平成19年(2007年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月17日(土) 第34回金光教沖縄遺骨収集奉仕参加

金光教遺骨収集奉仕の初日を迎えましたね。私にとりましても、毎年の恒例行事となっていますが、こうして無事に摩文仁の地に立てたことを素直に喜びたいですね。

本日17日(土曜日)と明日18日(日曜日)の二日間、参加者全員が力を合わせて遺骨収集奉仕&お清め作業に取り組む事となりますね。

今日一日雨の心配は無さそうなので、天候の面でも安心して作業に取り組めそうですよ。

林先生にお聞きしましたところ、今年も教外者も含めて数名の初参加者がいらっしゃるという話です。

嬉しいですよね。そうして多くの方々に遺骨収集奉仕というものを体験して頂く…。戦後60余年経過したとはいえ、ここ沖縄のジャングルに入りますと、まだまだ “沖縄戦の残像” は残っていますのでね。

本を読むよりもはるかにリアルな疑似戦争体験をする事が出来ますよ。

御遺骨そのものは年月の経過と共に、発見する機会も激減していますが、発見率ゼロになった訳でもないし、そうしたなかでも特に若い方々には、少なくとも戦争の傷跡がわずかでも残っている間に、戦争の事後と戦争の真実とをご自身の目にしっかりと焼き付けてほしいと願っています。

「ジャングルに分け入り、日本軍将兵や沖縄県民のたどった足跡を探る……」これほど平和学習として最適な実地体験は無いと確信していますよ。

金光教遺骨収集奉仕団のメンバーは、ベテランの方々が多いですから、初参加の方も含め経験の浅い方々も、ぜひベテランさんにあれこれと質問して作業を進めたりすると、更に遺骨収集体験の意義を補強してくれる事につながるでしょう。

さあ、今日と明日の二日間気合いを入れて頑張るぞ。

遺骨収集奉仕初日も毎年同じように、那覇教会の林先生主導による朝の御祈念から始まりました。

そして各自にはすでに参加者名簿と、遺骨収集地域の地図とが配られていますので、それらの資料を基に必要事項や注意事項の説明がされていきます。

例年のように一定の地域ごとに班として分けられますが、今回は5班に分かれて収集活動を展開することになりました。

朝の御祈念とミーティング

遺骨収集の様子1

。まず最初に摩文仁岳山頂に向かって、朝の御祈念をおこないました。背後の白い建物が??????慰霊奉賛会事務所です。

遺骨収集の様子2

金光教那覇教会の林先生のご挨拶の様子です。全国津々浦々から70余名の参加があり、林先生が陣頭指揮を執ることになります。

遺骨収集の様子3

遺骨収集に関わる諸注意を話して下さっています。参加者の皆さんも真剣なまなざしで聞き入っていましたね。

私達は1班に属していますが、他の班とで摩文仁之丘の崖下に降りて、その周辺部及び放置ゴミの部分もゴミをかき分けて、遺骨の有無を確認したり、放置ゴミの搬出に関する情報収集や、対応策を検討しましょうという話になりました。

まず放置ゴミがある場所まで前進し、そこから分散して遺骨収集をする事になったので、まず放置ゴミの所までは私が案内する事になりました。

すべての打ち合わせが終了しますと、参加者は車や徒歩などで、それぞれの担当区域に散っていきました。

私達も徒歩で5分ほど移動し、摩文仁之丘の崖下に降りる口の所に一旦集合しまして、そしてここで改めて朝の御祈念をして、御霊様の安泰と参加者の無事を祈りました。

今から歩くルートは、すでに私は体験しているので、そのルートの困難さは身にしみて知っています。この区域担当のメンバーには、小さな子供さんも居るしお年寄りの方々も複数参加されていますので「決して無理をなさらずに、慌てず自分のペースで歩いて下さい」と伝えました。

そして私を先頭に、崖の途中に降りてから横への移動を開始しました。最初から激しいアップダウンとなり、草木が茂っており足元もよく見えないことから、私はゆっくりゆっくりと歩みを進めました。

後ろからは「ワー」とか「キャー」とかよく聞こえてきました。でも笑い声も多く聞こえ、皆さん楽しそうに前進していったのが印象的でしたね。

距離にしておよそ400メートルですからね。それほど遠いわけではないので、途中休憩もまじえて慎重に歩みを進めました。

途中に風葬の場所もあったり、爆撃で黒こげとなった岩陰などもあるので、そうした所は少し解説などを入れながら前進しました。まだ遺骨収集そのものはしないで進んでいますので、まずまずのペースで歩くことが出来ました。

