平成27年(2015年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月14日(土) 第42回金光教沖縄遺骨収集奉仕参加

昨年は首都圏を中心に大雪注意報が発令されまして、“飛行機の欠航で土日開催の金光教沖縄遺骨収集奉仕活動も参加者半減か…。”と、肝を冷やしましたが、今年はそのようなフライトの心配は無用でしたし、天気予報は、傘マークが無いという嬉しい予報でしたから、前向きな気持ちで金光教の遺骨収集当日を迎えることが出来ました。(^o^)

そして無事に、第42回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動の初日となりました。予てより、林先生は「沖縄戦戦没者二十余万の霊の助かりなくして、沖縄の真の助かりはない。…」という文言を、スピーチの中に必ずと言って良いほど語られています。この言葉は第1回目の金光教沖縄遺骨収集奉仕活動当初からの、一貫しての主軸を為す基本理念と言えるものですが、一方でこれはまた遺骨収集において主役は誰かという点を明確に表す言葉であるとも言えるでしょう。

私達も林先生の語るこの言葉の含意をしっかりと理解し、今日と明日の二日間、集中力を堅持して辛酸をなめた沖縄戦戦没者の助かりを願い、今回も精一杯取り組ませて頂きましょう。今年の沖縄遺骨収集奉仕活動参加者は、林先生によれば関東、中部、関西、中国、四国、九州の各地から99名(信奉者69名、一般参加者30名)、そして地元沖縄より21名(信奉者14名、一般参加者7名)、総員120名もの方々が、ここ摩文仁にある平和祈念公園に集結致して下さったそうです。信奉者の方々をはじめ、ウエブサイトなどを通じて金光教による沖縄遺骨収集奉仕活動を知った、信者さんでない一般の方々が今年も大勢参加して下さいました。本当に嬉しい話ですよね。有り難うございます。(^o^)

現地では、朝8時過ぎには早めに到着した方々を中心にテントの設営を開始、8時半頃から受付を開始して下さり、例年通り9時頃には摩文仁山上を向いての御祈念が始まりました。林那覇教会教会長のご挨拶、注意事項の説明、そしてラジオ体操と各班のミーティングを経て出発の準備が整いました。

本日初日の各班の活動予定区域は、全体としては昨年実施田収集地域の西側一帯という事になります。全体としては三角形の形をしていますが、この範囲を全班が集中捜索方式で、二日間掛けて遺骨収集に取り組むという訳ですね。

今日の天気予報は、晴れ、なんと降水確率0%です。最高気温は20度との事ですから、逆に暑くなるぐらいですね。

「ジャングルは危険が一杯」
遺骨収集というボランティア活動に参加して一生懸命取り組んだのに、あげくが怪我をしてしまったというのでは少し残念ですよね。ですから怪我や事故には十分注意して、今日と明日は、参加者の皆さんそれぞれが精神的肉体的パワーを結集して、戦後70年を経ている御遺骨を是が非でも発見し私達児孫の手で収集しましょう。(^o^)

第42回金光教沖縄遺骨収集奉仕

遺骨収集の様子1

素晴らしい晴天の中、摩文仁山上に向け朝のご祈念が始まりました。朝の開始時、夕方の終了時、そしてジャングルの中でも…。金光教の遺骨収集奉仕活動は常に祈りと共にあるといっても過言ではありませんね。

遺骨収集の様子2

他者の平穏を祈る。そして沖縄戦戦没者のご冥福を祈る。共通するものは、自身を差し措いて他者の幸福を祈る…、という事でもあります。信者さん一般参加者を問わず、日頃のそうした尊い思いが、こうした行事の中に発露されるという事でしょう。二日間しっかり取り組ませて頂きましょう。

遺骨収集の様子3

金光教那覇教会教会長の林雅信先生が登壇されご挨拶されました。参加して下さった皆さんに感謝の意を表明され、また天候に恵まれたことに感謝を表し、続いて本日の予定地域等の説明をして下さいました。

