平成22年(2010年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月21日(日) 第37回金光教沖縄遺骨収集奉仕参加

金光教沖縄遺骨収集奉仕活動も二日目最終日となりました。本日は最後に「現地慰霊祭」が執り行われる運びとなります。

私個人的にも沖縄滞在10日目となり、同じく最終日ですから、現地慰霊祭が終われば急いで私服に着替えて、那覇空港から一路東京に向け飛び立たねばなりません。

昨日はお昼ご飯をサーターアンダギー2個しか食べなかったものですから、夕方になりガス欠に気づいたので、急遽甘いものを食べましたが、脱力状態から抜け出せずとても辛かったですが、朝食をしっかり食べたせいか体力は回復しており、最後の一日心を込めて取り組ませて頂きますよ 。(^o^)

今日も昨日に続き、天候は雨の心配が無い絶好のコンディションです。スコールなどの突発的な雨も無さそうなことから、空を眺めたのち雨合羽は車の中に置いてきました。

集合時刻の8時30分が近づくにつれて、数ある車両が、一緒に那覇をスタートしたのではないかと思えるぐらい、時を同じくして駐車場に入ってきます。

慣れない事をすると疲労を翌日に引きずるものですが、摩文仁に集う皆さんは今日が初日であるかのように元気はつらつとしており、気持ちも充実しているようで、今すぐにでもジャングルに入っていきたいような活気が溢れています。(^o^)

「御遺骨の発見がないと、本当に疲れる!」
これは遺骨収集を何度か体験された方なら、誰でも共感できるはずです。

確かに個人としても団体としても御遺骨の発見が無いと、終日ジャングルを探し回る事にもなり、徒労感がつのり精神的にも肉体的にも気落ちしてしまいがちです。

昔から参加している方なら、その昔との "落差" も影響しているかもしれません。大きな白布に抱えるほど御遺骨を収骨された体験を持つ方ほど、その落差にモチベーションが低下しているかもしれないという訳です。

昨日の収骨状況をみましても、改めて年々悪化する御遺骨発見率に想いを馳せる結果となりましたが、御遺骨が発見されなかったからと言って、過度に落胆する必要はありません。

視点を切り替え、未だ沖縄戦当時の地盤にて、私たちが発見してくれるのを待っている御霊様側から見たらどうでしょうか?。

「ガリガリッ ガリガリッ」このクマデの発する音こそ、65年の歳月を経て尚、御霊様と私たちとを、時空間を越えて一本の糸のように結びつけてくれる、けっしてロマンチックな音ではありませんが、後世の私たちから戦没者へ送る愛のメッセージなのです。

御霊様は、私たちのジャングル行に、「戦後65年を経ても尚、多くの人達が、私たちを探し出そうとジャングルに入って来てくれている」と、思って下さっているのは間違いないと確信しています。

37回を数える金光教沖縄遺骨収集奉仕活動において、信者さんで長く携わっている方々ほど、この御霊様の感謝の意を含む願望の思いを、確信を持って存在すると思えるからこそ、毎年ここ摩文仁に馳せ参じると思えます。

その確信こそが継続の意思を発動させ、その未だ浮かばれることのない悲しい叫びが摩文仁ジャングルから微かに聞こえてくる間は、探索を続けようとする原動力となっているのかもしれません。

旧奉賛会事務所前の会場は賑やかになってまいりました。それでは今日一日、事故やケガに注意して、頑張って取り組みましょう。(^o^)

それでは遺骨収集をやったことがないという方も、金光教の信者さんと共に、一緒にジャングルに入ってみましょう。ご自身も体験参加しているつもりになって、写真をご覧下さいませ。

朝の御祈念・注意事項伝達・体操

遺骨収集の様子1

いつものようにまず最初に摩文仁山頂に向かい「朝の御祈念」を執り行います。ご覧のように今日も晴れて日差しがあります。本当に有り難いことです。今日は気温が20度を超えるとの予報です。 水も多めに持ってジャングルに入りましょう。

遺骨収集の様子2

昨日の収骨状況の説明と、各班の担当区域の割り振りを説明して下さいました。本日は沖縄班も含めて、すべての班が水源地付近を昨日に引き続き、調査・収集に当たることになりました。

遺骨収集の様子3

昨日の収骨状況の説明と、各班の担当区域の割り振りを説明して下さいました。本日は沖縄班も含めて、すべての班が水源地付近を昨日に引き続き、調査・収集に当たることになりました。

遺骨収集の様子4

足回りもしっかり静的ストレッチを行います。これらの準備体操はきっと事故防止に役立っていることでしょうね。

ジャングルでの活動開始!

