平成20年(2008年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 2月11日(月)朝早自宅を出発/海軍司令部壕巡拝
- 2月12日(火)松永氏と二人で八重瀬町与座斜面で遺骨収集
- 2月13日(水)沖縄県出身のNさんと南部戦跡巡拝
- 2月14日(木)単独で摩文仁之丘東端斜面に入り遺骨収集
- 2月15日(金)嘉数高地などを慰霊巡拝、午後は司令部壕調査
- 2月16日(土)第35回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 2月17日(日)第35回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 4月03日(木)金光教福岡教会教会長吉木昭弘先生ご逝去
2月17日(日) 第35回金光教沖縄遺骨収集奉仕
金光教沖縄遺骨収集奉仕活動も二日目となり、皆さんが三々五々駐車場に車を止めて、本部テント前に参集してまいりました。
昨日は一年ぶりの再会であったり、初顔合わせという事もありましたから、ちょっぴり緊張したりしましたが、今朝は最初から皆さん和やかな雰囲気で、会話をしたり装備の事で話をしたりと、賑やかに準備を進めていました。
昨日の疲労は抜けましたか~。
これが加齢とともに、なかなか抜けてくれないんですよね。私も睡眠時間は十分確保しているのですが、朝になっても体全体がギシギシと音を立てています。
でも、天気は絶好調みたいですよ。
今日も昨日と同じように、素晴らしいほどの快晴となりそうですよ。私なんか、雨合羽を車の中に置いてきてしまったぐらいですから。
そういえば、林先生は昨日の晴れの天気が本当に嬉しかったらしく、昨日朝起きた時に、空を見上げて涙が出んばかりだったとおっしゃっていましたね。
沖縄の2月の天候は、雨か曇り空かの天候が続き、例年になく不順な気象状況だったのですから、よけいにその感激が強かったのではないかと思います。
雨の中の遺骨収集は、実際にやってみると解りますが、本当に大変な作業となってしまいます。前進するのが精一杯となってしまいますし、地面が濡れるとご遺骨も見えづらくなりますし…。
それになにより、ジャングルの場がより危険な場所となってしまうのです。という事で、雨が多かった年のご遺骨の発見率は、極端に落ちてしまうのが通例です。
その意味からすれば、今日の快晴は林先生を始め、誰もが嬉しくやる気を起こさせ、私達をエネルギッシュにしてくれました。
きっと摩文仁の御霊様も応援してくれているのです。今日も頑張って目をこらしてご遺骨を探しましょう。
今日が最終日ということで、午後4時からは恒例の慰霊祭も執り行われる予定となっています。
朝8時30分前には参加メンバーが集合し、いつものように摩文仁岳山頂に向かって、朝の「ご祈念」を行いました。
昨日と同じように各班ごとに整列して、本日の担当作業区域を林先生が説明して下さいました。一部の班では昨日の探索区域からの移動がありましたが、おおむね昨日と同じ捜索区域で収集作業を進めて行く事となったようです。
班ごとに集まって班長さんの説明があって、それぞれがまた各担当区域に別れていきましたよ。
二日目の作業も始まります。事故に気をつけて、今日も一日元気で頑張りましょう。
今朝もまず摩文仁之丘山頂に向かって朝のご祈念を行いましす。今日も素晴らしい天候となりましたよ。ありがとうございます。
林先生から今日の担当区域や注意事項などの説明を受けました。今日も事故に気をつけて、頑張って作業に取り組みましょう。
平和祈念公園資料館横へ
ミーティングも終わり、各班ごとにそれぞれの担当区域に移動していきましたね。
私の機動班としての朝一番の仕事は無いようなので、私が2月14日(木曜日) 単独で平和祈念資料館の東側のアダンが密集している部分を探索した際に、「壕内を確認したいな!」という要チェックの壕が三カ所あったので、平和学習ガイドの松永氏と共に調査する事にしました。
