平成23年(2011年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 1月29日(土)遺骨収集事前調査・摩文仁清掃奉仕 (準備作業)
- 1月30日(日)摩文仁清掃奉仕
- 2月14日(月)松永光雄氏と摩文仁V字谷と南斜面で調査
- 2月15日(火)松永光雄氏と摩文仁南斜面で調査
- 2月16日(水)国吉勇氏と「JYMA日本青年遺骨収集団」の遺骨収集に参加
- 2月17日(木)独立高射砲27大隊本部壕と大渡海岸一帯を調査
- 2月18日(金)キーザバンタの東側海岸線を調査
- 2月19日(土)第38回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 2月20日(日)第38回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
1月30日(日) 摩文仁清掃奉仕
今日の天候は「曇り時々晴れ」となりました。(^o^)
雨が降れば当然放置ゴミの上にも降りますから、搬出予定の放置ゴミは放置ドロンコゴミとなり、放置現場からのゴミの搬出は一層困難になり、参加者に大きな負担を強いることになりますから、“本日は雨の可能性ほとんど無し” という予報は本当に嬉しいですね。
今日は 沖縄宗教者の会 が主催する、「摩文仁清掃奉仕」が実施されます。参加団体は天理教と金光教、立正佼成会そして念法真教の四団体で、参加者は前回よりもかなり減るとの見通しですが、それでもトータルで100人前後の参加者が見込まれているそうですよ。(^o^)
摩文仁ジャングルに放置されたゴミは、バケツに入れて地上部に引き揚げ回収し、燃えるゴミと燃えないゴミとの分別作業を経た後、「沖縄師範健児の塔」のある広場から、駐車場までのおよそ200メートルの区間、バケツリレーよろしくゴミリレーで、袋詰めされたゴミを、待機しているゴミ運搬車のところまで運び上げようという訳なんですね。
「摩文仁清掃奉仕」 の集合場所である平和祈念公園南口広場 (通称 わんぱく広場) には、続々と車が押し寄せ、広い駐車場も次々に埋まってきましたよ。
わんぱく広場では、各宗教団体毎に並んで、沖縄宗教者の会代表の林先生がまず開会の辞とご挨拶に立たれました。林先生の話が終わりましたら、各宗教団体毎にミーティングを開催して、本日の放置ゴミ収集作業における注意事項等の話し合いが為されたあと、いよいよ作業開始となりました。
さあそれでは昨年同様「摩文仁清掃奉仕」の熱い一日を、ご一緒に追いかけてみましょう~。(^^)/
摩文仁清掃奉仕の様子
金光教からは、林先生を始めご覧の皆様が摩文仁清掃奉仕に参加されました。
「沖縄宗教者の会」代表として挨拶に立つ金光教那覇教会の林先生です。
昨年ほどの参加者はありませんでしたが、今年も天理教を中心とした大勢の人々が、ここ摩文仁にゴミ清掃のために参集して下さいました。
『沖縄師範健児之塔』前で最後の打ち合わせをする天理教の皆さんです。天理教の皆さんは、普段から教団として“清掃奉仕”に積極的に取り組んでいますから、とても手際がよい印象を受けますね。
さあ、今年も清掃作業が開始されましたよ。怪我や事故に気をつけ、精一杯清掃奉仕活動に取り組みましょう。そしてここ摩文仁から少しでも多くの不法投棄ゴミを撤去していきましょう。
不法投棄ゴミの山は、表層が搬出されるにつれて、次第に土が混じってくるようになりまして、分別が極めて容易ならざる状況になってまいりましたね。
上では隊員の皆さんが手際よく、バケツに入れられたゴミを外していき、空のバケツを下に降ろしていく作業を繰り返していました。
ウインチで運び上げられたゴミは、このように人々によるバケツリレーで、ゴミ分別場所まで搬出されます。
ここで燃えるゴミ・燃えないゴミ等に分別されます。市清掃局の皆さんも大勢参加され、分別等の指導そして私たちと共に中心となって作業を遂行して下さいます。
それでは塔前のゴミ分別場所から、駐車場にあるゴミ運搬車までの人々によるバケツリレーを追いかけてみましょう。
ご覧のように、ゴミ袋は女性や子供でも容易に運べるレベルの、比較的軽くした状態で運搬されます。それでも少しずつ土が混じるようになってきましたから、私も持ってみましたが結構な重量感を感じましたね。
ゴミは人の手を介して、少しずつ上の方に上がっていきます。
金光教の皆さんも、この付近に陣取り作業を継続していました。お疲れ様で~す。
ビニール袋で運搬されてきたゴミは、最後はゴミ運搬車に投入されます。
ゴミ堆積場では、大勢の皆さんが一生懸命ゴミをバケツに入れる作業に取り組んでいます。
ご覧のように次第に土がかなり混じってくるようになりました。この土は不法投棄した時のものではなく、台風などで土石や落ち葉が飛んできて、この場所に堆積し腐葉土と化しながら、最終的に土となっていったものと思われます。
ひのきしん隊の皆さんです。見ていて本当に手際がよいですね~。空バケツが降りて来るや、速やかにゴミの入ったバケツを5~6個フックに連結していきます。
この方も黙々とゴミをバケツに詰め込む作業を続けていました。お疲れ様でございます。
