平成27年(2015年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月9日(月) 摩文仁の沖縄守備軍第三十二軍関連壕で遺骨収集

本日の天気予報は、曇りで最高気温予想は14度、降水確率は30%だそうです。朝の散歩の段階では小粒の雨がぱらついていましたが、摩文仁に向けて出発する頃には、雨は止んでいました。ラッキー。(^o^)

今朝の慰霊巡拝は、「魂魄之塔」、「開南健児之塔」、そして「ずゐせんの塔」の三カ所です。それではご一緒に参拝しましょう。

「魂魄之塔」

遺骨収集の様子1

「魂魄之塔」です。昭和21年1月収容所に捉えられていた真和志村民は帰郷を許され戻ってみますと、地域一帯は死屍累々の場になっていたといいます。そんな光景を目の当たりにした初代金城村長は奥様と共に地域住民の協力を仰ぎ、まず遺骨収集から始めたといいます。二万余柱を奉じて同年2月建立された慰霊塔を「魂魄之塔」と命名しました。最終的に三万余柱が納骨されましたが、昭和54年2月には国立戦没者墓苑に、一部の御遺骨ですが移されたそうです。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子2

「魂魄之塔」は沖縄で最初に建立された慰霊塔だといわれています。6月23日の慰霊の日前後は、慰霊に訪れる人でかなり混雑するそうですよ。

遺骨収集の様子3

ギリギリ読めますね。

遺骨収集の様子4

 

遺骨収集の様子5

昔は「魂魄之塔」横に花売りのおばさんが常駐していましたから、参拝時には必ず生花を買い求めたものですが、現在はおられなくなり無人販売となっていますね。それにしてもこの献花販売所の雰囲気は尋常ではないですよ。(^^;)

遺骨収集の様子6

生花のお金を入れる金属製の箱を写していますが、お金が見えますし、手が中に入ってしまいますよ~。場所が場所だけにお金を盗む人は居ないでしょうけど、古き良き日本の原風景を垣間見た思いが致しました。

「開南健児之塔」

遺骨収集の様子7

「海南健児之塔」です。戦没された勤皇隊学徒隊員を祀っている慰霊塔のひとつです。塔は平和創造の森公園内の小高い丘の上にあり、背後は海ですから波音が聞こえてきそうな静かな環境にありますね。

遺骨収集の様子8

開南鉄血勤皇隊270名は、第24師団司令部や同通信隊、そして歩兵第32連隊などに配属となり、危険な任務に就くことも多く、それだけに多くの学徒隊員が亡くなったと言われています。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子9

沖縄戦で戦死された私立海南中学校の職員4人と第一期から九期までの生徒263人が祀られています。

遺骨収集の様子10

「海南健児之塔」参拝を終え、太平洋が見える場所に移動して、東側方面を見ています。遠くに摩文仁之丘が見えますね。摩文仁之丘突端にある「黎明之塔」まで3.2キロメートルぐらいの距離があります。

遺骨収集の様子11

西側方面を見ています。荒崎海岸が見えていますが、8日実施の「沖縄県遺族連合会」主催の遺骨収集が行われた地域も見えますね。

「ずゐせんの塔」

遺骨収集の様子12

国道331号線米須にある米須西交差点、ここは「平和創造の森公園」 への入り口に当たる交差点ですが、交差点を折れてすぐのところに「ずゐせんの塔」はありました。ちなみに隣接して「ひむかいの塔」もあります。この「ずゐせんの塔」は那覇市首里桃原町にあった同校敷地跡に最初建立されましたが、後に生徒たちの最期の地となった米須・伊原地域に移すことが検討されまして、結果として昭和34年6月、ゆかりの地である米須に移築されたものです。

遺骨収集の様子13

塔の説明文ですが読めますね。

遺骨収集の様子14

沖縄県立首里高等女学校の戦没職員15名、生徒33名、同窓生56名が祀られています。 同校生徒は「瑞泉(ずいせん)学徒学徒隊」と呼ばれましたが、「ずゐせん」は同校同窓会名称 「瑞泉」から命名されました。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子15

「この道もこの岩肌も 乙女らが弾にたたかれ 踏み惑ひしところ 夕照」

遺骨収集の様子16

沖縄県立首里高等女学校の校章ですね。

摩文仁で遺骨収集

本日は沖縄師範健児之塔の背後に気になる壕があるので、松永さん、吉井さんと共に調査する事になりました。それではご一緒に壕に入ってみましょう。(^o^)

遺骨収集の様子17

駐車場から沖縄師範健児之塔に至る参道の途中にあるトイレの前で咲く緋寒桜の様子が少し変ですよ。枝の一部しか葉が付いていません。その付いている葉も株全体としてはごく僅かの寂しい風景です。これまで十年二十年とこの緋寒桜を見続けて参りましたが、このような現象は初めてです。来年訪れれば結論が出ているでしょうか、ちょっと心配ですよね~。ぜひ復活してほしいです。

遺骨収集の様子18

写真の奥まった所に南冥之塔があります。現在はご覧のように工事中で、現場まで軽トラックで資材等を運べるように、階段部も上手く加工して通行できるようにしている様子が映し出されています。いずれにしても、来年訪れた時には、新装成った南冥之塔を訪れる事が出来そうですね。(^o^)

