
平成26年(2014年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 1月24日(金)故具志八重さんのお墓参り
- 1月25日(土)遺骨収集事前調査(林先生他5名)
- 1月26日(日)遺骨収集事前調査(林先生他5名)
- 2月08日(土)糸満市山城一帯、マヤーアブを調査
- 2月09日(日)糸満市束里、糸洲一帯を調査、午後は単独で摩文仁調査
- 2月10日(月)糸満市束里一帯を調査、午後は単独で摩文仁調査
- 2月11日(火)具志頭ヌヌマチガマにて清掃作業と遺骨収集
- 2月12日(水)ヌヌマチガマとガラビガマ間往復、ヌヌマチガマにて遺骨収集
- 2月13日(木)八重瀬町富盛一帯を調査、具志頭クラシンウジョウガマを見学
- 2月14日(金)平和学習ルート清掃、富盛一帯の壕調査、午後平和学習サポート
- 2月15日(土)第41回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 2月16日(日)第41回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 7月05日(土)波上宮参拝・摩文仁南部戦跡慰霊巡拝
- 7月06日(日)第43回 慰霊巡拝・沖縄海域戦没者(沖縄特別攻撃隊員)慰霊祭
2月16日(日) 第41回金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
遺骨収集二日目、今日の天気予報は、午前中が晴れ、午後が晴れのち曇り、そして予想最高気温は20度と、遺骨収集の作業には最適な気象状況となりそうです。早朝摩文仁の会場に到着した時は少し肌寒いぐらいですね。雨の心配は無いので、雨具は車の中に残しておきましょう。参加者の多くの皆さんが、筋肉痛を抱えての二日目でしょうが、今日も一日無事故でを合い言葉に、無理のない範囲で頑張りましょう。(^o^)

さて、林先生は参加者全員を前にして、次のような事を語られました。「大渡を来年やらせていただきたいと思いますが、(金光教による遺骨収集の)終了はそう遠くないと思います」また「何年続くか解りません。近いうちに終了させていただくことになろうと思います。来年はさせて頂く予定です」と語られました。
林先生はこれまでも、そう遠くないうちに終了する旨の発言をされていますが、このように後一回か数回で終わりになると明言されたのは、今回が初めてですね。林先生の言葉通りに解釈すれば、早ければ来年の第42回開催を以て、金光教の遺骨収集は終了するという可能性も出てきました。林先生の話を聞いていた参加者の多くが、金光教による遺骨収集奉仕活動の終着駅が、いよいよ近づいていると認識するに至った事でしょう。
遺骨収集奉仕活動の目的からして、いつの日か終幕を迎えるというのはあり得ると認識していましたが、いよいよそれが現実のものとなりそうです。私達も、本日これから捜索・遺骨収集を実施する地域について、金光教として再び訪れる可能性はほぼ無いと思い、御霊様に「この地を訪れるのは、もうこれが最期ですよ。どうぞ最期のこの機会にお出で下さい」と語りかけを強めて、是非とも一柱でも多くの御霊様のご安心を願いたいものですね。
朝のご祈念/ミーティング

昨日と同じく、まず最初に摩文仁山上に向かい朝のご祈念を行います。

皆さんがそれぞれ思いを込めて御祈念しています。

林先生が登壇され、昨日の収骨状況を説明して下さいました。昨日ご遺骨を発見した1班の皆さんは、本日も引き続き同じ場所を調査収集に当たるそうです。また他の班も、指定された同一地域内で引き続き遺骨収集を続けるという事になりました。

沖縄在住の嶺井さん主導での朝の体操が始まりました。しっかり身体を動かして眠っているままの筋肉を目覚めさせてやりましょう。朝の体操は効果抜群、きっと事故防止に役立ちますよ。

元気いっぱい、ユーモアも交えて朝の体操の号令をかける嶺井さんです。毎年有り難うございます。

実際に身体を動かしてみると、結構筋肉痛が残っているものですよね。

さあ頑張って動かして下さい。

ジャンプですね。

これは良いストレッチになりますよ。

2班の皆さんです。昔から参加しているベテランさん揃いの皆さんですね。

四国の徳島県から参加されている篠原先生です。昔はジャングルを駆け巡りましたが、近年はお清めの御用をされています。
艦砲不発弾発見!!

