平成21年(2009年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 1月18日(日)地元のご夫妻と摩文仁の海岸線で遺骨収集
- 1月19日(月)『島守之塔』裏にあるとされる「軍医部の壕」を探す
- 1月20日(火)単独で摩文仁之丘西端斜面に入り遺骨収集
- 1月21日(水)松永氏と摩文仁之丘西端斜面に入り遺骨収集
- 1月22日(木)荒崎海岸で遺骨収集&資料館関係者を摩文仁の壕に案内
- 1月23日(金)摩文仁東端で遺骨収集&ヌヌマチガマで平和学習
- 1月24日(土)第36回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 1月25日(日)第36回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 8月07日(金)金光教ご本部参拝
1月24日(土) 「第36回金光教沖縄遺骨収集奉仕」に参加しました
今年も無事に「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」に、参加させていただく事となりました。福岡教会教会長、故吉木昭弘先生が生前に語っていた、「健康・時間・お金」の三つのおかげを被り、無事に摩文仁之丘に立つ事ができたという訳ですよね。
今こうして摩文仁之丘に立つとき、私の周年サイクルは、参加させて頂く「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」を基準として廻っていることを心から実感できますね~。
もちろん年間を通して遺骨収集の事ばかり考えているわけではありませんよ。私は本来的に仕事大好き人間であり、「人生は仕事が第一」とばかり、年間を通して精力的に仕事と向き合っています。 (妻曰く、私は"完璧な仕事人間だそうです)
その上で多忙な仕事の合間を縫って複数の楽しい趣味を同時にこなし、多忙な日々ながら優雅に心は満たされ、まさしく超充実した日々を送っているのです。
そんな忙しいながらも満たされた日々を送っているなかで、たった二日間の奉仕活動が紛れもなく私の一年365日の中心にあるのを実感できるのですから、「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」が、すでに完璧な形で私の血となり肉となっているというのが理解できるというものでしょう。
今年の遺骨収集奉仕活動に参加するにあたり、最も心配していたのは、私も1年ごとに1歳年を重ねてきましたので (誰でもそうでしたね(^_^;))、相応の年齢に達しており、今年のように9泊10日もの長期の遺骨収集奉仕活動となると、後半になるにつれて体力的バテてしまい、十分な活動が出来ないのではないかと危惧していたのです。
しかし今朝もいつも通りに6時起床、6時半から散歩に出かけましたが、体に疲労の蓄積はあまり感じられず、腕や腰、そして足の筋肉群の動きも、いつもの感覚と同等レベルにある事に驚いています。
おそらくこれは自宅にいる時よりも、十分な睡眠時間を確保し、規則正しい生活パターンが、健全な体力を維持してくれたとみて間違いないでしょう。(笑)
唯一心配していた体力面でも、重度の疲労は見られないことから、今日明日との二日間は、例年とおなじように頑張って取り組むことが出来そうで、今はとても安堵しています。
あとは事故を起こして怪我などして迷惑をかけないためにも、気を抜くことなく集中力を保持しながら、全力で二日間取り組みたいと思いますよ。
やはり思えばあっという間の一年ですよね。高齢になればなるほど一年間の経過が速く感じられます。まもなく懐かしい面々と一年ぶりの再会となるわけですが、参加される皆さんのお顔には「一年間待ちに待ったこの日がやってきた」とばかり、はち切れんばかりの笑顔で、朝のご挨拶を交わすのが恒例となっていますよね。
今年もこうして金光教の信者さんはもちろん、一般からの参加者が全国から馳せ参じ、ヘルメットを被っての遺骨収集奉仕活動を、今日と明日の二日間に渡って、この摩文仁之丘一帯とその周辺部で展開するのです。
「金光教沖縄遺骨収集奉仕」活動は今年で第36回目です。沖縄の施政権が日本側に返還されてから今日までずっと続けられているという訳ですから、これは正に偉業と評価して良いでしょう。
「遺骨収集を教団拡大の宣伝に利用せず、粛々と沖縄が助かることを祈り、真に御霊様のご安心を願って継続された」 金光教の沖縄遺骨収集奉仕を、長年にわたってつぶさに見続けた一般参加者の一人として、ここに改めて一定の規律の下に実施された手弁当による、賞賛に値する素晴らしい奉仕活動に、心から敬意を表したいと思います。本当におめでとうございます。
昨日の懇親会の席で教えてもらったのですが、今年もウエブサイトなどを通じて、金光教の遺骨収集奉仕活動を知ったと思われる方々が、那覇教会に電話で問い合わせ、本日ここ摩文仁に参集された一般参加者が複数人いらっしゃるという話ですよ。
毎年何人かの一般の方から那覇教会に問い合わせがあるという事ですから、すでに遺骨収集という言葉を知っており、「出来ればやってみたいな」と思っている方々が案外多いのではないかという印象ですよね。