遺骨収集の様子5

全教的な活動だった運営委員会時代に、無線通信で大活躍した河手さんと、その昔、金光教沖縄遺骨収集奉仕活動で献身的な活動をされた、松田ブレイさんの意思を引き継ぎ、今もアメリカグループを牽引するロン・フラーさん(62歳)です。

※金光教の機関誌「あいよかけよ」2010年8月号(NO.419号)には、「沖縄遺骨収集奉仕に参加するアメリカ人 ロン・フラーさん」と題しての特集記事が掲載されていますので、当誌を読むことが出来る方は、ぜひ読んでみて下さいませ。

遺骨収集の様子6

今朝はまず1・4班に同行する事になりました。ジャングルに分け入る前に、ここで作業開始前の御祈念を行いました。

遺骨収集の様子7

ここは昨日とは違うルートで崖下に降りていきます。勾配はとても緩く距離も短いので相対的に安心して歩くことが出来ますね。来年以降もこのルートは使えそうです。今朝もウグイス君が「ホーホケキョ」と元気に私たちを迎えてくれました。ウグイス君の鳴き声を日本語に訳すと、「皆さん、摩文仁にようこそ」といった感じですかね~。(笑)

遺骨収集の様子8

崖を下ると、階段で言えば踊り場のような平坦な場所に出ましたが、今日はここを基点に活動します。1班班長の辻井先生が指示を出しているところです。

遺骨収集の様子9

ヘルメットが二つ動いていると思ったら、小さなお子さんが頑張ってクマデを振り下ろしていました~。林さんちの12歳10歳の年齢の姉弟さんです。お骨が見つかるとよいね~。

遺骨収集の様子10

この付近も思いの外起伏があり、また洞窟も何カ所かあるようですから、橋本さん嶺井さんたちが慎重に探索していきます。

遺骨収集の様子11

1班班長の辻井先生です。今年も初参加者を誘って来られました。辻井さんはブログを持っていますので、ここでご紹介します。

遺骨収集の様子12

洞窟の中にはロンさんたちが居ました。遺品が何点か出ているようです。それにしても木の根がたくさん伸びていますね~。

遺骨収集の様子13

後ろからごめんなさい。この壕内から遺品が発見された事から、より奥深い部分を調べている小笠原さんです。

遺骨収集の様子14

斜面の途中にある洞窟の中で、土居先生が何か遺品を見つけたようですね。

遺骨収集の様子15

錆びた缶詰とお茶碗のようです。どうやらこの洞窟にも日本軍将兵が滞在していたようです。

遺骨収集の様子16

四桁の数字も見えますが、ちょっと意味が把握出来ませんね。

遺骨収集の様子17

土居さんはご兄弟で参加されています。お二人は時間を掛けてこの洞窟の土を掘り返してみると語っていました。右側の土居先生はブログを持っていますので、ここでご紹介します。

遺骨収集の様子18

ヒェ~ 女性陣3人が、この急な崖を下まで降りてみると決めたらしく、果敢に下っていきました~。ここは写真で見るイメージよりもかなり急斜面です。無事に帰ってくるんだよ~。

遺骨収集の様子19

結構大きな空間を持つ洞窟ですが、戦後土砂が流れ込んだと思われます。限られた時間ですから、全部掘り返すわけにはいかないので、小出先生が、ポイントを決めて掘っています。

遺骨収集の様子20

こちらは別の洞窟ですが、ここも土砂の堆積があり、皆さんで一生懸命掘り返しています。

遺骨収集の様子21

ずいぶん掘り進みましたね~。50センチ掘ってもまだかつての地盤に到達していないようです。この洞窟は台風や大雨の時に土砂が流入しやすい構造となっており、沖縄戦当時の地盤に到達するのは容易でない感じです。

お昼ご飯ですよ(^o^)

遺骨収集の様子22

お昼ご飯を食べ終わり、食休みしている時にお邪魔しました。お疲れ様で~す。

遺骨収集の様子23

遺骨収集のベテランになればなるほど、つなぎ服に収斂していくのでしょうか~。末永先生、河手さん、小出先生のお三方です。

赤ちゃんの御遺骨発見!