この要チェックの壕は、昨日か本日の金光教沖縄遺骨収集奉仕活動のなかで確認したいと思っていたので、朝一番で用事の無かったこのタイミングで確認できるのはラッキーでした。
「資料館東側で、所用時間1時間ぐらいですが調査に行って参ります」と林先生にお伝えして、松永氏の車で目的地に向かいました。
平和祈念資料館の東側に展開するアダンが繁茂する一帯には、思いもよらず100メートル以上にわたって岩盤に亀裂が走っており、何カ所か人が隠れるには絶好の場所がある事が解りました。
アダンの中は容易に入れませんが、この亀裂部分は入ろうと思えば比較的入りやすい部分もあったので、すでに他の団体による探索も済んでいると思われますが、松永氏と共に私自身の目でしっかりとチェックしようと考えています。
壕に一人で入るのは極めて危険ですが、でも二人ならまず大丈夫!。互いの所在を意識しながら探索を進めれば、もしもアクシデントがあっても互いに助け合う事が可能ですし、更なる救援を外部に求めることも可能ですからね。
資料館のすぐ横にある「沖縄工業健児の塔」前に車を止め、芝地を少し歩けば目標とする壕があります。マーキングをしておいたので、すぐに目的の場所は特定できましたから、さっそく松永氏と二人で岩の亀裂部分を下に降りていきました。
最初の壕といいましょうか岩の亀裂の高低差は、比較的浅く5メートルぐらいでしょうかね。
ここは壕と言うよりも岩の亀裂という表現がふさわしいかもしれません。上を見上げると光が入ってくる部分が多いですから。
深さはあまりありませんが、横はかなり連なっています。また亀裂の底部には、水の流れた形跡がありますね。
後から解ったことですが、公園を造成するに際しこの亀裂部分の一カ所に排水口を設けたために、公園内に雨が降ると、この亀裂部分に水が流れ込む構造となっているようです。
底の部分には、流れ込んだと思われるゴミもかなり散見されます。
当然水は高低差の低い方へ流れるわけですが、流れに沿うように私達もどこまで水路が続くのか前進してみました。
しばらく前進すると、50センチほどの鉄の棒が見えました。何でこんなところに鉄棒が刺さっているんだ?。
松永氏に聞きますと、これは日本軍将校が持っていたサーベルであることが解りました。「な~るほど」、あまりに錆びていたので、すぐに気づきませんでした。
とりあえず引き抜こうと試みましたが、びくともしませんでした。50センチ程度は土の中に埋まっているようです。
サーベルのような遺品があるという事は、この下にご遺骨がある可能性が高いですよね。
しかしながら、ここは雑排水に混じる土砂が堆積しており、サーベルを掘り出す為には、相当な土を除けなければならないようです。
予定する壕の状況をすべて確認・把握した後の最後に、このサーベルを掘り出すことにしました。
その後も松永氏とこの水路部分の探索を続けましたが、ご遺骨らしきものはなかったので、もう一カ所の壕に移動しました。
探索を予定している壕は、距離にして20メートルぐらいしか離れていませんし、公園芝地から3メートルぐらいですから、引き続きすぐにもう一つの壕に入ってみました。
こちらは、先ほどの所よりもかなり深い壕ですね。高低差が7メートル以上はあるでしょうか?。
幸い降りるに困らないレベルで、手が掛けられたり突起した岩に足を乗せたりして、私も松永氏も問題なく壕の底部に降り立つことが出来ました。
こちらの壕は先ほどの壕のように、水路にはなっていないようです。底部についてからはトンネルになっている横方向へ移動してみました。比較的広い空間なので、移動自体は容易に出来ましたね。
しばらく探索していると、日本軍のヘルメットを見つけました。
先ほどはサーベルがありましたし、ここにはヘルメットがある。やはりこの摩文仁東端地域にも日本軍将兵が居たのだなと想起されますよね。
ヘルメットに限らず遺品があるとご遺骨の存在する可能性も高まりますので、一気に緊張感が高まってきましたよ。私は慎重に付近を探索して進みました。
