平成23年(2011年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月15日(火) 松永光雄氏と摩文仁南斜面で調査

本日も昨日同様、私と松永さんとで摩文仁南斜面を調査する事になりました。特に松永さんが予てより精査してみたいと思っていた地域を集中的に回ってみる事にしました。今日の天候は“雨の心配は無し”という事で、肉体的にはもちろん、精神的にも全精神を集中して、今日一日取り組みますよ。(^o^)

摩文仁南斜面で調査

遺骨収集の様子1

摩文仁二日目、昨日とは少し離れた南側の斜面で調査を開始しました。

遺骨収集の様子2

アダンをかき分けかき分けて私たちは前進します。

遺骨収集の様子3

壕の入り口にちぎれたような鎖の一部がありました。鉄の鎖はどのような場面で使用したのでしょうかね。?

遺骨収集の様子4

昔のフィルムカメラで使用するストロボを発見。昔はカメラを持っていた人はごく限られた人達でしょうから、もしかしたら従軍記者の遺品かもしれませんね。

遺骨収集の様子5

この付近もたくさんの壕があります。私たちはひとつひとつ潰すように入ってみました。

遺骨収集の様子6

壕は広い空間のものから、這って歩かねばならないレベルまで、いろんな大きさがあります。

遺骨収集の様子7

ここは深く広い壕ですね。ここは降りることが可能だったので降りてみました。※老婆心ながら、壕を降りるときは “登れるか” という事も併せて思考の中に入れておかないと、大変な事になりますからね。(逆コースもしかりです)
つまり降りながら、登りの時は足をどこに置くかを同時進行で検証しながら降りると言う事がとても大切です。時には短い距離で良いですから「降りて登ってを繰り返し」、帰るときの登り(又は降り)の困難さを把握しながら進むという点が大切ですよ。

遺骨収集の様子8

このように幅が狭い部分というのは、意外と容易に降りられるのが一般的ですよね。実際この場は容易に降りていくことが出来ました。

遺骨収集の様子9

底に到達したので、横に前進してみました。突き当たりまで前進してみますと、今歩いている所よりも更に下に同じ方向に洞窟が走っているのが見てとれましたから、なんとかその通路に到達しようと、あちこち探し回りました。そうした容易に到達できない場所というのは、まだ誰も足を踏み入れてない空間であることが多いのです。

遺骨収集の様子10

ついに下の通路に至る道筋を発見しました。そしてやはり予想したとおり、遺品もありますし、ここは誰も足を踏み入れてないという印象です。私たちはゆっくりと慎重に、御遺骨を発見すべく前進していきました。

遺骨収集の様子11

ご覧のように炭化した木片が見えます。この壕は非常に複雑な構造をしており、おそらく三層になった壕だと思えます。この炭化した木片は上から落ちてきたものと思われますが、これだけ太い木材が炭のようになっているという状況は、ここ摩文仁がナパーム弾攻撃等で激しく燃え続けたというのを想起させますね。

御遺骨発見!

遺骨収集の様子12

御遺骨発見!。
見つけて下さいとばかりに、壕の通路のど真ん中に御遺骨はありました。誰でもここを通れば、この御遺骨を発見できる状況でした。つまり上の通路で日本軍将兵が亡くなり、上の御遺骨はすでに収骨されましたが、ここにある一部の御遺骨は上の壕のすき間から下の壕の通路に落っこちたものと思われます。今回のような手足の細長い骨が下に落ちるのは珍しいかもしれませんが、手足の指先の小さな御遺骨は年月の経過と共に、また台風などの強風に煽られて、下にどんどん落ちて(潜って)いきますから、収骨している場よりも下に空間があるかどうかもしっかり確認しながら収骨するという点が大切ですね。

遺骨収集の様子13

発見された細長い御遺骨は腓骨です。膝から下には脛骨と腓骨の大きな骨が二本ありますが、細い方が腓骨ですね。写真の通り上が膝側で下が足首側です。

遺骨収集の様子14

他に肋骨が二本発見されました。遺品も少しありました。

遺骨収集の様子15

御遺骨を発見した場所から10メートル程前進しますと、ご覧のような場所に出ました。少し穴の空間が広くて飛行機などからは発見されたかも知れませんが、開口部が海岸に並行して空いていることから、艦砲の直撃は避けられた可能性があります。いずれにしましても、この壕は三層構造となっており、無理をすれば摩文仁崖下に降りられる可能性もあり、降りる事が可能なら海岸にも容易に行けたでしょうし、極めて利便性の良い壕であることが見てとれます。

※崖面に生えている草を少し刈り取り、それを崖下の通路に落としておきました。
崖から下を見ると、崖下の通路が見えました。下の通路は摩文仁縦走に際し何度も何度も通った道であり、現在居るこの場所が、下から見たらどの位置になるのか知りたくて、刈り取った草を下に落としてみたという訳です。今回の沖縄訪問中に下を通る場合も考えられます。その時に落とした草があれば、下の通路と現在私たちが立っているこの洞窟との位置関係をキッチリ把握出来ますし、下から登ることが可能なら、崖の登り降りの新しいルートを発見したことになりますので、チャンスを逃すことなく、このような先手先手の対応が重要なポイントとなりますね。

