平成20年(2008年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月16日(土) 第35回金光教沖縄遺骨収集奉仕

今年も無事に「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」に、参加させていただく事となりました。(^o^)

思えばあっという間の一年ですよね。今こうして金光教の信者さんはもちろん、一般の参加者が全国から馳せ参じ、ヘルメットを被っての遺骨収集奉仕活動を、今日と明日の二日間、この摩文仁之丘及びその周辺部で展開するのです。

金光教那覇教会長の林雅信先生によりますと、アメリカグループ4名を含む総勢90人近い人達が参加されると語っていました。また、その中には初参加の方々が大勢いらっしゃるとのお話でした。

金光教の信者さんはもちろん、信者さんでない一般の方もWebサイトなどを通じて、金光教の沖縄遺骨収集奉仕活動の存在を知り、金光教那覇教会に問い合わせて、参加申し込みをされた方が、数人いらっしゃるとの事。

嬉しいですよね。沖縄遺骨収集の意義を理解して下さり、信者さんでない一般の方々がこうして摩文仁に馳せ参ずる…。

「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」の素晴らしい点は、開始当初からなのですが、門戸が信者さん以外の一般の方にも広く開放されおり、誰でもその気になれば参加できるという点にありますよね。

驚くことに他の宗教教団の信者さんも、ごく自然に参加しているのですよ。私も金光教の信者さんではありませんが、こうして20年以上もの長きにわたって参加させていただいているのです。

ただ門戸は開かれてはいますが、参加条件についてはたった一つですがありますよ。それは「沖縄戦で亡くなられた戦没者への慰霊の気持ちがあること」

そうなんです。この気持ちさえお持ちなら、どなたでもこの「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」に参加する条件を満たしているという訳なのですよ。

それから、「自費にて参加」というのも条件といえば条件かな。でもこれは遺骨収集奉仕参加への熱意が強ければ、容易にクリアーできる要件ですよね。

遺骨収集では、特別な知識や専門的なノウハウを必要とはしません。里山のキノコ狩りが出来るレベルの体力と根気があれば、もう鬼に金棒ですよ!。

またそのような体力が無かったとしても、「お清め作業」といってご遺骨を清掃して綺麗にする作業などもありますから、若い方から高齢の方まで幅広い層の方々が、自分の体力と相談しながら作業を進められますので、遺骨収集をやった事がなくとも、「体験してみたい!」という方は、ためらうことなくお気軽に、金光教那覇教会にお問い合わせしてみて下さいね。

ただ参加するに際して、あまり多くを期待しないで下さいね。

戦後60余年もの歳月が経過し、ご遺骨の発見率は年々減少し続けており、初心者の方々がご遺骨を見つけるというのは容易でない状況にあるのです。

たとえご遺骨は見つからなくとも、戦没者が逃げまどったジャングルや自然壕の中に入って暗闇の中に身を置き、亡くなった人たちが残した戦争遺品を見つめ、苦しくも沖縄戦を戦い抜き、故郷へ帰る夢を果たせずに、この地に果てた若人へ思いを馳せ、ご冥福をお祈りする…。

今ある平和の尊さをかみしめる為にも、これらはとても意義のある事だと思われますよ。

もしもあなたが、それらに一定の意義と価値感を見いだせる方であるならば、たとえご遺骨が見つからなかったとしても、きっと良い「体験と追憶」ができたと、納得していただけると確信していますよ~。

私はお正月が終わった頃からソワソワ&ウキウキと(^^;)遺骨収集モードになっていくので、1月に入りますと地元埼玉県と共に、沖縄県の天候を気にするようになっていくのです。

今年に入ってからというもの、沖縄は寒さに加え、本当に雨や曇りの日が続きましたよね。

それなのに、今朝の沖縄の天候は「雨の心配は無し」との予報!本当に嬉しかったです。

沖縄本島の最南端摩文仁にある、平和祈念公園内の旧奉賛会建物が集合場所となっていますが、集合時刻の8時半を目標に、続々と参加者が集結しています。今年の遺骨収集奉仕活動は、全国から90余名の方々が参集されたようですね。

見渡せば数多いベテランさんと共に、経験者からアドバイスを受けながら、クマデやヘルメットを受け取る初心者の方々があちこちに居たりして、ワイワイガヤガヤとまずは賑やかな朝の一時であります。

集合時刻は8時半という事になっています。頃合いを見計らい那覇教会の林先生のお声がけで、恒例の「ご祈念」が始まりました。

今年も「健康・時間・お金」の三つのおかげを被り、まずこの摩文仁に集えた事を感謝し、戦没された多くの御霊様のご安心を願い、参加者全員の今日一日の無事を願い。そしてささやかではありますが、私達の行為により、摩文仁の大地が清められますように。