そしてヘルメットから2メートルほど離れた場所で、ついにご遺骨を発見したのです。
頭骨や大腿骨がしっかり見えますので、完全一体と宣言できるご遺骨です。
ご遺骨があった場所は、横穴部分の奥深いところで、上からの砲爆撃は完全にシャットアウトでき、隠れているには絶好の場所です。
ヘルメットは、ご遺骨の本人がそこへ置いたのかもしれません。
大腿骨など大きな骨が連続的に連なっていますので、肉体が吹き飛んだという雰囲気ではなく、恐らくこの場で何らかの理由で死亡したのかもしれません。
松永氏にも状況を見ていただき、二人で手を合わせてご冥福をお祈りしました。
60有余年ものあいだ、本当にお疲れ様でございました。
これからメンバー増援の要請をして、力を合わせて速やかに、全てのご遺骨を地表に運び出しますからね…。
ご遺骨の場所を確認した後、引き続き壕内を探索しましが、その後はご遺骨は発見されました。
まず二つの壕を探索しました
二つの壕ともに、まずは下に向かって降りていくことになります。深さは5メートルぐらいでしたが、横はかなり長かったですね。
底部に降りると、横に進むことになります。底部は公園から排出される雑排水路となっており、所々土砂が堆積したりゴミが散乱していました。
横への移動はかなり複雑なルートとなっており、上がったり降りたりして前進します。
壕内で探索を続ける松永氏です。
日本軍将校が持っていたサーベルがありました。公園から排出される土砂で、50センチ以上埋まっている状況でした。さわってもびくともしません。
ここからは二つ目の壕です。ご覧のように岩の亀裂といった雰囲気で、横に長く展開しています。
所々広い空間があったり、やっと人が通れるような部分もあったりと複雑な構造です。
この白く丸いものは、ヤモリの卵のようですよ。 (^^;)
日本軍将兵が被っていたヘルメットがありました。遺品の周辺部にはご遺骨がある可能性がありますので、慎重に周囲を捜しました。
ご遺骨発見現場の様子
人間がやっと入れるような隙間でご遺骨を発見しました。頭骨や大腿骨が見えますね。戦後世代を代表し、お迎えにまいりました…。
戦後60余年、本当にお疲れ様でございました。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m
この骨は大腿骨と連続的にありましたので脛骨と思われます。
白い建物は平和祈念資料館です。御遺骨は、この写真のアングルの東へ50メートルほど進んだところから発見されました。
壕内での遺骨収を開始
ご遺骨を発見した場所は、公園の芝地から3メートル程度の距離しか離れていませんが、壕は複雑な形状をしていて、容易にご遺骨を搬出出来る状況にないので、遺骨の収集作業においてはバケツリレーのように、収骨袋をリレーでつないでいく方式が有効だと思われます。
芝地に運び出すまでに、最低5人の配置は必要と思われました。
本部へ戻り、その旨林先生にお伝えし数人の応援を要請いたしました。「なにわの塔」裏で作業していた方々が、一部移動することが可能ということで、その方々に車に乗っていただき、大庭先生の運転する車で、再び資料館横にある「沖縄工業健児の塔」を目指しました。
収集に先立ち公園の芝地で、大庭先生主導で「ご祈念」をおこないました。「ご祈念」が済むと、簡単な状況説明をして、一列になって草原の中に入って行きました。
V字型の岩場に到着すると、まずは下に降りていくわけですが、比較的容易に連続的な足場が確保できますので、女性でも問題なく降りていくことが出来ました。
20メートルほど横に移動して、それから少し岩を登ってすぐにご遺骨発見現場に到着します。
まずは皆さんにご遺骨の様子を見ていただき、どのような手順で行うかの検討を行いました。
ご遺骨のある場所はかなり狭い空間となっており、スリムな方が収骨する事となりました(^^;)。