遺骨収集の様子19

今日は松永さん、吉井さん、そして私の三人で調査に入ります。天候もまずまずという事で、今日も一日頑張りましょう。

遺骨収集の様子20

ここが目的の壕です。私はもちろん、松永さんも吉井さんもまだ入った事が無いと語っていましたので、ぜひ御遺骨を見つけたいところです。それでは一緒に入って見ましょう。

遺骨収集の様子21

最初の空間ですが、立っては歩けないものの結構広いですね。

遺骨収集の様子22

一度狭くなっていますが、下りつつ奥にもまだ行けるので降りてみましょう。

遺骨収集の様子23

兵隊さん達が居たであろうという場所の目処をつけて掘り始めました。

遺骨収集の様子24

小さいけれど御遺骨が出てくるようです。同時に動物の骨らしき骨片も出てきています。壕の中では時折動物の骨も発見されますが、これは戦後動物が単独で壕に入って死んだという事もあるでしょうが、沖縄戦当時も動物も食料として壕内で食べたという事もありますので人骨・動物の骨が混じっていても、分別しながら様子を観察するのがベストだと思えます。

遺骨収集の様子25

発見される御遺骨は劣化が激しく、どの部位かの見極めも難しいのですが、なるたけ形状を壊さないように慎重に掘り出しています。

遺骨収集の様子26

頭骨とおぼしき御遺骨が見えます。より慎重に慎重に、そして丁寧に吉井さんが掘り出しているところです。

遺骨収集の様子27

う~ん残念、人骨ではなさそうですね。

遺骨収集の様子28

「クレオソート丸」と書いてあります。かつては俗称で「征露丸」と呼ばれていました。これは日露戦争に行く兵隊に持たせた事が由来のようですね。クレオソートというのは、現在では防腐剤に使用されている薬剤で毒性の強いものというイメージがありますが、ブナの木などから抽出する木クレオソート木というのを使用しいるとの事で、用法・用量を守れば、薬になるという事みたいですよ。

遺骨収集の様子29

この瓶の用途・由来は不明ですが、瓶の色が無色透明という事でなく、クレオソート丸と同じ色の瓶という事で、薬が入っていた可能性が高いですね。

遺骨収集の様子30

掘り進むうちに、突然黒く焦げたような土が出てきました。見立ては色々出ましたが、ここで火を燃やしたのではないかという意見もありました。現在掘っているこの場所は、下り勾配であり、雨が降った場合上の方から土砂も一緒に流れてくる印象がありますので、火を燃やした場所が、現在は埋まっていたという可能性もありますね。

遺骨収集の様子31

吉井さんが慎重に掘り進めています。人骨か動物の骨か、松永さんが見ていますが、見極めの付かない御遺骨もあるようです。御遺骨そして動物の骨のどちらにしても、日の目を見させてあげようという事で、見つけたものは全て地表に出そうという事で取り組みました。

遺骨収集の様子32

地盤がかなり固くなってきました。この辺りが沖縄戦当時の地盤ではないか…。という結論になり作業打ち切りとなりました。

場所を移動して遺骨収集を継続

遺骨収集の様子33

目的の壕での収骨作業を終えて以降は、周辺部の壕を中心に調査・収集活動を継続しました。

遺骨収集の様子34

松永さんも壕の中に入っていきました。

遺骨収集の様子35

私はこの場所を掘ってみることにしました。

遺骨収集の様子36

残念、沖縄戦当時の地盤まで掘り進めましたが、御遺骨や遺留品は出てきませんでした。

遺骨収集の様子37

この辺りはご覧のような壕と呼べないような割れ目のような空間があちこちありますね。隠れる場所は至る所にあるといった印象です。

遺骨収集の様子38

吉井さんが立っている場所について、吉井さんは「もしかしたら歩哨が立っていた場所かもしれない」と語りました。確かに地面が平らになっています。手前側は石を積み上げて壕口通路を確保したように見えますしね。写真では解りにくいですが、吉井さんのすぐ前には壕口がありますので、その可能性はありますね。

沖縄戦を詳細に書き記した『沖縄決戦』によれば、「小径を下りつくした脚下の海岸には直径十数メートルの泉があり、その傍らには巨大な奇岩に囲繞された洞窟がある。泉は命の綱とたのむ唯一の給水源で、洞窟は炊事場になっている。戦況急迫した場合、果たして山上の洞窟と断崖下の生命源が連絡を保持し得るや否や…」と書かれています。

これは摩文仁の第32軍司令部の洞窟から見た状況ですから、「直径十数メートルの泉」とは、チンガー(金井戸)を指しているのは間違いないでしょう。また「その傍らには巨大な奇岩に囲繞された洞窟がある」と書かれていますが、チンガーの周囲にある巨大な奇岩に囲繞された洞窟とは、今私達がたたずんでいるこの壕以外には見当たりません。「沖縄師範健児之塔」の裏手にも壕が幾つかありますが、それは巨大とはとても言えない小さな壕群なのです。そして炊事場というのは第三十二軍司令部の炊事場という事になろうかと思いますので、警備のため歩哨が立つというのも納得できますね。

