私達はインターネットの普及を心から感謝したいですね。インターネットにより、シナ朝鮮の宣伝組織で、捏造・改ざん常習犯の国賊朝日新聞や、電子馬鹿箱(テレビ)による洗脳から解放されました。

「日本は侵略国家であったのか」

平成20年(2008年)11月、全国的な規模で大きな議論を巻き起こした、ホテル事業やマンション事業を全国展開するアパグループによる、第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集の最優秀賞を受賞した田母神俊雄氏の 「日本は侵略国家であったのか」 を、まだ読まれていない方々のために、ここでご紹介致します。(^o^)

田母神氏の歴史見解がテレビや新聞で取り上げられるようになって以降、全てのマスゴミが、(あっ間違えた)、全てのマスコミがこれでもかというほど激しくバッシングしていましたね。

もとより新聞は広告の包み紙ほどの価値しか見いだせない昨今ですが、シナ朝鮮の宣伝組織である赤匪新聞、もとい国賊朝日新聞、変態毎日新聞、革マル派東京新聞、中日新聞、北海道新聞、そして時事通信などのコミンテルン極左メディアは、東京裁判史観で洗脳し続けようと、プライバシーを含めて田母神俊雄氏への露骨な言葉を用いての個人批判論調の展開に、半ばあきれ閉口した人々も多かったのではないでしょうか。

多くのマスゴミが取り上げたこともあり、田母神氏の書いた「日本は侵略国家であったのか」の歴史見解について、多くの方々がすでに一定の先入観と見解をお持ちだと思いますが、電子馬鹿箱(テレビ)などマスゴミの悪意あるバッシングが止んだ今、これまでの経緯で皆様が持つ印象を一度脇に置いて頂き、どうぞ心を静め、そしてゆっくりと、あなたの目と心でお読みになって下さいませ。

そうすれば、田母神氏が私たちに何を訴えかけようとしているのかが、ハッキリと見えてくるはずです。

【日本は侵略国家であったのか】 (田母神俊雄氏)

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。

日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。

現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。

これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。

1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。

コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。

我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。

我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。

「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。

しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。

よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。

当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。

満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には三千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には五千万人に増加していたのである。

満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。

農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。

朝鮮半島も日本統治下の35 年間で一千三百万人の人口が二千五百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。

日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。

しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。

また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。

その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。

この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。

日本兵約一千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。

中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。一期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。

陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。

この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。

因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。

イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。

もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。

第一次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。

現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。

その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。

これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。

中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。

それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。

また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。

常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。

このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。

しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。

膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。

アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。

そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。

しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。

これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には三百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。

ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。

当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。

真珠湾攻撃に先立つ一ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第一撃を引かせる必要があった。

日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。

日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。

結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。

文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。

しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。

もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、二百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。

そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。

当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。

しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。

これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実効支配が続いている。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。

自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。

諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。

アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。

改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。

日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。

私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。

今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。

タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。

日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。

私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。

日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。

個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。

私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

『アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文』から転載させて頂きました

いかがでしたか~。(^o^)

田母神俊雄氏執筆による、この大東亜戦争に至る前後の歴史見解を読んだ人の中には、目頭が熱くなった方々も多いと思います。勿論私もその一人です。

私事で恐縮ですが、国際情勢にあまり関心のない私の妻にも読んでもらいましたが、詳しいことはよく判らないけれどと前置きして、「この方は日本を心から愛しているわね」 と感動したように語っていました。

これは論文ではなく、啓蒙するための見解と呼ぶのが相応しい印象ですが、非常に簡潔でわかりやすい文章となっていますね。「難しい事柄を易しく解説する」、田母神俊雄氏の文言の選択・構文のように、誰にでもわかりやすい文章を書くというのは意外と難しいものです。

それはともかく、本文には"真実"が満開の桜のように書き込まれているのが嬉しいですよね。

これは田母神俊雄氏をはじめ私たちの先人そして先達の方々が、日本の尊厳を守るため使命感をもって歴史の真実を求め渉猟し、史実を掘り起こしてくれた貴重な成果だといえるでしょう。

私たちは田母神俊雄氏のような"日本を心から愛する"人々と連帯し、英知を結集して、氏が語るように真実の 「誇れる輝かしい日本の歴史」 を、私たちの手に取り戻さなければならないのです。

珠玉の歴史見解を示された田母神俊雄氏は、講演会などで次のような話をされるそうです。

「『忠臣蔵』を討ち入りの場面から始めたら意味がない。その前の経緯を述べ、いかに赤穂浪士らの心理的変化があり、忠臣としての義挙に及ばざるを得ないかを書くから全体像が解りかつ歴史が理解できるのです。それと同様に、真珠湾から物語を始めたら、それ以前の日本が艱難辛苦を乗り越え欧米の差別と虐めに耐え、それでもなぜ立ち上がらざるを得なくなったのかの行程と、その歴史的必然性を理解することは出来ません」

私たちは田母神俊雄氏が指摘するように、幕末から明治、大正、昭和へと続く当時の世界情勢の視点から、もう一度日本の近代の歴史を俯瞰してみる必要があると言えるでしょう。

その意味において、皆さまにぜひ推薦したい、素晴らしい大作の著書三冊をここでご紹介させて頂きます。

「大東亜戦争肯定論」

林 房雄著 親書館 平成2年(1990年)初版

著者林房雄氏は、題名の通り大東亜戦争論を論述するにあたり、明治維新よりも20年も遡った1862年(文久2年)の薩英戦争の発端となった「生麦事件」の事件背景から解説を始めています。

「大東亜戦争への道」

中村 粲著 展転社 平成2年(1990年)初版

著者中村氏は、663頁に及ぶ大部の著作は、著者自身が「日本の冤をそそぐためにこれを書いた」と語っていますが、この大作もまた 明治維新の後の1871年(明治4年)の日朝関係と支那との間で結ばれた「日清修好条規」の解説から、大東亜戦争の論述をスタートさせているのです。

「米英のアジア・太平洋侵略史(1521-1939年表)」

柴田賢一著 平成24年(2012年)初版

著者柴田賢一氏は、歴史年表1521年(大永元年) 「スペイン人マゼラン、フィリピンに漂着」 から論述を始めています。
旧版である昭和17年(1942年)に出版された「米英の東亜侵略年譜」は、終戦直後GHQにより没収図書に指定されたため、図書館や古書界から姿を消していましたが、現代表記・仮名づかいに直し、補筆訂正を行い刊行されたものです。

各著者が指摘するように、大東亜戦争を読み解くには、このように遥かに歴史を遡らなければならないと言えるでしょう。

ロシア革命以降の共産主義防遏に、日本がどれくらい国力を傾注し、かつ苦慮していたかという事を含め、何世紀もの長大な歴史絵巻を紐解かなければ、大東亜戦争における日米激突の諸原因は視界に見えて来ないのです。

「自国の歴史は自分の命である」
この言葉は、『言挙げせよ日本』(プレジデント社)の著者松原久子氏が本文中で述べられている言葉です。

私たちは彼女が本文で語っているように、「自国の歴史は自分の命である」という強い気概を持って、日本の歴史を守っていかなければならないと思うのです。

松原氏はドイツに在住し、日本国を言論で防衛している貴重な日本人なのです。氏の言葉を借りれば「傷ついて傷ついて、悔し涙を流して」、防衛している唯一人の日本人といえるでしょう。

松原氏が『言挙げせよ日本』(プレジデント社) の本文の中で、「歴史に対する執着」と「史実による自己正当化」はヨーロッパ人の習性である。>(同32頁)と述べていますが、この気概で日本の歴史を見つめている日本人がどれくらいいらっしゃるでしょうか。

美しい言葉で自己を正当化するという、西洋の伝統を真似してまで歴史を装飾する必要はありませんが、私たちもまた同じ気概で伝統ある日本の文化と歴史を守って行かなければならないのです。

特に国家間における戦争の敗戦は、例外なく国家の歴史と伝統を分断します。敗戦国日本も例外ではあり得ません。

ですから、私たち児孫に付託された戦後復興とは、歴史と伝統の復興でなければならない のです。詩人の高村光太郎氏が語るように、「いにしえに帰り、源に遡る」 必要があるのです。

「歴史は真実が記録されねばならない」
これは私の発した言葉ですが(^^;)、すごく当たり前の言葉なのですが、世界史を俯瞰してもこの言葉がむなしく思えるだけでしょう。

例えば、広島・長崎への原爆投下は、国際法からみても間違いなくジェノサイド (集団殺害) である訳ですが、世界史ではそのように記載されていません。その点に関して著名なゴールドヘーゲンは、「広島・長崎の出来事がジェノサイドであると見なされないのはどうしてなのか」という問いに対して、次のように答えています。

「それは勝利者たちが歴史を書くからだ。それは大量殺害だった。この爆弾投下は、戦争を終わらせるために必要なものではなかった。日本人は降伏する用意があったし、ハリー・トルーマンはその事を知っていた。…」と答えています。

また中国が主張する「南京虐殺」について、国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかったにも関わらず、米国議員をも買収してまでもプロパガンダの吹聴を執拗に繰り返しています。

南京について特に憤慨するのは、虐殺があったとするプロパガンダを吹聴する中国、そして中国にお追従している欧米もまた、虐殺があった事を示す一次資料をまったく提示できていないという点です。

一体全体、歴史的事実を確定するのに、こんな事が許されて良いのでしょうか。東京裁判でも、多くの中国人が虐殺の風景を証言しましたが、これは通常の裁判と異なり、証人宣誓が求められず証拠検証も為されない、まさに言いたい放題の政治宣伝の場だったのですから驚くばかりです。

この東京裁判では、虐殺者数30万人という証言に疑念を持ったロヴィン弁護人が 「私の承知している限りでは、南京の人口は20万人ですが…」 と質問すると、ウェッブ裁判長は 「今はそれを持ち出す時ではありません」 と慌ててロヴィン弁護人の発言を遮ったという話は、東京裁判本には頻繁に書かれているのでご存じの方も多いはずです。

南京入城を指揮した松井石根司令官は、理不尽にも東京裁判で絞首刑にされ断頭台に果てましたが、松井石根司令官は南京入城後二週間経過した時に、隷下の部隊に次のような通達文を発しました。

南京デ日本軍ノ不法行為ガアルトノ噂ガアル。入城ノトキ注意シタゴトク日本軍ノ面目ノタメニ断ジテコノヨウナコトハアッテハナラヌ。コトニ朝香宮ガ司令官デアラレルカラ、イッソウ軍規風紀ヲ厳重ニシ、モシ不心得者ガアレバ厳重に処断シ、マタ被害者ニ対シテハ賠償マタハ現場変換ノ措置ヲ講ゼラレヨ。

皆様、熟読されていかがでしょうか。全軍にこうした綱紀粛正を促す命令を発した松井司令官が、後に真逆と言える “全ての南京市民を大虐殺せよ” などという命令を発するでしょうか。松井司令官の南京統治は、軍による治安維持の徹底が高く評価され、海外の南京に関わる多くの著書で絶賛されているという事実があります。当然な話だと思いますが。

南京が陥落した時に、松井石根司令官は速やかに停戦交渉を呼びかけましたが、国民党軍の蒋介石、何王欽は真っ先に敵前逃亡し、唐生智南京市防衛司令官も陥落前日に、自軍部隊を放置して自分一人逃げてしまった。南京市中に居た敗残中国兵は大混乱となり、「軍服を着ていたら殺される」と思い込み、南京市民の家を襲い住人を殺害したり衣服を奪ったりしたため、市中は大混乱となったのです。

市中には脱ぎ捨てられた中国軍軍服が大量に散乱していた事からも明らかなように、中国軍兵士は民家から奪った衣服をまとい“便衣兵”として潜伏したのです。中国が大虐殺の証拠写真として提示しているものは、ほとんどが中国軍兵士が衣服を奪う際に南京市民を殺害した時の死体であるといって間違いは無いと言えます。

こうした状況を踏まえるときに、「ありもしない南京虐殺をでっち上げる暇があったら、黄河決壊事件 をなぜ中国の歴史教科書に載せないのか」と中国に突っ込みを入れたくなりますが、 国民党の極秘文書 『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』 によれば、南京戦を期間に含む1937年12月1日から翌年1938年10月24日までに、国際宣伝処は漢江において外国人記者・外国公館職員が多数参加する、今で言う記者会見を300回つまり毎日のように開いていますが、その記者会見の中で「南京で市民虐殺があった」とか、「捕虜の不法殺害があった」とかの日本軍を非難する文言はただの一度も登場しません。

なによりも独裁者スターリンに次ぐ千万人単位で自国民に対し凄惨な虐殺を繰り返した中国の指導者毛沢東は、日本軍に対し復讐心で胸が張り裂けそうなぐらい限りなく憎しみの心を持っていたであろうはずなのに、1976年に没するまで、すなわち戦後31年間彼の演説の中でただの一度も南京事件を取り上げることは無かったし、更に続ければ毛沢東亡き後も1982年まで、すなわち1937年の戦南京事件から45年間に及ぶ長い間、中共独裁政権は引き続き南京事件を取り上げることはありませんでした。

中国が南京事件を取り上げるようになったのは、1982年以降日本の朝貢新聞 (アッ間違えた(^^;)) 日本の国賊朝日新聞のねつ造記事をきっかけとして、日本政府の弱腰外交が露呈し、“日本への恫喝が金になる” と味を占めてからだ!。

一方で韓国は「20万人の女性を強制拉致して戦場で慰安婦にした」と主張していますが、こちらも南京事件と同じく証拠としての一次資料の発見が一切無いまま、厚顔にも未だに20万人もの女性の強制拉致があったと主張していますが、韓国の主張も中国の南京事件と全く同じ経過をたどっているのが見てとれます。すなわち "日本への恫喝が金になる" と知っての、韓国の得意技たる政府と国民がグルになっての歴史のねつ造です。

「南京大虐殺はなかった」

前田雄二著 善本社 昭和5710年(1982年)初版

「南京事件の総括―虐殺否定の論拠」

田中正明著 展転社 平成13年(2001年)初版

「"まぼろし派" の第一人者が、南京事件から50年の節目に刊行した不朽の名著、いま堂々の復刊。 "虐殺" は完全に否定された。」

「『南京虐殺』への大疑問」

松村俊夫著 展転社 平成10年(1998年)初版

「南京事件の探究―その実像をもとめて」

北村 稔著 文春新書 平成13年(2001年)初版

「『南京事件』日本人48人の証言」

阿羅健一著 小学館文庫 平成13年(2001年)初版

「南京事件『証拠写真』を検証する」

東中野修道、小林進、福永慎次郎著 草思社 平成17年(2005年)初版

「東中野修道教授を中心とした南京事件研究会写真分科会が、「南京虐殺」 の証拠として使われている写真143枚を取り上げ、初めて総括的な検証を加えたものである。写真分科会は、そこに写された影の長さを計測して季節を特定し、関連刊行物との照合によって写真の初出をつきとめ、さらには近年公開された中国国民党中央宣伝部の極秘文書を援用して、国民党の戦争プロパガンダとこれらの写真との驚くべき関係を明らかにしてゆく。三年の歳月をかけた公正かつ画期的研究成果である。」

「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」

東中野修道著 草思社 平成18年(2006年)初版

「再現 南京戦」

東中野修道著 草思社 平成19年(2007年)初版

「当時の一次資料が明らかにする戦いの全貌。 「大虐殺」 の虚構性を立証した決定的研究!」

「南京の実相 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった」

日新報道 平成20年(2008年)初版

「南京「大虐殺」被害証言の検証」技術屋が解明した虚構の構造

展転社 平成24年(2012年)初版

「杭州―南京で何があったのか。本多勝一著『南京への道』の被害者証言を徹底検証。真実を知らなければならない日本人必読の書。」

これらの本やサイトをぜひぜひぜひご覧下さいませ。まさに南京の真実が書き込まれています。記載されているすべてが、南京における偽らざる真実の描写と言えるでしょう。

南京における「南京大虐殺」説は、東京裁判において唐突に登場しました。それは米国による広島・長崎への原爆投下、そして一夜で10万人もの一般市民を殺戮した東京大空襲を始め、日本の70近い都市を焼き払い、50万人以上の日本の一般市民を殺害した国際法違反のジェノサイドを、希薄化させ、あるいは正当化させようとの意図で、連合国の口裏を合わせねつ造されたものである事は明らかです。

米国もまた南京大虐殺の証拠としての一次資料を一切提示できていせんが、かつて有力な証拠とされたのは、虐殺発生時南京に在留し虐殺の様子を目撃したとされる米国宣教師たちの東京裁判における証言ですが、現在はその証言のすべてがねつ造あるいは虚飾であることが判明しています。

すなわち、現在では 米国人の“南京虐殺の目撃証人”は一人も居なかった ことが明らかとなっています。また日本軍が南京で行った大残虐をこの目で見たと、米国内で執拗に宣伝し続けた、宣教師ベイツとフィッチの二人は、実際に見ていなかったし、蒋介石に顧問として金で雇われプロパガンダを吹聴していたという事もすでにも判明しています。

特にこの米国宣教師ジョージ・フィッチという男は、上海の日本租界にある虹口公園で白川義則大将と重光葵の二人を死傷させた朝鮮人テロリスト尹奉吉を匿い続けるなど、知れば知るほど正に蒋介石の手足となって反日行動を展開しているのに腹が立つほどです。このように当時中国に滞在した米国宣教師という連中は、胸に十字架をぶら下げているものの、一攫千金をもくろんで中国入りし蒋介石軍にとり入った連中ばかりであり、対応した日本軍が如何に連中に手を焼いたか、今を生きる私たちはしっかりと思いを馳せねばなりません。