もしもこの「参加記」をご覧になっている方で、「来年は私も遺骨収集をやってみたいな」と思われる方は、金光教の遺骨収集奉仕活動を推薦しますよ。ぜひお気軽に 金光教那覇教会 (こんこうきょう なはきょうかい)に問い合わせしてみて下さいませ。
「遺骨収集奉仕活動」という、生と死の両面を見つめる事となる奉仕活動は、生命の尊厳を改めて思い起こさせてくれるであろうし、またこの希有なる体験は、きっとあなたの人生に大いなるインパクトを与え、今を生きるあなたの精神性を、一段も二段もスケールアップしてくれる事でしょう。
参加条件はたった一つです。昨年も書きましたように、「沖縄戦で亡くなられた戦没者への慰霊の気持ちがあること」
この気持ちがすでにお有りなら、ためらわず今すぐに受話器を持ち上げて下さいませ。(笑)
アッそれから、もう一つ大切な事柄をお伝えしなければなりません。同じく昨年も書きましたように、戦後60余年の歳月が経過し、ご遺骨の発見率は年々減少し続けており、初心者の方々がご遺骨を見つけるというのは容易でない状況にあるのです。
「ご遺骨はまず見つけられない」 と思って下さったほうが、精神的な負担が少ないと思われます。
摩文仁之丘には、いまだ一定数のご遺骨が、未発見のまま放置されているのは疑いのないところですが、関係者による長年の努力にも関わらず、ご遺骨発見を困難にさせる幾多の要因が行く手を阻んでいるのです。
まず第一に、年を経るごとにご遺骨は細粒化し消滅していきます。これは如何ともしがたい自然現象ではありますが、このご遺骨の劣化に負けないように急いで遺骨収集を進めたいものです。
自然に消滅してしまう前に、私たち児孫の手でご遺骨を収集してあげたいというのは、万人の共通する思いでもあります。
沖縄は強烈な台風が接近することで知られているところです。露天にしても壕内にしても、強風雨による土砂の流出入・汚泥の堆積等は想像以上に進んでおり、またこれからも絶え間なくご遺骨の上に土砂や腐葉土が堆積し続けていきますから、クマデ等を用いた地表面レベルの人力発掘だけでは、益々発見困難な状況になっていくのです。
自然壕内は露天に比べれば残存率は高まりますが、壕内といえども落盤は断続的に起きていますから、ご遺骨が日に日に埋もれていく状況にあり安閑としていられません。
私たちが行っているのは遺骨収集という奉仕活動ですから、一義的にはご遺骨を探すのが目的の活動ですが、上空からガソリンを撒かれナパーム弾を浴びせられるなどで摩文仁は火山活動のような広範に火の海となり、米軍による一方的な殺戮行為ともいえる掃討戦は、隠れ場所になる茂みは容赦なく火炎放射器で焼き払われ、断末魔の叫びのなかで死んでいった避難民が続出したここ摩文仁の地で…。
戦没者が逃げまどったジャングルの岩陰や自然壕の暗闇の中に身を置き、また軍靴や歯ブラシや服のボタンなどなど、戦没された人たちが残した戦争遺品を見つめ、故郷へ帰る夢を果たせずに、この艱難の大地に果てた若人へ思いを馳せると共にご冥福をお祈りする…。
ご遺骨との応接でなく、このプロセスのなかで 「戦没者の児孫として何を感じ取れるか」 こそが、摩文仁に馳せ参じたところの意義の軽重を決めるものであり、参加したあなたの人生にとって、体験の場としての意義における、生涯忘れ得ぬ、かけがえのない二日間となるのです。
毎年何人かの初参加者が、戸惑いながらも遺骨収集奉仕作業で汗を流し、満足した表情で帰路につくのを見ていると、信者さんや一般のどちらの初参加を問わず、彼ら彼女らには一定の共通点を感じますね。
これは私の個人的見解ではありますが、すぐれて「悼む心を持っている」、「先人・先達を崇敬する心を持っている」という二点を強く感じます 。
これは宗教団体が実施する二日間の遺骨収集奉仕活動の中で、大勢の信者さんが醸し出す「慈しみの心」が少なからず伝播した可能性を排除できませんが、一方で一日にして人は変われるはずはなく、本質的に彼ら彼女らに内在し、すでに持ち得ているものが "大いなる刺激を受けて" 表出して来るというのが、正しい見解かもしれません。
沖縄本島の最南端摩文仁にある平和祈念公園内の旧奉賛会建物が集合場所となっています。集合時刻は8時半ですが、その時間前でもすでに大勢の参加者が集結を始めています。
天候は冬型の気圧配置が強まり、今年一番の寒波がやってくるという話でしたから、風が強くなると思われますが、雨が降るとは言ってなかったので、その点は嬉しいですよね。
今年で36回目の遺骨収集奉仕活動では、他府県から信奉者・一般参加者ら50名、地元沖縄から29名、総員79名の方々がここ摩文仁に参集されたようですよ。
とても一年ぶりの再会とは思えないほど、皆さんが気さくに声を掛け合い、挨拶が交わされていきます。最も参加者のほとんどが、参加回数など数えるのは意味がないと思えるようなベテランさんばかりです。
そんな中でこまかい所作を見ると「初参加かな?」と、すぐに判別できますね。(笑)
半分冗談ですが、説得されて嫌々来たわけでなく、自らの意志で摩文仁に馳せ参じた、掛け替えのない面々ですから、ベテランさんも初心者の方々もあわせて、共通する目の輝きは同等レベルにありますよ。
集合時刻前後となりますと一年ぶりの再会ですから、あちこちで挨拶などの賑やかな会話が交わされます。クマデやヘルメットを受け取ったり、ワイワイガヤガヤとまずは賑やかな朝の一時でありますね。
やがて那覇教会の林先生のお声がけで、恒例の「朝のご祈念」が始まりました。