遺骨収集の様子39

近づいてみますとしっかりと石組みされています。この石を積んだ理由としては、戦後の遺骨収集ではその理由はあり得ないですし、石垣の風合いや劣化具合からして沖縄戦の渦中に積んだとみるのが妥当だと思えます。またこの辺りは何度も遺骨収集に入ったでしょうが、石組みを崩す必要が無かったから、今日まで往時のまま現存していると言えるかもしれません。という考察の上で、衛兵が長時間立つ場所だからこそ、地面を水平にしたという事なのかもしれませんね。

遺骨収集の様子40

それでは一緒に壕に入ってみましょう。

遺骨収集の様子41

結構複雑ですね。吉井さんが先行しています。吉井さん速いですね~。

遺骨収集の様子42

炊事壕に入ってから最初の明かりが見えました。壕口がありますね。人の出入りも十分出来そうです。この壕口は、私達が最初に入った壕口よりも、数メートル高い位置にありますね。

遺骨収集の様子43

ここは広い空間になっていますね。それにしても、やばいですよ。紆余曲折しています。方向感覚に自信のある私ですが、なんか迷子になりそうです。

遺骨収集の様子44

また壕口がありました。出入りするに十分な大きさですね。東側に口を開けていると思われます。二つ目の壕口よりも一段高い位置にある印象です。外部には目の前に巨岩があるので、壕口があるようには見えないと思います。

遺骨収集の様子45

吉井さんが一歩先行して、ルートを見つけてくれています。

遺骨収集の様子46

吉井さんが「遺品があるよ」と声を掛けました。近づいてみましょう。

遺骨収集の様子47

ビール瓶がありました。瓶の裏を見ています。私はアルコールが駄目なので、ビール瓶について詳しくないのですが、アルコール好きの吉井さんが、「このマークは大日本麦酒株式会社の印だね。その昔、札幌麦酒、大阪麦酒、日本麦酒(サッポロ、アサヒ、ヱビス)の三社が合併し誕生。戦後は財閥解体により、朝日麦酒と日本麦酒に分割された」と語ってくれました。と言う事で、沖縄戦当時の瓶のようですよ。

遺骨収集の様子48

ここも広い空間になっています。それにしても複雑な壕ですね~。そして文字通り巨大な壕である事が判明しました。とても大きな岩の中をくり抜いたように坑道が走り、所々に口が開いている‥‥。そんなイメージの壕である事が解りました。

遺骨収集の様子49

またまた開口部です。人の出入りはギリギリといった所でしょうか。お~。出ようと思えば出られそうです。光が差し込んでいるので逆光になっていて解りにくいですが、ここも広いです。外は障害物が無くて開けた空間がありそうです。何が見えるか開口部に近づいてみましょう。

遺骨収集の様子50

開口部はギリギリ人が出入りできそうです。そして外は開けているなと感じていましたが、見える風景にビックリです。ご覧下さいませ。写真中央に見えるのは「黎明之塔」です。同塔の上から2mから3mぐらいの上の部分ですが、柵も含めて白い塔がハッキリ見えています。また89高地山上も併せて見えていますね。写真では識別しにくいかもしれませんが間違いありません。写真の右下方向に第三十二軍司令部壕がある事になります。第三十二軍司令部壕まで、ここから直線で100mぐらいと語りましたが、あながち間違っていない事が判明しました。現在私達が居る場所は、この巨大な「炊事壕」の真北辺りに居ると思われます。

ここから見る風景は、今はこうして大きな樹木に覆われていますが、沖縄戦当時のように、木々がほとんど全て無かったとしたら、第三十二軍司令部壕の海岸側の壕口が、もしかしたらここから見えるかもしれません。そうだとしたら、有線でなくとも、ここから手旗信号で情報をやりとり出来るかもしれませんね。想像が過ぎますかね~~。(^^;)

遺骨収集の様子51

ここからは少し下に向かっているようです。

遺骨収集の様子52

更に下っています。ここも広い空間ですね。

遺骨収集の様子53

ここが「炊事壕」の一番底の部分と言って良いでしょう。「炊事壕」内部を一巡して来たようですが、ここまで見てきた通り、かなりの巨大な壕である事が判明しました。あちこちに広い空間がありましたし、通路部分も含めれば、かなりの人数の収容力がある事が判明しました。崖上の第三十二軍司令部壕と共に、この壕にも大勢の司令部首脳や直属部隊の兵士が寝起きしたのかもしれませんね。

不思議な現象です。この後最初に入った壕入り口部分に出ました。あれ~~~。何か狐につままれたような印象です。方向感覚を保持したまま、壕内を巡回していたと思っていましたが、全然違っていました。方向感覚に強い私でしたが、方向感覚は長時間壕内に留まると、結構狂ってしまうのですね~。まあ無事に出られたから由としましょう。「炊事壕」の印象としては、巨大な迷路と言った感じを受けました。今回は時間が無かったので、クマデや金属探知機は使用しませんでしたが、機会があればじっくり調査してみたいですね。(^o^)

PAGE TOP