平成22年(2010年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月14日(日) 摩文仁の踏破が可能な西側周縁部を調査

今朝は起床がしんどかった~。(^^;)

昨日は終日ジャングル内で調査しましたが、一年ぶりのジャングル行という事で、若干感覚を取り戻すのに時間を要しましたし、体の動きとか頭の回転も何となくぎこちなかった初日の活動状況でした。ペンションに帰り食事を終え、疲れ果てて倒れ込むように布団に入ったら、バタンキューで深い眠りに入ってしまったほどです。

いずれにしても、まずは無事に初日を乗り切りました。一日一日を大切にして、この調子で最後の日まで頑張りますよ~。(^^)/

今朝の慰霊塔巡拝は三カ所です。三カ所の内二つは学徒隊の慰霊塔で、「ひめゆりの塔」と「開南健児の塔」です。最後に「東京之塔」を訪ねました。

「ひめゆりの塔」

当サイトでご紹介する沖縄の慰霊塔は、社会的スポットライトが比較的当たらない、又は当たりそうにないと思える慰霊塔を優先してご紹介するように努めています。そうした意味では 「ひめゆりの塔」 は、日本国民の多くがその名と由来を知っていますし、沖縄を訪れた多くの観光客が訪問する、南部戦跡随一の観光スポットですから、通常なら当サイトで取り上げてご紹介する必要性はないのですが、「ひめゆりの塔」前を車で通った際、慰霊塔が新しくなっているのに気づいたのです。

ちょっと意外性を感じつつ、車を降りてよ~く観察してみますと、慰霊塔に至るアプローチ、慰霊塔とその周辺部の改修工事が施され、全体的に雰囲気が一新されたような印象を持ちました。伝え聞く情報によれば、「ひめゆりの塔」は団体客がとても増えているので、時間帯によっては集中する大勢の観光客で大変混雑するそうです。ですから駐車場にバスで到着し、「ひめゆりの塔」や資料館を見学して帰路につくまでの動線を太くするなどの対策のために、今回の改修工事は実施されたという話です。

という事で、新調成った「ひめゆりの塔」の様子をご紹介しますよ。(^o^)

「ひめゆりの塔」

遺骨収集の様子1

新緑鮮やかな生け垣の先に、新調成った「ひめゆりの塔」が見えますね。午前8時過ぎという時刻に訪問しましたが、早朝なので観光客はまだ誰も居ませんでした。

遺骨収集の様子2

沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校の職員16名、生徒211名が祀られています。慰霊塔本体とその周縁部が整備された事が見てとれます。 雰囲気的にもシャキッとした印象になりましたね。

遺骨収集の様子3

写真中央に石碑が立っていますが、初代の「ひめゆりの塔」です。終戦直後の真和志村村長である金城和信氏が、沖縄戦で2人の娘を失った事もあり、1946年4月に「健児之塔」と共に建立したものです。

遺骨収集の様子4

概略、1945年3月23日動員され、第32軍の首里撤退に伴い5月25日に小金森等から南部へ撤退を開始し、6月18日の解散命令の後、悲劇的な最後を遂げました。この「ひめゆりの塔」は金城和信氏と真和志村村民の協力により、昭和21年4月7日建立されたとあります。

遺骨収集の様子5

「ひめゆりの塔」横にある「沖縄戦殉職医療人之碑」です。疎開せず沖縄に留まって医療を続け殉職された、医師、歯科医師、看護婦ら50名が祀られています。

(日中の混雑している時の様子)

遺骨収集の様子6

ご覧のように、日中は大勢の観光客で賑わう「ひめゆりの塔」前の様子です。

「開南健児之塔」と「東京之塔」

学徒隊の慰霊塔である「開南健児之塔」は、平和創造の森公園内の小高い丘の上にひっそりとたたずんでいましたが、まずはその道すがら目にした光景にはビックリしました~。(^^;)

道路の片側に列をなしてズラリ車が駐車してあったのです。「何でこんなに車が?」と思いつつ、車速を落として様子を観察すると、なんとサーファーの車が駐車していのだと判明しました。

2月の沖縄は暖かい日もありますが、寒い日は本当に寒いです。今年の沖縄は例年になく寒い日が続いており、今日も結構寒いのですが、よく考えたら今日は日曜日なんですね~。(^o^)

サーファー達も、一週間に一度のお楽しみの日なんでしょうね。私も徒歩で海岸に出てみましたが、まずまずの波の高さのようですよ。彼らにとっては、もっと海よ怒れ、風よ騒げといった心境でしょうが。(笑)