またご遺骨のある場所は、足を乗せる部分が斜めになっていて、滑ったりすると更に下の穴へと滑落するおそれがあるので、収骨する人は一人で、その人の腰にロープを縛り付け、万が一滑落しても下まで落ちないような対応をとりました。
これで安心して収骨作業に取り組めると思われます。
I さんが比較的体型がスリムであるということで、収骨して頂く事となりましたよ(^o^)。
収骨作業中、I さんが「メガネが出てきた。しかも二個!」と語りました。メガネ以外の個人が特定できるような遺品は、残念ながら無かったようですね。
収骨したご遺骨は白い収骨袋に入れて、バケツリレーのように手渡しで地表まで運び上げました。
収骨場所が極めて狭いことから、小さなご遺骨が混じっていると思われる土も、一緒に袋に詰めて運び上げました。
地上に運び上げられたご遺骨や土砂は、通常は発見現場近くで、ご遺骨と土砂とを分別するのですが、本部がすごく近いと言うことで、ご遺骨と土砂の混じった収骨袋を開封することなく、そのまま本部のお清め班まで届けるという流れになりました。
従って、収骨された完全一体のご遺骨が、とれくらいのボリュームになったのかは現時点では不明です。
ただひとつ感じたのは、戦後60余年経過し、「完全一体」という表現のご遺骨と言えども、「骨の全体量は少なくなってしまったな…」というのが、正直な話です。
20年以上前なら、「完全一体」といえば、収骨袋一袋には収まりきれないほど、ご遺骨のボリュームがありましたからね。
雨露にさらされる露天のご遺骨は、戦後60余年経過しそのほとんどが土に帰ってしまったと思われます。
ですから私達も、ご遺骨の発見率を高めるために、露天に比べご遺骨の残存率が高いと思われる、壕の中を中心に探索活動をしている訳ですが、その壕内で発見されるご遺骨でさえ、「完全一体」のボリュームが悲しいほど少なくなりつつあるのです。
収骨作業を終え、地表に出てみるとちょうど12時でしたから、整備された芝地で皆さんと一緒にお昼ご飯を食べました。
天気も良いし何かピクニックにでも来ている気分となり、皆さんでワイワイと歓談しながら、楽しいランチタイムを過ごしました。
午後からはプロフェッショナルな篠原先生のグループも加わっていただき、徹底的に壕内の探索を行いました。
特に日本軍将兵が持っていたサーベルが見えている壕内の探索を中心に、参加メンバー全員で徹底的な探索活動を行いましたよ。
サーベルが埋まっている場所は、Kさんご夫妻が頑張って掘り上げてくれました。50センチほど地面に埋まっていたので、掘り出すのが大変だったようです。
サーベル発掘と共に周辺部の土の部分も掘り起こしましたが、手榴弾一個が見つかっただけで、残念ながらご遺骨は発見されなかったようです。
資料館東側で収骨作業を開始
収集作業を開始する前に、大庭さん主導で「ご祈念」をおこないました。平和祈念資料館が見えますね。こんな近いところでご遺骨は発見されたのです…。
まずは下へ下へと降りていきます。
壕の底部に降りると今度は横へ20メートルほど進みます。
皆さんにご遺骨の様子を見ていただき、収骨の対応策を話し合いました。空間が狭いので収骨作業は一人とし、腰にロープを巻き付けて作業員の安全を確保しました。
メガネが二つ出てきました。「べっこう(鼈甲)」で作られたメガネは珍しいような気がします。箱のようなものは「マッチ」と思われます。驚くことに箱の部分は金属でできていました。また本部に送った土砂からキセルの金属部分も発見されていました。ただ氏名の特定は出来なかったようです。
食事中、名前は解りませんが鳥が近づいてきて、ご飯を投げると食べていました~。
空は晴れ日差しも南国風! 午後の作業開始前に皆でハイパチリ。前列右から二人目の才田さんは、金光教沖縄遺骨収集の立ち上げからご尽力された方で、今年の第35回までずっと参加されています。第1回参加の時は42才。これからもジャングルに入り続けるそうですよ。また、その一方で三人の若き女性達は、全員一般参加者で、かつ初参加なんですよね~。
午後の作業開始
午後からは、新たに篠原先生グループも加わって頂きました。
