平成22年(2010年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月12日(金) 沖縄に到着/午後情報収集および準備作業開始

羽田を飛び立った飛行機は、鮮やかなスカイブルー色をした海岸線を眼下に見ながら、ほぼ定刻の11時40分過ぎ、無事に那覇空港へ着陸しました~。(^o^)

着陸一番、まずなにより気になるのが、沖縄本島南部地域の天候ですよ。今年は住まいのある関東地方もそうですが、ここ沖縄も天候不順で例年以上に週間予報でも傘マークのオンパレードでしたから、予報が外れて欲しいとの一念で空を見上げました…。

「オッ ヤッター 雨の心配はなさそうだ~!」

羽田空港出発時は東京は雨でしたし、昨日の沖縄地方の予報は曇りのち雨だったので、機内に持ち込んだ傘をそのまま使う可能性が高いと思っていましたから、とてもラッキーという気分です。

西の空には厚く雲が広がっていますから、天気は下り坂かもしれませんが、急速に天気が崩れるという雰囲気ではなく、すぐに雨が降り出してくる兆候は無いようです。ただ沖縄の天候はあっという間に変わる場合もありますから油断は禁物です。雨が降った場合の準備だけは、いつの時も怠りなくしておきたいものですね。

何しろ私も、沖縄遺骨収集から帰った翌日から、翌年実施の遺骨収集の為の準備を開始しており、一年を通しての情報収集と、本番に向け少しずつモチベーションアップを図ってきた私としては、沖縄滞在中の1時間だって無駄にしたくないという思いが、心の中で満ち溢れているぐらいです。

滞在中の天候が最も重要であり10日間すべて雨が降らないで欲しい、というのは欲張り過ぎますが、最小限度の回数に抑制される事を祈りたいですね。

今回の沖縄遺骨収集奉仕活動は10日間の日程を組み、最後の二日間は金光教が主催する 「第37回金光教沖縄遺骨収集奉仕」 に参加させて頂く予定となっています。

金光教の遺骨収集奉仕活動に参加させて頂く二日間以外は、そのほとんどが単独行動となる見込みですが、事故を起こさないように細心の注意力を持って取り組みたいと思っています(^^)/。

沖縄到着後レンタカーを借り、まず最初の行動は南部に向かわず那覇市内に向かいます。

毎年の恒例となっていますが、那覇市壺屋にある 「金光教那覇教会」 の林先生に、ご挨拶と個人的な調査開始のご報告をする為に伺うのです。

いつもの事ながら、奥様ともども歓迎して下さる対応に感謝しています。改めて金光教沖縄遺骨収集奉仕活動の一翼を担う心づもりと、広義の奉仕活動としての沖縄遺骨収集奉仕活動に、個人として深く関与できる事への使命感と、一緒に活動できる事への感謝の意を強くする次第です。

一通りのご挨拶と情報交換を終え、最後に私の沖縄滞在中の安全祈願と、目的が成就する事を願い、神様にお取り次ぎ頂き、「ご神米」を頂きます。「ご神米」は、天地の恵みとその恩恵を忘れないようにとの思いが表出されたものだとお聞きしていますが、私の場合には、志を果たし妻の待つ自宅に無事に帰れますように…。と祈ってもらっているようです。

金光教那覇教会へのご挨拶を済ませますと、車は一路南部戦跡の糸満市摩文仁に向け走らせることになります。今年は単独行動が複数日発生する見込みですから、単独行動中の遭難も考慮しなければなりません。

遭難した場合の警察や消防署への負担と迷惑を最小限度にする為に、ジャングル内での遭難に関しての連絡体制は、基本的に宿のご主人にその日の調査区域を明示した地図を渡し、夕方6時を経過しても、私から「無事にジャングルから出ました」という報告が宿のご主人に無かったら、遭難した可能性があるという事で、地元警察に捜索願と、妻に本人と連絡が取れない旨の連絡をしてほいという事を明記した書面を渡すことにしています。

遭難した場合、捜索範囲が狭い方が早期に発見してもらえる可能性が高いので、ジャングル内での私の調査区域の範囲も、摩文仁南斜面の概ね縦横長くて150m程度の範囲に限定する予定です。縦横150m程度の範囲内なら、私を発見した時には、すでに白骨化していたというような事態は避けられると思われます。

もちろん、事故を起こさないようにするため、数え切れないほどの 「単独行動における諸注意事項」 を遵守するのは勿論です。

また発見してもらいやすいように、目立つ色合いの服装をするなど、様々な工夫を凝らしています。単独行動における服装・装備・注意点については、2008年2月14日の参加記を参照して下さい。

