平成17年(2005年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月19日(金) 第32回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加

今朝は5時10分に起床しました。この時刻は毎日起床している時刻なので早起きという印象はありません。いよいよ今日から待ちに待った遺骨収集が開始されますので、朝から気持ちも心なしか高ぶっていますね。ただ残念なことに外は雨が降っていました。

かつて朝から雨という体験はなかったような気がします。もちろん雨が全く降らなかったという事ではなく、沖縄特有の熱帯性気象条件故かスコールのようにザーと強い雨が降り始めても、しばらくすると雨も止み晴れ間がのぞいてくるという流れが多かったですね。

6時30分レンタカーでホテルを出発しました。私の行動予定は、集合時刻8時30分前よりかなり前に現地に到着し、『ひめゆりの塔』をいろんなアングルから写真撮影をしたいと思っていました。なぜかというと『ひめゆりの塔』は、いつも見学者が大勢いて塔の撮影が思うようにできず、以前から人の写っていない塔などを撮影したいと考えていたのです。

出発時の様子はかなりまとまった雨が降っているので、撮影は無理かなと思いつつも、とりあえず現地に行ってみようと思い、予定通りホテルを出発したわけです。朝食はホテルが準備してくれたサンドイッチとコンビニで買ったおにぎりなどを車中にて食べました。ホテルから『ひめゆりの塔』へは、バイパスを利用すると概ね30分ちょっとで到着しました。それもそのはずです、あまり他の車を見かけませんでした。

『ひめゆりの塔』は、雨に濡れかなり暗いイメージになっていました。カメラ機材も濡れてしまうし、露出もアンダーに振れてしまいそうだったので、撮影は明朝に持ち越しと決めて、遺骨収集の集合場所である摩文仁西端の駐車場へと車を走らせました。

集合時刻よりも1時間早く到着してしまいました。もちろんは誰よりも早く駐車場に到着です。収集道具などの装着の準備をしたりしていると、やはり収集に熱心な方々ばかりのせいか、早めの時間にほとんどの方が集まってきました。

今年の遺骨収集は78名が全国から参集しました。初参加の方も毎年いらっしゃいますが、多くが経験を重ねているベテラン参加者です。一年ぶりの懐かしい顔がほとんどですから、皆さんがスッとひとつの和の中に入ったような気持ちになります。多くの方にご挨拶して再会を喜び合いました。

遺骨収集の道具や機材の準備を皆で進めながら班単位の整列したところで、金光教では朝の御祈念を行います。そして御祈念が終わり、遺骨収集を主催している金光教那覇教会のH先生が、収集地域の説明と諸注意などを聞き終えると、いよいよ収集地域に向けて散っていくことになります。

朝の御祈念とミーティング

遺骨収集の様子1

朝の打ち合わせの最初に摩文仁の丘に向かって御祈念をします。

私の所属する1班は、民間の情報提供に基づく場所で収集する事になりました。場所は、ここから車で10分程度のところのようですので車三台に分乗し出発しました。幹線道路から脇道に入り、少し進んだところで沖縄のお墓『亀甲墓』の脇にある駐車場に車を止めました。駐車場からすぐ近くの畑の横に雑草地がありまして、そこが私たちの目指す場所でした。

所有する畑の一角に縦穴壕があるので、内部を一度チェックしてもらいたいとの話のようです。この地域には自然壕が数多くあるそうです。壕の長さもキロ単位になるものもあり、沖縄戦ではかなり陣地として利用されたようですが、爆撃などで破壊されたり崩壊して出入り口が判らなくなってしまった壕もあるそうですから、生き埋めの兵隊さんや住民も多数居たかもしれませんね。

畑隅の雑草地の一角に、直径1メートルほどの穴が開いていました。安全のために被せてあったフタを撤去し穴の底をのぞき見しますと、6メートルぐらいの深さで一端穴は小さくなっていますが、そこから更にもう一段穴が続いているようにも見えます。

遺骨収集の様子2

山裾に設置される事が多い沖縄独特の亀甲墓です。

遺骨収集の様子3

目指す縦穴壕は草むらの一角にありました 穴の一部が見えています。

遺骨収集の様子4

フタを撤去して壕の中をのぞいた様子です 深さ6メートルぐらいです。

最初の底までは比較的穴も大きく、降りていくための足がかりも何カ所かありそうなので、問題なく降りられそうです。O先生が情報収集の為に、最初に降りていきました。6メートル下の底に降りてからの観察では、そこからもう一段下に穴が続いているとの事です。直径60センチ程度の大きな石が穴を塞いでいるために、その石を退けない限り下に降りる事はできないという状況です。

