令和03年(2021年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 1月13日(水)故具志八重さんのお墓参り、戦没者遺骨収集情報センターご挨拶
- 1月14日(木)慰霊巡拝(申し訳ありません。非公開での調査・遺骨収集を実施しました)
- 1月15日(金)慰霊巡拝(申し訳ありません。非公開での調査・遺骨収集を実施しました)
- 1月16日(土)慰霊巡拝(申し訳ありません。非公開での調査・遺骨収集を実施しました)
- 1月17日(日)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月18日(月)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月19日(火)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月20日(水)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月21日(木)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月22日(金)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月23日(土)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
- 1月24日(日)摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
1月22日(金) 摩文仁海岸線で調査・遺骨収集
今朝の時点での天気予報は「終日雨」です。午後は特に強い雨がふるとの事で、最高気温20度、降水確率は80%、90%です。今朝は起きた段階で雨でしたし、終日雨の予感です。と言う事で、本日朝の慰霊巡拝は雨の為に中止です。
調査・遺骨収集作業開始です
今日は朝から雨です。壕口から中に入っていこうとしているのは松永さんです。壕の入ってすぐの場所が斜面になっているので、背を向けて足の方から入ろうとしています。今日は雨なので、松永さんは雨合羽を着ています。
すぐに壕の中から、松永さんを撮影しました。背を向けてはいますが、普通に立った状態で斜面を降りています。壕口の勾配が結構あるのが見て取れますね
松永さんも無事に壕内に入りました。壕口を撮影しています。壕口は人が立って入れるぐらい大きいです。しかしながら、この壕口は昨年まではありませんでした。なぜ今年から壕口が突然現れたのか?
その理由は、昨年糸満市が主催で一般市民が参加する活動で、摩文仁之丘に放置されているゴミを回収するというボランティア活動があるのですが、昨年摩文仁のこの地域でゴミ回収作業を行ったようです。深さ1mとか2mと堆積するゴミを回収したら、壕の口があったと言う訳です。昨年の参加記にこの写真と同じアングルで同じ場所を撮影した写真と新聞記事がありますのでご紹介致します。
《過去の写真ご紹介》
【2020年1月19日撮影】写真奥をご覧くださいませ。大量の空き缶空き瓶が、壕内に流れ込んでいます。地表はもっと凄い事になっているのを確認しています。因みにこの空き缶空き瓶の山は、松永さんを通じて琉球新報様が記事にして下さいましたのでご紹介します。
一体どこから… 遺骨が眠る洞窟に流れ込む大量のごみ 沖縄・摩文仁の丘周辺の戦跡 収集作業のNPOが早期撤去訴える
【琉球新報】令和2年(2020年)1月31日
【糸満】「遺骨がごみの下敷きになっている」―。沖縄戦戦没者の遺骨収集作業が続いている糸満市摩文仁の丘周辺で、空き缶や空き瓶、さび付いた表示パネルなどごみが山積し、遺骨収集作業の大きな妨げとなっている。当時の日本兵の認識票や骨片などが発見された洞窟にも大量のごみが流れ込んでいて、遺骨収集作業に取り組んでいるNPO法人沖縄鍾乳洞協会理事の松永光雄さん(66)は「あまりにもごみが多くて、遺骨や遺品を取り出せない」と頭を抱えている。
ごみが山積している場所は、糸満市摩文仁の丘周辺。各都道府県の慰霊塔などがある場所の裏手で、急斜面になっている山道を下ったところにある。遺骨収集現場への道中も、さびた空き缶を踏んでパキパキっと鳴ることが度々あった。ごみの多くはジュースやビールの空き缶・空き瓶だが、中には慰霊碑の説明パネルもある。