遺骨収集を続ける1班から、「大きな不発弾が出てきました」という連絡を受け、大至急駆けつけました。

かがんでいる人のすぐ下に不発弾があります。近寄ってみましょう。

1班班長が記録用に不発砲弾を撮影しているところです。

不発弾解りますか。赤いテープが巻かれているすぐ下にありますね。驚くのは深く埋まっているという点です。という事は、不発弾が横になっているという事からして、突き刺さったのではなく、不発弾としてここの転がって以降更なる砲撃で、この不発弾の上に飛び散った岩石が上乗せされたという事ですから、ここ摩文仁への艦砲砲撃が如何に熾烈なものであったかという点に驚愕を覚えます。

大きいですね。見えている部分だけで長さ約32センチ、直径約15センチあります。艦砲砲弾の不発弾ですね。不発弾が動くような事があってはなりませんから、今後はこの近辺での作業は禁止となります。現場を写真に収め、辻井先生が本部テントに状況報告のため向かって頂く事となりました。

1班の皆さんが昨日に続き収骨作業を継続しています。

白い包みはご遺骨が、大きな袋は土石が入っています。

1班の収骨状況です。新たに骨盤や上腕骨、肋骨などが発見されていますね。
第8回摩文仁清掃奉仕
沖縄宗教者の会主催による摩文仁清掃奉仕も、今年は第8回を数えるまでになりました。この清掃奉仕活動は、昨日天理教 災害救援ひのきしん隊の皆さんがゴミを吊り上げるために滑車設置等の下準備をして下さり、本日は清掃本番日という事で、金光教では遺骨収集に参加された方の中から、有志を募り清掃奉仕活動に参加するという形態をとる事になりました。結果として金光教からは20名ほどが参加されたみたいです。
この宗教者による清掃奉仕活動は、糸満市清掃局の全面的なご協力の下、「摩文仁清掃奉仕」と銘打って、摩文仁に放置されたゴミを大規模に撤去する事を主な活動とし、企画&実施は「沖縄宗教者の会」が主導します。今年で第8回を数えますから、主催者側もボランティアで参加する方々も要領を得ており、特に説明することが必要ないぐらいスムーズに事が運ぶようになっている印象を持っています。
「沖縄宗教者の会」とは、沖縄県内の各宗教・宗派の15団体で組織され、各宗派それぞれの信仰や信条を尊重しつつ、相互にに協力しながら恒久真の平和を築かんとして、「沖縄から世界へひろげよう平和の祈り」をスローガンとして、沖縄県内各地で諸活動を展開しています。今年は、同会に加盟する天理教、立正佼成会、パーフェクトリバティー教団、金光教の四教団が参加し、合計120人余りが午前中約二時間にわたり作業を行ったようです。

清掃奉仕の主な作業は、ジャングル内に放置されたゴミをバケツなどに入れて回収し、地表まで引き上げた上で、燃えるゴミと燃えないゴミとの分別作業を経た後、「沖縄師範健児の塔」のある広場から、駐車場までのおよそ200メートルの区間、バケツリレーよろしくゴミリレーで、袋詰めされたゴミを、待機しているゴミ運搬車のところまで運び上げようという訳なんですね。
ゴミ収集場所は、昨年と全く同じですが、二カ所から搬出する予定です。毎年の事ながら、割れた瓶を回収しなければならず、作業はとても危険な局面もありますが、作業に携わる方々の士気は高く、皆さんが本当に熱心に一生懸命取り組まれる姿に、いつもいつも感動しています。どうぞ傷害事故に気をつけて頑張って下さいませ。(^o^)
昨日の準備作業および本日の本番作業についても、天理教の「災害救援ひのきしん隊」が主体となって運営する運びとなっています。サイト管理人も「沖縄宗教者の会」の広報担当としてゴミと格闘する人達を熱くリポートしたいと思います。
それでは、瓶類等の危険なゴミと格闘する参加者の奮闘ぶりをご覧下さいませ。(^^)/
第8回摩文仁清掃奉仕