1時間30分以上歩き、放置ゴミの近くにやってきているので、少し長めの小休止をして英気を養いました。

遺骨収集の様子4

岩の間を這うように前進していきます。手も使って慎重に歩きましょう。

遺骨収集の様子5

見ただけでも歩きにくいことが御理解頂けますよね。足元の確保が大変でした。

遺骨収集の様子6

見通しのきく場所に出ましたが、足元がゴツゴツしているので要注意です。

遺骨収集の様子7

目的地が近くなりましたし、座るのに都合の良い岩場があったのでここで休憩しました。ここまで約1時間30分移動してきました。でも皆さん元気でした。

そして再び前進して間もなく、目的地である放置ゴミがある場所に、全員無事に到達しました。

このポトスの下に放置ゴミがある事を皆さんに伝えました。各自それぞれにクマデでかき分けたりして見て、実際にゴミが大量にある事に驚いていましたね。

ここを基点として、周辺部の遺骨収集をするグループは、ここから別れていきました。

私達1班は、この放置ゴミの周縁部をゴミを掻き分けながら探索する事になっていますので、班長さんの指示の元さっそく作業を開始することにしました。

まず最初は、繁茂している「ポトス」の蔓を切り、開口部を作ることから始めました。

ポトスを除けることにより、放置ゴミが次第に見えてきましたが、その膨大な量にビックリといったところです。

半端な量ではないですね。これらのゴミは全て崖の上から落とされたものと思われます。一番多いのは、弁当のプラスチック容器です。それに、建設廃材もかなり含まれていることが解りました。

現在の摩文仁之丘の公園部分の周縁部および崖の上は樹林帯となっていますが、沖縄戦当時に近づくほど、摩文仁一帯は岩石が剥き出た白い石灰岩の岩山だったと思われます。

「黎明の塔」付近の終戦後の写真を見たことがありますが、木や草がまったく見あたらないほど激しく爆撃を受け、ガラガラの岩山が映し出されていました。

ですから、現在は崖の上からゴミを投げ落とすことなどまず出来ませんが、昔は崖下にゴミを落としやすかったのではないかと推察されます。

だからといってゴミを安易に捨てて良いという訳ではありませんが、一時期ゴミを捨てるのが当たり前になっていた時があったのではないでしょうか。

捨てた年代を特定するようなものは少なかったのですが、コカコーラの缶には少なくともハッキリと「モスクワオリンピック記念…」という文字が書き込まれていました。

このモスクワオリンピックとは、第22回モスクワオリンピックの事で、1980年7月19日に開催されましたよね。もちろん、日本は米国のカーター大統領が打ち出したボイコット呼びかけに賛同して参加はしませんでしたが…。