松永さんらは16日から19日まで、ごみが山積している場所周辺で遺骨収集作業を実施していた。洞窟に入り、地下5メートルほどの場所から名前が彫られた認識票や遺骨などを収集した。3年ほど前にも同じ洞窟の中から認識票が発見されている。まだ多くの遺骨や遺品が残っているとみられるが、大量の空き缶が流れ込んでいて「ごみのせいで遺骨が収集できない」状況だ。
松永さんは「無念の思いで亡くなった人たちの遺骨や遺品がごみで収集できないなんて、あってはならない」と話し、行政が主導する形で早急な撤去を訴えている。
「琉球新報」から転載させて頂きました
過去の写真掲載はここまでです。
調査・遺骨収集作業開始です
皆さん聞いて下さい。私達は昨年もこの壕で調査・収骨作業を行いましたが、昨年も直前に他の遺骨収集団体が作業した為に土砂が掘り返されてしまい、私達の予定が狂ってしまいましたが、何と今年も再び他の遺骨収集団体が作業した為に、壕内部の岩が大きく移動して滅茶苦茶になっています。着手しようと予定していた場所は、取り組むのが不可能な状態です。ですからしょうがありません。直前に入った団体が手をつけなかったと思われる場所を選んで、私達も取り掛かる事となりました。福岡さんが居られる前には穴があり、穴の中は遺骨収集作業が為されていない感じなので、まずは手前の岩を除けて、中に入ってみる事にしました。
多くの岩を除けて、福岡さんがやっと穴の中に入りました。結構広いですね。まずは概観して状況を分析します。
少し岩を移動したりして観察しています。
福岡さんが「中の岩を除けて探してみましょう」と語りました。岩の移動開始です。
ソリが登場です。岩の移動が続く場合、或いは岩の移動距離が長い場合は、ソリは必須のアイテムとなりますね。私達作業員の腰の負担を劇的に軽減してくれます。(^o^)
どんどんソリに積んで運び出します。
大きな岩が二個以上入りました。これは引っ張る側も大変ですよ。
速い速い、どんどん作業が進みます。(^o^)
福岡さんが大きな岩を移動しようとしています。腰を悪くしたら大変ですよ。無理しないで!!
見て下さい。福岡さんは、こんな大きな岩を一人で動かしました。ビックリです。
移動出来そうな岩は、あらかた外に出しました。
土の部分に金属探知機を当ててみました。あまり反応は無いようです。一応この場所は臼から取りかかれるように準備をしたという状況です。今からこの大きな壕の他の部分で作業出来そうな場所があるか探しに行ってみます。
煤で真っ黒になっていますね。ここで炊事をしたのでしょう。
アップしました。よく見ると、戦後76年経過して、煤の色合いは薄くなったでしょうが、それでも良く観察すると、往時を偲ばせる生々しい色合いが見えてきます。
この場所だけに丸太木材がまとまって置いてありました。この壕は賢固な天然要塞と言える壕です。構築壕では必要な丸太木材は、ここでは一切必要ありません。
木材の切断面がノコギリで切ったように真っ平らになっています。壕に運ぶ際に、入れやすいように小さく切断したものと推測されます。
岩の割れ目と言える場所ですね。光は見えないので行き止まりかも知れません。
ここは外の光が少し見えますね。ですからこの壕は、思いのほか深いところにある訳ではないと言うのが解ります。
福岡さんが気になる場所をチェックしています。
金属探知機の反応があったようですが、金属的な遺品は無かったようです。
更に奥に進んでみましょう。
ご覧のように、この辺りは賢固な岩盤で構成されており、艦砲弾の直撃を受けてもビクともしない印象を受けます。
福岡さんが岩の割れ目を見ています。この辺りは木の根があちこち見えるようになりました。地上が近いという事でもあります。
外の風景が見えます。
磁石を見ると南側即ち摩文仁の海岸方面を見ている事になります。
外に出る事が出来ました。しばし外の風景を観察し、再び中に入ってきました。
いきなり目の前に手榴弾がありました。ご覧のように日本兵が持つ手榴弾です。
三浦さん、福岡さん、そして私の三人で、東側の壕をやろうと言う事になりました。東側の壕に向かいます。
壕の東側空間に到達しました。こちらも広さは結構あります。何十人と将兵が入れる空間があります。
鍾乳石が乱立し、結構複雑な場所もありますね。