話は変わりますが、例えば素人目にとても危険だと思える冬山登山ですが、現状では「単独行動による冬山登山」は社会的に容認されているのが現状です。摩文仁のジャングル行は、皮相的には春山登山と変わらないレベルのリスクしかないと思えますが、ジャングル内を一度でも歩いた人なら誰でも、その高度なリスクを指摘するのが常ではあります。

「摩文仁のジャングルを一人で歩くなんて…。」
社会的に多大な迷惑が発生するリスクさえ顧みない無謀な行動だと非難されるのは重々解っていますが、そうした状況を踏まえてもなお、社会的に「単独行動による冬山登山」が容認されている現状では、「単独行動による摩文仁山行」をぜひ容認して頂きたいというのが、私の率直な気持ちです。

ひとつの比喩として、体験的には単独行動時よりも大勢で行動しているときの方が、激しい転倒をする確率が圧倒的に高いというのが、私の長年の経験で得た教訓です。単独行動時の方が、絶対的に慎重に行動しているという証左でもあると言えるでしょう。

今回は長期戦なので、基本的な遭難時の連絡体制を確定した上で、地元自治体に「登山者カード」を届ける事としました。

まずは摩文仁を管轄する糸満市市役所を訪ね、「登山者カード」を提出しようとしましたが、そのような事例は無く、またそのような書面を受理する部局も無いという事で、役所内部を三カ所ほど訪ね歩きましたが、目的を達することなく糸満市役所を後にしました。

糸満市役所職員が語る「沖縄県平和祈念財団に行けば目的を達することが出来るかも知れませんよ」というアドバイスに従い、摩文仁の平和祈念公園にある当該施設を訪ねました。

しかしながら(財)沖縄県平和祈念財団でも、そのような書面は受理できないという話しでしたから、結局公的機関への届け出という面では、なにも行わずに作業と調査を実施する事と相成りました。

摩文仁のジャングルで調査開始

箴言としての 「木を見て森を見ず」 とは、小さい出来事や些細な事柄にこだわり過ぎてしまい、全体を俯瞰する事を忘れてしまう事への注意を喚起する戒めのことわざですが、摩文仁ジャングル行では、「木をしっかり見て、森もしっかり見る」 という気持ちで取り組まないと、十全な仕事は為し得ませんし、無事な生還はあり得ませんね。

御遺骨を見つける事が第一義の仕事な訳ですから、草陰にわずかに露出する小さな骨を見つけるべく、細心の注意力と集中力を持って地表面を見つめなければならない事は申すまでもありません。と同時に頭の中には、摩文仁全体を俯瞰できる高性能のGPSを装着したような、刻々と変化する目の前の情景に連動するような素早さで、摩文仁での移動の軌跡をピンポイントで表示し続けるようなイメージセンサーをも持たねばなりません。

つまり「木を見て、森も見る」この両方の視点が、頭の中で同時に機能し続けなければ、同じ風景が連続するこの摩文仁で、50m前進すれば同じ場所に再び戻って来るのがほぼ至難なこのジャングル行は、他ならぬ「脱出のためのジャングル行」の罠に陥ってしまう可能性が大きくなるばかりです。

また沖縄での遺骨収集奉仕活動は、一年のうちわずか数日しか実施できません。いかに効率よく調査と収骨作業を進めるかに、私はいつの時も心を砕いてまいりましたが、調査については「まず線を押さえ、そしてのち点を押さえる」 というのが、長年の遺骨収集奉仕活動で得た教訓です。

まず最初は、遺骨を探すという視点を若干抑えつつ、「線」を押さえるべく前進します。「木を見て森を見ず」のことわざ通り、遺骨を探す事に気持ちを集中し過ぎると、ジャングル全体の様子は余り頭に残りませんが、ジャングルの山容を記憶すべく、印象に残る風景とポイント、斜面の方向、勾配等々全体を見渡しながら、脳裏に焼き付けるようにして前進すると、その調査ルートで得たイメージの過半は、何年も頭に残像として残ります。

この映像の集積がその後の遺骨収集奉仕活動を、大いに効率化してくれるというのが私の見解です。

またこの参加記には、数え切れないほどのジャングル内の様子を写した写真が納められています。掲載されたこれらの写真は、当サイトを訪問して下さる皆さまに、摩文仁ジャングルの様子をリアルに伝え、金光教遺骨収集奉仕団を始めとする、沖縄で遺骨収集奉仕活動に従事されている多くの方々の奮闘ぶりと共に、遺骨収集奉仕活動の容易ならざる困難さとを知って頂きたいというのが主たる理由で、たくさんのジャングル内の様子や、収骨作業の写真などを掲載しています。