マイク・ホンダという米国議員をご存じの方も多いと思います、特に右側の人は。(笑)
中国の主張する「南京大虐殺」と、韓国の主張する「従軍慰安婦」について、中国と韓国の側に立ち、お節介にも他国の外交問題を解決しようと熱心に仕事をしておられます。

しかしながら彼はウィキペディアによれば、「南京大虐殺記念館を米国に開設しようという中国系組織の「中国ホロコースト米国博物館」などをはじめ、特に2006年の下院選挙の際には94名、約11万ドルの献金を中国系から受け取っていたと報道しており、ホンダが受けた献金のうち人数で21%、金額で30%が中国系からのものであると伝えられ、ホンダ議員の日本に関する一連の行動の裏にはその力が働いていると指摘している。(ウィキペディア)」

一方韓国からは、
「Korean American Voters' Councilによれば、慰安婦問題をめぐる対日謝罪要求決議案[16]が採択された2007年から2010年にかけ、アメリカの上下院議員中、韓国系から最も多額の政治資金を集めた議員であった。その額は13万9,154ドルであった。(ウィキペディア)」

マイク・ホンダ議員は、この従軍慰安婦問題について、日本軍による強制拉致について確たる証拠を握っているわけでは無いようです。彼が日本軍による強制性を信じる根拠について、同じくウィキペディアによれば驚くことに、「実際に被害者が語っている」「首相が実際に謝っている」を挙げています。 アヘッ。

実際のところ米国議員のレベルなんてこんなもんですよ。彼はとても懐具合は良さそうですし…。という事でマイク・ホンダ氏は中国様と韓国様の太鼓持ちという事で、彼の言うことは聞き流すようにしましょうね~。(笑)

米国や中共支那、そして南北朝鮮が仕掛ける「日本が全て悪かったのだ」という、荒唐無稽なプロパガンダ戦略に振り回されるのは、もういいかげんに止めにしましょうよ。

「アメリカの日本空襲にモラルはあったか」(副題:戦略爆撃の道義的問題)

ロナルド・シェイファー著 草思社 平成8年(1996年)初版

太平洋戦争下の米国の戦争責任を問う。米国は太平洋戦争を正義と人道を掲げて戦ったが、この戦争で最も残虐だったのは、一夜で十万人の非戦闘員を殺した3月10日の東京大空襲であり、二つの原爆だったのだ。米国のメディアは戦時中の日本軍のモラルを批判する。しかしその前に読まなければならないのはこの本だ。

「大空襲と原爆は本当に必要だったのか」

A・C・グレイリング著 河出書房新社 平成19年(2007年)初版

連合軍による大規模な無差別都市爆撃の「犯罪性」「道義的責任」を正面から論じる日本人必読の書です。50万の日本市民と30万のドイツ市民は、なぜ死ななければならなかったのか。

日本が独立国として二度と立ち上がれないようにと、サンフランシスコ講和条約の範疇を超えて計画・実行されたGHQの占領諸政策と、国際法上違法な「東京裁判」を強行し、従って違法な報復裁判によりA級戦犯の方々は無実にも関わらず絞首台に登ったなどなど…。

これらから理解できますように、歴史はあまりにも「戦勝国が決めるもの」であり、「外交力が決めるもの」に随していると思えてならないのです。

「歴史」は放任しておけば、ライオンの前の逃げ遅れたトムソンガゼルのように、容易に諸外国の仕掛けるプロパガンダ戦略の餌食となり、国家の威信と尊厳は悪意ある他国により貶められ、いつのまにか誤った歴史が真実だとして世界史に刻まれていく事になるのです。

ひとつはっきりと言えるのは、歴史は守るべきもの なのです。磨き込んだ「言論」という鋭い武器を携え、出血をも覚悟し剣を交えるように、戦いそして守り続けていかなければならないものなのです。

松原久子氏のように 「傷ついて傷ついて、悔し涙を流して」 さえも、守るに値するものなのです。

繰り返しますが、私達日本人一人一人が、松原久子氏が語る「自国の歴史は自分の命である」という強い気概を持って、先人が身命を賭して残してくれた、日本のかけがえのない正しい歴史と伝統を守り続けていかなければならないのです。

松原久子氏の著書紹介です。日本人としてすごく勇気が湧いてくる本ばかりですから、ぜひ読んでみて下さ~い。(^o^)

「日本の知恵ヨーロッパの知恵」

松原久子著 三笠書房 昭和60年(1985年)初版

「和魂の時代」 (副題:開き直った「杭」は打たれない)

松原久子著 三笠書房 昭和62年(1987年)初版

「言挙げせよ日本」 (副題:欧米追従は敗者への道)

松原久子著 プレジデント社 平成12年(2000年)初版

「驕れる白人と闘うための日本近代史」

松原久子著 文藝春秋 平成17年(2005年)初版

※著者が語る「自国の歴史は自分の命である」という箴言を、私たち一人一人の信念としたいですね。

松原久子氏は私たちのためにヨーロッパで孤軍奮闘して戦ってくれています。ぜひ「著作権料」で応援してやって下さいませ~。

田母神俊雄氏の小論文が公開されて以降、予想通り属国日本政府は否定的見解で対応し、大手メディアもこれまた予想通り、買弁論客を動員し激しくバッシングし続けました。ワシントンと北京の代理人であるマスメディアは、東京裁判史観に風穴を開けようとした田母神俊雄氏を、断固排撃する目論見のようです。

しかしながら田母神俊雄氏の指摘した歴史的な経過についての見解は、国内外の歴史学者による研究と、諸外国の経年による継続的な情報公開による外交文書の開示などにより、すでに国際社会で情報の共有が為され、ピックアップされている歴史史実がほとんどです。

ですから田母神俊雄氏が “新しい歴史史実を発見した” というような話ではなく、すでに流布されている歴史解釈を、田母神俊雄氏なりに味付けして発表したに過ぎないのです。それなのにマスメディアのあのような個人を痛罵する論調も含めて、極めて異常な攻撃と写るのは私だけではないと思われます。

いずれにしても中共独裁政権工作機関の下請けである朝日新聞やNHK、そしてワシントンの代理人である既存マスメディアからは、"正鵠を得た"真の情報は得られません。

今はインターネットの時代ですよね。やはりネット上には、素晴らしい情報が溢れている事が実感できます。田母神俊雄氏の小論文に対し、ネット上ではどのような反応があるのか !。注意深くウォッチし続けましたが、ここで皆様に本当に素晴らしい歴史見解をご紹介します。(^o^)

このサイトは、メルマガスタンド[メルマ!]が配信しているメールマガジンです。[メルマ!]内では、常に購読者の多い人気メルマガなのです。

このメルマガは、評論家であり精力的に著書の出版も重ねている宮崎正弘氏が、独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析し配信しているものです。

また宮崎正弘氏個人のウエブサイトもありますのでご紹介します。

国際情勢や世界経済、時事問題に強くなりたいという方は、この「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」メルマガがお勧めです。「早読み」というタイトルが示すとおり、新聞などよりも迅速に情報を得る事が多いのにビックリです。

サイト管理人もこのサイトでずいぶんと勉強させて頂いています。皆様に是非お勧めのメルマガですよ~。(^o^)

またこのメルマガでは、読者の投稿も適宜転載して下さるのですが、この読者投稿もまた素晴らしい!。読者層の厚さに比例するように見識の深さを感じさせる投稿が目立ちますし、思いも寄らない発想による投稿があるので、思考の幅を拡げ深めるために極めて有効な情報を得る事にもつながっています。

今回皆様にご紹介させて頂くのは、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」で、平成20年(2008年)11月14日(金曜日)通巻第2385号 (11月13日発行)の中で読者投稿としてメルマガに掲載された、(神戸H生)さんの歴史見解です。

メールマガジンのシステム上、投稿者のメールアドレス等は管理者からは見えないという事ですから、(神戸H生)さんの転載許諾を得られていませんが(^^;)、筆者である私も心から感動した文面であり、ぜひ広く社会にご紹介・推薦したい思いが募りました。

誠に相済まない事ではありますが、転載許諾無しでここに掲載させて頂きました。

それでは (神戸H生)さんの、田母神俊雄氏「日本は侵略国家であったのか」に関する見解です。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 (神戸H生さん)

(読者の声2)
田母神氏に批判的なコメントも散見されますが、私の見解は以下です。

!)自衛隊員が職務に関連する意見などを公表するときには文書をもって承認を得るべきだが、これに反した・・・。
実際の運用まで知りませんが、解釈の相違では?
核武装論、憲法9条改正論、軍備、戦術・戦略論ならともかく「歴史観」まで職務と関係するとは思えない(もっとも田母神氏も行動に思慮が浅い気はする)。

!)反政府言動とも解される恐れのある主張を公表したことが問題・・・。
確かに反政府的である。米国(連合国)側は東京裁判史観による占領政策を続けてきたのであるから、これに反すれば現体制から罷免されるのはやむを得ない(田母神氏や論文を口を極めて罵倒するのはそちら側の人である)。

しかしその現政府とは占領軍による傀儡政府である。
逆にこれこそが検閲・報道統制・焚書によって封じ込められてきた「日本」の民意である。

田母神氏に現体制の正統性を問うまでの覚悟があったとは思えないのが残念だが、日本政府が傀儡政府であることによって生じる民意とのねじれこそが常に問題の本質。

現政府(占領軍)に対する日本や自衛隊の軍事的クーデターは不可能であるが、思想的蜂起は可能。
自衛官としての発意に意味があり、思想的にはクーデターに等しいという自覚は必要であった。

こうなった以上、せめて占領軍の洗脳から目覚める人が増えることを望む。
実は田母神氏さえ完全には洗脳が解けていないのではないか。

1000年単位の歴史の真実/占領軍による洗脳とは:
あの時、我々が戦った敵は何であったか。
欧米(白人)による人種差別、一極支配体制ではなかったか。

・「あの時、世界は白人の支配下にあり、有色人種は奴隷的立場にあった。」
・「これに抗する能力のある有色人種の国は日本だけであった。」
・「大いなる犠牲の結果、多くの植民地が独立を果たした。」

異論もあるでしょうが、1000年経っても争いなく残る歴史的事実はこの3点だけです。

枝葉の事(コミンテルンの浸透や策動、中国戦線の背景や軍の「暴走」、国内・国外の金融資本による利権争い、各陣営の個々の戦争犯罪など)は、数百年も経てば、本筋からはどうでもよくなってきます。

中国戦線などは内戦に日米ソが加担した(巻き込まれた)という程度で、世界史上の意味はありません(他に数百年後でも残る事実は、原爆による大虐殺くらいなので彼らにとっては真偽などどうでも「南京」が必要なのです)。

この「植民地の圧政と解放」は、欧米(白人)にとっては意地でも認められない事実であり、だからこそジャップは許せません。
占領軍が徹底的に弾圧・統制した思想の本体です。

田母神論文とは:
事実関係では争いようがないので、「彼ら」は枝葉にインネンをつけるでしょう。

「田母神論文」については、突っ込みどころもあるでしょうが、そもそも本職の研究者による学術論文ではなく、一般向けの啓蒙書ととらえるべきもの。

日本は今、経済・金融、軍事、政治、報道全てが占領下にありますが、彼らは、日本人が「気付くこと」、「立ち上がること」を恐れています。
田母神論文は「彼ら」の逆鱗に触れたのです。

「言っただけ」でも氏の立場上、彼らの封じ込めに対する爆弾投下、クーデターに匹敵するはず。

内容の瑕疵や審査過程、企業との関係、シビリアンコントロール論などどうでもよく、国民を洗脳から醒めさせてはならないのです。

やはり、国会でも枝葉を攻撃したり、論点をすり替えたりして彼らにとってマズい本旨には触れさせませんでした。議員や政党だけでなく、大マスコミは被支配下にあるので、洗脳されたままの人、洗脳する側の人、洗脳が解けたくない(洗脳を認めたくない)人、 便宜上洗脳された立場からコメントする人等しか出てきません。期待しても無駄です。
誰もが口を極めて「田母神論文」を罵倒しています。

世界は真実や善意で動いているのではなく、悪意、ウソ、謀略、工作に満ちています。

日本人はお人よし過ぎます。
これは占領に対するレジスタンスなので、本来大きな犠牲を伴うもの。指摘する側も覚悟が必要です。

洗脳と仕掛け:
日本を支配・管理する「彼ら」の洗脳から脱却するには仕掛けを知らねばなりません。

宗主国(占領者)は彼らに対して攻撃が向かわないよう、別に対立軸を設けるのが常套手段。
この方法は、周辺諸国においても対外的、国内的な反日世論として利用されています。

日本ではこの対立軸が国内で形成されているようにみえます。
真の支配者に抵抗が向かわない巧妙な仕掛。もし意図的なものでなくても結果として「彼ら」の思惑通りになっています。

愛国的民族主義者の方、果たして敵は朝日新聞や、中国韓国北朝鮮でしょうか?
リベラルを自称する進歩的?マスコミの方、敵は「日本」や軍部でしょうか。
それで何が解決するのでしょうか?

今、日本を実効支配しているのは誰でしょうか?

反体制を自称する方、噛み付く相手が違うのではないですか?
日本人を言論封殺(核武装論など)するのは何の力でしょうか?

敗戦国内での内輪モメで喜ぶのは誰でしょうか?
あの時、我々の敵は何であったのでしょうか?

日本が憎むべき「侵略者」であったというのは、支配者たる白人と一部の国では今もその番頭である華僑の観点に過ぎず、彼らにそう言われるならむしろ名誉なこと。
彼らに虐げられた被支配者にとっては一時でも希望の星であったはず。

少なくともそういうプライドを取り戻し、将来は真に輝いて欲しい。
思想的な蜂起はいつでも可能なはずです。

どうでしょうか。洗脳を解くにはこれくらいは言うべきでは?

もちろん大マスコミには圧殺されます。しかし幸いなことに、中国様に占領されるのと異なり、アメリカ様は民間人のこの程度の言論の息抜きは許してくれるようです。

私の場合、洗脳を解くのに役立った書物の例:

「GHQ焚書図書開封」米占領軍に消された戦前の日本(西尾幹二)
「閉ざされた言語空間」占領軍の検閲と戦後日本(江藤淳)
「侵略の世界史」この500年白人は世界で何をしてきたか(清水馨八郎)
「秘密のファイルCIAの対日工作」(春名幹男)

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から転載させて頂きました

皆様も読んでみて如何でしたでしょうか?
素晴らしい歴史見解だったでしょ~~~~~~~~~~~う。(^o^)

日本人は本当にスゴイですよね。
在野に(神戸H生)さんのような、すぐれた識見を持つ方々がたくさんいらっしゃるのですから。

上記四冊は私も読了していますが、著者の真実解明への熱意が伝わり来る、本当に素晴らしい本ばかりですよ。(神戸H生)や私のように洗脳から解き放たれ、身も心も重苦しい梅雨空から一気に天高い秋空へと誘ってくれるはず。皆様も是非読んでみて下さいね~。

田母神俊雄氏や、(神戸H生)さんの歴史見解が、日本人の51%を超えて支持されるようになった時…。

その時こそ、日本人の思考の奥深くまで染みついた「東京裁判」史観という洗脳から解き放たれる時であり、いまだ占領国である米国からの日本国独立を果たす為のスタートラインに立つ時と言えるのではないでしょうか。

出来れば私たちの世代で…。
いや絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、私たちの世代で米国からの独立を果たしましょう。

困難ではあっても私たちの世代で日本国の正しい歴史と伝統とを取り戻し、次の世代である私たちの子供たちには、世界の平和と繁栄に専心できるようにしてやりましょうよ。

「一燈照隅、万燈照国」 という箴言があります。それにはまず私たち一人一人が、自分の仕事に誇りと責任を持って遂行していく事から始めねばなりません。

私たちひとりひとりが「独立自尊」の精神哲学を涵養し、その結果の総体が愛国心を醸成させ、最終的に凛とした国家思想を持つことが可能となり、国家繁栄の道につながっていくという事ではないでしょうか。

同じ見解を共有する人たちが手を携え結束して、日本国の真の独立を目指して頑張りましょう。

↓↓↓↓↓ 侵略国家はどの国なのか、動画をご覧になれば解りますよ~。

動画ご紹介

「zeitgeist(時代精神)日本語字幕」

田母神俊雄氏の歴史見解である「日本は侵略国家であったのか」が報道され始めると、全てのマスメディアが、徹底的に田母神俊雄氏を非難し罵倒したのは周知の通りです。

田母神俊雄氏自身も、「 "日本は素晴らしい国だ " と語ったらクビになってしまった」 と語っていたのが印象的でしたね。

それではここで、田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」という素晴らしい歴史見解を非難する立場の歴史見解をひとつご紹介致します。

「田母神氏の主張は単なる思い付きだ。この文章は、大学の「レポート」にすらならない、ただの「作文」なのだ。」 と主張する、大学講師であらせられる上久保誠人氏の見解を聞いてみましょう。

上久保誠人氏の見解は、下記のサイトに掲載されていたものです。

【田母神問題で思う、世界で通用しない保守派の内弁慶】
上久保誠人氏(大学講師)

自衛隊元空幕長・田母神氏の書いた文章が世の中を騒がせていたが、今回この文章について初めて書いてみたい。しかし、その主張の内容の是非、及び文民統制の問題は取り上げない。それらは、既に様々な識者が論じ尽くしているからではあるが、それ以上に、そもそも論じる価値がないからだ。

田母神氏の文章には、彼の主張の根拠・理由となる参考資料・文献が一切明示されていない。つまり、田母神氏の主張は単なる思い付きだということだ。少なくとも、学問の世界ではそう看做される。

