…。 実に希有な衝動を持った人間が、一千万分の一の確率で居たという訳ですが、当時の心境を今こうして振り返ってみても、不思議にも気分の高揚があったという事以外、表現が見あたりません。私としても、昔から戦争に関係するような事柄について、学校の教科書に記載されているレベル以上の事柄に興味を示しませんでしたし、戦死するという意味や、死後の世界がどのようになっているのか…。なんていう事もあまり深く考えた事はありませんでした。

しかし、金光教の皆様が収骨作業している映像を見て、私の心の奥深い部分に本来的に備わっていた "何か" が、突然強く刺激され覚醒されたのは間違いありません。その突然開いた風穴は、映像に対しての突発的な高揚となって表出しましたが、“私も参加したい” という衝動が湧いてくるのに、それほど時間は掛かりませんでした。頭をもたげてきたその気持ちの変化は今でもかなり鮮明な記憶として鮮やかに蘇ってきます。

テレビ映像を見た翌朝は、朝食を食べるのももどかしいほどに早々とNHKに電話を入れ、『金光教沖縄遺骨収集奉仕団』が実施主催団体である事を教えて頂いたという訳です。主催団体を知り、第一関門は突破したと心の中で叫びました。残るは、主催団体に電話してどのような反応が返ってくるかだけでした。

ただ遺骨収集は一般的なボランティア団体が行っているとばかり思ったのに、宗教教団が行う遺骨収集とは、どのような性格付けで行っているのか…。そして『 金光教 』とは初めて聞く宗教教団で、どのような教義を信奉しているのか…。再び沖縄遺骨収集をやる可能性はあるのか…。信者でない一般人の参加を受け入れる可能性はあるのか…。

全てがアナログのあの時代、インターネットなどあるはずもなく、疑念を解消するにも調べる情報ツールは何もありませんでした。しばし黙考しましたが、考えていても先へ進まないので、"断られて当然" と覚悟を決めて主催団体に電話をかけてみました。

金光教の担当者と電話で会話をしてみれば、いろんな心配が嘘のように消え去りました。来年開催の第10回沖縄遺骨収集奉仕活動に参加オッケーの了解を頂いたのを始め、問わず語りでいろんな遺骨収集に関する情報を教えて頂きましたした。勇気を出して電話して本当に良かったと思いましたね。 (^o^)

ここで最も強調しておきたい事は、最も幸いであったのは電話で話をした金光教の遺骨収集担当者が、信者でもない私を快く来年の遺骨収集へと誘ってくれたことでした。宗教団体が主催する遺骨収集であると知り、ハードルは高いと思えた中にあって、教団の信者でなければ "断られて当然かも…" と、駄目もとの無理だろうという気持ちが先行していたところでしたから、受け入れオッケーというその懐の広さにまず驚いたのです。

団体が主催する行事ですから、社会的通念としてテレビ報道があろうとなかろうと、部外者には門戸は閉じられたままであっても一向に不思議ではありません。宗教教団主催の教団行事となれば、その傾向はより強くなるのが一般的傾向ではないでしょうか。

後に知る事となるのですが、金光教の特徴である "開放的な教団体質" こそが、信者でない私に対して気軽に招き入れてくれたという確信に至りました。

沖縄遺骨収集奉仕活動が、私の心の中でこれほど重要な位置を占めるとは、初期の段階では想像する事さえ出来ませんでしたが、遺骨収集奉仕活動という大いなる海原へ向けて出港ができたのも、金光教が内側からドアの鍵を開け、招き入れてくれたからこそであるというのは十分に承知しています。この大切な原点を、人生の不可思議な縁の巡り合わせに感謝しながら、私は終生忘れる事はないでしょう。

第一回目の参加は昭和61年(1986年)1月でした。それから現在に至るまで沖縄遺骨奉仕収集から芽生えた "戦争と平和と、そしてあの時代を戦い抜いた人々" について想いを馳せ、その事への探求心は、大樹が空に向かって伸びていくように、私の心の中で広くそして高く伸張していき、大きく展開したその枝葉は、今となってはとても大切な私の宝物と思える程になりました。

広く社会を見渡してみても、世界情勢は米国の大量破壊兵器保有を口実とする一方的なイラク攻撃に象徴されるように、19世紀に戻ったかのように、軍事力の行使や威嚇による石油利権の争奪は、国益との狭間でこれから益々世界情勢を不安定化させていく事になるでしょう。このような流れから、平和な世界を願う人々の戦争回避への要請は益々強くなって行くのではないでしょうか。

私も、金光教沖縄遺骨収集奉仕活動から得た教訓『次世代へつなぐ平和へのメッセージ』を胸に留め、微力ながらこれからも "一燈照隅、…" の要請に従い、金光教の皆様と共に一隅を照らしながら、世界平和への一助となるべく活動を継続していきたいと思います。

金光教の皆様、本当にありがとうございました。 m(_ _)m

誰にもある飛躍の時

人は長い人生において、嬉しいこと悲しいこと幾多の経験の中で、"大きく飛躍する時…" も何度か経験するものです。人生の折り返しポイントを、すでに通過している私とて例外ではありません。

悲しいことに "大きく飛躍する時…" のほとんどは、悲しい出来事、苦しい出来事、辛い出来事など人生の辛酸をなめる中から生まれる事が多いように思います。

私の体験に照らしても、人が大きく羽ばたくきっかけとなるのは、往々にして悲しみなどを伴う "谷底に突き落とされた時" が多いのですが、その一方で辛く深い悲しみの対極にある「強い感動」もまた、新たな飛躍をもたらしてくれる事を、私を含め私たちは体験的に知っています。

『人間万事塞翁が馬』という諺もあります。人生が華やかで楽しい事だけで埋め尽くす事が出来れば、これほどハッピーな人生はありませんが、この諺はそうした現実を見事に私たちに知らしめてくれます。

私が今まで長い歳月を歩んできて、精神的に大きく飛躍した時を三つ上げてみなさいと言われたら、私はためらうことなく次のように答えるでしょう。

ひとつは、母の死。
ひとつは、父の死。
そして最後のひとつは、金光教の遺骨収集に初めて参加したとき。

深い悲しみを包含しているのがふたつ。
強い感動をもたらしてくれたのがひとつ。

長い人生の中で、私にはこの三つの出来事こそが、結果として精神的に一回り大きな器へと脱皮させてくれた、今となっては感謝すべき偉大な思い出になっているのです。

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