モスクワオリンピックは今から27年前の出来事なのですね。歳月の流れの早さを感じます。私も年を重ねたわけです。

ですから、この目の前にある膨大な放置ゴミも27年前前後に捨てられたものと思われます。

他の場所にもたくさんの放置ゴミがありますので、そうしたところも順次確認作業を進めていかなければならないと感じました。

放置ゴミの様子

遺骨収集の様子8

放置ゴミのある場所に到達しましたよ。ここで周辺部へと探索に行くグループ。ゴミと格闘するグループに別れていきました。

遺骨収集の様子9

ポトスの茎を除けていくとご覧のようにゴミが露出してきました。

遺骨収集の様子10

ゴミを除けてからその下に御遺骨が無いか探索を続けます。

遺骨収集の様子11

ご覧のようにゴミはかなりのボリュームがあります。ポトスで覆われた部分はすべてこの様にゴミが堆積しているのです。

遺骨収集の様子12

ゴミを移動させながら、その下の部分に御遺骨がないか探していきます。

ポトスの茎を除けてゴミを露出させ、そのゴミを移動しながらその下に御遺骨が無いか確認していく作業をずっと進めて参りました。

特に裾の部分を重点的チェックしましたが、御遺骨は発見できませんでした。

いずれにしても、目の前に露出した膨大な放置ゴミは、いかなる方法になるにしても、搬出して祈念公園外で処分しなければなりません。

ここ摩文仁之丘は、私達児孫を守るために命を賭けて戦ってくれた日本軍将兵や沖縄県民の戦没者が、今は静かに身を休めている霊地なのです。

幾千の悲しくも散っていった戦没者の住まう霊地に、生活ゴミが投げ捨てられる…。命を賭して戦ってくれた戦没者に対し、これほど尊厳を踏みにじる行為はありません。

放置ゴミ部分の観察と探索に取り組み、おおよそのボリュームと状況が解りましたので、一区切りつけた事として、これからは周辺部へと遺骨収集に出発する事となりました。

私達が居る場所は、崖の上からみると国立戦没者墓苑の東端あたりに位置しているはずです。

途中で昼食をはさみ、東側から西側までグルッと廻るように進んでいこうという話になりました。

ここは摩文仁岳山頂付近にある日本軍司令部壕に近かったこともあり、兵隊さんがたくさんこの周辺部に潜んでいたと思われます。

実際に日本軍の遺留品も数多く見かけましたし、なによりも複雑な地形をしていますし、壕なども大小さなざまの大きさのものがあちこちありましたので、爆風から身を守るには都合の良い所だったと推測できますね。

それにしても、岩場のアップダウンの激しさには驚きましたね~。参加者には多少お腹の出た方もいらっしゃるので。

ともあれ、皆さん転倒事故などを起こさないように、慎重に作業を進めていきましたね。

1班には初参加の方が2名いらっしゃいましたが、不思議なものでジャングルに入れば、ベテランと変わらないぐらいテキパキと対応していました。

遺骨収集の様子13

日本軍将兵が持っていたと思われる手榴弾です。

遺骨収集の様子14

こちらは米軍の手榴弾ではないかと語る人が居ました。私も初めて見る形状です。

遺骨収集の様子15

アルミ製の水筒です。昭和16年製造といった意味の表示が見えますね。

遺骨収集の様子16

何故か岩陰に小銃の弾がたくさん並べられていました…。

遺骨収集作業は、普段体を余り使ってない人にとっては特にそうなのですが、本当に体力を使う作業なのだと感じますよね。

おまけに体力を使うだけでなく、集中力を持って取り組まないと遺留品さえ見つけるのが難しい状況なので、1日遺骨収集を続けると体力も知力も使い果たしてしまったというような脱力感に襲われます。

ですから、夕方にはヘロヘロになったという事態を避けるために、お昼ご飯はもちろんしっかりと食べ、それ以外の時間帯でも飴をなめたり御菓子を食べたり、もちろん水分も適時しっかりと飲んだりと…。

こまめな栄養と水分補給が、元気に遺骨収集を続ける秘訣となりますね。

その大切な昼食を食べる時刻となったので、比較的平坦な場所に移動して昼食を食べることにしました。

遠足などに出かけた時に食べるお昼ご飯…。
それと同じように、皆さんと語りながら食べるご飯は本当に美味しかったですね。

お昼ご飯ですよ(^o^)

遺骨収集の様子17

Oさんです。沖縄遺骨収集運営委員会時代は精力的に頑張っていましたよね。長い間ほんとうにお疲れ様でした~。

遺骨収集の様子18

ロン・Mさんです。お父さんと共に20年以上も沖縄遺骨収集奉仕を続けているんです。

遺骨収集の様子19

初参加のお二人です。左からKさん、Tさんです。会社の同僚だそうです。インターネットで金光教沖縄遺骨収集奉仕を知ったそうです。時代の変化を感じますね。

遺骨収集の様子20

Hさんです。沖縄遺骨収集運営委員会時代は主力となって取り組んでいましたね。長い間ほんとうにお疲れ様でした~。

遺骨収集の様子21

Yさんです。参加回数も多く、黙々と作業に取り組むベテランさんです。

遺骨収集の様子22

Sさんです。東京は月島教会から、三回目の参加でしたか?頑張っていました。

遺骨収集の様子23

お坊さんのKさんです。大ベテランさんですよね。奥様と共に参加されました。

午後の作業を開始

美味しいお昼ご飯を食べ、食休みも十分にとりましたので、引き続きこの地域の遺骨収集を続けます。

どちらかというと海岸線に近いところを横に進もうという話になりまして、一列縦隊になるような配列で探索を開始しました。

相変わらず起伏は激しく、巨岩がゴロゴロと横たわっており前進を阻みます。

大小の壕も無数にありますので、それらも丹念に入り込み探索します。

壕の中に一人で入る場合は、あまり深入りしないようにし(事故が発生した場合叫ぶ声が外に聞こえる範囲内いう意味です)、深く入らなければならない場合は、周囲に居る誰かに「壕に入るのでよろしく!」と一声かけて入るようにします。