遺骨収集の様子4

今年も大勢の方々が摩文仁に参集して下さいました。大勢の参加者を前に林雅信先生が登壇されご挨拶されている所です。長い影が映し出されていますよね。正に天気のお陰を頂きましたね。明日もこんな感じみたいですから、二日間安心して取り組めそうですよ。

遺骨収集の様子5

林先生の言葉に耳を傾ける参加者の皆さんです。

遺骨収集の様子6

「霊和」という言葉が掲示されています。林先生によれば、「霊和」と書いて「ひと」と読むそうです。下の「と」は、例えば大和は「やまと」と読みますから理解できますが、上の「ひ」は、例えば檜という木材がありますが、この檜は「霊の木」と昔は書いたそうです。という事で単なる当て字ではないという話のようです。

金光教では霊又は分霊(わけみたま)は、人間が神から分け与えられた魂、あるいはその人の本心を指すとものとされ、そしてその働きは主に三つあるとして、一つは良いもの悪いものが解るという働き、もう一つは自らを整える働き、最後の一つは、人の苦しみを理解し助けてあげようとする働きだとの事です。

私達は、おれがおれがという自力の世界に生きているのが現実ですが、神から分け与えられた存在、すなわち他力の世界、お陰の世界に生きているという自覚に立ち返るようにすれば、難儀な世からいたわりや仲良く暮らす和合の満ちあふれる社会となる…。というお言葉を頂きました。間違っていたら御免なさ~い。

遺骨収集の様子7

嶺井さん主導で朝一番恒例の準備体操が始まりました。加齢と共に身体は固くなるばかりです。しっかりと体操して身体を目覚めさせてやりましょう~。

遺骨収集の様子8

軽い体操…。な~んて馬鹿にしてはいけません。こうした体操も真剣にやれば、刺激を入れる、あるいはストレッチ効果も含めて効果抜群だと思えます。動かない身体に鞭打って、上下左右ぎりぎりまで目一杯関節を動かしましょう。

遺骨収集の様子9

ところで参加記の中で全員を撮影するのは不可能なので、この場をお借りして、皆さんの前にお邪魔して撮影させて頂きます。よろしくお願いしま~す。

遺骨収集の様子10

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子11

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子12

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子13

おじゃましま~す。おお~、若者三人、お疲れ様で~す。

遺骨収集の様子14

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子15

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子16

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子17

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子18

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子19

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子20

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子21

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子22

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子23

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子24

おじゃましま~す。

遺骨収集の様子25

参加者全員で記念撮影で~す。

遺骨収集の様子26

こちらは東京方面の方々で編成する1班の皆さんです。班長の辻井さんが、本日の注意事項や収集地域の説明をしています。1班の皆さんがすでに発見してある御遺骨の収骨作業をする事になったので、私がご案内こる事になりました。その際に戦没者遺骨収集情報センターの所長さんも検分されるという事で、私達に帯同して下さるという話ですよ。

遺骨収集奉仕活動開始

遺骨収集の様子27

さあ御遺骨発見場所に向かいます。ここはすでにジャングルの中を300メートルぐらい進んだ場所です先導する事ばかりに気をとられ撮影を忘れてしまいました~。

遺骨収集の様子28

1班の皆さんが続々と通過していきます。

遺骨収集の様子29

急勾配で結構ハードなルートです。最も安全だと思える最善のルートを選んだつもりですのでね。ご理解を御願いします。

遺骨収集の様子30

しかしながら、女性には少し厳しいのは確かです。頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子31

崖のような場所を下りる際は、浮き石を下に落とさないようにする事と、ご覧のように山側を向いて下りるようにするのがセオリーです。参加者はぜひこの方式を遵守して下さいね。ご自身のためにも、そして団体として無事故で作業を終えるためにも。