そして、願わくばご遺骨に出会わせていただけますように……。 という祈りが込められているのです。

今日の天候は、雨具をリュックサックに入れる必要が無いのではと思えるほど、見上げれば雲混じりですが青空が広がり、絶好の遺骨収集日よりとなりましたよ。

期待を胸に!!今日と明日の二日間、頑張りましょう~。

朝のご祈念とミーティング

遺骨収集の様子1

太陽の光がまぶしく差し込んでいますよね。今朝は素晴らしく晴れ渡っていますよ。集合してから、まず最初に摩文仁岳山頂に向かって、朝の「御祈念」をおこないました。金光教の遺骨収集では、いつの時もこの「御祈念」と共にあるのです。

遺骨収集の様子2

那覇教会の林先生が、班ごとに並んだ参加者に向かって各班の活動予定等の説明を行います。

今年予定しているご遺骨の探索場所は四カ所との話です。

1班・5班・6班は「墓園裏の崖下」。2班は「具志頭」。3班は「ふくしまの塔裏周辺」。そして4班とアメリカグループは「山雨の塔横の壕」にて遺骨を捜す事になりました。

特筆すべきは「山雨の塔」の横にある「クラガーガマ」と呼ぶ、壕内での探索活動ですね。

昨年この壕内から、頭骨や腕の一部が黒く焼けこげていたご遺骨が発見されたのです。(昨年の参加記を参照して下さい)

アメリカグループのロンさんが発見・収集したのですが、もう少しその周辺部も捜す価値があるとの提案があり、今年もアメリカグループと4班のメンバーが一緒になって捜すことになっています。

この壕内には小川と呼ぶべきレベルの水が、常時壕入り口から奥の方に向かって流れているのです。

ただ、台風などの時は大量に水が外の人工の貯水槽から放流され、壕奥へと流入しますが、200メートルぐらいの距離だと思われますが、急激に狭い穴となっている場所があり、その部分が足かせとなり、水がさばききれずに滞留してしまうようです。

滞った水はかなりの時間滞留するのか、結果として水に溶けていた土砂が沈殿してしまい、粘土質の層となって沖縄戦当時の地表面から、何十センチもの厚さで粘土層が堆積しているのです。

つまりその粘土質を退けなければ、沖縄戦当時の地表面は現れず、そこにたどり着くまでに、おそらく泥んこになる可能性が高いのですよ(^^;)。

この「山雨の塔」横の壕を探索する4班のメンバーには、事前に長靴やビニール手袋などを持参して下さい、との連絡がしてあったそうです。

4班の方々は、いままでの遺骨収集とはまるで勝手の違う、「新たな試み」にチャレンジしていただくことになりそうです。そして予想以上に困難さが伴うと感じてしまうことになるでしょうから、精神的にナイーブにならず、ぜひ頑張って困難さと戦っていただきたいですね。

私は「機動班」担当という事で、各班と本部との連絡や、班同士の相互の連絡。そしてご遺骨が見つかった場合の、大型の道具類の送付など、円滑に収集活動が出来るようにするのが役目となりました。

年に一度二日間の作業ですからね。少しでも効率よく皆さんに活動していただけるように、私も飛び回らねばなりませんよ。

参加された皆さんがそれぞれの立場で全力を尽くし、より多くのご遺骨を見つけ、御霊様に喜んで頂けるような、有意義な二日間とするよう頑張りましょう。

八重瀬町与座のご遺骨発見場所へ

私の最初の仕事は、2月 12日(火)に事前調査で松永氏と二人で、八重瀬町与座のジャングルに入り発見したご遺骨のある場所まで、2班の一部のメンバーを案内する事となりました。

ご遺骨がある場所は八重瀬町与座ですが、平和祈念公園から直線距離で1キロも離れておらず、摩文仁と同じ戦域内としてみてよいでしょう。

実際に連なる森林のジャングル帯は、平和祈念公園からすでに連なっており、おそらくこの場所一帯でも、多くの兵士や避難民が行き交っていたことが想像できます。

大庭先生に運転していただき10分もかからずに、ジャングルの裾野に到着しました。

私を入れて7名のメンバーが車を降りて、これからジャングルに入る装備を調えた後、宗教法人仮宿院のお坊さんである金子先生が、メンバーを代表してジャングルに入る前のご祈念を主導いたしました。

ジャングル入り口からご遺骨のある場所までは、直線距離で100メートルもありません。

一列になって10分ほど前進すると、発見されたご遺骨の前に到着しましたよ(^o^)。

メンバーには初参加の方もいたので、60余年の歳月の中でご遺骨がどれくらい周囲の風景に溶け込んでいるか、ご遺骨の色とか雰囲気などの状況をまず見ていただき、若干の補足説明をさせていただきました。