今年も「健康・時間・お金」の三つのおかげを被り、この摩文仁に集えた事をまず感謝し、摩文仁をはじめとする各地で戦没された多くの御霊様のご安心を願い、また参加者全員が「事故もなく無事に一日の作業が終えられますように」と願い。そしてささやかではありますが、私達の祈りの行為により摩文仁の大地が清められますように。
そして、願わくばご遺骨に出会わせていただけますように…。という祈りが込められているのです。
「朝のご祈念」を終えますと、林先生主導で今年の探索地域の説明や各種注意事項の解説があります。
昨日那覇教会にて諸注意等の概略を聞いている方も多いのですが、皆さん真剣に林先生の解説に聞き入ります。
朝の御祈念&打ち合わせ
朝の会場風景です。保険をかけますので参加者は台帳に記名していきます。あちこちで一年ぶりの再会を喜び、楽しく挨拶と会話が盛り上がります。
朝一番で行う作業、それは参加者が協力して仮設テントの設営です。皆さん手慣れたものです。大勢での作業ですから、あっという間に組み上がりますし楽ちんですね。
まず最初に摩文仁岳山頂に向かって、「朝のご祈念」をおこないました。金光教の遺骨収集奉仕作業では、いつの時もこの「ご祈念」と共にあるのです。
主催する金光教那覇教会の林先生です。今年で第36回目の開催ですから、林先生は36年もの長きにわたり遺骨収集に従事されている事になります。
林先生の参加者への歓迎の意の表明と、今年の探索地域の説明や各種注意事項の解説に聞き入る参加者の皆さんです。
24日(土曜日)、本日の班別探索地域ですが、1班はすでにご遺骨数片が発見されている場所にて、探索を含むご遺骨の収集を行います。そして収集が終わりますと、4班の探索地域に合流します。2班・3班は資料館東側700メートル程進んだ所にある階段を降りた崖下周辺で行います。4班は沖縄県参加者で編成され、摩文仁海岸線にある湧き水「ワシチガー」周辺で行います。
摩文仁南側の崖下斜面および海岸線は、携帯電話が通じたり通じなかったりしますよね。作業過程に伴う班単位の打ち合わせや事故等の緊急連絡などで、携帯電話が通じれば本当に便利ですし、事故等の事態の悪化も防げる可能性がある訳ですが、基本的に携帯電話には頼らないスタンスで臨む方が安全だと思われます。
さあこれから二日間にわたって総勢79名の参加者により、摩文仁南側斜面及び海岸線付近で遺骨収集奉仕活動に入りますよ。 事故がなく、また可能であればご遺骨を幾ばくかでも発見させて頂ければ、これほど嬉しい話はないですね。
林先生の各種注意事項の説明も終了し、班単位で探索地域への移動を開始しました。夕方にはまた全員が無事に、この場所に戻ってまいりましょう。
皆さん 頑張りましょう。
男女ともに初参加の方が多い第1班のメンバー全員で出発前に記念撮影しました。今日明日の二日間行動を共にするメンバーですからね。よろしくお願いしま~す。
〔1班〕 骨片発見場所で遺骨収集
1班は関東地方からの参加者および一般参加の、特に初参加者を中心に編成され、この日までにご遺骨が発見されている場合は、その発見場所に朝から直行してご遺骨の収集にあたるのを慣例としています。
収集場所に出向き、初参加者にご遺骨の散乱状況をつぶさに見てもらい、骨の色とか大きさや、周りの岩石や草木と一体化した雰囲気になっている状況をつぶさに観察してもらうのが主たる目的です。
初参加の方々に、このように朝一番の段階でご遺骨を見てもらうのは、「速やかに戦力になって頂く」為には極めて重要だと考えていますからね。自分自身の体験に照らしても、これはとても大切なプロセスだと思います。
という事で機動班員である私が、1班を骨片が発見された場所にご案内する事となりました。
それではと、皆さんがまだ笑顔が残る元気なうちに集合写真を写しておこうと、「集合写真を写しますよ」とお声がけして私が撮影しました。
写真を写しておけば、ジャングル内で誰が居なくなっても特定出来ますからね。(笑)
半分冗談ですが、初参加者が多い1班はそのような対応策を講じておかないと、もしもはぐれてしまったりした場合、個人を特定するのに手間取ることが予想されますから、こうしておけば「誰が居ないのか」写真で即判断できますよ。
1班は『健児の塔』や『南瞑の塔』へ至るところの、摩文仁之丘西端にある駐車場まで移動してまいりました。
ここの駐車場横にはかつてお土産屋さんも二軒あり、観光客で賑わっていたのですが、年月の経過と共に慰霊に訪れる観光客も少なくなり、昔を知るものにとってはとても寂しい思いのする場所です。
戦後長く『健児の塔』へ至る階段やアプローチ部分には、花売りおばさんが何人か居て、テーブルの上で献花用の花や線香、ちょっとしてお土産を売っていました。そのおばさんたちは何処へ行ったのでしょうかね…。
今ある二軒のお土産屋さんのうち一軒は、前門さんというお土産屋さんでした。でしたというのは、ご主人の前門さんは7年前に50歳という若さで亡くなってしまって、現在はご家族はこの土地を売って他の地域に移り住んでしまったようです。
現在はシャッターの降りた建物だけが、静かに往時の面影を残してたたずんでいます。
前門さんは金光教遺骨収集奉仕活動に26年間も従事されました。いや金光教遺骨収集奉仕活動を切り開いてこられた方と言った方が正しいかもしれません。