写真のように壕内の幅は狭いのですが、奥行きはかなりある壕です。私たちは徹底的に探索しました。それにしても、皆さんがヘッドライトを装備しています。プロフェッショナルですね~。
地面に深く突き刺さっていたサーベルはKさんご夫妻に掘り出していただきました。
サーベルを掘り出している最中に、日本軍の手榴弾も1個発見されましたよ。
壕内の探索を終え、地表に出ようとしているところです。新たなご遺骨の発見はありませんでした。
サーベルは50cm以上土に埋まる中からKさんご夫妻に掘り出していただきました。Kさんは2回目の参加ですが、今回は奥様と共に参加。ご夫婦での参加なんて素敵ですよね~。
「山雨の塔」の壕内での悪戦苦闘
資料館東側の収骨作業を終えると、「山雨の塔」の横の「クラガーガマ」で奮闘している4班とアメリカグループを訪ねました。
昨日訪ねた時も、今まで見たこともないような、泥まみれとなって皆さんが頑張っていましたよね。昨日の作業の継続をするという予定でしたから、全く同じように泥んこになりながらの作業を続けられていると思われます。
アメリカグループが投光器の延長コードを購入していましたから、もしかしたら壕内の更に奥へと探索範囲を広げているかもしれません。
壕入り口の横に車を止め、私も長靴に履き替えて壕内に降りていきました。
やはり昨日と同じように投光器で照らしながら、吉永班長を中心に女性メンバーの皆さんも、泥んこになりながらご遺骨を探していました。
皆さんがどのような作業をしているのかと申しますと、「泥を手でギュッとつかみとり」、ご遺骨や遺品が無いかを確認するために、「つかんだ土をグニュグニュと手で探る」そして何もなかったら土のかたまりを横へ投げ捨てる…。
皆さんが、小さなイスに腰掛けたり、膝を地べたについたりしながら、このような単調な作業を黙々と続けているのです。
目の前にこれでもかと汚泥の大海が見渡せますが、それにひるまずただひたすら一連の作業を繰り返していく…。
本当にご苦労様です。
皆さんが互いに声を掛け合いながら、いつまでもいつまでも頑張っていました。
頑張る4班とアメリカグループ
壕内はこのように立って歩ける空間が少なくとも100m以上続いています。丸く光る玉は「オーブ」と呼ぶのだそうですが、「霊」であるかどうかは不明です。
投光器に照らされながら、班長の吉永さんや山根さんをはじめ、皆さんが昨日と同じように泥んこになりながら、汚泥を掻き出してご遺骨の有無を確認する作業を続けていましたよ。
本当に本当に、本当にお疲れ様でございます。m(_ _)m
4班の女性陣も頑張って汚泥と格闘していました。
奥の方を見ると高さ2メートル以上の場所まで汚泥が堆積していることが解ります。つまり台風などによる増水時は、2メートル以上も水位が上がることを意味していると思われます。
ただひたすら前を向いて作業していたアメリカグループの一人ですよ。本当にお疲れ様です。
彼が発見した小物をみせてくれました。小さな瓶や靴底、そして針のように尖った部分のある何かの「道具」でしょうか?。 道具の名前や使い方などをご存じの方は教えて下さいませ。
ヒョェ~~~~~。
初参加の健太郎君は今日も頑張っていま~す。これが遺骨収集の全てではないからね。(^^;)
来年も必ず来るんだよ! いや来て下さいね~。
吉永さんが黒く焼けこげた脊髄の骨を見せてくれました。細かいご遺骨は散見されるとの事ですが、昨年のようにまとまったご遺骨の発見はまだ無いそうです。吉永さんが居る場所は、壕入り口から40メートルほどの距離です。この位置でも焼死したのかも…。
軍靴の靴底がありました。靴底を見ると一人の兵士が亡くなった事を意味し心が辛くなります。
小さなご遺骨が結構見つかっていますね。銃弾や電信を打つ機械なども見つかっています。他にも万年筆が見つかっていますが名前は確認されませんでした。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m