初参加の方々にとっては、出来るだけ早い段階でご遺骨を見ておくのが理想的です。

私も初めて参加した時には、ご遺骨は真っ白いものだとイメージしておりましたが、想像していたものよりはるかに周囲と同化して、様々な色合いに変化しているのに驚いたものです。

露天と壕内とではまた違った状況となりますが、露天にあるご遺骨の場合は、周囲に存在する岩などとほぼ同じ色合いになっており、またご遺骨の総数も減ってしまうことから、年月の経過と共に発見するのが益々困難となるのです。

発見されたご遺骨を観察し終えたら、いよいよ作業に取り掛かる事になります。今見えるご遺骨は、あごの骨とあと腕の骨と思われるものが数本見える状況ですね。

ベテランさんの見立てでも、至近弾を受け吹き飛ばされて、肉体は爆風で四散したのではないかという話になり、この周囲20メートル前後の円内を捜す事になりました。

まずはその20メートルほどの範囲において、地面がよく見えるように小さな草木を切り払い、クマデで探索しやすいような環境を整えます。

もちろん、この時にご遺骨を踏みつけることのないように、足下に注意を払いつつ作業を進めていきます。

2班の皆さんを現場に案内し、収集作業も着手しましたので、私はこの段階で本部まで一端引き上げる事になっていますので、機動班の I さんに後を託し、その場を離れ本部へと向かいました。

八重瀬町与座のご遺骨発見場所

遺骨収集の様子3

ジャングルに入るに先立ち、お坊さんである金子先生がお経を上げてご祈念を主導いたしました。金子先生もまた金光教沖縄遺骨収集に20回以上参加されているベテランさんですよ。(^o^)

遺骨収集の様子4

上に被さっていた岩を除けた後の様子です。直接雨が当たる部分と岩陰とでは、これだけ色合いが違うというのが見てとれます。

遺骨収集の様子5

あごの骨の近くには、腕の骨と思われるご遺骨がありました。

遺骨収集の様子6

地面を覆う草などを刈り払って、探索場所を明るくします。明るくすることにより、小さなご遺骨も発見しやすくなりますからね。

遺骨収集の様子7

隠れ場所のないこの平坦な地で、なぜ亡くなったのでしょうかね…。ご遺骨の前で金子先生の主導でミニ慰霊祭を執り行いました。
【画像提供Kさん】

摩文仁崖下へ行く

私は本部テントに戻り、林先生に帰着報告をして指示を仰ぎましたら、ゴミが放置されている国立戦没者墓園裏の崖下に行って、様子を連絡してほしいとの事でしたので、さっそく1班・5班・6班の方々が作業している崖下に向け出発しました。

その場所へは何度も行き来している事から、ほとんどのルートで歩きやすい場所を把握していますので、15分もかからずに到着出来るはずです。

崖下の作業場所とは、平和祈念公園内の愛知県の慰霊塔の、直下から西に50メートルほど移動した所にあります。

足早に目標地点に到着してみると、1班の方々が中心となり探索活動を進めていました。

昨年と同じ場所で作業しているのですが、昨年とは様子がちょっと違っていました。昨年はこのゴミが放置されている一帯に、ポトスが繁茂していたのですが…。

それが今年はというと、ほとんどポトスは消えており、笹に似た植物が繁茂し、一見笹藪のような雰囲気となっているのです。

おそらく、昨年作業のためにポトスを刈り払ってしまったので成長の勢いを失い、今度はそれがチャンスとばかり、繁殖力のある笹が勢力を伸ばしたのではないかと思われます。ゴミがあったから、被覆するポトスが独占して繁茂出来た場所だったのですね。

これは自然界ではよく見かける光景ですよね。ちょっとした環境変化により、植物の世界でも繁茂する植物が劇的に変わったりしていくのが観察されたりします。

私が到着した頃にはゴミは周辺部に片付けられ、現場ではちょうど斜面に横たわる木のような蔓のような、地面を大きく塞いでいる植物を横に移動しようとしている最中でした。

昨年はそれほど大きく繁茂していませんでしたから、一年でグングンと成長してしまうようです。

いずれにしても、上から落とされた大量ゴミと土砂を除けて、沖縄戦当時の地面を探り当てなければなりません。

それにしても、沖縄での植物の成長の早さには、本当に驚かされます。

遺骨収集の様子8

上から落とされた大量の土砂に繁る木本の植物を、皆で力を合わせて排除しています。土木工事のような雰囲気ですね~。さあ沖縄戦当時の地面を目ざし頑張ろう!!。

木本類を取り除いたり、土を掘り返したりの作業を、皆さんでワイワイ言いながら進めていましたら、下側の海岸方面から「ご遺骨が見つかったよ~」という声が聞こえてきました。