その辺の経緯を駐車場横で濱出さんが、私たちを前にして丁寧に説明して下さいました。さすがベテランの濱出さんですよね。初心者が多い我が班員のために、この付近での戦況や二つの慰霊塔建立の経緯、前門さんと金光教との関わり…。などなどを説明して下さいました。ありがとうございました。
濱出さんが前門さん宅の前で、前門さんと金光教との関わり、『南瞑の塔』の解説などをして下さいました。
さてここからいよいよジャングルへと入っていく事となりますよ。到達すべき目標の位置関係は、基本的に『南瞑の塔』の裏を回って進み、最終的に『南瞑の塔』の西側50メートルから100メートル付近であるとみられます。
直線距離にしておよそ250メートルと推測していますが、ジャングルを進むとなると、これがまた平地と違いとてもつない時間を要する事となるのです。
左側はジャングル、右側は畑というような無舗装の道路を100メートル程進むと、道は途切れジャングルの中に入っていきました。
少し入ったところで引率している立場から、「ジャングルを歩く際の諸注意事項」を説明しました。私自身も相当にジャングルの中で痛い目に遭っていますから(^_^;)、説明は困難でないですよ。(笑)
初参加者の方々の、登山とはまた違ったジャングル内の行軍に対する、「未知の世界&驚きと戸惑い」を考慮して、ゆっくりゆっくり前進します。
この段階ではご遺骨の探索活動はせず、ご遺骨が見つかっている場所に直行です。途中二カ所ほどかなりハードな部分を通過しましたが無事にクリアーし、30分ぐらい歩いたでしょうか、ご遺骨発見現場に到着しました。
ジャングル内に入り始めて数分経過した頃撮影しました。1班は初参加者が多いので危険を回避するために、ゆっくりゆっくり前進します。
多量の戦没者の遺品と共にご遺骨がある一カ所目の岩陰です。ここはあくまで岩陰であり、窪地のように見えるのは爆風よけに兵隊さんが岩を積み上げたからです。
現場に到着しましたので、皆さんに二カ所ある発見現場の簡単な状況を説明し、背負っていたリュックサックなどを下ろして、遺骨収集の準備を整えます。
濱出さん橋本さんなどベテランさんに、「風葬のご遺骨」の可能性があるご遺骨をみて頂きました。結果として戦没者のご遺骨の可能性が極めて高いとして、金光教として収集させて頂く事が決定しました。
その決定に伴い初参加者に岩の窪地に入ってもらい、収集奉仕活動を開始して頂きました。手榴弾もありますし、戦没者の兵隊さんと思われる遺品もいっぱいありますから、それらを丁寧に準備してある白布の上に置いていきます。
ご遺骨発見現場の様子
収集作業に取りかかりました。収集は初参加者の方々にお願いしました。手榴弾はその場にテーピングして置いたままにしますが、戦没者の遺品は丁寧に運び出します。
初参加者の方々がご遺骨や戦争遺品を収集しているところです。「自分の手でご遺骨を持ち、自分の手で遺品を持つ」希有な体験を通して、深い思いを抱いて欲しいですね。
収集されたご遺骨と数が多い戦没者の遺品です。やはり参加者の多くがご遺骨と共に、「溶けたガラス」に関心が集まりました。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m
作業が順調に動き出しましたので、もう一カ所の発見現場に、手が空いている別の初参加者を誘導して、そちらの収集作業をしてもらうために、移動してもらいました。この二カ所は30メートル程しか離れていないので、通信の途絶という心配はありませんね。
もう一カ所は、足の骨が3個程度見えています。足の骨は複雑で、細かいたくさんの骨で構成されているのです。
頭や手や胴体はどちらの方向にあるのか…。
この発見現場を初心者の方々に見てもらうメリットは、ご遺骨が周りの風景にどれくらい「同化」しているかを観察してもらう点にあります。
ここは巨大な岩の下であり、雨を直接浴びることはあまりなく、台風襲来時や風を伴い斜めに降る雨のケースでは直接雨を浴びる可能性があります。そうした環境下で、ご遺骨はほぼまわりの岩と同じ色をしている点に注目してもらいたいわけです。
そのへんの経緯を皆さんに説明し、そしてしっかりと観察してもらったので、いよいよ収集作業開始です。大きい岩小さい岩、順次どけていくと、やはりご遺骨が出てまいりましたよ。
作業開始前に皆さんによく観察してもらってから、収集作業を開始しました。やはりすぐにご遺骨が出てまいりましたよ。まずは足の骨が多いです。
大きな岩がゴロゴロしており、男性陣のパワーで巨石を移動して作業を進めます。御遺骨の上に大小の岩が積み重なっているという事が、砲爆撃の威力を物語っていますね。
20日に紹介した写真ですが、比較するためにもう一度掲載しました。骨片が数点見えますが、すべて足の骨です。周囲の岩とほぼ同じ色になっているのが観察できます。
岩をどけていくとご遺骨が出てきましたよ。骨盤・肋骨・脊柱・仙骨などの骨が見えますね。露出していた骨は灰色がかり、岩の下にあったのはアメ色をしてるのがはっきりと解りますね。
最終的に収集されたご遺骨の様子です。残念ながら頭骨は発見されませんでしたが、右下に見えるのが発見された喉仏です。 (^o^)
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m
私は最後までこの現場に留まることは出来ず、皆さんをこの発見現場までご案内したら、本部に戻らなければならなかったので、ご遺骨が発見されだしたのを見届けましたら、この現場を離れました。