遺骨収集の様子7

ご覧のようにずっと先までサーファー達の駐車する車が連なっています。多くは友だちを誘って、数人単位で車に乗ってやって来ているみたいですよ。

遺骨収集の様子8

撮影した時刻はまだ朝の8時30分なのに、すでに車に向かって帰ろうとしている人が結構居たのには驚きました。写真では解りにくいですが、海に入っているサーファー達が、ざっと見て50人ぐらい泳いでました。泳ぐとは言わないのかな、でもなぜか誰もボード上に立ってませんでした~。

「開南健児之塔」

遺骨収集の様子9

同じ学徒隊なのに…。「ひめゆりの塔」とは大違い。ここには何度も訪れていますが、いつもその格差を感じてしてしまいます。いつの日か開南学徒に栄光あれ!。

遺骨収集の様子10

沖縄戦で戦死した私立開南中学校の職員と生徒1期生から9期生までの263名を祀っています。 開南中学では「開南中学鉄血勤皇隊」を組織して、沖縄守備軍と行動を共にしました。

遺骨収集の様子11

開南中学の戦没職員4名と戦没生徒263名の氏名が銘記されています。

「東京之塔」

遺骨収集の様子12

「東京之塔」へ至るアプローチ部分です。 カメラを構えたこの場所もすでに慰霊塔敷地内のようです。 坂道を登ったその先に慰霊塔があるようですが、敷地面積はかなりの広さがありそうですね。

遺骨収集の様子13

「東京之塔」の概要が書き記されていますが、面積は7,963平米あるといいますから驚きです。 南部戦跡での慰霊塔敷地では、もしかしたら一番広いかもしれませんね。とにかく広いですね。

遺骨収集の様子14

結構な距離の坂道を登り慰霊塔前にやってまいりました。沖縄や南方諸地域、つまり東南アジア方面諸地域での戦没者103,000余名を祀っています。またその戦没者のうち沖縄戦での戦没者は6,500名です。

遺骨収集の様子15

基壇の上は小さな小石がたくさん並べられていますが、遺族の代表が多摩川で採取した小石を沖縄に運んで来て敷き詰めたそうです。

摩文仁の西側周縁部を調査

昨日は単独でかなり広範囲の地域を調査しましたが、今日はその範囲から意図的に少し外れて、ある意味枝分かれしたような形で、斜面を西側に行けるところまで行ってみようというと思います。将来的には、西へ西へと進み、大渡海岸に至るルートを開拓するのが最終目標です。

昨日の調査では、昨日歩いたほとんどの地域が、金光教の遺骨収集奉仕活動ですでに収骨が済んでいる事が判明しました。あまり見たくない青色のテープが、至る処に巻いてありましたからね~。金光教の先輩達は頑張ったのですね。

という事で、このあたりを調査しても、新たな発見は見込めない可能性が出てきましたので、金光教の人達でさえ躊躇うような、より一層困難な場所に挑戦しようという訳です。より危険度は増しますが…。そんな訳ですから、ケガに注意しながら慎重に前進して調査を進めたいと思いますよ。(^o^)

ジャングルで調査開始

遺骨収集の様子16

昨日はこの場所に来て海側を眺めただけで帰りましたが、今日はここから岩場を降りて更に前進し続け、西側に行けるかどうかを試します。 さあ頑張るぞ。

遺骨収集の様子17

ちょっと解りにくいですが、中央付近にたき火をした後がありました。60余年経過しても、たき火跡は残るんですね~。魚とかを焼いたのでしょうかね。

遺骨収集の様子18

巨岩に阻まれ、結局どうしてもこの地点よりも西側には行けない事が判明しました。来年は絶対にここから西に向かいます。どこか必ず突破出来るルートがあるはずです。やむを得ず方針を変更し、東に進む事にしました。引き潮になってきたことからまず海岸に出る場所を探す事にしました。 とにかくこの位地より西側への前進は、来年の宿題です。 絶対に突破しますよ~。

遺骨収集の様子19

この下の方に壕があるのが見えました。 中を見てみましょう。

遺骨収集の様子20

更に下に降りていきます。

遺骨収集の様子21

予感が当たりたくさんの遺品がありました。 空き缶も多数散乱しています。

遺骨収集の様子22

水を入れていたと思われる瓶もありました。

遺骨収集の様子23

少し横に入っていくと、ここにも瓶の一部がありました。更に奥に進みたいところですが、単独行動ではそれは厳禁です。諦めてここで引き返し、後日他のメンバーと共に訪れることにします。遺品がこれだけあるのですから、遺骨もある可能性が高いですからね。