崖下でゴミをバケツに入れている現場の様子です。一年に一日だけの摩文仁ゴミ清掃ですが、この場所でのゴミ収集は、今年でなんと五年目です。しかしながらまだ沖縄戦当時に地盤には到達していません。富士山と同じで下に行くほど裾野が広くなるように、ここでも年々収集範囲が広がっていますから、この場所のゴミ収集が完結するのにあと何年かかるものやら…。

初年頃は割れていない瓶が多かったですが、有機物が土に変わりつつあるのか、細かい割れた瓶の破片と共に、土が混じるようになってまいりました。

めがねを掛けている方はその心配は無用ですが、ゴミやバケツにあまり顔を近づけてはいけません。作業時割れたガラスの破片が飛んで目に入る恐れがありますからね。私も五年前危うく瓶の破片が目に入りそうになりまして、結果として目の縁が傷つきひどい目に遭いました。

谷底での分別は極めて非効率なので、地上に持ち上げてから分別することになります。

バケツに集められたゴミは、電動クレーンで地表へと運び上げられます。

こんな感じで一度に4個か5個のバケツが上がっていきます。

クレーンで吊り上げられたバケツは、足場の良い舗装された部分まで運ばれます。

運び込まれたバケツは、写真中央の皆さんが、燃えるゴミ燃えないゴミに手作業で分別していきます。

ご覧のように手作業ですから、時間が掛かりますし、ガラスの破片を扱いますから、とても危険性であるとも言えますね。ゴミはここからビニール袋に詰め込まれてから、バケツリレーならぬゴミリレーで駐車場で待つゴミ回収車まで運び上げられます。

オッチビッコも一生懸命お手伝いしています。

それでは、ゴミ回収車までのゴミリレーの様子を、一緒に追いかけてみましょう。

ビニール袋に詰められたゴミの量は、高齢のご婦人や子供さんも参加されていることから、これまでの経験により、足腰に過度の負担がかからない、無理のない程度の量が詰められています。

菅沼さんもゴミ清掃のお手伝いですね。

オッ 余裕のポーズですね。頑張って。

篠原先生も参加されていますね。

さあ少しずつ階段を登り始めましたよ。

どんどん登っていきます。やはり女性が多いですね。

チビッコも頑張っています。

ずいぶんと登ってきましたね。中間点は過ぎていますよ。

オッ 駐車場で待つゴミ回収車が見えてきました。

那覇教会の皆さんが並んでいますね。ゴミ回収車には糸満市清掃局の職員が居て投げ入れて下さいます。
【ごみ恥ずかしい】 宗教者ら戦跡清掃
「琉球新報」平成25年3月1日
【糸満】沖縄宗教者の会と糸満市職員ら約100人は2月17日、糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔付近で不法投棄されたごみの撤去、清掃活動をした。清掃活動は今回で7回目。参加者は崖下に投棄されたごみを機材で上げ、バケツリレーで運搬車に運んだ。一帯は沖縄戦跡国定公園に指定されているが、空き瓶や空き缶など多くの生活ごみが投棄されている。
清掃を呼び掛けた金光教那覇協会の林雅信さんは「ここは沖縄戦跡国定公園にも指定されているなど、非常に重要な場所だ。それなのにこのような状況であることは恥ずかしいこと。県が主体となり、県民みんなでこの清掃活動に取り組むことができれば良いのだが」と話した。
「琉球新報」から転載させて頂きました
新たにご遺骨発見!!
ゴミ清掃作業を見守っていましたら、新たに頭骨も含めたご遺骨が発見されたとの一報を受け、ただちにご遺骨発見現場へ向かいました。(^o^)
ご遺骨発見現場の様子