ですから、収集の様子は完全には把握できていないのですが、ベテランさんの話では大きな岩を皆で協力してどけると、次から次へと細かいお骨が出てきたという話です。
「大きな岩を皆で協力してどけた」などという話を聞きますと、第一に思い浮かべるのは戦没者の亡くなったときの情景ですよね。
巨岩がぶっ飛んできたので下敷きとなり亡くなったのか…。あるいは何らかの理由で亡くなった以降も、激しい空爆が続き次から次へと巨岩が死体の上に降りかかったのか…。
お清め作業の様子
本部テントに戻ってまいりました。林先生に他班の状況や今後の行動の指示を仰ぎましたら、私は沖縄の方々で編成している4班の状況を確認すべく、「平和の礎」の直下で作業している現場に行くこととなりました。
さすがに私も疲れたので、お茶を飲みながら、お清め作業をしている方々のいるテントを訪ねてみますと、まだ午前中だというのに、たくさんのご遺骨がテーブル上に並べられ、皆さんが手にブラシを持ち忙しそうにお清め作業をしていました。
私は機動班となってからは、毎年本部テントに出たり入ったりしていますので、「なぜこんなにたくさんのご遺骨があるのか」を理解しているのですが、まだ朝のうちといってよい時間帯からたくさんのご遺骨が並べられているのは、次のような理由からなのです。
沖縄での遺骨収集作業は、金光教だけでなく複数の団体が現在も精力的に続けておられます。
また通常の遺骨収集奉仕活動以外にも、工事現場で掘削作業をしたら遺骨が発見されたとか、或いは個人で遺骨収集奉仕活動をやられたり、民間の方がご自宅の敷地内や畑から見つけたご遺骨などもあります。
これら各種の団体が収骨したご遺骨は、全体では結構なボリュームになるそうですよ。それらの収集されたご遺骨は、一年に一度ですが焼却され国立戦没者墓園に安置されるという流れとなっているようです。金光教が発見し収集したご遺骨も、当然その中に含まれる訳ですよね。
那覇教会の林先生は、諸団体が収集し集められ、一年に一度焼却されるそのご遺骨が、土にまみれた未清掃のまま火葬場に行く事に心を痛め、「未清掃のご遺骨を金光教で清掃させて頂けませんでしょうか」、と県当局にお伺いを立て交渉しましたら、最終的に了解を得られたそうで、金光教が他団体が収集したご遺骨のお清め作業をさせて頂く事となった。という経緯があったのです。
当然のことながら、金光教が収骨したご遺骨ではなく、一時的にせよ他団体が収骨したものを預かるわけですから、清掃作業をする際には相当神経を使って、収骨された表示単位で作業を進め、決して袋単位のご遺骨が混ざり合ってしまうことがないように、慎重に作業を進めると林先生は語っていました。
林先生は「ありがたいことです」という言葉で表現していますが、私から見てもこれらの経緯を聞いて、本当に良かったと思いますよね。
一番喜んでおられるのは、それはご遺骨に住まう御霊様だと思いますが、この慣例がいつまでも続くことを願ってやみません。
金光教のお清め作業風景です。朝のうちだというのに皆さん忙しそうに作業を続けています。たくさんのご遺骨がテーブル上に並べられています。これらは他団体が収集したご遺骨なのですが、金光教のお清め班の方々がご遺骨の清掃にあたる事となり、一生懸命作業しているという訳ですね。
テーブル上には昨年亡くなられた金光教福岡教会教会長吉木昭弘先生のご遺影がありました。吉木先生はかつて座っていた場所で、今年もきっと皆さんと共にお清め作業をしているに違いありません。
「NPO法人戦没者を慰霊し平和を守る会」 様の収骨袋の様子です。収骨袋があるなんて凄いですよね。佐賀県を活動拠点とするこの団体は、毎年驚くほどご遺骨を収集する事で知られています。
〔4班〕「平和の礎」下の海岸線付近で探索
「平和の礎」西端付近をよく観察すると、登山道のような1本の道が崖下に向け出来ているのが解ります。
この道は戦前からあったという話です。といいますのも、この道を降りきって海岸線を少し東側に進むと、「ワシチガー」という湧き水が出る場所に至るのです。
この湧き水は古くから住民の貴重な飲み水となっており、地元では大切にしてきたとされています。
当然のことながら沖縄戦当時も、掃討戦で逃げ惑う避難民の方々にとっても、とても貴重な飲用水でした。米軍は「水場を押さえろ」とばかり、この水場に殺到する避難民に対し、米軍の駆逐艦が海上に待機し水場に照準を合わせ、いつも海から機銃掃射を浴びせるので、幾重にも死体が重なっていたと言われています。
そんな地獄絵図を見るような悲劇のあった場所ですが、湧き水の場所に立ってみても、往時の面影は少しも残っていません。今は静かに、わずかな湧き水が、何事もなかったかのように静かに流れ出ているだけです。
登山道のような道を下に降りていきますと、居ましたよ1班の方々が。
あちこちに散らばって、皆さんがクマデを動かしながら遺骨の探索をしていました。場所によってはかなり大量の土石を移動した形跡があったりして、奮闘中だというのが手に取るように見えます。
散って作業している皆さんに声をかけさせて頂きながら、様子をうかがったりしていましたが、しばらくすると「お昼にしましょうか」という声がしたので、皆さんと一緒にお昼ご飯を食べました。
4班の皆さんの作業現場の様子
因藤さんが「これは馬の骨だよ」といって見せてくれました。人骨との大きな違いは、骨に穴が開いているという点と、やはり骨が大きいという点でしょうか。