たとえ、田母神氏が長年に渡って歴史を深く学んでいたとしても、それが文章上に示されていなければ意味がない。田母神氏が私のゼミの学生で、この文章をレポートとして提出してきたら、私の採点は「不可」である。この文章は、大学の「レポート」にすらならない、ただの「作文」なのだ。

私はこの連載など、参考資料・文献を明示しない評論として書いた文章を「論文」とは呼ばない。それは研究者としての最低限の矜持である。田母神氏の文章を「論文」と呼ぶのは、我々研究者に対して失礼である。

保守派の「歴史認識」は世界の非常識となっている現実
しかし、「田母神作文」は論じる価値がないが、田母神氏の傲慢な態度は少々気になる。それは典型的な「声高な主張をする保守派」の態度だからだ。私は英国に住んでいた頃、保守派の主張の是非はともかく、その態度に違和感があった。

なぜなら、今回の作文のような「歴史認識問題」について、保守派の「声高な主張」と、欧米での認識が全く異なっていたからだ。

「従軍慰安婦問題」を具体例として挙げる。「従軍慰安婦の徴用に官憲による誘拐といった強制性はなかった」「従軍慰安婦のほとんどは日本人の売春婦で植民地出身者は少数でなかった」「従軍慰安婦が性奴隷であると主張しているのは中国・韓国の学者だけで、強制性がなかったのは世界の学者の常識」。これが保守派の主張である。

ところが、私が読んだ海外メディアではこんな風に報道されていた。「歴史学者達は、1930年から40年代にかけて朝鮮半島と中国出身者が大部分の約20万人の女性がアジア全域の日本軍の売春宿において奉仕させられたと指摘している。

多くの女性達は、自分たちが日本の部隊に誘拐されて性的奴隷になることを強制されたと証言している」(ワシントン・ポスト)「歴史学者たちは、大部分が朝鮮半島と中国出身の少なくとも20万人の女性が第二次世界大戦中に日本軍の売春宿で強制的に奉仕をさせられたと考えている」(BBCウェブサイト)

「歴史学者たちは、大多数の中国や朝鮮半島からの20万人の女性が2000箇所の慰安所で強制的に働かされたことを信じている」(ガーディアン)。

つまり、世界の学者は「従軍慰安婦は性奴隷」と結論付けているというのであり、これは、保守派の主張と真逆なのだ。

海外の批判から逃げる保守派の怠慢
私が問題視しているのは、保守派の主張そのものではない。正しい部分もあるとは考えている。政治学の研究者として、自分の研究の範囲内で日本人や日本社会の性質を考えてみても、軍に一部の暴走があったとしても、大規模で組織的な誘拐というのは考え難い部分があるからだ。

しかし、深刻な問題となっているのは、そのような保守派の主張の是非以前のところにあるのだ。

私は、保守派が日本国内で「声高な主張」を繰り広げる一方で、彼らの主張を外国に対してぶつけてみるという努力を全くやってこなかったことが問題であると考える。

例えば、一昨年の米議会での従軍慰安婦問題に対する謝罪決議の際、提案者のマイケル・ホンダ議員に対して日本の国会議員は誰も会いにいかなかった。ホンダ議員本人はともかくとして、せめて決議案を出している民主党に接触すればいいのに、自民党幹部が会いに行ったのは元々仲のいい共和党議員だった。

また、平沼赳夫氏らがワシントン・ポストに従軍慰安婦問題に対する保守派の主張を伝える広告を出したが、むしろホンダ議員の地元に近いロサンゼルス・タイムスに広告を出すべきだった。

つまり、保守派はこれまで外国の雑誌や新聞に論文を掲載することや、外国の政治家やマスコミを説得するなど、日本の理解者を増やす努力を怠っていたのだ。いや、それだけではなく、保守派は海外の批判から目を背けて逃げ回ってきたとさえ言える。そのツケが噴出しているのだ。

その結果、「従軍慰安婦は性奴隷であるというのが歴史学者の結論であり、世界の常識」となっている。保守派に対して「日本には一部、ヒトラーを肯定するような主張をする者がいる」などと批判する海外メディアもあるのである。

それに対して、保守派が「従軍慰安婦は性奴隷ではないというのが世界の常識」という、ありもしないことを日本国内向けだけに声高に語り続けてきたことに対して、私は英国在住時代から違和感を持ってきたのだ。

「国際派保守派」の養成に取り組め
私は保守派に1つ提案がある。それは、「国際派保守派の養成」に早急に取り組むことである。要は、英語で海外に対して保守派の主張を発することができる人材を育成しないといけないということだが、重要なことは、政治家やジャーナリストレベルではダメだということだ。

「田母神作文」のようなものを、政治家やジャーナリストが中途半端な知識で適当に書いてしまっても、海外では全く相手にされない。 「またヒトラーを肯定するようなことを言う奴が出てきた」と言われて無視されるだけである。

だから、歴史学者のレベルで国際派保守派を要請しないといけないのだ。きちんとした資料を分析して、それを英語で論文にして発表し、世界中の歴史学者と議論して保守派の立場を理解してくれる仲間を増やしていくことができる人材を養成する必要がある。

仮に保守派の主張にも一理あるとしても、それを世界に理解してもらうには50年はかかると私は考えている。それが現実であり、日本国内にしか通用しないで「声高な主張」をしても、なんの意味もないことを保守派はそろそろ自覚すべきなのだ。

「DIAMOND ONLINE」から転載させて頂きました

なるほど…。
上久保氏は大学で講師をされているだけあって、さすがにただの「作文」は書かないという事が理解できました。なまなかな見識の持ち主である事を知り感動しました。そして象牙の塔の教授&先生方の脳みその巨大さを垣間見る思いが致しました。ただ難を言えば、仕事柄やむを得ないにしても、上から目線が強すぎですけどね。(^^;)

でもでもでもでも、さきほど (神戸H生)さんの見解を紹介しましたが、彼は何と言ったでしょうか?。

事実関係では争いようがないので、「彼ら」は枝葉にインネンをつけるでしょう。やはり、国会でも枝葉を攻撃したり、論点をすり替えたりして彼らにとってマズい本旨には触れさせませんでした。

いかがでしょうか~(^o^)。
(神戸H生)さんが指摘するように上久保氏もまた、田母神氏が主張する歴史観には、一文字たりとも触れませんでしたね。

「……ただの『作文』なのだ」 と、犬の遠吠えみたいな語りはありましたが、田母神氏の "歴史見解" への反論は一文字も無かったという訳です。たいそうなタイトルではありましたが。

これはどういう事かと言いますと、
要するに、
触れる事が出来ないのです。 田母神氏の歴史認識が正鵠を得ているから。

結局は上久保氏の「保守派の内弁慶」なる講義は、田母神氏の歴史認識が正しいことを証明しただけに終わりましたね。

「主題」と「論証」とが、まったく連関が無いので、上久保氏の作文の採点も「不可」ですね。キッパリ。(^_^;)

いずれにしても、彼が誰の指示により執筆したかは定かでありませんが、多くの御用学者たる歴史家だって本旨に触れることが出来なかったのですから、政治学、国際関係論、行政学、政策過程論がご専門の上久保氏に多くを期待する方が無理だったのです。

上久保講師様。(^o^)
英国にお住まいになった事もあって、欧米に "熱愛" しているあなたは、今とても視野が狭くなっていますよ。

そんな恋に夢中のあなたには、私から素敵な本をプレゼントいたします。

「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」

岸田秀著 親書館 平成19年(2007年)初版

ヨーロッパ人の "二枚舌" を見抜く眼力を、この本でぜひ身につけて下さいね。

田母神俊雄氏の歴史見解である「日本は侵略国家であったのか」は、社会党政権時代に発表した「村山談話」という政府見解に反しているとして、結局クビになりましたね。

昔のCMにあった "わたしはこれでクビになりました" より ひどくありませんか~。

田母神俊雄氏の講演も聴きましたが、「 "日本は素晴らしい国だ " と語ったらクビになってしまった」と語っていたのが印象的でしたよ。

今度の田母神俊雄氏解任騒ぎの過程で、しっかりと私たちの目に焼き付けられた事がありましたよね。

政治家・官僚・マスコミ・歴史学者そのどれもが、恐ろしいほどに「反日」一色に染まっている事が判明したのです。

政治家は選挙で当選する為ならためらう事無く日本を諸外国に売る。官僚はアメリカ様・中国様のご機嫌を宜しくすることが出世に繋がるという法則に見事に墨守しました。

マスゴミ、あれ、カスゴミ、あれ、あっカスカス?。失礼。(^_^;)

マスゴミは "ハニートラップ・マネートラップの罠にはまった記者連中ばかりだ" と言ったら失礼に当たるでしょうが (アッ言ってしまったか(^^;))、アメリカ様・中国様が仕掛ける東京裁判史観プロパガンダを吹聴するが故に、田母神俊雄氏を徹底的にバッシングしていたのを国民は目の当たりにしましたよね。

既存メディアは横の連絡網が完全に確立されているかのように、連携して国民に知られて困る情報を隠蔽し、かつ徹底的なイメージ戦略と情報統制を行う傾向が強くなってまいりました。

偏向報道といえば中共工作機関下部組織であるNHKもひどかったですね。田母神俊雄氏を犯罪者扱いしていました。年を追う毎に、中共工作機関下部組織であるNHKの反日報道が目に余るようになってきています。

私たちは中共NHKが「何を報道し、何を報道しなかったか」を、右翼、左翼の両視点からしっかりと監視していかなければならないと痛感しました。

田母神俊雄氏の歴史見解である「日本は侵略国家であったのか」 を、NHKが特別番組で犯罪者のようにこき下ろして以降、特にひどかったのが、2009年4月5日に放送された、「NHKスペシャルシリーズ JAPANデビュー第1回 アジアの"一等国"」という番組です。

これはひどかった!。日本と台湾の分断を狙った意図があからさまに表現されていましたね。

「NHKは中共独裁政権の望み通りの番組を作った」
つまり、「反日台湾」の印象付けと、日台離間を企図したものであると断言できるでしょう。

また中共工作機関が日頃行っている反日工作の、各種手口そのものを開陳し、露わにしたと言っても過言ではありません。

何しろテレビや映画で使用を禁止されている、「サブリミナル効果」なる、洗脳に使用する手口まで露骨に用いていましたからね。また中共NHKが、「NHKは中共独裁政権の下請け反日工作機関だ」 と自ら白状した番組でもありました。

【サブリミナル効果とは】

サブリミナル効果とは、サブリミナル・プログラミング法といい、電通発行の広告用語辞典によれば、「認知閾下の強さ(早い速度、小さい音)で露出する方法」 と書かれています。

フロイトは 「人間における、これが自分自身だと思っている意識の部分は海面上に突き出た氷山の一部分に過ぎず、実はその何十倍もの潜在している意識が、海面下に存在している。」 と説きましたが、人間の心理潜在意識と顕在意識二層のうち、潜在意識に働きかける効果を指しています。

日本でサブリミナル効果が脚光を浴びるようになったのは、1995年5月頃、TBSテレビがオウム真理教を特集した際に、番組放映中に教団代表の麻原彰光被告の顔や姿などの映像が挿入されました。

当然のことながら、一瞬の映像であり、視聴者はほとんど気がつかないものではありましたが、TBSテレビによる、こうした「サブリミナル手法」が露見して以降、この視聴者を洗脳しようという企図に対し厳しく非難が集中し、郵政省はTBSテレビに対して「厳重注意」の行政指導を行なったという経緯があり、以降日本では 「サブリミナル効果」 を使用する事は禁止されるところとなりました。

それでは、「シリーズJAPANデビュー」では、サブリミナル効果として目では認識できない、コンマ秒ほどと言うごく短時間映し出される映像が、具体的にどのような形で挿入され、私たち一般視聴者を洗脳しようと企図されていたのか、次のサイトから抜粋・転載し、皆さまにご紹介させて頂きますので、一緒に見てみましょう。

【台湾は日本の生命線!】

(ここまで省略)

「シリーズJAPANデビュー」オープニングのタイトルバックは約1分40秒。その中の29秒から1分23秒まで、さまざまな歴史上の人物や出来事の写真が挿入されている。

まず「ドイツの鉄血宰相ビスマルク」が登場し、「軍装の明治天皇」「帝国憲法発布式(CG)」そして第一次世界大戦での「戦車」「砲爆発」「戦死した戦友を担ぐ兵士」。

次は「自由の女神(CG)」「ドル札アップ」と「札が舞うウォール街(CG)」、さらにアウシュビッツらしき「収容所」と「囚人の顔」、次に「支那服姿の魯迅」、そしてその横には「伊藤博文暗殺に関するビラ」が。これは一瞬にして見えないが、漢文で「三発の銃弾」と書かれている(これもサブリミナル効果だそうだ)。

そして「真珠湾攻撃を伝える米紙面アップ」「特攻機の炎上」「演説するヒトラー」「万歳をする日本軍兵士」、そしてその横に「死体の前で泣く支那女性」(南京虐殺の写真と言われるもの)、「抱き合って泣く白人女性の肩に手をやる白人男性」、そしてそこに 「軍装姿で敬礼をされる昭和天皇」 が映し出され、「悲しげな母親と赤ん坊の顔」「原爆ドーム」と続く。

水島氏の分析によると、これで「昭和天皇のおかげで戦争が起き、その結果原爆が落ちた。昭和天皇はヒトラーと同じだ」との印象が国民に刷り込まれていくと言う。

サブリミナルの様子
サブリミナルの様子

サイト管理者注;
この二つの映像は、私たちの肉眼では見る事ができないものです。私たちは自身の知らないうちに、このような映像を脳の潜在意識下に流し込まれ、洗脳されていくという訳ですよ。ひどい話ですね~。ご覧のように昭和天皇とヒトラーを同列に並べるという、極めて悪質な刷り込みを企図している事に唖然とします。日本の放送局であるはずのNHKが、あたかも中共新華社通信のプロパガンダのような、陰湿で悪質極まりない皇室攻撃をする行為に、日本人として断固抗議しなければなりません

写真は続く。「毛沢東」「ガンジー」が反植民地の良いイメージで登場、次いで肉眼では判別できない画面に、「チャーチル」「ビスマルク」「魯迅」「悲しげな母と赤ん坊」など多数の写真が舞い、その後突然、緑色の影が横切る。

それは「ベトナム戦争での米陸軍ヘリと兵士たち」の写真なのだ。それが映るのは時間にして約三分の一秒。もちろん静止画にしなくては、まった見えない。

「反米反戦」思想をすり込もうと言うことか。

「戦争を知らない若い人たちは映像で印象を受ける。これでみな刷り込まれる」と語る水島氏。このような映像がシリーズ毎回で繰り返し流され、視聴者にはNHKの作り上げた反日、反米、反戦のイメージが植え込まれるのだろう。

「中国が泣いて喜ぶ内容だ」と水島氏は評する。

水島氏は「朝日新聞は明らかに反日とわかるが、NHKはそれとは違って陰険。こう言う操作をやっているのだ」と語る。

「台湾は日本の生命線!」から転載させて頂きました

NHKによるこのような反日ねつ造番組に対し、ただちに全国規模でNHKへ損害賠償請求の裁判が提起され、本年12月の段階ですが原告数が10,335人にのぼっており、これはスモン病訴訟や第4次厚木騒音訴訟をはるかに上回る、日本裁判史上最大の原告数となり、今後の展開が注目されます。

私も放送数日後に抗議のメッセージを伝えるべく、視聴者コールセンターに電話を入れました。コールセンターの職員の方には何の罪もありませんから、職員さんとは冷静に会話を交わして事もあり、かなり長い時間会話しましたが、番組関係者は想像を超える抗議を受けて困惑しているらしいという事が、その会話の中で見てとれました。視聴者コールセンター職員の、驚くほどビクビクしたような態度からも、それは容易に察知できたのです。

「シリーズ JAPANデビュー第1回 アジアの"一等国"」 の番組ディレクターは、濱崎憲一氏である事が判明しましたが、このディレクターはこれまで何度も日本を貶める反日偏向番組を制作しており、名前が判明しても特段に驚くに当たりませんでしたが、伝え聞く情報によれば、本人にも直接的に相当な抗議が殺到しているようです。

しかしながら、これだけの社会問題になりながら、濱崎憲一氏が降板しないところに、NHKの体質を如実に表していると言えますし、今回の事態は、濱崎憲一氏ただ一人の個人的な性癖の問題ではなく、NHKが北京を向いて番組を制作している証左であり、「たぶん気がつかないだろう」 と、国民を見下し、国民を舐めていた証拠でもあったと言えるのです。

私はNHKへの集団提訴には加わりませんでしたが、この番組を見た翌日、抗議の意志を明確にするために、銀行に出向き受信料の自動引き落としを止めました。そして後日NHKとの受信契約をも解除しました。

国民の受信料で反日洗脳番組を制作している、中共工作機関の指示で動くNHKに受信料を支払うと言う事は、中共独裁政権に受信料を支払うのとイコールです。つまり国益を損なう犯罪行為に等しいと思えます。

また現在、「放送法を改正して受信契約を自由契約にしよう」 という運動が、全国規模に拡大する様相を呈しています。私たち一人一人も、受信料の支払いを任意にするなどの "放送法改正" に向けて、国民一丸となって邁進していきましょう。

いずれにしても既存メディアの田母神俊雄氏バッシングの嵐の中で実に納得出来ないのは、マスメディアのうち一社たりとも「田母神俊雄氏の見解にも一理ある。歴史問題を再議論してみよう」という提案が一切発せられませんでした。これは実に驚くべき事ではないでしょうか。