遺骨収集作業開始

遺骨収集の様子32

御遺骨発見場所に到着しました。遺骨収集情報センターの所長に御遺骨の実況検分をして頂いた後、1班の皆様による遺骨収集が開始されました。

私はここで遺骨収集情報センター長と本部の視察要員のお二人を、来た道を戻り健児之塔駐車場までご案内する事になりますので、時間として約一時間不在の時間帯があります。写真は引き続き掲載されますが、約一時間のタイムラグがある事をご了承願います。

一時間ほど後に御遺骨発見場所に戻って参りました。再び取材を続けますよ。(^o^)

遺骨収集の様子33

主要な御遺骨はすでに白布に移動されました。皆さんが注意深く更に収骨範囲を広げるような作業をしています。

遺骨収集の様子34

範囲を広げ、ゆっくりとそして慎重に作業を進めます。

遺骨収集の様子35

収集範囲内の枝葉は可能な限り除去して圏外に持ち出します。

遺骨収集の様子36

班長さんが色々と指示を出して下さっています。昔から1班はチームワークが良いですよね。

遺骨収集の様子37

写真中央には沢山の御遺骨がありましたが、ご覧のようにほぼ収集し尽くしたようですね。

遺骨収集の様子38

岩の下にも細かい御遺骨が落ちてきているようです。御遺骨は細かい御遺骨が特にそうなのですが、雨や強風で下に下にと落ちていきます。信じられないぐらいの小さな隙間から下に落ちていきます。

遺骨収集の様子39

ヒェ~~。凄~い、頑張っていますね~。女性ですよ。

遺骨収集の様子40

遺骨収集現場の全体の様子です。周囲は起伏の激しい凄いジャングルなのですが、遺骨収集をしている辺り、畳20畳ぐらいの範囲が平坦になっています。極めて特異な場所です。この近隣でこの様な場所は絶対に無いと断言できるほどです。

遺骨収集の様子41

金光教の遺骨収集らしく、徹底して細かい御遺骨を拾い上げようとしています。

遺骨収集の様子42

歯が出たというので見せてもらいました。

遺骨収集の様子43

ボタンが発見されました。これによりこの御遺骨は第三十二軍将兵である事が確定しましたね。日本陸軍の軍装品にはいろんな種類のボタンが使われていますが、これは下着のボタンだそうです。

遺骨収集の様子44

劣化していますが軍靴のゴム底です。下の写真にもありますが、編上靴の革製の一部が見つかっていることから、地下足袋ではなく、この兵隊さんは、軍靴を履いていたと推測されます。ちなみに軍靴の靴底には複数の種類があり、鉄鋲が打たれたもの、ゴム底のもの、まれに鋲無しの革底などがあるそうです。

遺骨収集の様子45

ボタン、靴底、編上靴の革製の一部と思われる三点が遺品として見つかったようです。残念ながらまだ記名遺品は見つかっていません。何としても見つけたいですよね。

遺骨収集の様子46

まだまだ細かい御遺骨を拾い続けます。

遺骨収集の様子47

これまでに収集された御遺骨の様子です。頭骨は勿論、のど仏(左上にあるのがそうです)、そしてご覧のように腕と足の大きな骨は全部揃っていますし、また例えば大腿骨が3本あるとかの、複数人の本数があるというような事もありません。ですからこの御遺骨は純粋にお一人の御遺骨という事になりますので、記名遺品が見つかれば故郷に帰れる可能性があるのです。ぜひ記名遺品が見つかってほしいですね。神様ぜひ発見させて下さい。よろしくお願いしま~す。(^o^)(^o^)(^o^)

遺骨収集の様子48

昼食の時間となりましたので、ここで一度戦没者のご冥福をお祈りする為に全員で御祈念をしました。御遺骨の御霊様も、日の目を見て、そしてこんなにも心を込めて収骨してもらって、さぞお喜びになっている事でしょう。本当に良かったですね。

御霊様のご冥福を心より祈念申し上げます。m(_ _)m

午後の遺骨収集奉仕活動

遺骨収集の様子49

昼食を食べ終え、午後の作業が開始されました。ここに集う皆さんの気持ちは一つです。必ず記名遺品を見つけるぞ~! ですね。頑張りましょう。(^o^)