奥にも空間があります。
外の風景が見える場所もあります。
それにしても、「壕の中でも雨が降るのだ」と言う事を痛感しました。沖縄戦に於ける島尻の戦闘でも、一部梅雨の時期と重なっていますので、壕内での雨避けも大変だったと推測されます。体が濡れるのは、乾かせば何とかなりますが、例えばマッチとかロウソク‥‥。軍需品で雨に濡れたら使い物にならない物資は、色々あったと思います。
昼食を食べる事になりましたが、壕内も結構雨水が落ちていて、雨水に濡れない場所を探すのが困難に見えたので、外に出て食べようという話になりました。外では岩陰の雨に濡れない場所がある事を知っていましたからね。
外に出てみると、雨に濡れた空き缶が、一際鮮やかな色合いとなり、凄く目立っていたので撮影しました。そうなんです。この辺りは、空き缶・空き瓶が高さ1.5m以上堆積している場所なのです。
数年前から糸満市が主催する形で、県内からボランティアを募り、100人とか200人規模で、摩文仁崖下から、空き缶・空き瓶のゴミ山を運び上げ、回収して下さっていたのです。福岡さんが座っている場所は、昨年空き缶・空き瓶が回収された場所です。福岡さんの先には、空き缶・空き瓶がが断面図のように見えていると言う訳です。これらの未回収の空き缶・空き瓶も、順次回収されると思われますが、予期せぬコロナ禍で糸満市さんも、その日程の見通しは立たないでしょうね。
福岡さんが居た場所を、もう一度撮影しました。凄く高く積み上がった空き缶・空き瓶であるのが見て取れますね
この写真はゴミが回収され、穴の空いた部分の反対側を撮影しています。正にゴミの山の断面を見ている思いがします。因みに写真手前側の空き缶・空き瓶を回収した場所についても、完全に回収された訳ではありません。下になればなるほど土と同じようにゴミが腐熟して行きますので、ゴミとして目立たなくなっているだけで、依然としてゴミが堆積した状態ではあります。でもこれはきりが無いぐらい深くゴミが堆積しているので、100%回収するのはもはや不可能です。
ここは反対側を撮影しています。大変なゴミの山であるのが見て取れますね
壁面が煤で真っ黒ですね。ここで激しく何かが燃えたのかも知れません。戦後76年を経ても尚、こんなに真っ黒なのですから、相当激しく燃焼したとみて間違いありません。地際に白い岩が積み上げられていますが、昨年のゴミ回収の時に、岩を移動した‥‥。のではないかと推測されます。
アップしました。真っ黒ですよね。
こちらも真っ黒です。
岩の割れ目から下が見えます。空洞部分があるようです。
ここからも下が見えました。
カメラをなるたけ下げて撮影しました。空間があります。また壁面がかなり黒くなっています。先ほどの壁面が煤で真っ黒になっていたのは、この壕の下穴から煙が出ていたというのも考えられますね。
カメラをなるたけ下げて撮影しました。ここにも空間があります。結構広そうですね。時間がある時に入ってみましょう。
昼食を終えたので、作業再開です。(^o^)し
午後の作業開始です。本日は、この場所も含めて明日からの本格作業をしやすくする為の作業をしています。遺骨や遺品がありそうな場所の大きな岩を壁際とか邪魔にならない場所に移動するのがメインの作業となります。
現在この壕内も写真では解りませんが、あちこちから雨水がしたたり落ちています。多くの場所で雨水がしたたり落ちており、行く手行く手で背中を濡らし不快極まりないです。
三浦さんです。三浦さんはしっかりした雨合羽を着ていますが、すでに膝や手の肘などが黒く汚れていますね。地盤の土が時間の経過と共に泥水となりつつあります。
福岡さんが大きな岩をどんどん除けているので、ご覧のように随分とスッキリしてきました。
三浦さんも大きな岩をどんどん移動しています。ここも最初から見ると随分平坦になってきました。
福岡さんが、また大きな岩を除けようとしています。腰に気をつけて下さいね。
この辺りは比較的雨水の落ちる度合いが少ないですね。
三浦さんも大きな岩を移動しようとしています。凄い。動きました。
ご覧のように、壁面が煤で黒くなっています。ここ東側の空間で壁面が煤で黒くなっているのは、ここだけのようです。
ご覧のように、大きな岩の多くは壁際へと移動が完了しました。明日からは本格的にご遺骨や遺品を探す事になります。時間も迫ってきたので、本日の作業は終了です。お疲れ様でした。(^o^)