しかし幸いにインターネットの普及は、マスメディアの垂れ流す偏向報道を、比較相対化する手段を私たちにもたらしてくれたのが嬉しいですよね。朝日新聞やNHKなどのような、反日に染まったマスメディア報道に、良識ある市民は見向きもしない時代となっていくのです。

自業自得とはいえ、市井で 「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」 と揶揄される国賊朝日新聞。

北朝鮮に送金するためだけに存在するパチンコ産業。中共独裁政権の日本への恫喝の拡声器に徹する国賊NHK。この二つが無くなれば、日本は確実に良くなりますね。(笑)

「NHK捏造事件と無制限戦争の時代」

藤井巌喜弘著 総和社 平成21年(2009年)初版

「朝日新聞がなくなる日」

宮崎正弘著 WAC BUNKO 平成21年(2009年)初版

「朝日新聞・NHKの大罪」

別冊正論 平成21年(2009年)初版

※ 話が少し脇道に逸れてしまい恐縮ですが、ここで NHK問題 を取り上げさせて頂きます。

NHKは、放送法という法律に基づく一律な強制により、国民から視聴料を集め、そのお金で「反日宣伝工作」をしていると言えるでしょう。それだけに、中共独裁政権や南北朝鮮からの支援を受けているにしても、表面上は "自分で稼いで" 反日宣伝・洗脳工作を行っている朝日新聞よりも、極めて悪辣であり、厳しく糾弾されるべきだといえるのです。

ここで NHKが中共独裁政権のプロパガンダ機関である事の象徴的な事例 をご紹介しますよ。

アジアで初めて開催された東京オリンピック。懐かしいですが第18回夏季オリンピックは1964年10月10日天皇陛下を迎えられて開会式が挙行されました。

戦後の荒廃から立ち上がり、国際社会に復帰するシンボル的な意味合いを持ち、日本国民一丸となって取り組んだ、この東京オリンピックの晴れやかな開会式。

中共独裁政権は、アジア初の東京オリンピックをボイコットしたうえで、この10月10日開会式当日に、あろう事か平和の祭典をあざ笑うかのように、同国初の核爆発実験を強行したのでした。

これからご紹介する記事に書かれていますように、以降中共独裁政権は32年間で46回の核実験、水爆実験を行い、数十万ものウイグル住民が死亡した可能性があり、また120万人が白血病などを病んだと指摘されています。

驚く事にNHKは、そうした核汚染されたローラン遺跡一帯や、その他のシルクロードの広範囲が核汚染されている事実を隠し 「シルクロード」 番組を放映し続け、多数の日本人観光客を、核汚染が明白な地域に誘導し訪問させたのです。

中共独裁政権の核実験を調査・研究をした、札幌医科大学の高田純教授(核防護学)は、「1964年から1996年までの間に、シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点のごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがあり、こうした日本人への影響調査が必要」 と指摘しています。

日本テレビで夏目雅子さん主演の「西遊記」が制作されたのもこの頃であり、現地ロケの7年後、夏目雅子さんが急性骨髄性白血病と診断され緊急入院し、七ヶ月の闘病生活の後亡くなられたのも、度重なるシルクロードロケが原因とする見解もあります。

【夏目雅子さん】

女優の夏目雅子さんは、1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院。
急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。

(途中省略)

約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復、退院間近の報道もあったものの、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発し、突然逝去。27歳の若さだった。

彼女はテレビドラマ『西遊記シリーズ』(1978-1979)のシルクロード現地ロケに三蔵法師役で参加したが、それまでに中国政府は現地のウィグルで核実験を繰り返し行なっており、現地ロケにおいて被爆したことがその7年後に夏目雅子が白血病を発病して死んだことの原因になった可能性が指摘されている。

「ウィキペディア(Wikipedia)」から転載させて頂きました

【中国核実験、32年間で46回も】

「大紀元時報」平成21年3月28日

【大紀元日本3月28日】日本放射線防護センター代表・北海道札幌医科大学教授・高田純氏はこのほど、中国共産党が極秘に隠蔽した核実験被害者情報の事実を公表した。

中国共産党は1964年から1996年までの32年間に、非公開の核実験を46回も行った、核実験によって、現地住民に現在進行形の健康被害が多数発生し、大きな環境破壊と汚染をもたらした。これらの事実に対して、中国共産党は長年に渡って隠蔽工作を続け、隠して来た。

3月18日に東京・永田町の憲政記念館で開催したシンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」にて高田純教授がこの事実を公表した。

32年間核実験46回、129万人が被害を受け、うち75万人死亡
高田純教授の話によると、核被爆を受けた国は日本だけではない、中国では、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染をもたらしていた。

1981年まで継続的に降下した大量の核の粉塵によって、胎児に影響を与え、奇形の発生や、若い世代の白血病や癌の発生を引き起こすなど現地住民への大きな健康被害が多数発生した。しかし、中国共産党政府は核実験のことを公開しない上に、核実験による被害の事実を極秘に隠蔽した。

中国がかつて実施した最大規模の核実験は4メガトンに達したが、旧ソ連の核実験を上回った10倍の威力だった。実験により大量に落下した「核の砂」と放射汚染は周辺住民計19万人の命を一瞬にして奪った。

放射線汚染の影響を受けた面積は東京都の136倍に相当、中国共産党の内部極秘資料によると、75万人の死者が出たという。

中国当局は1964年10月16日から1996年に渡って、0・2メガトン級~4メガトン級の核実験を46回行って、地面、空中、地下にてそれぞれ爆発した。
中国当局は現地を封鎖して、調査を遮断した上、核実験による被害データも公開しないため、被害状況はいまだに不明である。

高田純教授は「核を持ち、核実験を実施した国はいくつかあったが、人口密度のある居住区で大規模な核実験を実施するのは中国だけだ、周辺環境への影響をまったく考えずに、まさに悪魔の仕業と言っても過言ではない」と述べた。

シンポジウムに出席した日本ウイグル協会会長は「旧ソ連でも 最低でも核実験を実施する地域を封鎖して、人の出入りを禁じた。
しかし、中国の核実験は現地住民に内緒でした、被害者はウイグル人だけではなく、現地の漢民族も犠牲にされた、人の命の尊さを無視して実験台のモルモットのように使っている」と述べ、核兵器の被害者となった日本の理解と世界に被害者の声を伝えることの協力を強く求めた。

1998年7月から8月にかけて、英国のテレビ局が記録映画「死のシルクロード(Death on the silk road)」を放送した、4チャンネルはウイグル人の村を訪れ、村人の健康状況を調べた。

放射線の胎児影響による奇形児と脳不健全児が多数いることがわかり、若い世代の白血病発生や癌の発病を引き起こしているウイグル人が激的に増えている事実も発見、全体から見ると ウイグル族の癌の発病率は70年代から急増、1990年になると全国の発病率と比べて30%高だった。

中国共産党は核実験を輸出
イギリスに亡命したウイグル人が「中国の核実験は本国の実験に限らなかった、核実験の場所をパキスタンに提供した、インドが核実験を実施後、インドに見せるために、パキスタンも核実験を行った、但し、実験地はパキスタンではなく、中国領土になる、この実験を含めて、パキスタンは中国領土で計3回の核実験を行った。」と発表した。

1984年4月に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故によって、大量の放射能が大気層に漏れてしまい、周辺200キロ範囲まで被害をうけた。事故が高濃度の放射能汚染を引き起こし、癌や身体障害の発病率が急増した。

一方、日本では、ノーベル賞受賞作家大江健三郎さんはフランスが実施した核実験を強く批判したが、中国の核実験に対して、沈黙を続けている。日本の反核平和団体はアメリカの核兵器実験に対して、抗議活動をし続けたが、中国の核実験の事実に目を閉じている。

日本のテレビ局NHKはドキュメンタリー「シルクロード」の放送を繰り返して、多くの日本人はそれを見て、楼蘭や敦煌を訪れた、しかし、楼蘭や敦煌及びシルクロード全体はかつての核実験場だったという事実を知らない。数年の歳月を立っても、放射線が残っている可能性は十分高い。

中国共産党と仲良くするため、日本のマスコミは自粛し続けた。中国の核実験に沈黙続けた、これは日本マスコミの恥と言っても過言ではない。
(翻訳編集・侍傑)

「大紀元時報」から転載させて頂きました

【大紀元時報】

【大紀元日本3月28日】日本放射線防護センター代表・北海道札幌医科大学教授・高田純氏はこのほど、中国共産党が極秘に隠蔽した核実験被害者情報の事実を公表した。

中国共産党は1964年から1996年までの32年間に、非公開の核実験を46回も行った、核実験によって、現地住民に現在進行形の健康被害が多数発生し、大きな環境破壊と汚染をもたらした。これらの事実に対して、中国共産党は長年に渡って隠蔽工作を続け、隠して来た。

3月18日に東京・永田町の憲政記念館で開催したシンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」にて高田純教授がこの事実を公表した。

32年間核実験46回、129万人が被害を受け、うち75万人死亡
高田純教授の話によると、核被爆を受けた国は日本だけではない、中国では、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染をもたらしていた。

1981年まで継続的に降下した大量の核の粉塵によって、胎児に影響を与え、奇形の発生や、若い世代の白血病や癌の発生を引き起こすなど現地住民への大きな健康被害が多数発生した。しかし、中国共産党政府は核実験のことを公開しない上に、核実験による被害の事実を極秘に隠蔽した。

中国がかつて実施した最大規模の核実験は4メガトンに達したが、旧ソ連の核実験を上回った10倍の威力だった。実験により大量に落下した「核の砂」と放射汚染は周辺住民計19万人の命を一瞬にして奪った。

放射線汚染の影響を受けた面積は東京都の136倍に相当、中国共産党の内部極秘資料によると、75万人の死者が出たという。

中国当局は1964年10月16日から1996年に渡って、0・2メガトン級~4メガトン級の核実験を46回行って、地面、空中、地下にてそれぞれ爆発した。中国当局は現地を封鎖して、調査を遮断した上、核実験による被害データも公開しないため、被害状況はいまだに不明である。

高田純教授は「核を持ち、核実験を実施した国はいくつかあったが、人口密度のある居住区で大規模な核実験を実施するのは中国だけだ、周辺環境への影響をまったく考えずに、まさに悪魔の仕業と言っても過言ではない」と述べた。

シンポジウムに出席した日本ウイグル協会会長は「旧ソ連でも 最低でも核実験を実施する地域を封鎖して、人の出入りを禁じた。しかし、中国の核実験は現地住民に内緒でした、被害者はウイグル人だけではなく、現地の漢民族も犠牲にされた、人の命の尊さを無視して実験台のモルモットのように使っている」と述べ、核兵器の被害者となった日本の理解と世界に被害者の声を伝えることの協力を強く求めた。

1998年7月から8月にかけて、英国のテレビ局が記録映画「死のシルクロード(Death on the silk road)」を放送した、4チャンネルはウイグル人の村を訪れ、村人の健康状況を調べた。

放射線の胎児影響による奇形児と脳不健全児が多数いることがわかり、若い世代の白血病発生や癌の発病を引き起こしているウイグル人が激的に増えている事実も発見、全体から見ると ウイグル族の癌の発病率は70年代から急増、1990年になると全国の発病率と比べて30%高だった。

中国共産党は核実験を輸出
イギリスに亡命したウイグル人が「中国の核実験は本国の実験に限らなかった、核実験の場所をパキスタンに提供した、インドが核実験を実施後、インドに見せるために、パキスタンも核実験を行った、但し、実験地はパキスタンではなく、中国領土になる、この実験を含めて、パキスタンは中国領土で計3回の核実験を行った。」と発表した。

1984年4月に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故によって、大量の放射能が大気層に漏れてしまい、周辺200キロ範囲まで被害をうけた。事故が高濃度の放射能汚染を引き起こし、癌や身体障害の発病率が急増した。

一方、日本では、ノーベル賞受賞作家大江健三郎さんはフランスが実施した核実験を強く批判したが、中国の核実験に対して、沈黙を続けている。日本の反核平和団体はアメリカの核兵器実験に対して、抗議活動をし続けたが、中国の核実験の事実に目を閉じている。

日本のテレビ局NHKはドキュメンタリー「シルクロード」の放送を繰り返して、多くの日本人はそれを見て、楼蘭や敦煌を訪れた、しかし、楼蘭や敦煌及びシルクロード全体はかつての核実験場だったという事実を知らない。数年の歳月を立っても、放射線が残っている可能性は十分高い。

中国共産党と仲良くするため、日本のマスコミは自粛し続けた。中国の核実験に沈黙続けた、これは日本マスコミの恥と言っても過言ではない。
(翻訳編集・侍傑)

「大紀元時報」から転載させて頂きました

【米科学誌、中国・核実験でウイグル人数十万人が死亡した可能性】

「産経新聞」平成21年7月30日

米国で最も人気の高い科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」7月号が、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で中国当局が実施した40数回の核爆発実験の放射能により、数十万ものウイグル住民が死亡した可能性があるとする記事を掲載した。

記事は、ウイグル人医師のアニワル・トヒティ氏と札幌医科大教授で物理学者の高田純氏の合同調査結果を基礎に書かれたもの。高田教授は同自治区のシルクロード紀行番組を長年、放映したNHKの核実験無視の姿勢を非難している。

「サイエンティフィック・アメリカン」7月号は、「中国の核実験は多数の人を殺し、次世代を運命づけたのか」「中国が40年にわたり核爆弾を爆発させたことで、放射能の雲は住民の上を覆った」という見出しの記事を掲載した。

同記事はまず、トヒティ医師が新疆ウイグル自治区で1973年の子供時代、3日間、空が黒くなり、土砂のような雨が降ったのを目撃し、後年、それが核爆発の結果だったことを認識したと指摘。その上で「シルクロード上のロプノル実験場における、1964年から96年までの40数回の核爆発による放射能の結果、数十万の住民が死んだ可能性がある」と報じた。

記事はさらに、現在、英国やトルコを拠点にウイグル人の放射能被害を研究するトヒティ医師が、高田教授と「ロプノル・プロジェクト」という共同研究を進めているとし、高田教授の「新疆ウイグル地区で放射能汚染のために19万4千人が死亡し、120万人が白血病などを病んだ」という算定を伝えた。

「サイエンティフィック・アメリカン」は米国だけでなく国際的評価が高く、同誌が今回、事実として正面から伝えた「シルクロードの核汚染」は、それを否定してきた中国政府にも厳しい詰問となる。

また、高田教授はNHKが長年、シルクロードの番組を放映し、多数の日本人観光客に核汚染が明白な地域を訪問させながら、核爆発については一切、沈黙してきたとして今年4月、公開質問状の形で抗議した。

NHK側は、「(放射能汚染についての)認識は放送当時も現在も持っていない」と回答したというが、今回の米国の科学雑誌の記事は、高田教授側の研究の成果や意見に国際的認知を与えたこととなる。
(ワシントン 古森義久)

「産経新聞」から転載させて頂きました

中国の核実験に関する動画ご紹介

【ウイグル】中国の核実験 潜入調査その1【シルクロード】

【ウイグル】中国の核実験 潜入調査その2【シルクロード】

【ウイグル】中国の核実験 潜入調査その3【シルクロード】

【ウイグル】中国の核実験 潜入調査その4【シルクロード】

話が中国の核実験に逸れてしまいまして、申し訳ございませんでした。 m(_ _)m
話を元に戻させて頂きます。

「村山談話」 とはつまり社会党委員長が発した談話ですよね。当時の村山元首相は、「村山談話」を国会の議決として発表したかったのですが、賛同者が少なく(当然ですよね)止む無く「談話」としたのでした。

一部には連立政権を組むために、社会党の中の一部勢力をおさえるために出した談話だと推論する見解もあります。そして談話の主語も「私は」であったはずなのに、いつの間にか政府の公式見解になってしまったのです。

連立政権樹立への "配慮" が、後世にいかに "高く" ついたか理解できるというものですよ。

ですから「村山談話」は、条約ではないし、法律でもありませんし、国会の議決さえも得られなかったという事ですから、社会主義革命を信奉する社会党を代理する村山首相の個人的演説に過ぎないといえば言い過ぎでしょうか…。

そんなものに日本国政府及び自民党が拘束されるというのは、(神戸H生)さんが語るところの、アメリカ様と中国様の"御仕置き"が怖いからなのですかね。よくわかりませんし理解に苦しみますよね。

ちなみに過去に存在した事のある社会党とは、"アメリカ帝国主義は日中両国人民共通の敵だ " として、日本国を「社会主義人民共和国」に改変する事を政治目標に掲げていた政党ですよ。

アッそれから、「村山談話」を発表した村山社会党委員長は「北朝鮮による日本人拉致は日本のでっち上げだ」と言い放った人物でもあります。我々は彼のこの言葉を決して忘れてはなりませんよ。

「村山談話」を超圧縮して一言で表現すれば、「一から十まですべて日本が悪うございました」と世界に向け、全面的に懺悔し謝罪致しますという内容でしょうかね。

村山元首相は偶然の産物で首相になった訳ですが、"日本を社会主義国家にする" とかの遠大な空想による政治力を駆使するよりもまず、戦前の日本や東アジアの歴史、国際情勢をもっとしっかりと勉強してから首相になるべきであったし、底の浅い個人的見解で国家を断罪してしまうという、恐ろしく軽薄な敗北的平和主義の虜になっていた社会党的盲動で私たち日本国民を道連れにしないでほしかったですよね。

今日までの500年間欧米列強は白人キリスト教徒の名において、中南米でアフリカ大陸で、そして最終の地アジアで異民族たる諸国民を軍事侵略し、南北アメリカ大陸の原住民インディアンやインディアス一億人を神の名において虐殺した事を筆頭に、連綿と続く植民地支配でどれほど各地の原住民を絶滅させ、豚や牛のように虐殺を繰り返したか。そしてどれほど原住民を酷使して富を搾取し尽くしたか。