もちろん、出てきたら先ほど声をかけた人に「無事に出ましたよ」と伝える必要があります。

あるいは、一人で入らずに複数人で一緒の壕内に入れば、より安全性は高まりますよね。

壕の探索は、このように声をかけ合いながらを進めていくのが理想的です。

遺骨収集の様子24

さあ午後の作業に出発です。事故の無いように注意して頑張りましょう。

遺骨収集の様子25

それにしても、すごい岩場ですよね。ロッククライミングのようです。

遺骨収集の様子26

巨岩が横たわっています。こうした底部も丹念に探索していきます。

遺骨収集の様子27

奥が深そうな壕の口がポッカリと開いていましたよ。壕内に降りている何本もの棒のようなものは、木の幹ではなく根なんですよね。

遺骨収集の様子28

かなり奥の深い壕であることが解りました。奥へ奥へと入っていきました。

遺骨収集の様子29

初参加のTさんらも積極的に壕内に入っていきました。

遺骨収集の様子30

この壕はすでに遺骨収集されたようです。軍靴など集められた遺留品です。この壕内で何人かの日本軍将兵が亡くなったのですね。

遺骨収集の様子31

小山を越えないと前進できそうにないので、切り立った部分を登っていきます。

遺骨収集の様子32

木や蔓につかまって登るときは、枯れ木などにつかまらないように注意する必要があります。

遺骨収集の様子33

文字通り山を越え谷を越えですよね。途中休憩を挟み前進を続けました。

遺骨収集の様子34

艦砲の不発砲弾です。二個並んでいるのは珍しいですよね。

作業を終え撤収します。時刻も3時を経過しましたし、放置ゴミ部まで来るのに1時間以上もの時間を要したことから、そろそろ撤収しようという話になりました。

考えることは一緒。他の班もこの拠点に再集合してきたことから、一緒に帰る事になりました。

皆さんがケガや事故もなく、無事なようですよ(^o^)。私達も含めて御遺骨は発見できなかったようですが、無事故が第一。これがなによりも嬉しいですよね。

遺骨収集の様子35

今朝来た道を、再び集団で帰っていきます。

遺骨収集の様子36

帰りは来たときほど時間を要しませんでしたが、それでも1時間近く必要でしたね。

お疲れ様でした(^o^)

無事に設営テントまで戻って来ますと、温かいおしぼりと美味しいサーターアンダギーや黒糖が待っていてくれます。

地元の方々が準備して待っていてくれるんですよね。本当に有り難いことです。

おしぼりで顔や手などの汚れを落とし、御菓子を頬張りながら、今日一日の様子を皆で語り合う…。

しばしそのような光景があちこちで展開されます。

一方お清め班の方々は、この時間も結構忙しく御遺骨をお清めする事になります。

もちろんお清め班の方々は、御遺骨があまり発見されなければ、仕事もあまり無いという事になりますが、少ない御遺骨であっても、夕方作業場に到着するというケースも多いので、お清め場は午後から夕方が賑わうときでもあります。

今年も御遺骨の発見があったようですよ(^o^)。それは自分たちの班でなかったとしても、とても嬉しい話ですよね。

しかも完全に独立した一体と思われる御遺骨が、二体発見されたようです。

遺骨収集の様子37

作業を終えて帰ってくると、おしぼりと美味しい御菓子が待っています。美味しい御菓子を食べると、ヘロヘロに疲れた体も、グングンと元気になってきますよね。

遺骨収集の様子38

御遺骨を心を込めて清掃し綺麗にする「お清め班」の作業風景ですよ。沖縄遺骨収集運営委員会時代では多忙を極めた先生方も、今はこうして静かに御遺骨と向き合い、お清め作業に取り組んでいらっしゃいました。

遺骨収集の様子39

左からYさん、Kさん、Iさん、Kさんです。ベテランさん4人のそろい踏みです。収集作業を終え一息ついているところをお邪魔しました。

遺骨収集の様子40

小銃の弾など小物が回収されました。

遺骨収集の様子41

いわゆる「喉仏」が発見されました(^o^)。金光教でも丁重に扱っています。「喉仏」は第二頸椎でして、男性の喉の骨ではないので男女共通にあるという事になります。

遺骨収集の様子42

頭蓋骨も一部あることから、単独の一体と思われる御遺骨です。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子43

こちらも遺骨のボリュームからして、単独一体と思われる御遺骨です。長く山野に放置されていた御遺骨が、このように発見できて本当に良かったですよね。御霊様も笑顔で喜んでいらっしゃると思えてなりません。
御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

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