ここが新たなご遺骨発見現場です。おそらく金光教の遺骨収集だけでも、この辺りは5回ぐらい作業しているでしょう。それでもこのように未発見のご遺骨があるんですね~。本当に驚きました。

頭蓋骨です。近年では頭の部分が丸いまま発見するのは極めて珍しいです。私も久しぶりに見たような気がするほどです。

下顎が出ました。この方は虫歯の治療をしましたね。(^^;)

写真奥の岩陰にご遺骨があったそうです。現場作業を見学していると、この場所を昨日クマデで探したという参加者が現れました。今回の発見者は、昨日クマデを入れたというその方よりも、更に深く掘った事から見事な発見に繋がったようですよ。発見場所の地形をよく観察しますと、ここは周囲よりも低くなっており、戦後69年の間に、ご覧のように周囲の岩場から大量の土砂が流れ込み堆積したようです。

この方が第一発見者で一般参加の菊池さんです。菊池さんは長年金光教の遺骨収集に参加して下さっていますが、毎年一定期間沖縄に滞在し、金光教の遺骨収集だけでなく他の団体が主催する遺骨収集にも積極的に参加されているそうです。
推測するに、沖縄で遺骨収集に取り組む諸団体には、調査地域の相違や収集のやり方、そして収集手順等について、それぞれ相対的に得手不得手があると思われますから、各遺骨収集団体を横断的に参加される菊池さんは、恐らく “複眼” で遺骨収集を捉えられるいるのかも知れません。また菊池さんと少し話をしただけで、遺骨収集に対する真摯な取り組み姿勢に脱帽でした。本当におめでとうございます。

発見されたご遺骨です。頭蓋骨も発見されました。近年はこうした丸い形を留めた頭蓋骨はほとんんど出ませんでしたね。多くの参加者が口々に久しぶりに見たというような話をされていましたし、多くの参加者が頭蓋骨を手に持ち、慈しみのある言葉を掛けていたのがとても印象的でした。

これも同一場所で発見されたご遺骨です。各部位のご遺骨が万遍なく揃っていますね。

収骨作業も終わったので、近くで作業していた方々にも集まって頂き、ミニ慰霊祭を執り行うことになりました。

お水やお茶、そしてお菓子をお供えします。
戦没者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

ご遺骨の発見場所には、戦没者は存命中喉の渇きに苦しんだ可能性がありますから、水をまいて喉を潤して頂きます。

辻井先生主導で御祈念が始まりました。

皆さんが心を込めて手を合わせ、戦没者のご冥福をお祈りしています。

戦後69年もの長きにわたり、土砂に埋もれていたのですからね。金光教の遺骨収集による、この地の収集作業はもしかしたら、最期かも知れません。その意味ではラストチャンスであったかも知れないこの機会に、発見できて本当に良かったですね。
戦没者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m
再び1班の収集作業現場

1班のご遺骨発見現場では、皆さんが頑張って収集作業を継続していました。

女性陣も頑張っています。

艦砲不発弾はそのままですね。改めて見ても大きいですね。

こうした狭い場所もくまなく調査します。実際に脊髄の骨が出ているようです。

飯島さんが穴の中に入って作業している人から収骨袋が上がってくるのを待っているところです。

穴の中に入っていたのは、千葉から参加の北田さんでした。お疲れ様で~~す。

北田班と呼んでも良いくらいですね。右側からお二人目が北田さんですが、北田さんの参加も古く、参加される時はいつもお友達や知り合い、あるいは奥様をお誘いするなど、毎年大勢で参加されます。毎年本当に有り難うございます。

クシですね。この発見現場では三角定規も出てきました。吉井さんは、「ご遺骨が小さいね。クシや三角定規も見つかっていることから、もしかしたら女子学徒の可能性もあるかもね」と語っています。