400年間という長きにわたって五千万人とも七千万人ともいわれる黒人奴隷を "売買" し、そして "消費" したのはどこの国か。またキリスト教司教の名の下に中国人奴隷を "輸出" し、苦力として奴隷と同じように過酷な労働を強いたのはどこの国か。

中国での廃人同様のアヘン中毒患者を大量に生み出す原因を作ったのはどこの国だったのか。この中国に武力でアヘンを売りつけた傲岸不遜な国は、今でこそ人権大国と宣っているが、あの時代 「犬と支那人は立入禁止」 という看板を、公然と租界内の公園に掲示していたではないか。

英国には英領アフガニスタンから中国に輸出して大もうけしていた麻薬や、ソ連の蒋介石政権への武器援助など"臭い話"がいっぱいある。

英がビルマ王室にした仕打ち、つまりインドに流して某殺したあのおぞましい謀略をなぜ隠蔽しようとするのか。

19世紀の米国はメキシコと戦争して、カリフォルニア・ネバダ・ユタ・アリゾナ・ニューメキシコ・ワイオミング・コロラドなど米国の根幹を為す土地を奪ったが、これを侵略と言わずしてなんと呼ぶのだ。

米国の太平洋戦略によりハワイ王朝を倒しグアム島・ジョンストン島・ウェーク島・サモアなどを侵略しながら西進し続け、フィリピンを始めとするおぞましい住民大虐殺と過酷な植民地支配などは「侵略」とは言わないのか。

満州事変以前のアジアは、その98%が欧米列強の植民地として搾取されるに至ったのだ。

米国はフィリピン侵略で、フィリピン国民を何人殺したのだ。20万人以上殺して植民地化したではないか。

(挙げればきりがないので、以降省略)

ここで続きましてアパグループによる、第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集の「佳作」に入選した論文をご紹介させて頂きます。田母神俊雄氏「日本は侵略国家であったのか」の最優秀賞に優るとも劣らない素晴らしい、岩田 温氏の力作論文をご紹介します。

【真実の歴史の復活を求めて】 ―検閲と東京裁判史観―
岩田 温 (拓殖大学日本文化研究所客員研究員)

混迷を極め、一刻一刻、時が止まるのを許さぬ如く熾烈極まりない争いが繰り広げられている。他でもない日本を取り巻く国際情勢である。

それは、何の罪もない無辜の日本人を数百名規模で拉致した独裁国家、北朝鮮をめぐる昨今の情勢一つ取ってみたところで明らかだろう。

北朝鮮を名指ししてイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」だと国際社会に宣言していたアメリカは、前言を翻すごとく、北朝鮮への歩み寄りを始めた。日本に対する明らかな裏切り行為である。

それは国際関係の冷徹さ、非情さというものが暴かれた一瞬でもあった。すなわち、あくまで国家は自国の国益を追求する。同盟国とて所詮は他国に過ぎない。

つまり、同盟国は数ある外交カードの一つにはなりうるが、カードによって自らの手が縛られることのないように、他国を自国に優先させることはありえない。当然と言えば当然の過酷な現実が日本につきつけられたのだ。

だが、驚くべきことは、この間の日本人の態度そのものではないか。アメリカの背信行為に等しい北朝鮮への歩み寄りを日本人はいかに受け止めたのか。余りに過酷で非情な現実に恐怖し、青ざめたわけではない。激しい憤りの念に駆られたわけでもない。

現実を現実として見つめることすらなく、以前と変らぬぼんやりとした日常生活を営むだけであった。それは、あたかも目隠しされた幼児、眼前の危険に気づくことすらなく無邪気に遊んでいるようなものである。

日本人の現実感覚の欠如。これこそが根源的に問われなければならない問題だろう。すなわち、何故に、日本人は危機を危機として認識することすらできなくなったのか、と。

振り返れば、十九世紀からの日本の近現代史の歩みとは、危機への現実的な対応としての歩みだった。

植民地争奪戦を繰り広げる帝国主義の時代の中、日本は「独立自尊」、自らの足によって立つことを第一の目的とした。他国の植民地にだけはなるまいという危機感と気概が我が国の歴史を動かした原動力である。

日清・日露戦争の勝利は、紛れもなく日本が独立を守るために戦い、勝利した戦争であった。

日清・日露戦争を以て、日本の侵略戦争の嚆矢とする見方もあるが、これは全く当時の国際情勢を無視した暴論である。日清・日露の両戦争は、紛れもなく日本の独立を目指すための戦いに他ならなかった。

それでは大東亜戦争はどうだろうか。戦後の日本では「大東亜戦争」と呼ぶこと自体が禁止され、愚かで侵略主義的戦争を日本が仕掛けたという歴史観が一般的である。

それは丁度アメリカが、日本を一方的な悪の存在と断定するために行った政治劇とも言うべき東京裁判における歴史観とぴったりと符合している。「東京裁判史観」と呼ばれるべき歴史観である。

だが実際に調べてみると、大東亜戦争とは単なる愚かな侵略戦争などではありえなかった。日本は独立を保ちながらの平和的解決を模索し続けたのだった。

その日本に突きつけられたのが一九四一年十一月のハル・ノートであった。アメリカ国務長官ハルが提示した提案は、日本の全ての主張を無視した一方的な提案であった。それはおよそ「提案」と呼びうる代物ではなく、「恫喝」に等しい内容であった。

東京裁判で日本側被告全員を無罪にすべきだと主張したパール判事は、このハル・ノート指して、「アメリカが日本に送ったと同一のものを他国に通告すれば、非力なモナコ公国やルクセンブルク大公国と言った欧州の弱小国でさえ、必ずやアメリカに対して自衛の為に武力を以て立ち上がったであろう」と指摘したが、正鵠を射た指摘だと言えよう。

ハル・ノートを受諾することは、日本がそれまでの全ての主張をかなぐり捨て、自らの主体的な意志をも放棄して、アメリカに従属することを意味していた。明治維新以来の日本の基本的方針とでもいうべき「独立自尊」の精神を捨てよと迫られたのだ。

これに対して、日本は敢然と立ち上がった。確かに、そこには日本人の驕り、精神主義に傾きがちで冷徹さを欠いた点、国際情勢の中で、謀略を見抜く力に欠けていた点など、現在の目から見直せば、幾多の誤りがあったことは事実であろう。冷静に分析し、反省をなすことが肝要であることは言うまでもない。

しかしながら大東亜戦争もまた、自らの独立自尊を目指したものであったという事実を忘れてはなるまい。武運拙く敗れたとは言え、大東亜戦争が自らの意志を以ての決断であったのは揺るがすことのできない事実である。

敗れはしたが、自らの独立自尊を守るために、自ら決断した結果が大東亜戦争なのである。敗れたこと自体を反省すべき必要はあるが、その正統性に関しては、いささかも恥じる必要がない。

日本をやぶったアメリカは「二度と日本をアメリカの脅威としない」(SWNCC―一五〇文書)ことを目標として、占領政策を開始した。

現在、中学校で使用されている殆どの教科書が、アメリカを中心としたGHQの「民主化政策」として、この占領統治を讃えているが、全くの見当違いであり、端的に言って誤謬である。国家はあくまで自国の国益を追求する。全くの善意から他国の改革を行う国家などというものは存在しない。

GHQは日本人から歴史を奪うことを企図した。そのための壮大な政治劇こそが、先に指摘した東京裁判であり、この「東京裁判史観」は、今なお多くの日本人を蝕んでいる。

そして、私が本論文で指摘したいのは、この「東京裁判史観」を日本国民に植え付けるためにGHQが行った「検閲」についてである。 この検閲によって日本人自身の歴史が忘れられ、歴史とともに現実感覚が失われていったことを証明したい。

GHQの検閲の実態を知るためには、プランゲ文庫にあたるのが最も効果的である。プランゲ文庫とは、GHQの参謀第二部(G―2)に勤務していたプランゲ博士が、日本における検閲資料をアメリカに持ち帰り、メリーランド大学に寄贈したものである。

一つ一つの検閲資料には、何故にこの記事が検閲に値するかを説明したGHQ側の資料も添付されている。このプランゲ文庫はマイクロ・フィルム化されており、日本でも国立国会図書館や早稲田大学などに収められており、実際に目にすることが可能である。

プランゲ文庫の中で実際に筆者が発見した検閲された資料を一つ紹介したい。

『堕落論』の著者として有名な坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」という短い文章である。これは昭和二十年の「ホープ」という雑誌に発表されたものだが、全面的に「削除」が命じられている。

その中で坂口は次のように指摘している。少々長くなるが、重要な記述であるので、正確に引用しておきたい。

「戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う。

 (中略)

彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。

ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである。

詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ。何かの役に立つのかね?

我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。

軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。」

一人一人の特攻隊の真の姿に迫ったまことに生き生きとした名文である。

確かに特攻隊として散華した若人たちは、聖人や君子であったわけではない。ごく普通の一国民であった。一人一人の私的な生活を覗きこんでみれば、酒飲みやバクチ打ち、女たらしもいただろう。

日常生活における彼らの姿とはそういう普通の人間の姿であったはずだ。だが、彼らが国家の危機に際して立ち上がったのだ。

この生命を擲って立ち上がった姿に感動しない者などいないと坂口は言うのだ。そして、「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。

軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか」と国民に訴えかけるのだ。

坂口は大東亜戦争を否定する立場に立ちながらも、特攻隊の精神の気高さというものに圧倒されているのだ。これはその正直な気持ちを吐露したものだろう。

別段、戦争を肯定したり、美化しようという箇所など何もない。自分の中で美しく気高いと感じた特攻隊の姿を淡々と記述しているだけである。この坂口の文章がGHQによって削除を命じられていたのだ。

特攻隊に対して自身の心の内の声を文字にした、この文章が削除させられたのだ。

「suppress(=削除)」と書かれ、大きたバツ印がつけられたこの検閲資料をプランゲ文庫の中で実際に見たとき、私は知覧の特攻平和会館を訪れたときの記憶が甦ってきた。

知覧の特攻平和会館は、特攻隊の出撃基地の跡地に建設されたものだ。知覧から特攻隊として出撃し、散華していった若人たちの夥しい資料が展示されている。涙無しには館内を回りきることは出来ない。

多くの人々が特攻隊員たちの遺した数々の遺品や遺書を読みながら涙していた。

実際、遺書などを読んでみると、「昭和維新の貫徹」、「米英撃滅」、「大東亜共栄圏の建設」などといった具合に、当時の国策イデオロギーとでもいうべきものを鸚鵡返しに書き遺したものも多い。家族に遺した手紙も同じような文言の並んでいるものも多い。

しかし、彼らの文章の内容ではなく、遺した文字の間から、彼らのメッセージというものが聞えてくるのだ。彼らとて死にたくなかったであろう。愛する人もいただろう。やりたいこともあったろう。

しかしながら彼らは特攻隊として散華する道を選んだ。苦悩を捨て去って出撃していった者もいたかもしれぬ。だがその多くは苦悩し、葛藤する心のままに出撃していったのではなかったのか。

自らの生とは何かを問いかけながら、生命を燃焼させていったのではなかったか。そういう彼らの心情に想いをいたすとき、切なさと同時にその高貴さが我々に伝わってくる。

感動と同時にそんなことを考えながら資料室を出ると、何冊かのノートが置いてあった。それは知覧を訪れた人々が、感想を記入するノートだった。これを読んだときの驚愕の思いは、今も忘れはしない。

「何でこの人たちを殺すようなことをしたのか」
「人を殺すことは間違っていると思う」
「アジアの人々に対する侵略を申し訳なく思う」云々。

これが特攻隊の遺書を読み、その写真を見た人々の感想なのかと疑うほどに酷い内容のものが多かった。特攻隊の姿というものを見つめ直す場所にいながら、彼らは特攻隊として散華していった一人一人の姿というものがまるで見えていない。

何らかの偏見が先に存在し、その偏見を通じてしか特攻隊という存在を見ることができなくなっているのだ。素直に、自身の目で一人一人の特攻隊の姿を見つめることが不可能となっているのだ。すなわち、真実の歴史の姿ではなく、何らかの偏見に基づいた歴史しか見ることが出来なくなっているということだ。

「特攻隊に捧ぐ」という坂口の一文に対するGHQの削除命令を目にしたとき、この知覧を訪れ、特攻平和会館で読んだ不気味な感想に対する衝撃、違和感が思い出されてならなかった。

歴史の断絶とその原因が明らかになった瞬間であった。私たちは歴史を自然に忘れ去っていたのではなかったのだ。忘れることを強要されていたのだ。

GHQの支配下で、日本人は自分たちの素直な感情を表現することが禁止され、「東京裁判史観」に合致した記述のみが出版を許されていた。

こうした現実の中で、多くの人々は当初は生き延びるために意識的に「東京裁判史観」に合致する記述を行っていたのだろう。だが、時の流れとともに、当初の素直で飾らない自分自身の感情そのものが忘れ去られてしまった。

そして、いつしか「東京裁判史観」こそが、唯一の歴史となってしまったのだ。

「東京裁判史観」では、日本以外の国家の悪意や侵略性は全く無視されてしまっている。日本のみが一方的に悪く、日本さえ存在しなければ、世界は平和だと言わんばかりの余りに偏向した歴史観なのである。

こうした歴史観に基づけば、日本人が戦争を起こそうとしない限り世界は平和だという、実に奇妙で愚かな幻想が生じてくる。そして、この幻想を具体化しているのが日本国憲法に他ならない。

日本国憲法の前文の次の箇所は明らかにこうした歪んだ歴史観の産物に他ならない。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

各国が国益の伸長を目指してしのぎを削り合う国際社会で、何と幼稚な文言なのか。無辜の日本人を拉致した北朝鮮や、軍拡を続ける中国の「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」などとは、正気の人間の感覚とは思えない。

だが憲法九条を守れば平和がおとずれると本気で思う人が、この日本には少なからず存在している。

丁度特攻隊の遺書を読みながら、特攻隊員の姿を見つめることができない人々と同じように、過酷な現実を突きつけられても、その現実を見つめることができないのだ。

自らの偏見を優先させ、現実を見ることを頑なに拒絶する。自らの偏見を守り続けていれば、平和がおとずれると盲信しているのだ。

哀しいまでの日本人の現実感覚の欠如は、決して「東京裁判史観」と無縁ではない。生き生きとした歴史を物語れないものは、利害が複雑に絡まった現実を見つめることはできない。

東京裁判史観という覆いを取り去って、しっかりと自分自身の目で、我が国の歴史を見つめ直すことが求められている。そして、我が国の歴史をしっかりと見たその目を以て、現在の国際情勢も見つめ直すべきなだ。

歴史の中には、輝かしい栄光があり、深刻な苦悩がある。その一つ一つを自分自身の目で見つめ直すのだ。そういう経験こそが歴史に学ぶということだ。

そして、歴史を見つめたとき、今現在の自己の姿、日本の姿が明らかになってくる。その日本の姿を見つめた人間は、現在の問題に無関心ではいられなくなってくる。

過去の気高い日本人の姿を知ったとき、はじめて日本人としての気概が生じてくる。こうした歴史に裏打ちされた気概こそが新たな歴史を切り開いていく。

混迷する日本では、真の意味での歴史の復権が求められている。そのためには「東京裁判史観」の一刻も早い脱却が急務である。

「アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文」から転載させて頂きました

読まれて如何でしたでしょうか。 岩田 温氏の人柄が偲ばれる素晴らしい歴史見解でしたね。

ここまで優れた歴史見解を表明された方の文章を読まれて、「嗚呼、日本人もすてたものではないな」と思われた方々も多いのではないでしょうか。

坂口安吾氏が書き記した「特攻隊に捧ぐ」という短い文章のなかで、検閲により「削除」が命じられた部分の、「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。」という、厳しい検閲が施行されている中で、特攻隊への熱烈なる賛辞を隠さない坂口氏の姿勢もまた賞賛されるべきですよね。

ところで岩田氏の歴史見解のなかで 「私が本論文で指摘したいのは、この『東京裁判史観』を日本国民に植え付けるためにGHQが行った「検閲」についてである。」 と語っています。

このGHQが行った「検閲」がどれほど徹底したものであり、今もって戦後日本に害毒を流し続けているか……。この点が岩田氏の論文の中核をなすという事でしょうね。

「このプランゲ文庫はマイクロ・フィルム化されており、日本でも国立国会図書館や早稲田大学などに収められており、実際に目にすることが可能である。」とも述べています。

私も実際に当該図書館などに訪ねた事はありませんが、一般公開されており誰でも所定の手続きを踏めば閲覧できるという話でしょう。
GHQが行った「検閲」に強い関心がある方はぜひ挑戦してみて下さいませ。

また岩田氏は、米国は「検閲」や「東京裁判」などの占領諸政策を通じて、「GHQは日本人から歴史を奪うことを企図した。」と語っています。

米占領軍が厳しい「検閲」の一環としての「禁書」政策により、日本の昭和に入ってから敗戦までの間に出版された7700余点の書籍が、GHQにより徹底的に没収され、日本社会から抹殺されたのです。

先人が残してくれた貴重な著作文化財が、米国による「日本の文明破壊」を狙った非人道的な犯罪行為により失われてしまった事に対し、我々は激しく抗議の声を上げなければなりません。「日本国の7700余点の書籍を返せ!」と。

私たちは日本民族の歴史を分断され、奪われているのだとハッキリと認識しなければなりませんし、奪われた歴史を取り戻す努力を重ねなければなりません。

ではGHQは具体的にどのような施策で日本人から歴史を奪い、洗脳しようとしていたか?。
ありましたよ。(^o^) 歴史を奪い洗脳を企図した諸政策がどのようなものだったかを解説しています。