「ワオ」。嬉しいですよね。遺骨収集では何よりも嬉しい報告ですよ。

遺骨収集開始から早い段階で、ご遺骨が見つかるのは大歓迎ですよ。前にも書きましたように、初参加の人たちに、実際にご遺骨の様子を観察してもらえるからですよね。

初参加の人たちに、実際のご遺骨の様子を見てもらえば、以降はしっかりとご遺骨をイメージ出来ますから、見つかる確率がグーンと高くなるかもしれないのです。

私は「初参加の方は、一緒に降りてご遺骨を見ましょう(^o^)」と声をかけ、数人のメンバーと共に、発見した方の後をついて海岸方面に向かいました。

摩文仁崖下は巨岩がゴロゴロと散在し、予想以上にアップダウンもあります。また熱帯植物も生い茂り、地を這う植物も多いことから、慎重に歩みを進めないと転倒するなどのアクシデントが発生しそうですよ。

10分ほど降りていくと、ご遺骨を発見したメンバーが「ここですよ」と、発見現場を指さしてくれました。

なるほど! 大人の大腿骨が二本。半分地面に刺さっているような状況となっていました。

周辺部の様子から、ご遺骨のある場所は、台風などの海面が大荒れの時には、ここまで波が押し寄せていると観察されます。

骨は長い間波に洗われた様子を映し出し、ツルツルとした表面をしています。

このような状況下では、手足などの小さな骨は、波にさらわれてしまったと想像できますね。発見場所の岩の周囲が、波に洗われてご遺骨が露出するようになったのか、それともどこからか波に流されてたどり着いたのか…。

発見者の話では、もう一カ所にもご遺骨があるという事で、そちらも案内して頂きました。

初参加者のメンバーにご遺骨の様子を見てもらい、ご遺骨とはどのようなものかを、十分に観察していただきましたよ。

海岸に向け移動を開始

遺骨収集の様子9

ソテツなどの熱帯植物があちこち繁茂していますね。

遺骨収集の様子10

ゴツゴツとした隆起珊瑚の特徴である、突起のある岩が連なり容易には前進させてくれません。

遺骨収集の様子11

途中アダンなども茂っており行く手を阻みますが、よく見ると誰もが通るルートになっているようです。

発見されたご遺骨の様子

遺骨収集の様子12

「大腿骨」二本が岩陰にありました。丸くなっている部分が骨盤と接続しています。何度も波に洗われたせいか、ご遺骨の表面はツヤツヤしていましたね。

遺骨収集の様子13

一段低い場所にも一本のご遺骨がありました。膝から下の太い方の骨である「脛骨」です。「大腿骨」とは結構離れた位置にありました。

遺骨収集の様子14

初参加の人たちは熱心にご遺骨を観察していましたよ。

遺骨収集の様子15

初参加の皆さんにご遺骨の様子を観察していただきました。私自身は初めて見るご遺骨に衝撃を受けましたが、皆さんの初体験はどのような印象でしたか。

遺骨収集の様子16

ご遺骨発見現場からすぐ下を見ると、岩間からきれいな海岸線が展開していました。見て下さいこの青空! 天気の神様も私たちを応援してくれていますよ~。

遺骨収集の様子17

「初参加の方は記念撮影をしますよ~」と声をかけたら、こんなに大勢いらっしゃいましたよ。

遺骨収集の様子18

午後の作業開始前に、はいパチリ。お昼ご飯も食べたし、まだまだ元気いっぱいですよ! 午後も頑張りましょう~。

遺骨収集の様子19

作業開始前には恒例の「ご祈念」です。 皆で手を合わせお祈りしました。

午後の作業開始と共に、私はこの場を離れ摩文仁崖下まで戻ることにしました。

私が立っている海岸沿いから摩文仁崖下までは、直線距離にして50メートル弱ぐらいでしょうか?。わずかな距離なのですが、ジャングルを歩くとなると、時には200メートルにも感じてしまう事もあるんですよね。

ここ摩文仁崖下のジャングルは、とびきりハードで険しいと言ってよいでしょう。そのようなジャングルをご遺骨を捜しながら歩く訳ですから、遺骨を見つけると言うことは、本当に骨の折れる大変な作業なのですね。

おそらく初参加者の方々も、すでに半日はジャングルを歩き、その困難さを自ら体験したわけですが、「これはえらいこっちゃ」なんて印象を持った方もいらっしゃるかもしれません。