兵隊さんが身につけていた下着のボタンですね。

遺留品もご覧のように沢山でましたね。残念ながら記名遺品はありませんでした。

肋骨と共に、左下にある歯をよくご覧下さい。いわゆるブリッジの治療をしたのが見てとれますよね。これまで長く遺骨収集に携わってきましたが、虫歯になっている歯をまず見かけませんでしたし、被せものをするなどの治療した歯というのは更に見たことがありませんでした。でも今年は二つの治療痕を見ましたね~。不思議です。

頭蓋骨から足先までの部位が結構揃っていますね。脊柱も24個のうち14個発見されました。この戦没者のご遺骨は、概ね直径5メートルぐらいの範囲に散らばっていた事から、至近弾もしくは直撃弾を浴びて身体が四散してしまったという状況かもしれません。
戦没者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

この発見現場の遺骨収集に取り組んだ1班の皆さんです。大きな不発弾が発見されてからもひるむことなく、作業を完遂されましたね。皆様本当にお疲れ様でした~。

作業された方々が去った後、ご遺骨発見現場を撮影しましたが、いや~~~、それにしても深く掘り返しましたね。大きな岩が沢山あって本当に大変な作業だったと思います。赤いテーピングがしてある所に不発砲弾がありますが、その不発弾に振動等を与えないように気をつけての作業だったはずです。本当にお疲れ様でした。

単独で作業している人が居ました。頑張って下さい。

大野田さんのパワーには圧倒されますね。草木はもちろん、少なくとも一人で動かせる岩は、すでに全部移動させた!という状況に見えますね。大野田さんが大きな岩の下からご遺骨を発見したと言うことで、よく見ると、写真に写されているこれら一人では移動できない大きな岩も、艦砲砲撃で破壊された岩が降り積もっていいるという風に見えてくるから不思議です。沖縄戦当時の地盤は、もしかしたら1メートルも2メートルも下の所にあるのかもしれません。そしてもしかしたらそうした深い所にもご遺骨が…。

一般参加の浅木さんです。愛媛県西条市から平成22年つまり5年前から金光教の遺骨収集に参加され頑張っています。ジャングルでお目に掛かるといつもそうなのですが、ご遺骨を発見しようと、一生懸命クマデを動かす姿が印象的に残っています。頑張って下さいませ。

東京都で仮宿院というお寺の住職の金子さんです。金子さんも金光教の遺骨収集には長く携わっています。金光教の遺骨収集で発見された遺品により、ご遺族が特定され、遺品はご遺族の元へ帰りまして、以降そのご遺族は金光教の遺骨収集に参加されるようになりました。金子さんは、そのご遺族のお友達という関係になりますね。金子さんは遺骨収集以外にも石垣島でゴミ清掃するというボランティア活動もされていますね。お疲れ様でございます。

東京から参加の女性ですが頑張っていますね。

一時的に隠れるには良い場所ですね。遺品が少し出てきているそうですよ。

頑張って下さいませ。

ごめんなさい。名前を失念してしまいました。お疲れ様です。

中村先生です。ベテランさんが多い三班の班長として、忙しく飛び回っておられました。

すでに収集作業を終えている、ご遺骨発見現場ですが、この地を再び訪れる可能性は無いという事で、皆さんが引き続き収骨に励んでいました。

本日は慰霊祭が執り行われるために、作業撤収の時間は少し早めとなりますが、最後の最後まで、皆さんが一生懸命クマデを振るい、岩を除けるなどして、ご遺骨を発見せんと頑張っています。