私もOさんの次に下に降りて、何とかその大きい石を破壊できないか、いろんな方法を試してみましたが、食い込んだ石はびくともしませんでした。

いずれにしても、この石を破壊しないことには下には進めないので、本部からバールを持って来てもらう事にしました。

長さ1メートル以上の太いバールが到着し、私が石めがけてバールを叩きつけ破壊を試みました。しかし、どんなに強く突いても白い粉が少し飛び散る程度で、岩はピクリとも動きませんでした。改めて、鍾乳石の硬さを実感しましたね。見た目はそんなに硬そうでないのですが…。

結局二人で一時間近く、その直径60センチちかい石と格闘したでしょうか。あきらめかけていた頃、ついに光明が見えてきました!。私が岩に向かってバールを何度も何度も突いていると、突然バーンと石が二つに割れたのです。ついに破壊に成功しました。諦めなくて良かった。私たちは更に突きを継続し、石を下に落とすことが出来ました。

穴から見える一段下の広がりは、かなり広い空間となっており、ロープでは下りられないのでハシゴを準備する事にしました。縦穴近くの樹木にしっかりとロープを縛り付け、その先にハシゴをくくりつけてまして、穴の底に到達するための準備が完了したのです。

遺骨収集の様子5

直径60センチの大きな石を除けないと壕の底には到達できません。

遺骨収集の様子6

何とか石を破壊し笑顔がこぼれました。

私が一番最初に穴底に降りていく事になりました。装備を点検し不足のないことを確認すると、ロウソクに火を点灯してハシゴから降り始めました。地上から12メートル前後下降したところで、穴底到達が近い模様です。穴底は暗くて何も見えないので下は見ずに、ロウソクが消えてしまうかどうかだけ気にしながら下降していきました。

何故ロウソクを灯しながら降りるかと言いますと、酸欠の可能性があるからです。酸素が少なければロウソクの灯が消えますので、その時は速やかに退去しなければなりませんね。従って酸欠事故などが起こらないように、穴の中で作業する場合は常にロウソクを灯しておくことになります。

結局15メートルぐらい下降したでしょうか。無事に穴の底に降り立つことが出来ました。穴の上にいる人々に向かって「次の人が降りてきても大丈夫ですよ」と声をかけました。ただ、穴は垂直に切り立っており非常に危険な行為でもありますし、降りたら再び上がって聞かなければならないので(^^;)、誰でも降りてこられるという状況にありません。人選をして降りるようにするようです。

穴底に降りた私は岩の突き出たところに、ロウを垂らしロウソクを固定しました。そして、私は壕内を懐中電灯で照らし、遺骨を探しにかかりました。

遺骨収集の様子7

二段目の縦穴部を降りようとしているロンさんです。

遺骨収集の様子8

ロウソクを灯し酸欠などをチェックしながらの作業です。

かなり広い空間です。斜め下に向かって長く伸びていますね。穴は鍾乳洞のようになっており、大きなつららなどもたくさん垂れ下がっており独特の景観です。私は早くも遺骨を探しながら少しずつ前進していきました。最終的に、穴底に4人降りてきましたので、分散して遺骨を探すことになりました。

遺骨収集の様子9

鍾乳洞と同じですから巨大な"つらら"がたくさん見られます。

遺骨収集の様子10

長さ15メートル程でこの壕は行き止まりである事が判りました。

探し始めて20分ぐらい経過した頃でしょうか、私はついにご遺骨を発見しました。壕内には、明らかに人為的に為された石組みがこしらえてあったので、戦争中に何らかの理由で壕内に人が居住していたと感じていました。

御遺骨は鍾乳洞のかなり狭い空間の部分に見えました。人間が隠れるほどの隙間ではないので、手榴弾などにより自決した際に、体の一部があちこちに飛び散った為に、狭い場所から遺骨が発見されたと考えるのが順当だと思います。細かい骨しかありませんでしたが、かなり散らばった状況で発見されました。4人でかなり時間をかけ探しましたが、遺留品らしきものは見あたりませんでした。1時間以上捜索したでしょうか、更に見つかる可能性もないと判断し、捜索を終了する事にしました。