そうした理由と共に、もうひとつの理由として、掲載された膨大な写真は、当サイト管理人の備忘録の役割も兼ねているのです。沖縄に出発する前に、参加記に掲載された写真や文章等を一通り見ていくと、全てではありませんが多くの写真について、どこで撮影したかが昨日の出来事のように思い出されて来ます。

この頭の中に再び蘇った新鮮なイメージを持って摩文仁を再訪する事により、昨年までに把握した「線」と「点」とを、再び活用する事が可能となっているのです。

前置きが長くなってしまいましたが、糸満市に入りますと、まずは摩文仁之丘の西側にある、大渡海岸に向かいました。

昨年は大渡海岸に隣接する旧サボテン公園から海岸に降りるルートを調査しましたが、昨年その旧サボテン公園から見えた海岸線の風景を、今度は下の海側から見たら、丘陵がどのような展開になっているのかを知るためにやって参りました。相対的な位置関係を把握し、頭にイメージとして残すのは、目視による距離感の把握がとても重要な要件ですからね。

糸満市大渡海岸

遺骨収集の様子1

大渡海岸に隣接する高台から、大渡海岸とその先に連なる米須海岸を展望しています。

遺骨収集の様子2

ビックリしたのは、引き潮の時は「海の歩道」が現れるんですね~。驚きました。ご覧のようなコンクリート製の歩道を、海水に没しているギリギリのところまで歩いて前進しましたが、おそらく100メートル以上は歩いたでしょう。写真中央少し左側の白く見える砂浜から、ここまで歩いてきたという訳です。(広角側レンズを使用していますので、目で見たよりも距離が遠いように見えています)

遺骨収集の様子3

歩道が海中に没していてその先に行けない場所から、大渡海岸とその先の大渡米須海岸を展望しています。

遺骨収集の様子4

歩道から東側を展望しています。

遺骨収集の様子5

望遠で拡大してみますと、昨年旧サボテン公園の上から見た風景の位置関係がしっかり把握されました。つまり位置関係が把握できたという訳です。来年はあの崖下まで前進してみたいと思いましたが、崖付近の場所へ行くには、引き潮を利用して行く以外に手はない様に見えます

遺骨収集の様子6

崖下の海岸付近に「御地午之方男神」と書かれた石碑が建っていました。

遺骨収集の様子7

こちらは「御地未之方女神」と書かれています。神様が男女別になっているようです。漁師の町である糸満市でもありますし、海岸に鎮座している事から、海の守り神なのでしょうかね。

(満ち潮時の様子)
遺骨収集の様子8

夕方摩文仁での調査を終えての帰り道、満ち潮の時はどうなっているのかなと思い、見に来ましたらご覧のように、海の歩道は完全の海水面下に没していました。崖下に白く微かに見える石碑が「御地午之方男神」ですが、干潮の時にしか参拝に行けないようです。

大渡海岸から旧サボテン公園から見える崖の上の稜線と、海岸線の岩場との接点を観察し終えましたので、いよいよ摩文仁ジャングル内に入ります。

過去において、金光教の遺骨収集奉仕活動では大活躍をされた前門さんの旧自宅横にある、「健児之塔」の慰霊に来られた方々の為に設けられている駐車場に車を止めて服装と装備を装着し、農道を100mほど歩いてジャングル内に入っていきました。

本日は調査時間も限られているので、夕方ジャングルから出るまで、基本的に先ほども書きましたように「線」を実際にジャングル内にトレースし、頭の中にも同時に描き込む作業を進める事になります。

摩文仁南斜面ルート確定調査

遺骨収集の様子9

ジャングル内に入るとすぐこの様な巨岩が連なる地帯に入りますが、今回は写真中央の開口部方向へ直進はせず、写真右側の方向に進みました。

遺骨収集の様子10

ここは昨年だけでも何度も通った定番のルートです。U字型の谷になっています。白く丸い玉は霊魂ではありませんよ。ゼッ 絶対に…。(^^;)

遺骨収集の様子11

緩やかな斜面を下ってくると、海岸が近いという雰囲気になってまいります。

遺骨収集の様子12

山側を見ますとこんな感じです。 かなり大きな岩山があちこちにあるという状況です。

遺骨収集の様子13

海が見える場所まで前進してきました。ただ岩場が急で、ここから海岸に降りる事は出来ないようなので、小休止したのち引き返す事にしました。

遺骨収集の様子14

帰り道のなかで一番入って見たいと思った壕です。 素晴らしい隠れ場所だと思えました。しかしながら単独行動では、壕の直径にもよりますが、入って良い距離は数メートルですから断念しました。いつか必ず入ってみたいな。

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