昼食後に皆さんで写真に収まって頂きました。新聞社の方も個人的に参加していますし、何よりベテランさんばかりですね。
昼食後に皆さんで写真に収まって頂きました。
男性は全員アメリカグループの皆さんです。中央の男性がロンさんといって、アメリカグループのリーダー格の人です。彼は沖縄遺骨収集に25年以上取り組んでいます。
〔2・3班〕資料館東側700メートルぐらいの海岸線に移動
沖縄県から参加のメンバーを中心とする4班の方々から、現況の様子をお聞きし、またお昼ご飯を食べてから、一度本部に戻り1班の方々の活動状況を林先生に報告した後、資料館から東側へおよそ700メートルぐらい東側に進むと、崖上から下の海岸線に降りる、険しいけれど唯一と思われるルートがあるのです。
地図上でははっきりと階段が描かれているのですが、以前に事前調査してこの階段のある場所を特定しようと大勢で探したことがあるのですが、いまだ発見に至っていません。
今朝からこちらに来ている2・3班の方々が、地図上の階段を捜し当てられない場合は、かなり険しい崖を上り下りしなければならず、「やっかいなことになりそうだ」という状況にありました。
この地点の資料館からの距離は、おそらく700メートルぐらいではないかと思われます。
2・3班の方々が降りていくという崖は、私でも少しためらいが出てしまいそうなところですから、女性や年配の参加者はどうされるのかなと心配しながら現地に向かいましたが…。やはりプロフェッショナル集団ですよね、参加者を危険な目に遭わせるような事はしませんよ~。
私が到着した時点ですでに立派な「道」が作られていました。すでに昔からこの道はあったのではないかと思わせるような、巧妙なルートで下に降りていけるようです。おまけに上り下りが楽なようにロープまでしっかりと張られていました。
崖の上にちょうどベテランさんお二方が居たので声をかけさせてもらいましたら、この崖下ですでにご遺骨が発見されたそうです。すでに作業は終了しているそうですが、崖下のすぐ横で見つかっとかで、皆さん驚いたと語っていました。
「ここから降りるのは大変だったでしょう」と話を振りますと、「女性や年配者にはちょっと無理があるので、皆で手分けして別ルートを探してみたら、あったあった、すごく降りやすいルートが造られた」と説明してくれました。
私も以前にもっと楽に降りられるルートはないものかと探した経緯がありますが、その時は無いと判断して諦めた経緯があります。やはり安全なルートを探そうという皆さんの熱意が、このような今後長く使える新ルートの"発見"につながったようですよ。
新ルート発見に努力された皆さんに感謝感謝ですね。
この地域も相変わらず不法投棄ゴミがたくさん散乱していますね。この付近はあまりにも不法投棄が多いので、車が出入りできないように車道を閉鎖してしまった地域です。
何も語る必要がないほどのベテランさんのお二人ですね。ロープが張られているのが見えます。当初急斜面のこの場から降りる予定でしたが不要となりました。
素晴らしい "新ルート" がロープ付きで完成していましたよ。ロープに握り玉を作る! 芸が細かいではないですか~~。この程度の勾配ならば、女性や年配の参加者でも安心して下っていけますね。
無事に楽チンで崖の下まで到達しましたよ。摩文仁之丘方面を見ています。海岸は現在引き潮状態にありますね。
"新ルート"をロープ伝いに降りてみますと、これがまた本当に嘘みたいに軽々降りることが出来ました。
このルートを新しい歩道として申請し、地図に記載してもらおっと。(笑)
無事に下に降りますと、今度は横に進むわけですが、この横のルートはコンクリート製で歩道や階段が造られています。崖下から横に100メートル近く歩道や階段を使って緩やかに下っていきますと、これまたコンクリート製で出来た立派な湧水の排出口が設置されていました。
私たちが当初降りようとした崖の部分には、昔の地図では階段があったのです。戦後しばらくは、その階段を使って湧水地点とを行き来していたらしいのです。
地図にもはっきりと記載されていたその階段については、この付近でモリを使って魚を獲っていた地元の方の話によりますと、その階段を使って下に降りて首つり自殺する人が増えた時期があり、その対策として階段は壊され撤去されたと話していました。
すごい話ですが、その話が事実だとすると、地図上には階段が表示されているのに、どこを探したって階段は発見できないわけですよね~。
この場所の湧水量は、午前中に訪ねたワシチガーの井戸に比べて、川と言って良いほどの真水が海に注がれています。
沖縄戦当時はこのようなコンクリート製の構築物は無かったと思われますが、当時からこれほどの湧き水が流れていたとすれば、相当の数の避難民や兵隊さんの生命を救ったと考えられますね。
湧水地点から先はコンクリート製歩道等はありません。ただ戦後道として利用したと思われる痕跡はたくさん残っていますし、微かですが道だと解るような構築物があちこちに見受けられます。
しばらくジャングルを歩いて進みますと、いらっしゃいましたよ。2班の方々が。しかもすでにご遺骨が発見されていて、皆さんが集中的に取り組んでおられるようです。
これから写真でもご紹介しますが、ご遺骨を探すためにすごいボリュームの土石を移動した形跡があります。本当にお疲れ様です~。