でもこの「容易ならざる困難さ」が、実は終わってみると、非日常のまれにみる感動的な体験となり、素晴らしい思い出となって記憶に焼き付いてしまうのですよね。

あとで心地よい思い出を残すためにも、精一杯取り組んでほしいですね。

さて摩文仁崖下に戻りますと、木本類はきれいに片付けられ、土砂部分の排除と、そこからのご遺骨の探索作業も順調に進められているようです。

それにしても半日ものあいだ、土木作業のような、大きな仕事を成し遂げましたよね。こうして少しずつ、ご遺骨が存在する可能性のある場所を潰していく…。長い道のりではありますが、これが最善の手段なのかもしれませんよ。

ここで作業している方々も、食事を終えて午後の作業に取り組む段階のようでした。皆さんの手に持つシャベルなどが、土木作業を連想させユニークだったので、写真に納めさせていただきましたよ。

遺骨収集の様子20

崖下のグループも午後の作業を開始していようとしていたので撮影させていただきました。"土木工事"頑張って下さいね~。

「ふくしまの塔」・「なにわの塔」裏へ

本部に戻り林先生としばしお話をした後に、「なにわの塔」裏の壕で、ご遺骨が発見されたとの事で、その状況の把握と「ふくしまの塔」裏の壕でも、遺骨収集をしている I さんに、壕内作業の進捗状況をお聞きするために、二つの慰霊塔がある摩文仁山上へと向かいました。

この二つの慰霊塔はかなり隣接しています。

またご遺骨が発見されたのは、慰霊塔のすぐ裏手ですから、観光客が歩く中央歩道部分からも見えるほどの近さであり、そんな場所から未だにご遺骨が発見されること自体が本当に驚きですよね~。

「なにわの塔」裏手の作業場に到着しますと、皆さんが頑張って収集作業を継続していましたよ。

ご遺骨と共に手榴弾や小銃の銃弾なども出てきていますので、発見されたご遺骨は日本軍将兵のものであると思われます。

ここでも、作業着手に際しては、まず最初にゴミの除去から始めなければならないほど、ゴミがたくさん散乱していたといいます。

ご遺骨を今も探しているその場所は、かなり土といいますか腐葉土みたいなものがかなり堆積しているのですね。そうした土のような部分からご遺骨が発見されているようです。

歳月の流れの中で、ご遺骨は少しずつ少しずつ堆積物の下に埋もれていくという事でしょうね。

「なにわの塔」裏の様子

遺骨収集の様子21

大阪府の慰霊塔である「なにわの塔」です。

遺骨収集の様子22

戦後堆積したと思われる土&腐葉土の中からご遺骨は発見されたそうです。私が到着した頃は作業は終盤となっていましたが、凄い量の土石を移動したのが見てとれます。ベテランさんであるKさんTさんNさんが、小さな骨片をも逃さないように丹念にチェックしています。

遺骨収集の様子23

手榴弾や小銃の弾なども発見されました。手榴弾のピンを抜く部分を、写真のようにテープで巻いてしまえば、誤爆発のリスクも低下しますね。
※どなたがテープを巻いたのか解りませんが、プロフェッショナルですね~。

遺骨収集の様子24

湿気が多いせいかご遺骨もかなり細粒化していますね。左上にあるのは「のど仏」です。「大腿骨」「脛骨」それぞれ二本ずつあり、骨盤の一部もあることから、足回り部分のご遺骨が多いです。この摩文仁は民間人の流入は制限されていたので、日本軍将兵のご遺骨で間違いないと思われます。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

ご遺骨発見現場では、まだまだ細かいご遺骨が出てくる事から、引き続き皆さんが交代しながら、ご遺骨の収集を継続するという話でしたよ。

私はここから少し先にある、「ふくしまの塔」裏手にある壕へと向かいました。

壕に到着してみると、エンジン発電機が設置され、エンジン音を響かせ発電してるではないですか~。

さすがです。これならば手に懐中電灯を持つ煩わしさから解放され、ご遺骨の探索に両手を使えるというものです。

ハシゴで下に降りていくと、I さん達が一生懸命土を掘り返し、作業を進めていました。

I さんが「この壕は、他の遺骨収集団に入られてしまったようだ」と言うのです。

壕出入り口からこの壕内底部までの、ハシゴを掛けてある斜めの部分が、大きく崩されていると語ります。

私も昨年の様子を思い起こして、周りを見てみると、確かに昨年とは大きく様子が違って見えます。

昨年の遺骨収集では、二日目の午後の最後時間切れとなった時点では、日本軍の小銃の先端部分が見えていたのです。当然、この先に御遺骨があるに違いない……。と思え、来年はこの先を掘り進もうと I さんとも、そのように話を済ませていたのです。