赤ちゃんの御遺骨が発見されたとの連絡があり、現場に駆けつけました。

私も20年以上前に一度赤ちゃんの御遺骨を発見していますが、赤ちゃんの御遺骨を見たのはその時以来でしたから、当時の情景が思い起こされ、少なからずショックを受けました。

個人的なことですが、私達夫婦は子供に恵まれなかったこともあり、生後何ヶ月までをあかちゃんと呼ぶのかよく解りませんが、小さな歯も出てきたことから、生まれたばかりではないようです。

収骨している皆さんも、赤ちゃん御遺骨と共にお母さんの御遺骨もあるはずだと、特段に慎重に作業しようという雰囲気で、土砂に混じる微細な骨も見逃すまいと、真剣な表情で作業に取り組んでいました。

それでは、赤ちゃん御遺骨の収骨の様子を連続的に見てみましょう。

赤ちゃんの御遺骨発見!

遺骨収集の様子24

発見現場は崖の下のちょっとした凹みという印象の場所です。崖の壁面は広範囲が黒ずんでいますが、砲弾爆発時の黒煙などが付着したものと思われます。

遺骨収集の様子25

「ふるい」と目視により、細かい骨も漏らさず発見するように努めています。御遺骨も少しずつ増えています。

遺骨収集の様子26

神尾さんが作業している部分に頭骨がありました。このような人が一人隠れるぐらいのスペースにお母さんと一緒に居たのでしょうか…。

遺骨収集の様子27

「赤ちゃんの骨を一片も逃すまい」と、長時間根気よく作業は続けられていました。

遺骨収集の様子28

このようなお母さん御遺骨かもしれない、大きい骨も時折出てきます。

遺骨収集の様子29

収骨作業は交代しながら、根気よく続けられています。

遺骨収集の様子30

発見された歯です。小さいですよね~。

遺骨収集の様子31

発見された御遺骨です。額部分の小さな頭骨が見えますが、その小ささに改めて心が痛みますね。

◆ 天国でお母さんと合流できたかな…。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

御遺骨発見!

4班の沖縄班の皆さんが発見した御遺骨が本部に届けられました。さっそく現地に駆けつけようと、情報伝達のため本部テントに居た私も取り急ぎ現場に向かいました。

御遺骨発見!

遺骨収集の様子32

第一便として本部に届けられた発見された御遺骨の様子です。肢体のほとんどの骨があります。林先生が御遺骨の部位の検証をしているところです。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子33

ここが上掲御遺骨の発見現場の様子です。谷のように凹んでいます。御遺骨は少し四散しているようです。

遺骨収集の様子34

収骨した御遺骨を第一便として本部に持って行った後も、このように引き続き御遺骨が出てきているようです。

遺骨収集の様子35

収骨後は、御神酒と水をお供えして皆さんで御祈念しました。65年間本当にお疲れ様でございました。御霊様のご冥福を心よりお祈りいたします。m(_ _)m

昨日発見した頭骨の収集を決定

昨日水源地付近で初参加の方が発見した頭骨については、頭骨だけ置いてあるのは不自然であり、風葬骨の可能性もあるので慎重に対応すべき、という意見が現場からありましたので、昨日は手を加えず、写真撮影した画像を持ち帰り、那覇教会の林先生やベテランさんが収骨すべきかどうかを協議した結果、最終的に収骨させていただこうという結論に至りました。

金光教沖縄遺骨収集奉仕活動では、沖縄の風土・慣習を常に意識し尊重してまいりましたし、本土には無い慣習の象徴的存在とも言える風葬墓の遺骨の取り扱いについては、より特段に、より慎重に取り扱ってまいりました。

それは長年金光教の遺骨収集奉仕活動をつぶさに見続けてきた私も、迷い無く断言できることです。

そうした慎重姿勢で取り組みながらも、収骨の現場では、風葬墓の遺骨かどうかという判定で、ベテランさんの意見を集約しながらも、迷い苦悩し、最終的な決断をしているのが現状です。

人は神でない以上、100%正しい結論を導き出す事はままなりませんから、最大限の情報収集と観察と思考の末、消去法による判定により、風葬墓の遺骨かどうかの決断をするのが理にかなっていると言えるでしょう。