遺骨収集の様子50

「記名遺品を見つける」との大目標に向け、皆さんが相協力して頑張っています。

遺骨収集の様子51

このデカい岩を除ければ下に落ちた小さな御遺骨が拾える…。しかしながらデカいですね~。

遺骨収集の様子52

写真の上に被さっている岩ですから、デカすぎて人力では移動できませんね~。(T_T)

遺骨収集の様子53

しかしながら人力で移動できる岩は、皆で知恵を出し合い、下に潜り込んでいる御遺骨の発見に努めます。

遺骨収集の様子54

御遺骨発見現場の一番多く御遺骨があった場所ですが、ずいぶんと綺麗さっぱりとなりましたね~。

遺骨収集の様子55

午後2時10分頃、遺骨収集情報センター長と所員Nさんのお二方が、お忙しいなか私たちの御遺骨発見場所に訪れて下さいました。有り難うございます。
遺骨収集情報センター長は、収骨された御遺骨を概観し、改めて沖縄戦戦没者の御遺骨で、且つ一柱に相当すると判断し確定して下さいましたので、とても安堵しました。有り難うございました。(^o^)

遺骨収集の様子56

まだまだ収骨作業は続きます。

遺骨収集の様子57

御遺骨は下に下にと、どんどん落ちていきますからね。下側の可能性のある場所を、皆で力を合わせて岩を除け探し続けます。

遺骨収集の様子58

写真中央の班長辻井さんが、午後三時半になりましたので、そろそろ収骨作業を終えましょうと呼びかけました。

遺骨収集の様子59

1班の方々が全力で収骨作業に当たって下さいました。有り難うございました。写真の御遺骨は、併せて発見された幾つかの遺品からも、激闘82日間の戦いに馳せ参じた沖縄守備軍第三十二軍の兵隊さんに間違いなく、九万殉忠のお一人、他者の御遺骨が混ざらない、唯一人の御遺骨でございます。

手足の小さく細い指先の御遺骨、また肋骨と脊髄が少し少ないような印象ですが、細く小さい御遺骨ほど早く滅失していきますし、全員が全力で広範囲を探して無かったのですから、これは四散したのではなく劣化による消滅とみるべきと推測されます。これら御遺骨は雨が降れば常に濡れ続けるという環境に70年も残置されていた訳ですからね。雨が降れば常に濡れるという露出環境でこれだけのボリュームで御遺骨が残存していたという事自体が奇跡だと思えました。

いずれにしても頭蓋骨から足先まで、主要な骨は全て揃い疑いなく唯一人の御遺骨でございました。
しかしながら残念でならないのは、1班の皆様が全力で探し続けたにも関わらず、記名遺品が存在しなかったという点ですね。唯一人の御遺骨なのですから、記名遺品さえ発見されれば、夢にまで見たであろう故郷に帰れた可能性があるのですからね。その点が返す返すも残念でなりません。

記名遺品が発見されず、故郷に帰って頂くという願いが叶わなかったというのが唯一の痛恨事ですが、金光教の皆様により、実に丁寧に御骨を拾わせていただいたので、御霊様もきっとお喜びになっているに違いありません。思えばこの亡くなられた兵隊さんも、沖縄戦に従軍され悲しくも戦場に果て、この地にありて戦後70年余り、ただただこの地この場所に野ざらしのまま残置され続けたのでした。70年という歳月はあまりに長かったと言えるでしょう。私達を守る為に、私達の郷土を守る為に、身命を賭して戦って下さった事を私たちは承知しております。あなた方の児孫として、改めて感謝お礼申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子60