もう一人、この方も黙々とゴミをバケツに詰め込む作業を続けていました。お疲れ様でございます。
ウ~ン!。割れたビンなどの細かいものをどうするか…。これからの課題ですね。
ご覧のように少し日差しが出て来まして、暑いぐらいの天候となりました。
放置ゴミは上へ上へとリレーされて持ち上げられていきます。
オッ那覇教会の皆さんも頑張っていますね。
摩文仁清掃奉仕終了
午後三時となり無事に作業終了と相成りました。開始した時と同じように、天理教では式典を開き区切りを付けます。
「沖縄宗教者の会」代表として、作業を無事終えたひのきしん隊の皆様にねぎらいの言葉を語りかける林先生です。
最後は古堅宗康ひのきしん隊隊長が、清掃作業の総括をお話し下さいました。
【健児之塔周辺を清掃】 宗教者の会と糸満市
「琉球新報」平成23年1月31日
【糸満】沖縄宗教者の会のボランティアら約120人と糸満市は30日、糸満市摩文仁の健児の塔付近の林に戦後不法投棄されたごみの清掃作業をした。今回で5回目。参加者はがけ下に投棄されたごみを電動ウインチで運び上げ、バケツリレーで運搬車に運んだ。ごみ約700袋回収した。
摩文仁の海岸一帯の林は沖縄戦跡国定公園に指定されているが、戦後のものとみられるごみが大量投棄されている。清掃を呼びかけた金光教那覇教会の林雅信さんは「摩文仁は平和の象徴の場であり、聖域。ごみに埋もれているのはしのびない。県や市が中心となって改善して欲しい。」と訴えた。
「琉球新報」から転載させて頂きました
【聖地にごみ捨てないで】 民間・市が撤去作業 4時間で3.5トン
「沖縄タイムス」平成23年2月2日
【糸満】糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔南側の山林で1月30日、不法投棄ごみの撤去作業があり、県内の宗教関係者らでつくる民間ボランティアや糸満市職員ら約120人が参加した。約4時間の作業で空き瓶や空き缶など約3・5トンのごみを収集。新たな投棄場所も見つかり、参加者からは県など行政主導による撤去を訴える声も上がった。
場所は草木が生い茂る足場の悪い急斜面を降りた所で車や重機は現場に入ることができず、作業はほぼ全て手作業。参加者らは、ごみ収集車両が待機する駐車場まで200メートル余の道に列をつくり、手渡しでごみ袋を運び出していた。
土砂や枯れ葉などとともに一帯を埋め尽くす大量のごみに参加者らはがくぜん。「掘っても掘っても切りがない」「まだ遺骨が眠っている聖地なのに。捨てた人は平和の心も一緒に捨ててしまった」などと、ため息交じりの声が漏れた。
同作業の発起人で40年近く遺骨収集に携わっている金光教那覇教会の林雅信さん(71)=那覇市=は「摩文仁は鎮魂と平和を象徴する場。だが一歩裏に入ると不法投棄ごみがあり、その下にも遺骨が眠る。これで聖地と言えるのか」と憤る。市の協力を得ても民間だけでは限界があると強調し、「県が立ち上がって参加を呼び掛けてほしい。文字通り、誰が見ても聖地と言える場、見えない所まで聖地と呼べる場所にしなければならない」と訴えた。
「沖縄タイムス」から転載させて頂きました
【複眼-聖地けがす “負の遺産”】 摩文仁の不法投棄ごみ
「沖縄タイムス」平成23年2月5日
目が覚めると、闇の中にいた。硬い土砂や腐食したごみに体を覆われ、身動きが取れない。叫びたくても声が出ない。しばらくして、吐き捨てるような言葉がかすかに耳に入った。静かな怒りを込め、「何が平和の心だ。このごみと一緒に、その心も捨ててしまったんだな」と。そんな夢を見た。
沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁。慰霊塔が立ち並ぶ霊域「聖地」だが、その海岸沿い、山林や崖下には不法投棄された大量のごみが放置されている。戦没者の遺骨がその下に埋もれていた可能性も高いといわれるが、参拝者の目に届かない。
昨年4月と今年1月、沖縄師範健児之塔南側で行われた不法投棄ごみの撤去作業を取材した。草木を分け入り足場の悪い斜面を下りると、土や枯れ葉と“同化”した空き缶や空き瓶、プラスチック…。初めて目の当たりにし、愕然とした。
作業に当たったのは民間の遺骨収集ボランティアと糸満市職員ら。重機などは入らず、ほぼ手作業で行われた。4月に300人、1月は100人余りが参加し、集まった総量は約7.5トン。うち7トン余りが空き缶などの不燃ごみだ。
かつて慰霊塔に続く参道には出店もあり、参拝者らが投棄した可能性も否めない。夢に出た言葉は、作業に参加した人々がため息混じりに漏らした声だった。
戦後65年が過ぎ、同地で不戦の誓いと平和への願いが積み上げられる一方、“負の遺産”として残った投棄ごみ。作業発起人の林雅信さん(71)は10年余りの活動を通し、県主導で取り組む必要性を訴え続ける。が、いまだ具体的な動きはない。
ごみの下に眠るであろう戦没者に背を向けて、私たちは「平和の誓い」を発信しているかもしれない。そう考えると、胸が締め付けられた。沖縄戦の記憶はもちろん、この現実からも目を背けたくない。背けるべきではない。
「沖縄タイムス」から転載させて頂きました