頭骨のみが発見されたこの現場の御遺骨も、最終的に林先生の 「収骨させていただこう」 という決定により、収骨させて頂く事になりました。

それでは、収骨の様子を一緒に追ってみましょう。

頭骨を収集する様子

遺骨収集の様子36

発見された頭骨の様子をご覧下さい。吉永さん等作業している人の頭の大きさと比較してみると、いかに頭骨が小さいかが理解していただけるでしょう。もしかしたら子供の頭骨かもしれませんね。御遺骨が四散している可能性を考慮し、まずは一定周囲の草木を刈り払い作業空間を確保します。

遺骨収集の様子37

頭骨のある場所の上を撮影してみました。この付近はこのような崖が連続してある場所です。

遺骨収集の様子38

見事に草木が刈られました。狭い範囲の作業ですから、多くの人は周りで見守りながら収骨を進めます。

遺骨収集の様子39

ほぼ収骨を終え、御遺骨が埋もれていないか、更に掘り進んでみます。

遺骨収集の様子40

収骨された御遺骨の様子です。下あごも含めた頭骨と共に胸椎・腰椎・肋骨・脛骨などが見えますね。それにしても小さい骨です。頭骨も小さいし、脛骨だって肋骨だって信じられないぐらい小さいです。子供の御遺骨と断定しても良いでしょう。

戦場ゆえ父母と離ればなれになってしまったのでしょうか。
この日が来るのを、65年のあいだ、岩の下で待っていたんだね…。
今こうして、君の死を悼む人達が迎えに参りましたよ。

収骨されて良かったね。(^o^)

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子41

2班の皆さん全員で御神酒などをお供えしたのち、御霊様のご冥福とご安心を願い、「新霊神拝詞」を全員で奉唱しました。

作業を終え本部に集合

午後3時を過ぎまして、あちこちに散っていた班員の方々も、三々五々本部テントに帰ってまいりました。皆さんが二日間全力で取り組みましたので、「疲れた~~」という感じでしょうが、誰もがとびっきりの笑顔で帰ってまいります。完全燃焼したという誇らしい満足感もまた携えているのでしょうか~。(^o^)

汗にまみれ、疲れ果てた体で帰ってまいりますと、休憩所でおしぼりをもらい顔を拭いたり、サーターアンダギーや甘いお菓子を食べると、本当に嬉しいですし、生き返った気分になりますよね。

接待所のお菓子類は、地元沖縄の参加者の皆さんが準備されているという話ですが、いつも本当にありがとうございます。

午後4時から現地慰霊祭が執り行われますが、それまでのしばしの時間、サーターアンダギーを食べながら、厳しかった "仕事" の余韻を楽しむかのように、皆さんが楽しそうに、あちこちで談笑の花を咲かせています。

本部テント前にて

遺骨収集の様子42

樋口さん母娘です。帰って来ると、おしぼり、暖かいお茶、サーターアンダギーが待っています。ここの 「サーターアンダギー」 は、ととびきり美味しいですよ。温かいお茶を飲みながら、サーターアンダギーを食べる…。
ク~ッ 止められませんね。(笑)

遺骨収集の様子43

持ち帰った「赤ちゃん御遺骨」の周りには人だかりができ、皆さんで収骨の様子を語り合い、また赤ちゃんの行く末に想いを馳せていました。

遺骨収集の様子44

「赤ちゃん御遺骨」など、小さな御遺骨を見ると涙腺が緩くなって困ります。頭骨の額の部分の御遺骨が見えますが、こうして見ても本当に小さいですよね。

天国でお母さんと合流できたかな…。
とても気に掛かりますが、そうであれかしと祈る、ここに集う皆さんです

沖縄戦全戦没者現地慰霊祭

昨年と同じく天の配慮としか思えないくらい天候に恵まれた、第37回の金光教沖縄遺骨収集奉仕活動でしたが、早いもので二日間の探索活動も終わり、現地慰霊祭が那覇教会の林先生を祭主として執り行われる段階となりましたね。

天気も良く、また今年は事故やケガをした人も無くて、二日間の作業を終えて、ここ簡易テントに集まっている方々も、何か清々としたさわやかな雰囲気を漂わせ、満足げな面持ちで、これから開催される現地慰霊祭を待っているところです。

昨日と本日の二日間、86名もの方々が、手弁当にてこの摩文仁に集い、御遺骨を探すことに全力で取り組みました。汗にまみれ、ドロンコになり、持てるエネルギーを使い果たさんと、クマデを手にしての頑張り続けた二日間でした。