ただ、上部で落盤が発生する可能性があるので、容易には進めないから、来年は投光器などを設置して、上から大規模に土石を崩して収集作業をやろうとしていたのです。

しかし、しかし、壕内に入ってみると、どこかの団体が探索活動をしたらしく、土石が掘り起こされていたのでした~。

「ガ~~~~~ン」
「ざんね~ん」

「銃の先端部の位置が解らなくなってしまった~~」

もちろん、銃が掘り出されそこにあったと思われるご遺骨をキッチリ収集したのなら、それはそれで良かったとなるのですが…。

おそらくは、「あの銃身は見逃してしまい、集中的に取り組むことは無かったのではないか…」
残念ながらそのように思われ、今となってはそれがとても悔やまれます。

この「ふくしまの塔」は、篠原先生のグループが5年か6年にわたって、奥の方から丹念に、そして徹底的に収集作業を進めて参りました。

そのメンバーの中に I さんも居ましたので、今年も I さんにその小銃の先端部の位置関係を見ていただき、落石の危険度を見極めながら、作業を進めるかどうかの最終的な判断をしていただこうという話になっていました。

結局その I さんも小銃の位置関係は特定出来なかったようです。昨年まで進めてきた作業終了の位置関係は、それなりに特定出来たようですから、そこから収集作業を進めているという話でしたよ。

「ふくしまの塔」裏の壕内の様子

遺骨収集の様子25

福島県の慰霊塔である「ふくしまの塔」です。

遺骨収集の様子26

今年はガソリンエンジンをリースして、壕内に投光器を設置し、作業効率を高めましたよ。

遺骨収集の様子27

最初はロープで降りていき、壕内はハシゴを利用して降りていきます。

遺骨収集の様子28

壕に入ってすぐの様子です。この辺も崩されてしまい、以前よりも広くなっています。

遺骨収集の様子29

壕内はそれほど広くなく5~6人程度で満杯になってしまう状況です。皆さん朝から投光器の明かりを頼りに作業を続けていました。壕内での作業は、姿勢が姿勢だけに体がかなり疲れてしまいますよね。お疲れ様で~す。

「山雨の塔」横の壕へ

糸満市の宇江城(うえぐすく)という部落の一角に「山雨(やまあめ)の塔」があります。

この慰霊塔は1962年に建立され、第24師団(山部隊)を率いた雨宮中将と幕僚や兵士500柱がここに合祀されています。

この師団は北海道で編成されたものですが、昭和19年に第32軍に編入され沖縄に転進してきました。

第24師団(山部隊)は沖縄戦が始まる前は、那覇から港川ラインの主に本島南部島尻方面の守備に当たっていましたが、沖縄戦が始まって首里に迫る米軍の進軍を阻むために、急遽運玉森から前田高地に至る前線で戦闘に加わり、米軍と激しい戦いを展開した末に、精鋭部隊の兵員を激しく消耗していったのです。

5月下旬、第32軍司令部の首里撤退に伴い、第24師団の残存兵力も順次南部島尻へと退却し、司令部を糸満市の真栄平に置き最後の抗戦に臨んだのです。

米軍の圧倒的な火力による激しい掃討戦により、将兵は次々と倒れていき組織的戦闘も不能となった事から、6月30日雨宮師団長は幕僚と共に、「山雨の塔」の横にある壕内で自決し、同師団は壊滅したのです。

この壕は「クラガー」と地元民は呼び、「暗井戸」という意味だそうです。地元民の避難洞窟として利用され、また水くみ場を兼ねていたといいます。

現在の壕の入り口は大きく開放されていますが、沖縄戦当時は米軍にこの壕の存在を把握してからは、米軍により出入り口をブルトーザーで塞がれてしまったという話です。

記録によればどこか穴を開けられて、ガソリンを流し込まれたり、爆雷を投げ込んだりの徹底的した「馬乗り攻撃」をされ、壕内で亡くなった日本軍将兵が、一説には1000人から2000人に上るとも言われているそうです。

私も以前にこの壕内の進めるところまで、で前進した事があるのです。壕は少なくとも200メートルは容易に前進できます。200メートル前進した所は急に狭くなっており、人間も屈んで真っ直ぐにならないと前進出来ないほど狭いのです。