「戦争学のすすめ」

松村著 光人社 平成19年(2007年)初版

この本の中から米国による「戦争犯罪洗脳計画」が記述されている部分をご紹介しましょう。

【戦争学のすすめ】

(ここまで省略)

日本人を保護国人間にするためには、祖国に対する愛国心を与えないことのほかに、アメリカ人の「見方、考え方」を移植し、培養する必要がある。

そのひとつは日本の文化・伝統の否定であり、ひうひとつはアメリカ文化"個人主義"の普及である。その基本は、被占領憲法を日本人に与えることであった。

こうして「戦争犯罪洗脳計画」に基づいて行われた施策は、ジンギス・カーンも驚くほど異例なものであった。その主なものを列挙してみると、

1,学校教科書から国民の士気・団結を高め、伝統を教えるものを削除
2,軍需生産の停止
3,特別高等警察の廃止および警察組織の地方分権化
4,銃砲・刀剣の没収(アメリカは銃社会なのに)
5,国旗掲揚の禁止
6,連合軍司令部によるマスコミ記事の事前検閲(表現の自由の剥奪)
7,共産党員を含む政治犯の釈放
8,米軍向け売春施設の設置
9,愛国心・栄光追求の教育禁止
10,民族主義的教育者および軍人の公職追放
11,教育制度の改悪、教師の労働者化
12,財閥解体
13,農地解放による地主の消滅化
14,華族、貴族などの社会的栄誉階層システムの破壊
15,家族制度の破壊
16,秘密保護法の廃止
17,神社参拝の禁止
18,財産相続税の強化
19,皇室典範の法律化(明治典範の廃止)

一見して判る通り、「日本人をすべて植民地労働者にする」政策であった。

「戦争学のすすめ」から転載させて頂きました

如何でしたでしょうか。まさに著者も語るようにジンギス・カーンも驚くほどの徹底した植民政策ですよね。国民の見えないところで徹底的に「検閲」し、植民政策を正当化させるようにマスコミを誘導し、日本国家の結束力を弱体化させ国民を劣化させていく…。

米国の企図した "二度と米国に刃向かう事のない" ように、そして "二度と独立国家として立ち上がれない" ように仕組まれた諸政策がてんこ盛りですよね。

現在出版されている著作物のなかにもGHQが行った「検閲」について論説している本が複数ありますので、皆様にここでご紹介したいと思います。私たちの先達が克明に解明してくれた真実が満載です。

先ほど(神戸H生)さんの歴史見解の最後で紹介していただいた著書と重複する部分がありますが、ご了承くださいませ。

またご紹介する著書の中に「真相箱」という言葉が登場しますが、初めて目にする言葉だという方も多いでしょう。「真相箱」という言葉の解説にについて、櫻井よしこ著の『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』の帯に、非常に簡潔明瞭に解説文が書かれていますからご紹介いたします。

「GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く」
これは「真相」か、それとも「洗脳」か!? 敗戦直後、GHQは占領政策の一環として「太平洋戦争の真相を日本国民に知らせる」ためのラジオ番組を作った。

それは「眞相はかうだ」「眞相箱」「質問箱」と名称を変えながら、三年にわたりお茶の間に日本の犯罪を告発し続けた。

真実の中に虚偽を巧妙に散りばめ "帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した" との観念を植え付けるGHQの思惑は成功し、いつしか日本人の歴史観や戦争観を規定した。

「眞相箱の」の原作本を復刻、戦後日本の混迷を招いた「問題の書」を白日の下にさらし、櫻井よしこ氏が徹底解析する。

いかがでしょうか。他人事ではありません、私たちは見事に洗脳の当事者だったのです。まさに「眞相はかうだ」を知りたい方は、ぜひ下に列記した素晴らしい著作をお読みになって下さいませ。

「GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く」 (副題:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた)

櫻井よしこ著 小学館文庫 平成14年(2002年)初版

「閉ざされた言語空間」 (副題:占領軍の検閲と戦後日本)

江藤 淳著 文藝春秋 平成1年(1989年)初版

「日本解体」 (副題:「真相箱」に見るアメリカGHQの洗脳工作)

保阪正康著 産経新聞社 平成15年(2003年)初版

「抹殺された大東亜戦争」 (副題:米軍占領下の検閲が歪めたもの)

勝岡寛次著 明成社 平成17年(2005年)初版

「大東亜戦争の正体」 (副題:それはアメリカの侵略戦争だった)

清水馨八郎著 祥伝社 平成18年(2006年)初版

「GHQ焚書図書開封」 (副題:米占領軍に消された戦前の日本)

西尾幹二著 徳間書店 平成20年(2008年)初版

「GHQ焚書図書開封2」 (副題:アメリカ軍によって抹殺された欧米400年のアジア侵略の歴史)

西尾幹二著 徳間書店 平成20年(2008年)初版

「GHQ焚書図書開封3」   

西尾幹二著 徳間書店 平成21年(2009年)初版

「GHQ焚書図書開封5」   

西尾幹二著 徳間書店 平成23年(2011年)初版

※素晴らしい本ばかりです。著者が渾身の力を込めて書き上げたこれら力作を部読み終えた方は、その日から足をアメリカに向けて寝るようになるでしょう。(笑)

岩田氏も論文の中で「東京裁判」について言及しています。

<「東京裁判史観」では、日本以外の国家の悪意や侵略性は全く無視されてしまっている。日本のみが一方的に悪く、日本さえ存在しなければ、世界は平和だと言わんばかりの余りに偏向した歴史観なのである。>

また下で紹介している『世界がさばく東京裁判』を監修した佐藤和男氏は、<「東京裁判の法廷は、集団的な軍律法廷であり、国際的に拡大された変則的な軍事裁判所であって、司法機関ではなかった。東京裁判は連合軍の一過性の軍事行動であり、戦争行為(講和が成立するまでは、法的には戦争状態が続いていた)であり、連合国側の政治目的に奉仕するものであった。」>と述べています。

戦勝国の裁判官による 「公正な裁判」 など作り話にすぎない。東京裁判の原告には、日ソ中立条約を侵犯して日本に軍事侵攻したソ連が加わっていますが、日ソに限定すれば、「平和に対する罪」 を犯したのはソ連であり、日本ではありません。

ソ連の対日参戦を要請したのは米英両国であることが現在では明らかとなっていますが、これは明確に国際法を踏みにじるものであります。

そんなソ連が、北方四島を占領したあげく、東京裁判の最中にも日本軍をシベリアに抑留し強制労働させているにも関わらず、ソ連から裁判官が派遣されているのは一体全体どうした事でしょうか。また日本が敗戦した後、インドネシアは独立を宣言しましたが、インドネシア再占領に乗り出したイギリスから、「平和に対する罪」などと責め立てられているという訳です。

そもそも、戦勝国がA級戦犯の罪状とした 「平和に対する罪」 のような、大東亜戦争勃発時に戦争犯罪として国際法に明記されていなかった罪の責任を問われる謂われはないし、東京裁判の当事国でない中華人民共和国から、日本がこの裁判に関係した事案で云々される謂われもないのです。

いずれにしても、東京裁判というものは、連合国が裁いたというよりも、米国単独の復讐裁判だと言えるでしょう。今上陛下の誕生日に合わせて、東条氏以下七名の "戦犯" を処刑したところにも、その強烈な悪意と、野蛮な復讐心を垣間見ることが出来るのです。

いずれにしても、東京裁判は日本に復讐するための舞台装置に他ならないのです。

そこには日本の主要66都市を無差別絨毯爆撃し、木造家屋を焼き払い、50万人以上の一般市民を虐殺した事や、広島・長崎への原爆投下に対する反省はまるで無く、米国はあたかもけがれなき花のように振る舞っている。

東京裁判がいかにデタラメなものであったかは、私が語るよりも次にご紹介する著書に詳しく書いてありますので、東京裁判について関心のある方はぜひお読み下さいませ。

「世界がさばく東京裁判」 (副題:85人の外国人識者が語る連合国批判)

監修佐藤和男 明成社 平成17年(2005年)初版

「洗脳から解き放たれるとは、こういう事か!」という体験をしてみたい方もぜひお読み下さいませ。東京裁判といえば、パール判事の「日本無罪論」がすぐれて有名ですが、パール判事は、東京裁判を極めて簡潔に解りやすい言葉で概括しています。パール判事は、それは、「歴史の偽造」 だというのです。

今からご紹介する 「序 東京裁判を裁判せよ」 を書かれた初代国際連合大使加瀬氏も指摘しているように、すべてはそこに収斂されるのです。要するに東京裁判とは、そういったたぐいのインチキ裁判だったのです。

こんな不正な裁判が世界から支持されているなんて……。 とても信じられない思いで一杯です。

まさに 『週刊新潮』 の 「変見自在コラム」 を執筆している高山正之氏が語るところの、"世界は腹黒い" のです。

私は恥ずかしながら、東京裁判についてだけ書かれた本を、今回初めて読んでみましたが、何から何まで、知れば知るほど、"初めから結論ありきの驚くほどデタラメな復讐裁判" だという事を、本当によく理解出来ました。

また、「A級戦犯」 とされた日本の戦争指導者が、悪意を込めて意図的に、今上陛下の御誕生日に合わせて処刑されたという事も初めて知ることとなったのです。

「世界がさばく東京裁判」 という本に出会えた事を、神に心から感謝いたします。私も少し遅くなってしまいましたが、見事に洗脳から解放されました。(^o^)

私は誓います。
無実であるにも関わらず、巣鴨の断頭台に露と消えた日本の指導者たる死刑囚のために、そして沖縄や硫黄島、そして東南アジアの戦場で非業の死を遂げられた幾十万の日本軍将兵の汚名を削ぎ、名誉を回復するまで、断固として世界の言論と戦うと――。

私自身が棺桶に入るまで。残された人生の全てをかけて、日本の尊厳と、大東亜戦争を戦い抜いた日本軍将兵の名誉を守るために、このサイトを通じて情報を発信し続ける事を誓います。

「世界がさばく東京裁判」の記述につきましては、皆様に全文転載してご紹介したいところですが、三カ所に絞って転載させて頂き、ご紹介したいと思います。

「世界がさばく東京裁判」 (副題:85人の外国人識者が語る連合国批判)

監修佐藤和男 明成社 平成17年(2005年)初版

【序 東京裁判を裁判せよ】 (初代国際連合大使 加瀬俊一)

かねてから私は 「東京裁判を裁判せよ」 と主張し、歴代首相にもその必要を説いた。

裁判は二年半にわたり423回も開廷し、鳴り物入りで日本を糾弾したが、要するに、勝者の敗者に対する一方的断罪であった。

日本の立場を完全に無視しており、パル・インド判事の名言を借りれば、「歴史の偽造」なのである。

それに、「法律なければ犯罪なし」の原則に反する。しかも、わが国民は戦勝国の世論操作によって洗脳され、いまだに裁判の真相を理解していない。

これを是正せぬ限りわが民族の精神的独立は回復しがたい。

それだけに、『世界がさばく東京裁判』が刊行されるのは極めて意義深い。14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。そのなかには私の知友もいる。

東京裁判は裁判官も検察官も戦勝国代表で構成しているのであって、その点で公正を欠くのだが、日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連には明らかに日本を裁く資格は皆無である。

また、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、日本が終戦を模索していることを知りながら、原爆を投下したのは、天人ともに許さざる重大な国際法違反である。

さらに加えれば、日本弁護団が用意した却下・未提出資料は全八巻にも及ぶ。歴史の真実を記録公表する意味は大きい。

戦勝国によって言論の自由を奪われた日本の場合は特にそうだから、私は関係各位の愛国的奉仕に深く感謝している。同じ意味で、私はこの度の佐藤和男教授の不朽のご盡力に対して国民とともに感謝し深甚な敬意を表しつつ、

「日本国民みずからの手で主体的再審を行って、日本民族にとり歴史の真実とは何であったのかを、先人ならびに児孫のために明らかにしようではありませんか」

という最終の一節に無限の共感を抱く次第である。国民必読の好著の出現を慶祝して

平成8年(1996年)6月

レーリンク博士の見解(34ページ)
(1)日本に開戦を決意させ、ハワイを攻撃させることになる1941年11月26日のハル・ノートについて、レーリンク博士は次のように述べている。

(日米交渉に関連して)日本の見地からして、アメリカ(イギリス・支那・オランダ)側のとった行動のうち最も重要なものは、石油禁輸であり、日本はこの禁輸措置が解かれること切望すること非常なものがあった。

11月26日にワシントンの態度が明確にされたが、それは、日本がインドシナおよび支那から撤退することが経済的譲歩の代償とされるというものであった。

しかし、日本政府としては(いかなる政権であっても)そのような代償を支払う意思も能力も持てなかった。

ハルが提示した諸条件は端的に戦争を意味しており、そのことをハルは知っていた。

彼はスティムソン陸軍長官やノックス海軍長官に「問題は今や貴下の手中にある」(The matter is now in your hands.)と語った。

アメリカ政府は戦争が始まることを確信していたが、それが日本によって開始されることを熱望していた。

"われわれは、あまりに多くの危険がもたらされないようにしながら、日本を操って最初の第一撃を発射するようにさせなければならない" と、確かにハルは言った。

アメリカ下院議員を勤めていたハミルトン・フィッシュなどの調査によって、現在では、ハル・ノートの原案を作成したのが財務次官補ハリー・D・ホワイト(ソ連のスパイであったことが後に判明している)であったことが確認されており、ルーズベルト一味の対日挑発企画はソ連の世界赤化戦略に副うものであったことが、外交史家の知るところとなっている。

(以下省略)

ローガン弁護人の「アメリカの戦争責任」論(111ページ)
(途中省略)

ローガン弁護人は1948年(昭和23年)3月10日、最終弁論・自衛戦論において、パリ不戦条約の草案者の一人である国務長官ケロッグが締結当時の1928年、経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介し、今次戦争を挑発したのは日本に非ずして連合国であることを詳しく論証した(『東京裁判 日本の弁明』に全文所収)。

その内容は「アメリカの戦争責任」を徹底的に追及したものとなっている。

[日本は]連合国が行いました経済封鎖は日本に対する戦争行為に他ならないものであると断定する権利をもっていたのであります。

がそれらも拘わらず日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みたのでありました。

然るに経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威と相俟って、遂に日本をして自国の存立の擁護の為には、最終的手段として戦争に訴へざるを得ないと考へしむるに至ったのでありました。

日本がこの連合国の経済封鎖を以て直ちに宣戦布告に等しきものなりと解釈する事なく、平和的解決を交渉に依って忍耐強く追求しました事は、永遠に日本の名誉とするに足る処であります。

……其れ[大東亜戦争]は不当の挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのであります。

アメリカ政府から対日戦争行為に匹敵する経済封鎖を受けておきながら、それでも忍耐強く平和的解決を図ろうとした日本政府の態度は「永遠に日本の名誉」だと、ローガン弁護人は堂々と法廷で訴えたのである。

更に欧米の対日圧力は経済面にとどまらなかったとして、次のように続けた。

日本に対する経済的圧迫の政策を以て西欧列強は相提携して、軍事力を以てその政策を強行する為一層強硬な而も峻烈な措置をとるに至りました。

中国に対し軍隊と戦争資材とを提供し、その結果として中国の土地に日本人の血潮を流す事になり、而もそこに対日侵略はなかったと検察側は果たして正当に主張し得られませうか。

日本が日本を取り巻いている固く張り巡らされていた軍事上の包囲陣に対して反発すべき正当な理由を持って居たかどうかを証拠を調べて検討して見ませう。
事実は日本が自己防御の為に攻撃を加へるべき正当な権利を持って居たという事を十分に証明するものであります

武力の誇示を伴った経済封鎖が、此れ程大規模に用意周到な計画的な統一的な正確さを以て遂行され、その目的、即ち日本をして最初の一撃を行はしめんとする明白な期待と希望とを挑発する目的が首尾よく貫徹されたことは、歴史上未だ他に例を見ないのであります。

日本側を刺激して攻撃に出でしめようとする、その公言せられた目的が完成されたのでありますから、此の日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものであります。

アメリカ人でありながらローガン弁護人はいささかも追及の手を緩めることなく連合国側、特にアメリカがいかに経済的・軍事的に日本を追い込んだのかを精緻に論証したのである。

ローガン弁護人は最終弁論を終えるや、判決を待たずに急遽帰国したが、東京を去るに臨んで全被告に対して、次のような挨拶を述べた。

私は最初日本に着いた時には、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。

しかるにその後種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。

したがって起訴事実は、当然全部無罪である。
しかしこれは弁護人である私が二年半を費やし、あらゆる検討を加えてようなくここに到達した結論である。

したがって裁判官や検事はまだなかなかこの段階に到達していないだろうと想像される。

これが判決を聞かずして帰国する私の心残りである。

ローガン弁護人が案じた通り、パール判事らを除いて検事も裁判官も、最後までローガン弁護人の段階に到達はしなかった。

そればかりか現在の日本人の多くもまたローガン弁護人の歴史観にまで到達することなく、「日本の攻撃が自衛手段でない」と信じ込み、ローガン弁護人が憂慮したように「実に歴史の一汚点を残」したまま、今日に至っているのである。

「世界がさばく東京裁判」から転載させて頂きました

私はこの本を読み終えてしばらく動けませんでした。少し落ち込んでしまいました。一方で真実を発見したという感動もまた大きく私の心に広がりました。そして自分を大きく変えていく切っ掛けになったという確信も心の中に芽生えました。良書というのは、こういう風に人の心にスッと入ってくるのか…。

あまりにも私たちの先人が命を賭けて戦い抜いた大東亜戦争について、無知である事を知ったのです。そして私にとりまして、あまりにも東京裁判についても誤解していた点が多すぎました。

この本は、多くの日本の皆様に読んで頂きたい本です。心から推薦したい本です。

ここで東京裁判の正体を極めて的確に言い当てていると思われる言葉をご紹介します。当然のことながら採用はされませんでしたが、パール判事が「個別反対意見書」としてまとめた長大な判決書の最後に書かれている言葉を、ここで紹介します。

「時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。」

(When time shall have softened passion and prejudice, when reason shall have stripped the mask from misrepresentations, then justice, holding evenly her scales, will require much of past censure and praise to change places.)