2班の皆さんです。ちょうど作業を終え撤収するところでした。お疲れ様でした。

今年も沢山の手榴弾・不発弾が見つかりましたから、警察に来て頂いて、各発見現場の砲弾等の確認をしてもらっているところです。

沖縄県警察が危険表示のテープを巻いて下さいました。

お疲れ様でした。各班の方々が作業を終え本部テントに向けて移動を始めました。
現地慰霊祭
例年通り午後4時から現地慰霊祭が執り行われました。祭壇中央には「沖縄戦全戦没者之霊」と書かれた霊標が立てられ、その横には参加者全員による二日間の捜索で発見された御遺骨が、お清め班により清められ整然と納められて安置されています。林先生は5班が発見したご遺骨について、ご遺骨の総量は少ないものの頭から足先までの部位が万遍なく揃っているとして一柱の完全一体のご遺骨として箱に収められています。
また祭壇には、ご神酒や沖縄の泡盛、タンカン、みかげ饅頭、金光煎餅などのお供え物も八台の三方に整え供えられており、慰霊祭の準備が整えられています。
4時になりましたので、参加者全員がテント内や周囲に集まり、龍笛と篳篥とによる中正楽が奏でられる中、祭主である金光教那覇教会の林先生の主導で第40回沖縄戦戦没者現地慰霊祭が始められました。全員による「霊前拝詞」奉唱がまず行われ、そして那覇教会の林先生が朗々と、現地慰霊祭祭詞を奏上していきます。
続いて霊前拝詞奉唱、祭詞奏上と続き、そして祭主が玉串を捧げ奉った後は、続いて25名の参加者代表が玉串を祭壇に向け捧げました。最後に全員で祖先賛詞を奉唱して、現地慰霊祭を滞りなく終えました。
現地慰霊祭

「沖縄戦全戦没者之霊」と書かれた霊標の前で、那覇教会教会長の林先生主導で現地慰霊祭が執り行われます。霊標の横には、この慰霊祭のために折られ届けられた千羽鶴が飾られているのが見えますね。またご霊地を始め他県より持ち寄られた御神酒や手作りのお餅やお菓子、お水などが八台の三方に調えられ供え付けられています。
全国から総勢92名もの方々がここ摩文仁に集い、林先生主導による慰霊祭は「霊前拝詞」の奉唱から始まります。
「あわれ霊神達はや 遠く久しき天地にまたなき生命享けまして 現身の齢の長き短きほどほどに 負いもつ務めに勤しみたまいし一代のみあとは永久に遣りて…」

慰霊祭では、龍笛と篳篥とによる中正楽が奏でられます。

祭壇をよく見ますと、前門光雄さんの遺影が飾られていました。前門家は、ここ摩文仁に戦前からお住まいの一家で、前門光雄さんは、お母さんである前門キヌさんに、幼少の頃から手を引かれて遺骨収集に携わってこられた方です。光雄さん曰く、「僕なんか小さいよちよち歩きの頃から、畑に行くと遺骨が転がっているので、頭などを持って運び出すお手伝いをしていたよ…。」という話を私も聞いたことがあります。
前門光雄さんは、全国規模で実施されていた「金光教沖縄遺骨収集運営委員会」時代には、遺骨収集の実施に不可欠の存在として主導的に金光教の遺骨収集に携わっていただきましたが、平成14年、今から12年前になりますが、57歳の若さで急逝されてしまいました。
前門家のお母さんと那覇教会の林先生との出会いが無ければ、もしかして金光教の遺骨収集は無かったかもしれない…。それくらい前門家と林先生との邂逅は、沖縄戦戦没者遺骨収集と戦没者慰霊への大いなる道筋をつけて下さったのです。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。席の最前列には、41年前に第1回目として実施された金光教沖縄遺骨収集奉仕活動から運営に尽力された方々が着席されています。これまでの41年という歳月の長さ、そしてその年々に刻まれた年輪の深さに思いを馳せる時に、心からの感恩の念を覚えずにはいられません。今日まで本当にお疲れ様でございました、そして有り難うございます。m(_ _)m

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「霊前拝詞」を奉唱している様子です。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上が始まりました。毎年の事ですが胸に染み入る文脈です。 沖縄を誰よりも愛する林先生の、また惨劇の場たる沖縄の世界平和への礎にならんと、祭主たる林先生の思いが込められた長文の祭詞ですが、私たちも心を静め一緒に文脈を追います。沖縄を誰よりも愛する林先生の「沖縄戦戦没者二十余万の霊の助かりなくして、沖縄の真の助かりはない」という、金光教による遺骨収集取り組みの基軸とも言える思想が込められた文面となっています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

