平成16年(2004年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月13日(金) 初参加の妻と南部戦跡を巡拝

運営主体が、『金光教沖縄遺骨収集運営委員会』から『金光教那覇協会』に移管されてから二回目開催の沖縄遺骨収集奉仕です。私は今年で18回目の遺骨収集参加という事になります。振り返ってみましても、本当に年月の流れは早いと感じますね。

この遺骨収集活動というのは、社会活動としてみると一般論としては非常に特殊な活動に分類されますので、今まで他の人々に私が遺骨収集活動をしているという話をする事があっても、「一緒に行きませんか」などという問いかけは一度たりとも語ったりはしませんでした。もちろん、それは私の妻に対しても同じで、一度でも「一緒に行かないか?」などと問いかけた事はありませんでした。たとえ夫婦でも協力出来ることと出来ないことがあるのは当然のことだからです。

私の沖縄遺骨収集奉仕参加は、妻と結婚するずっと前から取り組んでいました。平成2年に結婚して、それ以降14年間も私が沖縄に遺骨収集に出かける事を知っていたわけですが、やはり「人骨」に触らなければならない事にためらいがあるのか、妻は一定レベル以上に遺骨収集について関心を示す事はありませんでした。

ところが、今年に入って私が沖縄行きの手続きなどを電話などを通じて開始すると、妻がいきなり「私も遺骨収集に行きたい!」と言い出しました。私は驚きました。すぐに今まで関心がなかったのに何故行く気になったのか聞き返しました。妻の話によると昨年9月にTBSテレビで『さとうきび畑の唄』という沖縄戦の惨劇をドラマ化した番組を見て、あまりにもその戦渦に翻弄された沖縄県民の悲惨さに衝撃を受け、私も何か行動に移さなければと思い立ったというのです。

私は、妻の気持ちをここまで劇的に変えてしまった『さとうきび畑の唄』のドラマをいつの日か見てみたいと思いました。という経緯で、平成16年の遺骨収集は思いがけず妻と共に参加する運びとなりました。

参加経費を少しでも抑えようと、格安ツアーを利用して沖縄に行くことにしましたので、羽田発AM7時45分発の航空機に乗らなければならないスケジュールでした。始発の電車に乗らなければ間に合わないので、埼玉県の自宅を5時に出発しました。そして、10時30分無事に沖縄那覇空港に到着しました。朝が速かった分、日中はタップリと活動が出来ますから、その点は嬉しいですね。(^o^)

明日から遺骨収集活動が始まります。初めて妻が遺骨収集に参加するという事で、明日の遺骨収集の開始を前に、今日は妻と共に沖縄南部の摩文仁周辺の戦跡や慰霊塔を訪ねて、沖縄戦などの概要を知ってもらう予定です。

レンタカーを借りて、私の運転でさっそく南部の『ひめゆりの塔』を目指して南下することにしました。途中で太平洋を望む高台のレストランで、南海のスカイブルーの素敵な海岸線を見ながら、昼食として沖縄料理のバイキングを食べました。妻は、この南国独特のスカイブルーの海岸線を見て、沖縄に来たのだなという思いを強くしたようです。

昼食後、まず『ひめゆりの塔』と隣接する『平和祈念資料館』を訪ねました。ここは、改めて語るまでもなく映画などで広く紹介された「ひめゆり学徒隊」が居た避難壕、沖縄陸軍病院第3外科壕があったところで、慰霊塔の前に現在も当時のままの姿で縦穴が現存しています。続いて『平和祈念資料館』に入り、「ひめゆり学徒隊」などを中心とした展示をじっくりと見て回りました。展示してある写真や解説文に見入る妻は、資料館を出る頃にはすでに沖縄戦がいかに悲惨なものであったかの全体像を少なからず把握したようでした。

これ以降、『梯梧(デイゴ)之塔』、平和祈念公園内にある『平和の礎』や国立沖縄戦没者墓苑、各県の慰霊塔、そして摩文仁の丘最高部にある『黎明之塔』を見学、そしてそこにある展望台から摩文仁周辺及び海岸線などの配置状況を妻に説明しました。

その後、丘を下りながら『沖縄師範健児之塔』やその横にある『平和の像』、『南冥之塔』その他順路上にある慰霊塔などをゆっくりと見て歩きました。そして駐車場に戻ったわけですが、その駐車場には南国らしいブーゲンビレアの花が大樹となって咲き誇っていました。

他にもハイビスカスなども咲き誇り、半袖で歩いていたりすると、今が冬であるという事を忘れてしまいそうですが、ハブなどの毒蛇が冬眠している今の時期でないと遺骨収集は出来ないんだよなどと遺骨収集などに関するノウハウなどを説明しながら歩いていると、時計もすでに4時過ぎを指していたので、宿泊先のホテル目指して那覇市に帰ることにしました。

ホテルに到着し格安ツアーにしては素敵なホテルだったので妻は感激。夕食前に外に出てみようという事になり、二人ともジョギングやマラソンをやっている関係で、ジョギングウェアーに着替えて、3キロぐらい先にある海岸を目指してジョグで走り始めました。

こうして、妻にとっては初めての沖縄の一日が終わりました。(^o^)

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