班長辻井さん主導で、現地ミニ慰霊祭が執り行われました。収骨作業に取り組まれた皆様、本当にお疲れ様でした。有り難うございました。

御霊様のご冥福を心より祈念申し上げます。m(_ _)m

別の場所で御遺骨発見

遺骨収集の様子61

収骨を終えた後は、一部の人員はそのまま継続して収骨作業に当たって頂きますが、その他のメンバーは、他の場所で御遺骨を探すべく取り組まれました。そしてこの写真の場所でも、新たに御遺骨の発見がありました。現在一人が穴に入って収骨作業をしているという状況です。

遺骨収集の様子62

発見した御遺骨の様子です。多くはありませんが、ご覧のような御遺骨が見つかっています。銃弾も軍靴もありますから、こちらも兵隊さんの御遺骨という事になりそうですね。

遺骨収集の様子63

上掲写真とは違う、他の場所でも遺品が出たようです。蓄電池と軍靴の靴底、ベルトに装着する銃剣差しといった所ですね。御遺骨の発見はまだ無いようです。

帰路につきます

遺骨収集の様子64

午後三時半を廻ったので、帰路につきました。帰路は上り坂が多いので大変です。身体も疲れていますから、動きも鈍くなりがちです。慌てる必要はありませんので、自分のペースでゆっくり歩いて進んで下さいませ。

遺骨収集の様子65

岩の割れ目を登っていきます。

遺骨収集の様子66

列の間隔が開くと言う事は、それだけルートがハードだと言う事ですね。ルート設定は最も安全なルートを選びましたのでね。ご了承下さいませ。幸いに雨ではないので、ルートがぬかるむという心配はありませんからその点は安心ですね。

遺骨収集の様子67

ここは結構狭いですね。

遺骨収集の様子68

続々と登って来られます。

遺骨収集の様子69

オッ板東さんが御遺骨を持って登って来られます。御遺骨は結果が激しいのでとても脆いです。御遺骨の起伏の激しい歩行困難な山道を長い距離歩く事になりますから、搬出中に御遺骨が損傷しないようにと、御遺骨の種類に応じて、5袋に分けて運び出しています。写真の様に板東さんとか、若く馬力のある方々に収集した御遺骨を託しています。

遺骨収集の様子70

結構な坂道ですね。

遺骨収集の様子71

困難なルートも終わり、一列縦隊でゆっくり進みます。

遺骨収集の様子72

あと150メートルくらいで外に出ます。全員事故もなく、無事に下山出来そうですね。

遺骨収集の様子73

1班の皆さんの集合写真です。皆様お疲れ様でした~。(^o^)

「鵬翼」という煙草

遺骨収集の様子74

「鵬翼(ほうよく)」という煙草です。一般参加で初参加の豊澤さんという方が私に声を掛けてきて、大東亜戦争中に販売されていた煙草があると私に見せて下さいました。

煙草の欠乏は兵士の士気にも関わるものとみなされ、戦地では兵隊さんと煙草は切っても切れない関係にあったというのは良く知られているところですが、この「鵬翼」という煙草は軍用煙草でもあったという事で、豊澤さんは「遺骨収集後のお祈りの際に、供えて頂ければと思い持参しました」との事。脱帽ですよね~。(^o^)

この煙草は本物ではなく複製だそうで、どのようにして作ったのですかと聞けば、千葉の古物商から戦前のオリジナルのパッケージを譲ってもらい、それをスキャナーで取り込み、破損箇所やシミを除いてプリントしたものを、現在の煙草のパッケージと交換して造ったものだそうです。青い多色刷りが昭和16年、白い単色刷りが昭和19年のパッケージだそうです。

遺骨収集の様子75

煙草パッケージの側面の様子です。平時の定価が18銭、戦時負憺額52銭と書かれています。この52銭は戦費として増税徴収されたという意味だそうですよ。

遺骨収集の様子76

各班の参加者全員無事に戻られたようです。金光教那覇教会の林先生が、本日の収骨状況と、明日の取り組み方針を話して下さいました。本日はお疲れ様でした。今夜はゆっくり休養し、明日は最終日ですので、また全力で取り組みましょう。

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