その時は、普通の装備だったので、その穴を通ることは出来ず断念し、そこからは引き返したのです。

また反対側に出入り口があるかどうかの調査も行いました。

反対側にも入り口があるという地元の方の情報があったからです。

私達もそちらに出向き、300メートル先の森林の中を丹念に探索しましたが、残念ながら反対側の出入り口は発見できませんでしたね。

不思議だったのは、その森林の中を流れる小川は、道路の路肩付近で地面の中に吸い込まれていくのです(^^;)。

私たちが遺骨収集しているこの壕内を流れる水も、壕の奥の方向へ流れているので、もしかしたらこのあたりまで流れて来て、この小川と合流している可能性もなきにしもあらずと感じられました。

つまり壕の長さは、少なくとも300メートルほどと意外と短いのでは無いか……。

と勝手に想像したりしていますが、一方で地元では、「クラガーの中は二股に分かれており、米須を通って最後は大渡の海岸まで地下水のトンネルになっている」という話もあり、壕の奥の方がどのようになっているのかは、これからの課題として順次調査を進めたいと思いますよ。

この壕内には多くのご遺骨や遺品が散在していると思われますが、ご遺骨を捜すのは極めて困難な現況なのですね~。

それといいますのも、この壕内には驚くほどの汚泥が堆積しているのです。恐らく沖縄戦当時はそのような状況には無く、汚泥の堆積は戦後になってからだと思われます。

戦後の壕入り口付近での貯水池などの設置工事などにより、水がこの壕に集中するようになったと思われ、台風など大雨の時には壕内に大量の水が流れ込むようになっていますが、その水が200メートル先の狭くなっている部分から先に、容易に流れ去っていかないので、壕内が貯水槽のような働きをして、水に混じった土砂が沈殿してしまうのだと思われます。

実際に発見されるご遺骨や遺品は、戦後堆積した汚泥の中ではなく、汚泥底部の固い地面部分付近から発見されるのです。

壕内の空間は深く大きく広がっていますから、1000人から2000人の将兵が、この壕に居たとしても、納得出来るほどの巨大空間となっています。

水も確保できるし相当数の人たちを収容できる素晴らしい壕だったのでしょうが、現在は歩くのも困難なほど膨大な汚泥が堆積し、収集作業を極めて困難な状況にしています…。

この汚泥の中から、昨年はアメリカグループのロンさん達が、黒く焼けこげた頭骨などの完全一体のご遺骨を発見したのでした。

昨年発見した場所の周辺部を、探索してみる必要があるというロンさんの提案で、今年もアメリカグループと4班の皆さんが、この壕内で汚泥と戦う事となったのです。

私も壕内に入ってアメリカグループと4班の皆さんの悪戦苦闘ぶりを見て、本当に心から、その悪戦苦闘ぶりに驚きを隠せませんでし。

今からリアルな写真を見ていただきます。どうぞ彼ら彼女らの奮闘ぶりを、賞賛してやって下さいませ~。

「山雨の塔」と壕内の悪戦苦闘の様子

遺骨収集の様子30

「山雨の塔」です。第24師団を率いた雨宮中将と幕僚や兵士500柱がここに合祀されています。中央の塔が雨宮中将、両脇の塔が部下の幕僚を表し、部下幕僚が雨宮中将を助けている形を象徴しているそうです。

遺骨収集の様子31

「山雨の塔」横にある壕入り口の様子です。壕の洞窟空間はこのまま奥の住宅地方面に伸びています。この壕入り口は、米軍の馬乗り攻撃により、ブルドーザーで埋められてしまったという話です。

遺骨収集の様子32

壕入り口付近の様子です。女性が進もうとしている方向が壕内となります。作業の効率性を高めるために発電機を利用して投光器を壕内に設置しました。

遺骨収集の様子33

ご覧のように壕内は小川のように、常時水が流れています。

遺骨収集の様子34

それぞれの持ち場にへばりつくように、皆さんが頑張っていました。

遺骨収集の様子35

班長の吉永さんをはじめ皆さんが泥んこになりながら、一生懸命作業を進めていました~。かつてこれほど困難極まる作業風景は見たことがありません。皆さん本当にお疲れ様です。水が流れている位置が沖縄戦当時の路面と思われます。汚泥の厚みが本当に凄いですよね。