いかがでしょうか~。(^o^)
「…正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」

私は近い将来において、この時が必ずやってくると確信していますし、"仮面を剥ぐ" のは、他ならぬ私たち児孫が成し遂げねばならない責務だと思うのです。

日本の真実の歴史を守るために、そして先人たちが戦場で、そして銃後で流した幾多の苦渋の涙に報いるためにも――。

もう一度著書のデータをご紹介しますよ。(^o^)

「世界がさばく東京裁判」 (副題:85人の外国人識者が語る連合国批判)

監修佐藤和男 明成社 平成17年(2005年)初版

「日本人全員に読んで頂きたい本です」
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「日本人全員に読んで頂きたい本です」
「日本人全員に読んで頂きたい本です」
「日本人全員に読んで頂きたい本です」

お願いです。
ぜひぜひ、一人でも多くの方にこの本を読んで頂き、「東京裁判史観」 という洗脳から解放されてください。

田母神俊雄氏も強調していましたが、日本は、米国や中共、そして南北朝鮮のように、「歴史を偽造」する必要は全くありません。

先人の努力により解明された真実の歴史を、堂々と開示していくだけでよいのです。真実こそが日本の強い味方なのです。

「日本がアメリカを赦す日」

岸田 秀著 毎日新聞社 平成13年(2001年)初版

ここでひとつ、とてもユニークな "米国批判・東京裁判批判" をご紹介します。東京裁判だけを扱った著作ではありませんが、東京裁判や、東京裁判を強行した米国の批判も登場しますので、皆様にぜひ読んで頂きたい本ですね。

著者である岸田氏は大学教授であり精神分析を専門としています。従ってこの本は、外交や国際政治など国際情勢を、精神科のカウンセラーから説明を受けるような、不思議な体験が出来ますよ~。(笑)

この本は、精神分析の視点から当該国家を "精神分析" し、国際情勢を俯瞰し解説しているという点が実にユニークですよね。

私は岸田氏の大ファンであり、彼の本は数冊持っています。間違いなく、いまだかつて経験したことのない新しい視点を提供してくれます。アマゾンなどで検索すればたくさんの本が出てきますよ。

"人間の精神分析の視点で国家を精神分析する"、これは実にユニークな視点であり、私も読了した後、視野の広がりを体感し、新しい視点を発見したような、小気味よい感動を覚えたものです。

きっと皆様も、新しい視点が見つかったと、きっと同じように "小さな感動" を味わうと思いますよ。ぜひゆっくりと、一言一句吟味しながら読み進めて下さいませ。

それではこの本の中で登場する、東京裁判とアメリカの "精神分析"、アメリカの原爆投下について、転載させて頂きご紹介させていただきます。

【第八章 東京裁判とアメリカの病気】 勝者の裁き(156ページ)

このあいだ『プライド 運命の瞬間』(東映、98年公開。伊藤俊也監督。津川雅彦らが出演)という映画を見てきました。

『プライド』の共鳴できる点は、東京裁判を是認していないところですね。

あの裁判が、アメリカに都合が好過ぎる、一方的な裁判であったという点は、その通りです。そもそも、第三者が裁くのならともかく、勝った者が負けた者を裁くというのは、道義的に大いに疑わしい。

この裁判は、勝利者史観というか、勝ったアメリカが全面的に正義の側に立っており、負けた日本は悪逆非道の侵略者であり悪者であるという単純な歴史観にもとづいて行われたわけで、アメリカがそういう歴史観をもつのは勝手ですが、それを裁判の根拠にするのは不公平です。

アメリカ人は不公平ということをいちばん嫌う国民であるはずなのに、どうしたんでしょうね。

いずれにせよ、公平であるというのが裁判の必要不可欠の前提ですが、東京裁判はこの前提を欠いており、したがって、裁判ではありません。裁判に名を借りた報復です。

しかし、敗戦後の日本は、これを裁判と認め、その前提の歴史観、すなわち、いわゆる東京裁判史観を承認しました。

戦後教育、戦後民主主義、戦後の日米関係などはすべてこの歴史観にもとづいているわけです。東京裁判史観は、戦後日本の出発点であり、礎石であり、骨組みでした。

しかし、この歴史観がおかしいということは、誰だってちょっと考えればすぐわかることですから、もちろん、他方では、これはおかしい、このような歴史観は承認できない、という思いも日本人の間で燻り続けていました。

しかし、戦後日本の存在そのものがこの歴史観に規定されていたのですから、言い換えれば、これを承認しなければ、日本は存在を許されなかったのですから、おおっぴらにこれを疑うことはできませんでした。

人間というものは弱いもので、おおっぴに疑うことができないことは、正しくないことでも、いつの間にか、正しいと思い込んでしまうものです。

長いあいだ、心のなかで疑いを宙ぶらりんにしておくというのは、つねに緊張を強いられているということであって、そのようなことは誰しも耐えられないことですから。

そういうわけで、日本国民の多くは、いつの間にか、東京裁判史観を何となく当然のこととして、戦後という時代を生きてきました。しかし、一部には、そうでない連中もいて、彼らが、映画『プライド』で、長いあいだ燻っていた思いをついに表明したということでしょう。

しかし、なぜ、アメリカは、戦勝国が敗戦国を裁くというあからさまな不公平なことを思いつき、そして、実行したのでしょうか。

もちろん、アメリカは戦争に勝ったわけですから、負けた日本を占領する権利はありました。

昔の戦争で、ローマがカルタゴ滅ぼしたように、勝った国が負けた国を滅ぼし、その国民を奴隷にしてしまうというようなひどいことをするのは決して珍しくありませんでした。国を滅ぼさないまでも、莫大な賠償金を押しつけたりしました。

日本の戦国時代なら、勝った大名が、負けた側の領地を没収し、敵の武将の首級を取ったりしました。

しかし、戦争に勝ったあと、勝った側が正義の立場に立って、道義的に、負けた側を悪人として裁判するというようなことをした国は、歴史が始まって以来、アメリカだけです。敗戦間近の追いつめられた日本では、当時、子供だった僕は覚えていますが、「負けると、男はみんな奴隷にされ、女は強姦される」と言われていましたから、負けるとひどい目に遭わされることは予想していましたが、道義的に悪人として裁かれるとは予想していなかったようです。

敗戦後の日本は、予想して恐れていたひどいことはされず、予想していなかったひどいことをされたわけです。

確かに、日本の軍部と一部の軍人はひどいことをしました。しかし、それを裁く権利がアメリカにあるという判断の根拠は何でしょうか。

日本軍がひどいことをしたのは、主としてアジアにおいてでありますから、アジアの国か民族が原告となり、無関係な第三国の人が裁判官となって、日本を裁くのなら、話はわかりますし、日本人は納得したでしょう。

また、軍部の指導者たちは、国を間違った方へと導き、国民に多大の苦しみと損害を与えましたから、日本国民が軍部を裁判にかけるのなら、一種の人民裁判ということで、これも話がわからないでもありません。

しかし、日本がアメリカに対して犯した戦争犯罪と、アメリカが日本に対して犯した戦争犯罪とは、どちらが多いか、大きいかは比べてみるまでもありません。

したがって、被害者は加害者を裁いてもいいという前提に立ったとしても、公平に考えれば、日本こそ、アメリカの日本兵捕虜虐殺や、都市の空襲による非戦闘員の大量虐殺や、原爆の投下などを裁いて然るべきです。

もし、アメリカが、日本軍のこれこれの将校とこれこれの兵隊は、アメリカ軍に多大な損害を与え、アメリカ兵をたくさん殺したから、腹立たしいので、殺してやれ、ということで、彼らを引っ捕らえて殺したのであれば、容認できないにしても、憎悪に駆られた感情的行動として理解できないでもありませんが、いくら戦争に負けたからといって、正義の立場に立って日本を裁く権利をアメリカに認める必要はありませんから、この点に関してはアメリカに抗議すべきでした。

アメリカは、正義の立場に立ちたいのであれば、日本に対するアメリカの戦争犯罪も公平に裁くべきであったし、日本だけを罰して復讐したいのであれば、正義を断念し、戦勝国の特権としてそうすべきでした。

アメリカは、本来なら二者択一であるべき正義と復讐とのどちらも欲しがったのでした。そのため不可避的に欺瞞とごまかしに訴えざるを得なかったのです。

日本人が東京裁判について割り切れない思いを抱き続けているのは、犯人の日本をさらに凶悪な犯人のアメリカが裁いたからでしょう。

要するに、アメリカは日本を、本来なら、裁く権利がないのに裁いたわけで、そして、日本は、アメリカに対し、本来なら、抗議すべきなのに抗議しなかったわけです。

本来なら、行われるべきでないことが行われ、行われるべきことが行われなかったこの二重の逸脱は何ゆえなのかを、これから考えてみたいと思います。

アメリカはアジアでのさばる日本を叩き潰し、勝利を得たのだから、それで十分だったのではないかと、常識的には思えるんですが(何が常識かに問題はあるとしても)、それなのに、アメリカは、なぜその上、正義の立場に立ちたかった、または立つ必要があったのでしょうか。

僕は日本人の代表ではありませんが、東京裁判について、日本人としてどうしても不思議なのは、自分の側の犯罪をあれだけ棚上げにできるアメリカ人のあの神経というか、あのメンタリティですね。そこのところがどうしても理解できない。

たとえば、逆に、日本がアメリカに勝ったとしてみましょう。

すべてをひっくり返して、原爆投下をはじめ、アメリカが日本に対してやったことをすべて日本がアメリカに対して、やったとしてみましょう。ちょうど逆の状況を想像してみるのです。

そのとき、日本人は、アメリカを裁判にかけようと思うでしょうか。

日本人といってもいろいろですが、少なくとも僕なら、ああいう裁判はとても恥ずかしくてできないと思いますね。

あっちも悪いことをしたけど、こっちも、原爆を投下したし、戦争犯罪をいろいろやっていないわけでもないからと考えて、相手を一方的に責めるなんてことは気が引けてできないんじゃないかなあ。

いや、日本人だけでなく、他の国の人たちも、同じような状況で、負けた敵国そのものを丸ごと裁く、その指導者を裁判にかけるという発想はしないんじゃないかなあ。これはアメリカ人特有の発想だと思います。

戦争犯罪を犯した敵兵個人を裁判にかけて処刑したということなら、アメリカ以外の国もやっていますが……。

日本の歴史に、戦争に勝って、アメリカと同じように、敵国の文明を間違った文明と断罪し、敵国の指導者を裁判にかけて、犯罪者として処刑したなんていう事件が、もしあったとすれば、僕なら、日本という国の傲慢さ、奢り、鈍感さ、自己中心性が思わずさらけ出されてしまった事件として、この事件は日本の歴史の恥部だと思うけどね。

【インディアンコンプレックス】 (162ページ)

なぜ、アメリカは戦争に勝つと、文明とか平和とか人道とかの文句のつけどころのない普遍的な価値を持ちだして、それを破壊した罪というような罪科を設けて、敵を裁判したがるかが問題です。

なぜ、自分が普遍的価値を握っていると信じることができるのかが問題です。やはり、その理由はアメリカの歴史に求めなければならないと思います。

アメリカが敵を裁判にかけたのは、もちろん、日本が最初ではなく、すでに南北戦争のとき、勝った北軍が南軍を裁いています。

このときも、講和交渉で、南軍が戦後の武器保有などの条件をつけようとしたのですが、北軍はそれを拒否して無条件降伏を求め、南軍がやむを得ず承諾すると、北軍は、寛大な処置として南軍の武器保有を許すというやり方をしています。

とにかく、アメリカは、おのれを普遍的正義の立場、善悪の絶対的判定者の立場におき、それに従わざるを得ないような無条件降伏に敵を追い込んでおいてから、敵を裁くというのがお好きなようです。

その点を貫くことができれば、あとは寛大になるようです。そう言えば、戦後の日本に対しても、アメリカは実に寛大でした(すでに述べたように、これには他の理由も考えられますが)。

他方、アメリカは、自分が裁判にかけられるのは絶対に容認できないようです。

ベトナム戦争のとき、北ベトナムが、アメリカ空軍の北爆は国際法違反の戦争犯罪だから、捕虜の空軍兵士を裁判にかけるとほのめかしたことがありましたが、当時のジョンソン大統領は烈火のごとく怒り、そのようなことをするなら、核兵器の使用も辞さないと北ベトナムを脅かしました。

その怒りが度外れだったので、印象深く覚えていますが、このことは図らずも、アメリカが敵を裁判にかけるとき、敵をどのように見ているかを物語っています。

アメリカがつねに正義の立場に立ちたがるというのは、立たざるを得ないコンプレックスがあるからだと思います。

僕はそれは、インディアン虐殺からきていると考えています。

アメリカ大陸にはインディアンが住んでいたわけですね。アメリカなる国をつくるためには、インディアンを殺し、その土地を奪わねばなりませんでした。

ここでアメリカ人(まだアメリカ人はいませんが、いちいち断るのも面倒なので、未来のアメリカ人の先祖もアメリカ人と呼んでおきます)は、解決しがたい矛盾に直面しました。

彼らは、不正に汚れたヨーロッパから逃れ、新大陸に新しい正義の国を建設するという使命を神に託されてやってきた(という幻想をもっていた)人たちでした。

したがって、単に邪魔だから、インディアンを殺すということを正直に認めることはできず、何とかインディアン虐殺を正当化しなければなりませんでした。

そこでアメリカ人は、神に託された使命を果たすわれわれは絶対的正義の立場に立っており、この絶対的正義の実現を妨げる者は神に反逆する極悪人であり、極悪人を排除するためにはどのようなことも許されるという理論をつくり、それに槌りました。

この理論が、今日にいたるまで、アメリカ人のアイデンティティを支えています。

インディアン虐殺は正義のためにやむを得なかったんだという理論を堅持しないと、アメリカは正義の国ではなくなり、建国の精神から言って、正義の国でないアメリカはアメリカではないのだから、アメリカは滅びざるを得ないわけです。

滅びないためには、つねにアメリカは正義がついているんだと確認する必要があるということですよ。

それ以来、アメリカ人は、何か悪いことをすると、いやむしろ、強迫的に同じような悪いことを繰り返して、同じ理論で自己正当化をしなければならなくなったのです。

すなわち、アメリカは、どこかに極悪人をつくり、正義の立場から、彼と争い、彼を打ち負かし、彼を処罰するということを繰り返さざるを得なくなったのです。繰り返しそうしていないと、正義の立場が揺らぐのです。

自己正当化は、言ってみれば、自己欺瞞ですから、意識的に正当化していても、心のどこかではつねに不安なので、同じ悪事を何度も繰り返して、それが悪ではなく、正義であることを確認しなければならないということになるわけです。

フロイドは、罪悪感を動機として同じ犯罪を繰り返すある種の犯罪者、すなわち罪悪感が犯罪に対するブレーキになるのではなく、逆に犯罪へと駆り立てる動機となる犯罪者の症例をあげていますが、アメリカは、精神分析的には、強迫神経症の患者で、反復脅迫の症状を呈していると考えられ、その種の症例の一つであると言えます。

アメリカの対外関係の歴史は、最初のトラウマ体験であるインディアン虐殺体験の反復脅迫と見れば、非常に良く理解できます。

とくに、日本人は、インディアンと同じくモンゴル系の人種で、よく似ていますから(日本人は日本人とインディアンが似ているとは思わないかもしれないが、アメリカ人から見ると同じように見えるらしい)、インディアンと同一視されたということは十分考えられることです。

したがって、アメリカ人がその歴史においてインディアンをどう扱ったかをよく研究していたなら、日本人をどう扱うかについて正確な予測ができたと思うのですが、日本軍部は、アメリカ兵はジャズを聞いて踊っている享楽主義の腰抜けどもだから、忠勇無双のわが日本兵が死ぬ気でぶつかってゆけば、尻尾を巻いて逃げ出すなどと、たわけたことを言っておりました。

何はともあれ、強迫神経症の症状なのですから、何が何でもそうせざるを得ないわけで、アメリカは、インディアンとの戦争で、あくまで皆殺しをめざしたように、他の国または他の民族に対しても、いったん戦争を始めたら、敵国の言い分もいくらか認め、どこかで妥協して適当なところで戦争状態に終止符を打つということができません。

1943年、カサブランカ会議で、アメリカのルーズベルト大統領は、あくまで枢軸国の無条件降伏を要求する方針を打ち出し、イギリスのチャーチル首相が、それでは連合国側の死傷者や損害もいたずらに増えることになると反対したのですが、頑として聞き入れなかったそうです。

チャーチルは押し切られました。このことについては、このあとすぐ、もう一度説明します。

【原爆投下の論理】 (166ページ)

たとえば、原爆投下を正当化する口実として、アメリカは、もし原爆を使用しなかったとすれば、日本を降伏させるために日本本土への上陸が必要であったであろう。

本土決戦ともなれば、アメリカ兵の死傷者は百万人(五十万人と言われることもあります)を超えるかもしれない、そしてその十倍以上の日本人が死傷するであろう、したがって、原爆投下は、百万のアメリカ人とその十倍の日本人の生命を救ったのだというようなことを言います。