もう皆さん元気元気 !!。お互いに声を掛け合ったり、複数人で力を合わせて巨石を移動していたり、ガラガラゴロゴロ音がして、これは遺骨収集というよりは "祭り" ですね。(笑)
皆さんの気持ちはよ~~く解りますよ。ご遺骨を発見した時こそ「元気100倍」となる訳ですからね。
ご遺骨が発見されていているので、「本部に伝えてほい」という事になりまして、皆さんの活動する様子を何枚か写真に納めた後、現場を離れて本部に向かいました。
末永さんが頑張って作業していました。それにしてもすごい場所で作業していますね~。この赤い上着だと遭難してもすぐに発見してもらえそうですね。
お名前はお聞きできませんでしたが、福岡教会?初参加の方ですよね。頑張ってくださいませ。
遺骨収集だかお祭りだかよく解らないほど賑やかなグループ。おなじみの2班の皆さんですよ。今年もバッチリご遺骨を発見してくれました。見事な探索能力だと思います。
ご遺骨発見現場の様子
長い鉄パイプや木材が見えますね。ここは戦後一時期パイプ等に沿って道があったところです。巨岩の下からご遺骨が発見されています。この巨岩の下に潜って爆撃を避けていたのでしょうか…。
ご覧のように大量の岩石を上に運び上げました。この様な大きな岩がたくさんご遺骨の上にあるのは、死後何度も爆撃が繰り返された可能性があります。
戦後敷設されたと思われる鉄パイプや木材です。ここにも大きな岩がたくさん運び上げられていますね。
健太郎くんが根を切断し空間を広げようとしています。健太郎くんは昨年のドロンコ作業で、「もうこりごり」とはならず、今年も参加してくれましたよ。それにしても、たった1年でずいぶんと大人の雰囲気が出てきましたね。
作業している女性が「立派な歯ですよ」と見せてくれました。確かに大きいですよね~。背後の白布の上には、収骨されたご遺骨が並べられています
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げますm(_ _)m。
手榴弾が発見されました。ご遺骨のそばにあったそうですよ。大きな立派な歯と共に考察するに、日本軍将兵のご遺骨の可能性がありますね。
「のど仏」が発見されたと見せてくれました。お釈迦様が座禅を組んでる姿に似ているとして「のど仏」呼びます。第二頚椎で男女共にある骨です。
本部へ戻るために、新しく出来たルートを登っていきましたが、ロープがしっかりと張られているので楽ちんでしたね。登りについても女性や子供でも、全く問題なく順調に上がっていけそうですよ。本当に素晴らしいルートが開拓されたものです。おそらくこの新ルートは、これから何年も大活躍してくれるルートとなるに違いありませんね。
本部に到着し、林先生へ第2班のご遺骨発見の情報と、収骨状況を報告しました。お聞きしますと、他の班でもご遺骨が発見されていているようです。嬉しいですよね。
さすがにお腹がすいたので、接待の方々が準備されているお菓子やお茶を頂くことにしました。毎年の事ながら、並べられているサーターアンダギーやその他の甘いお菓子、そしてお茶、そしておしぼりが常に準備されている訳ですが、これがまた美味しいんですよね~。
ハイキングなどに行ったときに、ちょっと小腹が空いたときに食べるお菓子の感覚ですよ。本当に美味しいし、なぜかすぐにエネルギーに変わったように、再び元気が出てまいります。
「班員が滑落したという第一報が…」
本部での用事を済ませ、2班が収骨作業をされてい現場に戻ろうかなと準備している時、班員の一人が本部テントに駆け込んでまいりました。
「男性が一人崖から落ちてしまいました。生死はまだ確認できません」 という第一報を、現場から走って通報に来たのです。
本部テント前は、帰着した班もあり、あちこち談笑の場が出来ていましたが、その驚がくの通報に、場は一瞬のうちに凍り付きました。
私もあまりの事態に言葉を失いました。うっかり時刻を確認するのを忘れてしまいましたが、おそらく4時前の出来事だったと思われます。
緊急事態を知らせに来てくれた班員の方は、資料館東側700メートルぐらい先の海岸線探索地域から、ここ本部テントまで車を使わず走ってやって来たようです。呼吸の荒さが尋常でなく、一分一秒を争う緊急事態だという思いが、その荒れた呼吸ですぐ理解できました。
林先生は速やかに「救急車の手配と、病院への受け入れ要請の連絡」をするように指示を出しました。
金光教の遺骨収集奉仕活動で救急車の出動を要請するのは、もしかしたら今回が初めてかもしれません。
もちろん、怪我や捻挫等で参加者が車で病院に向かったというケースは何度かあります。しかしながら、長年にわたって重大事故に縁がない状況で、奉仕活動は継続され続けていたのです。
林先生は金光教の遺骨収集奉仕活動を主催するに際し、作業実施日の一週間ほど前に、警察署や消防署、そして糸満市真栄里にある「南部病院」に、 「遺骨収集奉仕活動を実施します。ついては事故等が発生しましたら、緊急対応をお願いします」 という趣旨の挨拶回りをするのが習慣となっているのです。
それが正に今、緊急事態として有意に活用されようとしているのです。
「まずは状況の確認」という事で、私が行ってきますと林先生に語り、事故現場に向け班員の方と一緒に走り始めました。
今朝完成した「新ルート」を転がるように駆け下り、下のコンクリート製で出来た歩道と階段を走り50メートルほど進むと、事故現場が見えてきました。