多くの危険が待ち受けるジャングルで探索活動を展開したわけですが、ご高齢の参加者は、老いて尚自らの年齢を忘れたかのように、一生懸命クマデを動かし続けていたのが印象的でした。

また若い人達もそれに負けじと、高齢で足腰の弱い人達をかばい支えるなど、やさしい対応をしながら、パワーを必要とする場面では前面に出て、一生懸命掘り進んでくれました。

そうして参加した人達が二日間全力で取り組んだ結果、65年の歳月をジャングルの岩陰で過ごし続けた、御遺骨一柱をここにお迎えする事が出来たのです。

お名前や性別、年齢は知るよしもありませんが、65年を経てお迎えできた事こそが、本当に素晴らしい結末であり、有り難いことであり、掛け替えのない貴重な出来事でもあると思えます。

連結テント内にはすでに祭壇が設けられまして、中央には 「沖縄戦全戦没者之霊」 と書かれた霊標が立てられ、ご神酒やみかげ饅頭、金光煎餅などのお供え物も十分に整えられ、慰霊祭の準備が整えられました。

参加者全員がテント内や周囲に集まり、那覇教会の林先生の主導で慰霊祭が始められました。

全員による 「霊前拝詞」 奉唱がまず行われ、そして那覇教会の林先生が朗々と、現地慰霊祭祭詞を奏上していきます。

林先生は、沖縄で単身にて金光教の布教活動を開始して44年が経過しました。そんな苦難と共に歩んできた沖縄の地を、他の誰よりもこよなく愛する林先生が、祭詞を朗読している時は、いつも涙がこぼれ落ちます…。

祭詞の文脈が沖縄戦の実相を如実に表現しているという事象にもよりますが、林先生の朗々と読み上げる声の中に、戦没者への深い哀悼の思いが強く込められているからに違いありません。

「今年もこうしてクマデを持って皆さんを迎えにまいりましたよ (^o^)」

私たちに出来る事といえば、御霊様と共に涙を流す事しかできませんが、65年を経てもこうして皆さんの末路に想いを馳せ、誰にも看取られずに亡くなっていった皆さま方の、行く末のご安心を願う人達がこうして摩文仁に集っている事を、どうぞ忘れないで下さいね。

また来年も、きっと皆さまの元に帰ってきますからね…。

現地慰霊祭

遺骨収集の様子45

総勢86名もの方々がここ摩文仁に参集し、今年は一柱をお迎えすることが出来ました。「沖縄戦全戦没者之霊」と書かれた霊標の前で、那覇教会教師の林先生主導で現地慰霊祭が始まりました。「霊前拝詞」 から始まります。「あわれ霊神達はや 遠く久しき天地にまたなき生命享けまして 現身の齢の長き短きほどほどに 負いもつ務めに勤しみたまいし一代のみあとは永久に遣りて…」

遺骨収集の様子46

那覇教会の林先生が「現地慰霊祭祭詞」を奉上しているところです。毎年の事ですが胸に染み入る文脈です。 沖縄を誰よりも愛する林先生の、また惨劇の場たる沖縄の世界平和への礎にならんと、祭主たる林先生の思いが込められた、かなりの長文ですが、私たちも心を静め一緒に文脈を追います。

遺骨収集の様子47

「祭詞」を聞き入る参列者の皆さんです。

遺骨収集の様子48

「祭詞」を聞き入る参列者の皆さんです。

遺骨収集の様子49

林先生が「玉串」を献上しているところです。嶺井さんが奏でる龍笛の音が心にしみます。

遺骨収集の様子50

参加者を代表して「玉串」を献上しています。

遺骨収集の様子51

参加者を代表して「玉串」を献上しています。

遺骨収集の様子52

「一柱お迎えできた」この事が何より嬉しいですよね。参加者全員が一丸となって、危険リスクを冒し多くの汗を流しての成果でもあります。

遺骨収集の様子53

私たちの目標は「沖縄戦全戦没者のご安心を願うこと」、御遺骨が発見され続ける限り摩文仁に集います。

遺骨収集の様子54

金光教の現地慰霊祭の最後は、全員で「祖先賛詞」を奉唱します。「代々の祖は わが家の神わが神と 心尽くして斎き奉らな 心尽くして斎き奉らな 尊きみ祖の神たちよ 子孫のために家の柱を鎮め立てたまい 後裔のために世の生業を守り助けたまい…」

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