遺骨収集の様子24

ススで真っ黒になっている岩肌がありました。ここいらはこうした場所が至る処にありますが、ここが特にひどく焼けていたので撮影しました。 ひび割れた岩も砲撃の破壊力で割れたのでしょうね。

遺骨収集の様子25

ご覧のように海岸線が近づいてまいりました。降りられそうな場所を見つけたら一度海岸に出る予定です。この場所はすごく展望が良かったので、ここで昼食を食べ、しばし食休みをする事にしました。展望が良かったせいか、波音の聞こえる海を眺めながら「あ~遺骨収集をやっていて良かったな」と思えるひと時でした。(笑)
ザーザーと打ち返す波音だけが聞こえる所に一人でポツンと居るわけですが、不思議と淋しさは感じませんでしたね。

遺骨収集の様子26

ちょっとビックリの光景に出くわしました~~~。(^^;)
丸いものは木から生えたキノコですが、この写真は問題ありません。問題なのは次の写真ですよ~。

遺骨収集の様子27

よく見て下さいよ。このキノコは茎が無くて、なんと傘の部分が木につながっています。私は何度も目をこすりましたよ。下からもよく観察しましたが、とにかく栄養を吸い上げる茎と根がありません。 まことに不思議なキノコでした~。

遺骨収集の様子28

ようやく海岸に降りることが可能な場所を見つけました。引き潮の時間帯に入っていましたし、夕方から雨との天気予報でしたが、雲は低く垂れ込めてはいるものの、すぐに雨が降り出すというような雰囲気ではない事から、海岸に下りてみる事にしました。

遺骨収集の様子29

すでに十分に潮が引いており、容易に海岸に出ることが可能な状態になっています。この岩はユニークな形をしていますから、覚えておくと後日位置関係の把握に重宝します。このような印象的なポイントを、頭にしっかり覚え込んでおくと、後々再訪したときに、位置関係の把握が容易となりますね。

遺骨収集の様子30

南国の海水色は、なんでこのように綺麗に見えるんでしょうかね。 誰か教えて下さい。

遺骨収集の様子31

現在時刻は午後1時30分です。かなり沖合まで浅瀬の岩場づたいに歩けそうですね。

遺骨収集の様子32

先ほどのユニークな形の岩をふり返って見ています。来年はそのユニークな形の岩の、更に西側に行く事を目標とします。

遺骨収集の様子33

緑の樹林帯のポコッと盛り上がった一番高い部分が、「黎明の塔」がある場所です。海岸線の一部黄色い所が砂浜です。砂浜の所から上にある駐車場までは、整備された道があります。

遺骨収集の様子34

こうして見ると引き潮の時に歩ける範囲が、本当に広いという事が解りますね。 (^o^)

遺骨収集の様子35

釣り人が近くを通ったので「釣れますか」と声を掛けたら「なにも釣れなかった」と語っていました。まだ満ち潮には時間がありますから、場所を変えようとしているのかな?。

遺骨収集の様子36

石灰岩が太古から繰り返し打ちつけられた波の力で削られ浸食された様子です。この浸食は、海岸線では海食洞と呼ばれる洞窟も出来てしまう程だそうです。神奈川県にある「江ノ島」にもそうした洞窟が実際にあるそうですよ。

遺骨収集の様子37

同じく炭酸カルシウムを主成分とする石灰岩の浸食の様子です。石灰岩は貝殻や珊瑚など、生物の遺骸が堆積して出来たものだという話ですから驚きですよね~。

遺骨収集の様子38

何でこんな形になるんでしょうかね。 このような場所は絶対に走っては渡れませんね。(笑)

遺骨収集の様子39

私は海の無い県で生まれ育ったので、海中生物については詳しくないのですが、ユニークでおかしな生物がたくさん居ました。

遺骨収集の様子40

※ここからは帰り道になります。この付近は覚えるのも大変なほど、巨大な岩場が続いていました。 それだけに隠れ場所も沢山ありました。

遺骨収集の様子41

この壕も海岸に近く、少し中に入って見ると本当に素晴らしい場所でした。

遺骨収集の様子42

遺品と共に銃弾が一個ありました。まさにここで戦争があったという事実を静かに物語っています…。

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