数人の同じ班員の人たちが、介抱していくれているのが見えました。状況を聞きますと、「意識はあり、生命に別状無し」という事のようです。
最悪の事態も覚悟して現場に駆けつけた訳ですが、命に別状がないという結果を聞いて、涙が出るぐらい嬉しかったです。「この情報を林先生に伝えねば」と、速やかに現場を離れ、今来た道を一目散で走り出しました。
崖の下では携帯電波を発信できないので、再び崖を駆け上がり、登り切ったらすぐに携帯電話を取り出し、林先生に連絡を入れました。
林先生も「生命に別状無し」という報に心から安堵したようです。すでに消防署には連絡済みなので、まもなく救急車がやってくるので、現地で誘導してほしいとの事でしたから、次第に集まってくる参加者の方々と共に、崖上で救急車を待つ事にしました。
しばらく待つとサイレンの音がして、消防車二台と救急車一台がやって来ました。
救急隊員の持つ装備を私たちも手分けして持ち、救急隊を誘導しながら崖下に降りていきました。
事故現場に到着し救急隊の隊員の方が、どの程度の損傷なのか色々と質問を始めました。複数の質問に全く正常に答えていましたから、脳や首にダメージを受けていないという事が判明しました。
隊員の話によりますと、脳や首に損傷を受けた場合、担架でジャングルを動かしていくと、その段階でかなりのダメージを与えてしまうのだそうです。結果的にそのようなケースの場合、安全に搬出するにはヘリコプターを使わないとまず無理だそうですよ
幸いに担架で運び上げるのに問題ないという事となり、私たちも手伝って担架で崖上まで搬出する準備に取りかかりました。
担架に怪我人をしっかりと括り付け、歩道と階段を声を掛け合いながら進み、困難な崖の部分についても、誰も転落するなどの事故がなく担架を崖上まで運び上げるのに成功しました。
滑落事故発生現場の様子
生命に別状無く本当に良かったですね。脳や首は損傷しておらず、担架でここから崖上まで運び上げることになり、担架に結束しているところです。
【写真提供 河手さん】。
かなりの時間を要しましたが、無事に崖上まで担架を担ぎ上げることに成功しました。消防救急隊の皆様、救急車の皆様、本当に本当に、ありがとうございました。m(_ _)m
【写真提供 河手さん】。
班員の方々の説明で、ある程度の事故発生時の様子が解ってまいりました。作業終了の合図があり、皆さんが作業撤収するために、探索場所から集合場所のコンクリート製の歩道部分に徐々に集まろうという段階で、滑落事故が発生したようです。
滑落事故を起こした方を含めた数人は、コンクリート製の歩道部分よりも数メートル崖上で作業しており、順次並んでその場所から下っていく段階で、一番最後に降り始めた方が滑落してしまったようです。
この「思いもよらない滑落」は、誰にも起こりうるものです。長年沖縄遺骨収集奉仕活動を続けている方なら誰でも、事故が起こる起こらないは、経験の度合いではなく運次第だという事をよく知っているはずです。
滑落した方はとても長く参加し続けているベテランさんですから、ジャングル内に住まう "悪魔" の存在を十分に承知しているはず。事故を回避するためのノウハウは誰よりも体験的に得ていたはずですが、足を置いた場所に罠が仕掛けられていたという訳ですね。
「置いた足が偶然に浮き石で滑ってしまった」 などというアクシデントは、誰もが経験済みの事と思います。
私だって誰にも負けないほど(^_^;)、これでもかというくらい転倒した経験がありますから、私が真っ先に手を挙げねばなりません。
私のケースで最悪だったのは、枯れた倒木に足を乗せたが故に、足を踏み外して転倒しましたが、その際に右手首をひどく強打し、帰ってからも三ヶ月ほど痛みが引かなくて難儀したというのが一番ひどい例でした。
帰ってから仕事が忙しくて病院こそ行きませんでしたが、もしかしたら腕の骨にヒビが入っていたのかもしれませんよ。
今度のケースでは、"極めて運が悪く" 滑落してしまうほどの空間が待ち構えていたわけですが、おそらく誰であっても避けられないケースであったと考えられます。
ただひとつ間違いなく断言できるのは、誠に幸いに更なる重大事故に至らなかった理由として、「ヘルメットが頭部の損傷を防ぎ、リュックサックが脊椎の損傷を防いだ可能性がある」 という点です。
この度の滑落事故で得られた教訓は、正にこの点にあるのではないでしょうか。
結論として言えるのは、
1,遺骨収集では、ベテラン初心者問わず、常に滑落等のリスクが潜在する。
2,ジャングル内では、ヘルメットとリュックサックを常に着用し続ける。
このふたつをもう一度しっかり頭に刻み、身を引き締めてジャングルに入るようにしましょう。
ジャングル内での「足を踏み外す」というアクシデントは、不可避の出来事のように思えます。
であるならば、「転倒したり滑落した際に、体幹の致命傷を負いやすい部分について、出来る限りダメージを抑えるような装備を身につける」 必要があります。
ともすると暑いとか、荷が重いとかの理由で、ヘルメットを被らずに作業したり、或いはあごひもを掛けずにヘルメットを被ったり、リュックを置いて楽チンな姿で作業したりしています。私もその一人ですが… (^_^;)。
明日からは、移動時や作業時は必ずヘルメットを被り、リュックを背負い続けて行動する事にしましょう。事故から学んだ教訓を活かす事が、次なる事故を減らす方策につながるのですから。