遺骨収集の様子16

私と松永さんとで、「兵隊さん達はここから何を見て、何を考えていたのでしょうかね…。」という話をしばらくの間交わしました。

遺骨収集の様子17

開口部の端に、ご覧のような砲弾の破片と思われる鉄片が突き刺さっていました。改めて砲弾破片の貫通力に驚くばかりです。

遺骨収集の様子18

こちらは化石と化した貝の様子です。海抜50メートル以上高い位置にあるこの壕が、かつては海の中にあったという事を知らせていますね。

遺骨収集の様子19

私たちは御遺骨を発見した壕を出て、ジャングルを再び歩き始めました。

遺骨収集の様子20

また大きな壕があったので入ってみました。

遺骨収集の様子21

あちこち遺品が散乱していました。すでに収骨が為された状況ですが、かなりの御遺骨があったものと推測されます。

遺骨収集の様子22

日本軍将兵のものと思われる遺品です。

遺骨収集の様子23

軍靴の底もたくさん散乱していました。多くの兵隊さんが亡くなったのですね。

遺骨収集の様子24

御遺骨も少しありました。

遺骨収集の様子25

この壕は摩文仁随一の巨大壕ですが、壕を伝って歩いている内に、思いもよらずここに出てきましたね~。いかに私たちのアンテナがあてにならないかの証左ですね。

遺骨収集の様子26

コンクリートで固めた貯水池の上には、ご覧のように岩盤に亀裂が走っており、おそらく沖縄戦当時はここからかなりの雨水が落ちてきていたのではないかと推測されます。実際そうでなければ、このコンクリート製の貯水池を設置した意味が解りませんよね。

遺骨収集の様子27

松永さんが、貯水池の付け根に沢山の銃弾があるのを発見しました。ここは台風など大雨が降ると、公園内に降った雨がこの壕内を流れるようになっているのですが、その激しい水流があるにも関わらず、沖縄戦当時の銃弾がそのまま残っていたのには驚きましたね~。

遺骨収集の様子28

ランタンに照らし出されているのは、拳銃の銃弾です。

遺骨収集の様子29

これは防毒マスクの目の部分の部品ですね。目の部分という事で、ガラスではなく透明のセルロイドで部品は出来ています。

遺骨収集の様子30

ここの巨大壕は出入り口は少なくとも4カ所把握していますが、その内の一カ所の出入り口部分です。松永さんが気になるところがあるというので、しばらくこの場で調査を続けました。

遺骨収集の様子31

この壕では数え切れない程の日本軍将兵が亡くなられたでしょうから、最後にロウソクを灯し線香を焚いて、戦没者のご冥福をお祈りしました。

遺骨収集の様子32

巨大壕を出て、私たちは東に向かって進むことにしました。

遺骨収集の様子33

摩文仁南側斜面はご覧のような厳しい崖になっている場所が少なくありません。ですから、収集作業を効率化させる意味でも、一カ所でも多く崖の上と下とを結ぶルートを把握しておくというのがとても重要な事柄なのです。

遺骨収集の様子34

壕に入れない人達は、このような巨岩の陰に身を潜めていたかもしれませんね。

遺骨収集の様子35

通路のようになっているのが見てとれます。歩きやすいので、当時ここを大勢の人達が行き来したのでしょうかね。

遺骨収集の様子36

ジャーン。午前中に私が落としておいた草をこの場で発見しました。
嬉しかったですね~。そしてなんと岩を登ってみたら登れました。崖上から降りようとした時は、「ちょっと危険かな」と感じて降りることを自重しましたが、こうして下から登ってみると、岩場におけると手と足の置き場が定まり、それほど危険でない状況で降りることが可能であるのを把握しました。

嬉しいですね。こうしてまたひとつ摩文仁崖上と崖下を結ぶ、新しいルートをひとつ発見した事になります。今回は崖の上下を行き来することが可能である事が判明しましたが、例え行き来できない状況であっても、崖上と崖下の位置関係を把握出来るだけで、摩文仁をより立体的に頭の中に描くことが可能となりますから、今回のように「目印として草の葉を下に落としておく」というような、位置関係を立体的に把握する為の努力は、いつの時も継続されるべきだと感じますね。

遺骨収集の様子37

見て下さ~~~い。天然物のパパイヤの木を見つけましたよ~。(^o^)
この場所に毎年「収穫」に来ようかな~。このパパイヤのある場所は誰にも教えませんからね。私と松永さんだけの秘密の場所としますよ。(笑)
それにしても、人間の知恵には驚くばかりです。「どのようなやり方で、4メートル程の高さにあるパパイヤの実を落としたか!」 ど~~~しても知りたい方は、私に直接メールを下さい。(笑)

遺骨収集の様子38

5個落としたうちの1個です。天然物はでかいですね~~。(笑)
パパイヤは夏の暑さに強くとても強健ですし、成長が早いことから沖縄の家庭では結構庭に植えられていますよね。青いパパイヤは、あえものやチャンプルー、そして煮物にと多様な料理に用いることができますから、沖縄では欠かせない「野菜」だそうですよ。また昔の沖縄は飢饉が多かったそうですが、飢饉に対する危機管理食料としても各家庭に植えられていたそうです。落としたパパイヤはすべて松永さんが持ち帰り、ご家族の胃袋に入る事になりました。

遺骨収集の様子39

土のある場所では、ご覧のような直径5センチほどの穴が至る処に開いていました。おそらく小動物の住み家ではないかと思いますが、どなたかご存じの方は教えて下さいませ。

遺骨収集の様子40

艦砲砲弾です。信管部を除き45センチほどの長さです。手榴弾も1個ありますね。金光教の遺骨収集の際に赤テープが巻かれたみたいですが、劣化してきていたので、赤テープを新たに巻き直しておきました。

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