林先生による「現地慰霊祭祭詞」の奉上を聞き入っています。

「現地慰霊祭祭詞」の奉上が終わり、次いで玉串を捧げ奉ります。

参加者の皆さんが玉串を捧げ奉ります。

参加者の皆さんが玉串を捧げ奉ります。

参加者の皆さんが玉串を捧げ奉ります。

参加者の皆さんが玉串を捧げ奉ります。

参加者の皆さんが玉串を捧げ奉ります。

慰霊祭は「祖先賛詞」奉唱で締めくくられます。

参加者の皆さんが「祖先賛詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「祖先賛詞」を奉唱している様子です。

参加者の皆さんが「祖先賛詞」を奉唱している様子です。
【糸満市摩文仁で100人が遺骨収集】 金光教那覇教会
「琉球新報」平成26年2月21日
【糸満】金光教那覇教会(林雅信代表)は、15日、沖縄戦で激戦地だった糸満市摩文仁の森林で、遺骨収集奉仕活動を実施した。県内外から約100人が参加し、生い茂る草木を分けながら2柱の遺骨を収集した。同教会の遺骨収集活動は今年で41回目で毎年2月に実施されている。
花村浩二さん(74)=福岡県=は「もしかしたら土の下に御霊が眠っているかもしれないと思いながら慎重に歩いた。早く戦没者全員の遺骨が見つかってほしい」と話した。
林代表は「来年で戦後70年を迎えるが、戦争が風化していくのを感じる。沖縄戦で亡くなられた全ての方に祈りを捧げたい」と語った。 16日には清掃奉仕活動が行われたほか、沖縄戦で亡くなった全戦没者に対する慰霊祭も催された。
「琉球新報」から転載させて頂きました
【完全一体2柱を収集、慰霊】 沖縄戦没者遺骨収集
「金光新聞」平成26年4月27日
沖縄県那覇教会(林雅信教会長)を中心とする金光教有志グループは2月15、16日、糸満市摩文仁(まぶに)で沖縄戦没者の遺骨収集奉仕を行った。41回目となった今回は、地元沖縄をはじめ、全国各地から92人(未信奉者27人を含む)が参加した。
今回は、昨年に捜索した地域の隣接地域で作業を行った。捜索班に選ばれた奉仕者は、生い茂る草木をかき分けながら捜索を行い、二日間にわたる捜索の結果、完全な一体のご遺骨二柱と、部分的なご遺骨や砲弾の破裂で四散したと思われる砕骨を収集した。一方、収集したご遺骨のお清めを行うお清め班は、収集されたご遺骨の土や泥をきれいに取り除く作業にあたった。
二日間にわたる作業後には慰霊祭が仕えられ、戦没者のみたま様の立ち行きに祈りを込めた。また、16日には遺骨収集奉仕の日程と合わせて、沖縄宗教者の会が糸満市の強力の下、糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔南側の崖下で、不法投棄ごみの撤去清掃奉仕活動を行った。
作業には、同会に加盟する天理教、立正佼成会、パーフェクトリバティー教団、金光教の四教団が参加し、合計120人余りが午前中約二時間にわたり作業を行った。
崖下から運び上げられた泥まみれの空き瓶や空き缶などのごみは、ビニールのごみ袋に詰め替えられ、ごみ収集車が待機する駐車場まで、約150メートルの坂道を手渡しで運んだ。今回回収されたごみは、約3トンだった。
林先生は、「来年で戦後70年を迎えるが、戦争が風化していくのを感じる。沖縄戦で亡くなられた全ての方に祈りをささげたい。また、ごみは、まだまだ堆積しているが、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る沖縄の心象徴する地である摩文仁が、少しずつ清められていっていることはありがたい。今後も、この奉仕活動への県民参加が実現することを祈念しつつ、取り組みを進めていきたい」と語っていた。
「金光新聞」から転載させて頂きました