遺骨収集の様子36

昨年黒く焦げた頭骨を含む完全一体のご遺骨を発見したアメリカグループのロンさんです。「お疲れ様で~す」

遺骨収集の様子37

ロンさんが銃剣が見つかったと見せてくれました。水に浸かっている為かなり錆びているようですね。

遺骨収集の様子38

アメリカグループのメンバーです。「お疲れ様で~す」

遺骨収集の様子39

ヒョエ~~~~~。(^^;)
健太郎君! 僕は少なくとも、君のその笑顔に救われたよ。

遺骨収集の様子40

ご遺骨などと共に、万年筆・信号発信器・石けん箱?なども発見されましたね。

再び「ふくしまの塔」裏の壕へ

収集作業は4時頃までという段取りとなっていますので、最終段階で「ふくしまの塔」裏の壕の様子はどうかなと、再び訪ねてみました。

前回訪ねたときよりも一段と作業区域が前進していましたね。

土石を掻き出しご遺骨の有無をしっかり確認し、その土石を後ろ側に送る…。遺骨収集ではごく単調な繰り返しを、長時間にわたって続けなければならない時も多いですよね。

そして、その単調な作業が、限られた壕内空間であったら…。やった方にしか解りませんが、窮屈で辛い作業となるんですよね。

土砂を後方に移動させるだけでも大変なのに、遺骨を見つける事にも気持ちを集中させなければならないので、根気と忍耐力のいる作業です。

私が再度訪ねたときも、皆さんはずっと連続的に頑張っておられましたね。

ご遺骨は多く発見されていませんが、思いの外電信関係の遺品が次から次へと出てくるようです。

予定されている終了時刻となったようなので、作業を続けている皆さんも、順次片付けを始めて、壕を出る事となりました。

全員が壕を出た事を確認すると、皆さんで「御祈念」をして、本部へと帰路につきました。

「ふくしまの塔」裏の壕内の様子

遺骨収集の様子41

手前側の土砂をご遺骨の有無を確認した後、壕の奥へ送っていくという単調な作業の繰り返しです。この作業は結構辛いものがありますよ。ですが最後の最後まで皆さんが力を合わせて頑張っていました。

遺骨収集の様子42

多くはありませんが、ご遺骨も引き続き出てまいります。頭骨もありますね。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子43

本日の作業の打ち止めとなり、皆さんが壕内から出てまいりました。

遺骨収集の様子44

朝の作業開始時にも「ご祈念」を行いますが、作業終了時も「ご祈念」を行います。

遺骨収集の様子45

平和祈念公園内の通路からは、ご覧のように開花中のきれいな花が見えました。

本部テント前にて

「ふくしまの塔」や「なにわの塔」での作業を終えたメンバーと、本部テントに戻ってきましたが、いくつかのグループもすでに帰着しており、すでにテント前は賑やかに会話の輪が広がっていましたね。

帰着した私たちもまず、温かいおしぼりと美味しいサーターアンダギーや黒糖を頂きました。毎年の事ですが、地元沖縄の方々がこれらを準備し、待っていてくれるんですよね~。

たいがいの人がエネルギーを使い果たしたようなヘロヘロな姿で帰ってきますが、おしぼりで顔をキュッと拭いて、サーターアンダギーを食べると、グングンとまた元気が沸き返ってくるんですよね。

周りを見渡せば、今日の作業を振り替えり会話が弾んでいるようで、あちこちで笑いを含んで楽しい会話が進んでいましたよ。

一方で「お清め班」の皆さんは、忙しそうにご遺骨を清掃するなどの作業を進めていました。「お清め班」の方々は見つかったご遺骨を清掃をする為に、どうしても午後から夕方が一番忙しい流れとなってしまいますよね。

帰着した人たちの中で、「お清め作業」の手伝いをする方もいらっしゃいますね。

「お清め作業」というのは、収集したご遺骨の泥や汚れを落として、きれいにする作業なのですが、とても大切で有意な作業だといつも感じますよ。

今年も初参加の人たちが大勢いらっしゃいましたが、一日の作業を終えどのような感想を持ったでしょうかね。

海外の遺骨収集は、諸手続が大変だという話を聞いていますが、国内である沖縄県での遺骨収集奉仕活動を初めて体験された方は、どうでしょうか、作業はきつかったかもしれませんが、非日常の驚きも含めた豊かな体験が出来たと思いますね。

林先生と各班長さんや機動班の方々が、今日の収骨状況を相談しながら、明日の配置などを検討しています。そうした打ち合わせを経て、明日の班の配置を確定し、参加メンバーの方々にもお伝えして、今日は解散という流れとなります。

事故やトラブルもなく、皆さん全員が無事に本部テント前に集合できたようですよ。

明日は最終日! お酒は少し控えめにして(^^;)、早めに床に入ってエネルギーを充電し、明朝元気にお会いしましょう。

お清め班の作業風景とミーティング

遺骨収集の様子46

この頭骨を見たとき、涙を流しておられるなと感じました…。「こんこさん ありがと」 って 聞こえた気がしました…。

遺骨収集の様子47

今日の収骨状況をもとに、明日の班ごとの予定配置が参加メンバーに伝えられました。今日は事故もなく、無事に作業を終えることが出来たようです。明日は最終日で慰霊祭もあります。皆さんで最大の力を結集して明日も頑張りましょう。

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