遺骨収集の様子11

御遺骨を発見しました 爆風に飛ばされたのか狭いところに入り込んでいます。

遺骨収集の様子12

あちこちに四散しており慎重に探して集めました。

降りる時とは逆の手順で、再び一人一人上っていきまして、全員事故もなく地上に戻ることが出来ました。昼食を挟み、ロープなどの作業用具を撤収して、最後には穴の前でミニ慰霊祭を行いました。

ミニ慰霊祭の後、この畑の持ち主である地主と話をする機会がありました。いろんな話が出ましたが、穴の上にしっかりとフタをせずにおいたのは、完全に密封してしまうと、地の神様が地中と天空とを自由に行き来出来なくなるので、地の神様の怒りを買ってしまうという話は興味深かったですね。

地主は、今回の捜索でひとつの区切りがついたので、この縦穴の周囲には安全のためフェンスを設置すると話していました。

遺骨収集の様子13

参加者全員でミニ慰霊祭を執り行いました。

私たちが次に向かったのは、地主の自宅の山裾に壕らしき穴があり、まだ一度も中を覗いて見てないので調査してほしいというので、探すことになりました。基本的に沖縄の現地の方々は、地の神様との関係か積極的に壕に入り遺骨などを探すという事はしないようです。

写真を見ていただくとよく理解していただけますが、庭の一角に壕らしき穴が点在していました。私たちは30分ほど山裾の遺骨が存在する可能性のある場所を捜索しました。このような私有地と山野の境界線付近というのは、意外と穴場的な捜索場所なのです。過去にもこのような場所から多数御遺骨が発見されています。

また、自分の屋敷内や耕作する畑などで発見したご遺骨は、どのように処分してよいか判らないという理由で、畑などに隣接する山裾や草原などに、ご遺骨を集積しておくという事例にも事欠きません。

遺骨収集の様子14

個人の庭の一角にこのような自然壕が多数存在します。咲き誇る花はこぼれ種により増えたインパチェンスと思われます。

今回は結果として山裾で御遺骨は発見されませんでしたが、地主にとりましても戦後ずっと懸案だった屋敷内に御遺骨が存在するかどうかの決着をみたので、満足し納得したという表情をしていました。私のようなやまとんちゅうからすると、どうして自分で壕の中に入って探査してしまわないのか…、と不思議に思いますが、こちらのうちなんちゅうの人々は、琉球と呼ばれた古の時代から、死後の世界に関する御霊のとらえ方は、本土とは大きく違っています。

それに、御霊が土や壕の中にも宿っていて天空と行き来しているという考え方ですから、壕などとの日常のつきあい方も本土とは大きく異なっていて当然かもしれませんね。私たちが沖縄で遺骨収集をさせていただくに際しては、収集場所に住まう近隣の方々の習慣や見解をしっかりと理解し、受け入れながら目的を達成するという姿勢が大切です。

時刻も三時を回り、打ち切りの時が迫ってきているようです。他の収集地域に移動するには、あまりにも残り時間が少ないので、これをもって収集作業は終了することとなりました。作業道具を撤収し、駐車場で少しばかり皆で写真を写したりした後、帰路につきました。

遺骨収集の様子15

友達のように仲の良いロナルド・ロン・フーラさん親子です。遺骨収集に対する真摯な行動には頭が下がります。

遺骨収集の様子16

「大変な作業だったね!」と皆で笑い合いました。雨により雨合羽が真っ黒に汚れてしまいました。

少し早めの撤収だったので、班長の判断で『白梅の塔』を見学していくことになりました。初参加の方もいらっしゃるので、その方々に見てもらおうという訳です。南部地域は、遺骨収集場所にほど近いところに慰霊塔が結構あるので、私たちも少しでも時間があったらこのように出来る限り見学と慰霊を行うようにしています。

結局今日は終日雨が断続的に降り続きまして、皆が雨合羽を着ての収集作業でしたが、土などで雨合羽が真っ黒になってしまいました。明日もどうやら雨模様である事は天気予報で知っていますので、気持ちを落ち込ませることなく、引き締めて明日もがんばりたいと思います。

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