この理論はどこかおかしくはないでしょうか。

本土決戦になれば、アメリカ人が百万人、日本人がその十倍以上死傷するという予測は、何の根拠もありませんが、ここは譲って、この予測は正しかったとしてみましょう。

この理論は、日本を完全に屈服させ、無条件降伏を承認させることを疑うべからざる当然の前提としています。

日本をそこまで追いつめるためには、原爆投下と、アメリカ人が百万人(そして日本人がその十倍)死傷する本土決戦との二つの手段があり、この二者択一では、原爆投下を選ばざるを得ず、原爆投下はやむを得なかったという理論です。

しかし、当時の日本は、戦況は絶望的で、敗北が避けられないこと認識していたし、天皇の大権の保持などの条件が認められれば直ちに降伏したことは間違いないでしょう。

しかし、アメリカは、日本人がプライドの余地を残す条件降伏では満足できなかったのです。

すなわち、原爆投下は、アメリカ人が百万人(そして日本人がその十倍)死傷するのを防ぐためにやむを得なかったのではなく、日本を完全に屈服させるため、日本人がプライドをもつ余地を完全に潰すために必要だったのです。

この最終目的をあきらめさえすれば、アメリカは原爆を使わなくともよかったのですから。

それから、もっとはっきり言えば、アメリカは、何らかの目的のためのやむを得ない手段としてではなく、自己目的的に、原爆を投下してできるかぎり多くの日本人を殺したかったのでしょうね。

とくに長崎への二発目の原爆投下にはそれ以外の理由は考えられません。

なぜアメリカは敵を完虜なきまでに叩きのめさないと気が済まないのでしょうか。

またインディアンとアメリカ人の歴史に返りますが、それはインディアンを完虜なきまでに叩きのめし、かつ、そのことを正当化したため、それ以降、いかなる敵と戦っても、敵の立場をいささかでも考慮に入れ、敵の正当性をいささかでも認め、完虜なきまでに叩きのめす手前で中止したとしたら、かつてインディアンを完虜なきまでに叩きのめしたのは果たして正しかったのか、そこまでやる必要はあったのか、などの深刻な自己疑惑に陥らざるを得ないのです。

それが恐ろしいので、アメリカ人は、戦争となると、敵を完全に屈服させることを疑い得ない前提とせざるを得ないのです。その前で、思考停止せざるを得ないのです。

かつて正しかったことは、今も正しいはずなのです。いま、それを正しくないと認めれば、かつてのことも正しくなかったと認めざるを得なくなります。

そうなれば、アメリカという国家のアイデンティティが崩れます。

ここで日米関係を離れて、一般論として考えてみましょう。自国がある国と敵対関係にあるとします。自国はこの敵国に攻撃される危険があります。

この場合、この危険を防ぐ方法は二つあります。

一つは、この敵国を滅ぼすか、もしくは徹底的に弱体化し、自国の強さ、恐ろしさを印象づけて、敵国が二度とふたたび自国を攻撃しようなどとは思いもしないようにする方法。

もう一つは、敵国に自国に対する好意を抱かせ、たとえ攻撃力があったとしても、自国を攻撃する敵意などもつことがないようにする、もしくは自国の道義的高潔さを敵国に尊敬させ、自国を攻撃するのは道義的に許されないことだと敵国に思わせるようにする方法。

つまり、敵国を敵国でなくする方法。孫子の兵法に俟つまでもなく、普通の国というか、病的でない国なら、この二つの方法のうち、第二の方法のほうがコストがかからないし、戦争はしないから、敵味方とも損害を出す心配はないし、道義に叶っており、かつ平和的でみんなの非難を買うこともないだろうと考えて、第二の方法を優先してまず用い、状況に応じて、第一の方法をやむを得ない限度内で用いるでしょう。

アメリカという国は、もっぱら第一の方法しか考えない国ではないでしょうか。

たとえば、日本への原爆投下は、第一の方法としてきわめて効果的でした。日本を徹底的に怯えさせ、日本はもう二度とアメリカと戦争しようなどとは思わなくなりました。

しかし、この方法には危険があります。もし、日本が将来、核兵器を持ち、ふたたびアメリカと戦争する戦力を獲得したとすると、かつて原爆を投下された恨みから、アメリカに原爆を投下するかもしれません。

また、そのとき、日本はアメリカへの原爆投下をためらう道義的義務はいっさいないわけです。

すなわち、第一の方法は、敵の恨みを買うので、敵が復讐してこないようにつねに警戒していなければならないという欠点があります。

したがって、日本に原爆を投下したということは、論理的に筋道を立てて考えれば、日本が将来、核兵器をもち、ふたたびアメリカと戦争する戦力を獲得する可能性がないこと、もし日本がそれを獲得しようとしても阻止できることを前提としています。

ということは、日本を、将来にわたって永遠に支配していなければならないということです。冷戦が終わっても、アメリカ軍が日本に駐留し続けているのは、そこに理由があるかもしれません。

第二の方法に重点をおく国なら、対日戦中のアメリカと同じ状況におかれたとしても、この危険を考えて(これは、考えてみれば、大変危険です)、日本に原爆を投下しないであろうと思われます。

実際、当時のアメリカ政府や軍の関係者の一部、原爆製造にかかわった科学者の一部に、いろいろの理由で、原爆の使用に反対した人たちがいました。

もし日本に原爆を投下するとしても、兵員のみを目標とすべきで、女子供に用いてはならないとか、日本政府に降伏の機会を与えた後でなければ使うべきではないとか、投下地点を日本にあらかじめ知らせておくべきだとか、原爆の破壊力を示しさえすればいいのだから、陸地ではなく日本近海にしてはどうかとかの意見があったようです。

しかし、結局、アメリカは軍事基地や軍需工場があるわけもない市街地に予告なしで原爆を投下しました。なぜでしょうか。

アメリカには、敵対する相手をあまり追いつめず、なるべく恨みを買わないようにし、その好意や信頼を得て、戦争をある限度内にとどめて終結し、相手との今後の永続的友好関係を築くことによって、相手からの将来の攻撃を防ごうという選択肢はないらしいのです。

相手を絶滅させるか、二度と抵抗できないほど無力化するかして考えないらしいのです。

それは、もちろん、先住民のインディアンに対するかつてのパターンの反復強迫です。

反復強迫とは、ニュートン的物体の慣性の法則よろしく、ある行動が何回か行われると、習慣化されて同じ行動が機械的に繰り返されるようになるということではなく、ある好ましくない行動をいったん正当化すると、その正当化を崩さない限り、強迫的に同じ行動を無限に繰り返さざるを得ないという病的な心理現象です。

なぜ正当化を崩せないかというと、正当化を崩すと、正当化によって無意識へと抑圧していた苦痛な感情(罪悪感)が噴き出してくるからです。

日本との関係で、第二の方法によって戦争を終結させたとすると、そして、それでうまくいったとすると、なぜ、インディアンとの関係でそうしなかったのかという、アメリカ人が永遠に答えられない恐ろしい疑問が襲いかかってくるのです。

「日本がアメリカを赦す日」から転載させて頂きました

いかがでしたでしょうか~。(^o^)
岸田氏によるアメリカという国家の "精神分析"。読みながらウンウンと納得出来る部分が多くありませんでしたか。

なによりも、 "かつて見たことも聞いたこともない発想だ" と、思えた方も多いのではないでしょうかね。

岸田氏のカウンセラーがとても上手く、あなたはきっ と「頭の中で解決困難となっていた諸問題」 の解決の糸口を見つけられたはずです (笑)。私もそんな一人でしたよ。 岸田さん、本当にありがとうございました。

「もっと読んでみたい!」 と思われる方は、アマゾン等で著者として 「岸田秀」 氏で検索すれば、情報を得ることが出来ますよ。私からも彼のお勧めしたい本がたくさんあります。ぜひ頑張って読んでみて下さいね。

ここで再び岩田 温氏の 「真実の歴史の復活を求めて ―検閲と東京裁判史観―」に戻ります。

岩田氏が論文中で語る、

<「東京裁判史観」では、日本以外の国家の悪意や侵略性は全く無視されてしまっている。日本のみが一方的に悪く…。>

の部分はすごく重要な箇所ですよ。

本当に「日本軍だけが規律のない野蛮な軍隊だったのか」、また「日本軍だけが軍国主義に被れた血も涙もない無慈悲な軍隊だったのか」…。

まさにその答えが書き込まれているともいえるサイトを発見しましたので、皆様にご紹介致します。ヤフーブログのなかにある、「"Fulaingu" Tigers 」というサイトがそれです。

※日本語では[フライング・タイガー]という事になります。「アッ この名前聞いたことがある」 という方が多いのではないでしょうか

サイトの一言メッセージ欄に、「 お前が先に宣戦布告前に戦争を仕掛たんだ!フライングだ!ということで。(このフライングは和製英語。米国人には通じません。)」 と書かれています。

だからフライングの部分を""で囲ってあるんですね。ちょっと笑ってしまいました。。(笑)

[フライング・タイガー]の詳細に関しては後述します。「"Fulaingu" Tigers 」サイトをご覧になるとお解りになりますが、

「「孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記」」 (上・下)

チャールズ・A・リンドバーグ著 学研文庫 平成14年(2002年)初版

という本の文脈に複数箇所ある "アメリカ軍の日本兵に対する残虐行為に関する記述がある箇所" を、抜き書きして私たちに提示して下さっているのです。この本は日本語訳で「学研文庫」から出版されていますので、ぜひ読んでみて下さいませ。

さて、当サイトのウエブマスターは学のある方のようで、原著を読破しておられるようですよ。スゴイ!。サイトでは文言の正確を期すためか、"アメリカ軍の日本兵に対する残虐行為に関する記述がある箇所"について、原著を撮影した画像・英語の原文・日本語訳文の三種類を並べて表記してあります。

おそらく英文と日本語訳文はキーボードを叩いて入力したものと思われますで、膨大な時間を要したと思われます。誠にお疲れ様でございました m(_ _)m。

それなのに私が3分でコピー・ペーストするなんて…。本当に申し訳ございませ~ん。

『孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記』の著者であるチャールズ・A・リンドバーグ氏については、1927年に愛機「スピリット・オヴ・セントルイス号」で、史上初の大西洋横断無着陸飛行を成功させ、「翼よあれがパリの灯だ」のセリフと共に、日本では知られているのではないでしょうか。

この本は、彼が国家危急の要請には逆らえず、陸軍のパイロットとして第二次大戦に参戦するため太平洋戦線へと赴き、戦場の様を終戦までを日記として記録していたものを公開・出版したものです。

米軍の太平洋戦域での前線で、「アメリカ軍は捕虜を取らない」という方針が徹底された事による、日本兵に対する信じられない蛮行を目撃する事になるのです…。

それでは今から、「Fulaingu Tigers」サイトに掲載されている日本語訳部分を転載させて頂きます。

最初から最後まで、米軍の日本軍将兵への人種差別的対応と虐待の様子が列記されており、戦場の冷酷なる情景が想起されると共に、日本軍将兵に訪れた悲しい末路に心が痛みます…。

文面を "読む" のではなく、当時の状況に入りきり従軍記者になったつもりで観察して下さい。

長文を転載させて頂いていますが、戦場の生々しい現実が連続的に映し出されます。

戦場で非業の死を遂げられた日本軍将兵の無念さを追憶する為にも、目をそらすことなく最後までお読み下さいませ。

【捕虜をとるな】
6月21日 水曜日 (241ページ)

合衆国軍、シェルブールを孤立化させる。ドイツの対英ロケット爆撃が続く。

日本軍兵士殺害に関する将軍の話―数週問前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう二年以上も太平洋地域で戦闘部隊と行を共にしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく――帰国する前にせめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。

軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。

軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。今こそ日本兵を殺すチャンスだと、その捕虜は軍曹の前に引き立てられた。

「しかし、俺はこいつを殺せないよ! やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」

偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に腕が巻きつき、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。

このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた。私がそのやり方に反対し、どうしても捕虜を殺さねばならないのなら疾 《やま》しくない、蛮行に非ざる方法に訴えるべきだと主張すると、私は悠然たる侮蔑と哀れみの態度に接した。

「野郎どもがわれわれにやった ことだ。やつらを扱うたった一つの方法さ」

6月26日 月曜日 (243ページ6行目)

小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品《スーペニア》として十ボンド(三十三ドル)の値打があると、ある将校は説明した。

日本軍将校の軍刀を所持する男は二百五十ポンドなら譲ってもよいと言った。

談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」

「*****では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」

「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。

「たとえば***隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」

話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中の敵のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。もっとも、自分ならそんな真似はしたくないと断わる者が数名いた。

「これも、最初はジャップの方からやり出した。やつらがその手を使いたければ、われわれにだって同じ手が使えるということだ」。落下傘にぶらさがったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。

【捕虜をとるな】
6月28日 水曜日 (245ページ9行目)

第四七五飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。

わが将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、敬意を払うという心を持ち合せておらぬ。

日本兵の死体から略奪したり、略奪の最中に死者を〝野郎″《サノヴァビィッチ》呼ばわりしたりすることも意に介さぬ。
ある議論の最中に私は意見を述べた、日本兵が何をしでかそうと、われわれがもし拷問をもつて彼らを死に至らしめれば、われわれは得るところが何一つ無いし、また文明の代表者と主張することさえ出来ないと。

「ま、なかにはやつらの歯をもぎとる兵もいますよ。しかし、大抵はまずやつらを殺してからそれをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。

後刻、ベッドに入る用意をしていたら、もう一人の将校が戦利品を見せてくれた。

ある夜の午前二時ごろ、数人の日本兵がキャンプに入ってきた(将校の間で日本兵が食糧を盗みに来たのか、それとも投降に来たのかという点で議論が分れた)。

戦利品を見せてくれた件《くだん》の将校が日を覚まし、そして日本兵を認めるや45口径をつかみ、二人を撃ち殺してしまった。別の将校が三人目を射殺した。

このような行為のために彼らを非難するつもりはない。結局、まだ暗い早朝にキャンプ内に入って来る日本兵を認めたとき、まず質問を発するゆとりは持てないものだ。

自分が非難したいのは殺害の態度であり、死者の尊厳に対する表敬の完全な欠如なのだ。

戦利品は何時ものように文字を書きつけた日本の国旗、軍票も混った数枚の日本紙幣、印鑑、郵便貯金帳、文章や宛名まで書き込んである数枚の葉書、他に幾つかの品物と数名の日本兵が写っている一枚の写真などであった。

写真には〝戦利品″を奪われた死体の兵士も写っていた。十五歳から十七歳ぐらいの少年であった。

7月13日 木曜日 (260ページ)

たまたま滞在中のフィル・ラ・フォレットと夕食を共にする。フィルが料理をした。

戦局、昔のこと、国内の政治情勢を話し合う。その途中で、話が日本軍とわが軍が犯す残虐行為に及んだ。わが軍の一部兵士が日本捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残忍な蛮行をやってのけていることも容認された。

わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。

ところが、南太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。

事実、この点に関するわれわれの成績が日本人のそれより遙かに高いという確信は持てないのだ。

7月21日 金曜日 (263ページ4行目)

仮に攻守ところを変えて、わが方の部隊がかくも勇敢に立派に拠点を死守したのであれば、この防衛戦はわが国の歴史上、不擁不屈と勇気と犠牲的精神との最も栄光ある実例の一つとして記録されたに相違ない。

が、安全でかなり贅沢な将校クラブに坐しながら、これらの日本軍を「黄色いやつばら」と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。

彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えは全くない。

自分が最も気にしているのは、わが将兵の側にある殺戮《さつりく》の欲望ではない。それは戦争に固有なものである。

問題は敵の尊敬に値する特質にさえ敬意を払う心を欠いていることだ―勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されて行く部隊等に対し敬意を払う心が全くない。

われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。

われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。

アメリカ兵の首を斬り落す日本兵は〝どぶネズミ以下″の東洋流の蛮行だ。日本兵の喉元を切り裂くアメリカ兵は「ジャップが戦友に同じような真似をしたのを知っていたからこそ、同じようなことをやってのけたまでの話だ」。

東洋流の残虐行為がしばしばわれわれのそれより極悪であることを問題にしているのではない。結局のところ、われわれは自分にも、また耳を傾けてくれる人たちにも、われわれがあらゆる〝善″と文明の擁護者だと絶えず言い聞かせてきたということである。

私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思《おぼ》しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼けただれた地域の地表下に極限の苦悶が隠されているのだ――飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。

ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとはしない、なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかなのだから。

しかし、われわれは彼らに爆撃を加えて洞窟からいぶり出さねばならぬ。戦争だからである。もしわれわれが彼らを殺さねば、われわれが投降の可能性を無くしたが故に彼らはわれわれを殺すであろう。

それにしても、われわれがもし日本兵の遺体の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、浚《さら》った土をかぶせたりする代りに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。

ブルドーザーで片付けたあとは墓標もたてずに、こう言うのである。「これが黄色いやつばらを始末するたった一つの手さ」と。

7月22日 土曜日 (265ページ)

今朝、爆撃された地域に関する報告が入って来る。

爆撃、砲撃に続いて歩兵部隊が出動した。彼らは「一弾も撃たずに」同地域を占領した―ある洞窟では日本兵の死体が約四十個も発見され、「それよりかなり多数の身体の一部分」が散乱していた。

わずかな生存者は茫然自失の状態で坐るか横になっているかして、アメリカ兵を目にしても身じろぎもしなかった。

第一報では一名だけ捕虜にしたとあったが、後刻、歩兵部隊の佐官将校が私に語ったところによれば、「一名も捕虜にとらなかった」という。
「うちの兵隊ときたら全然、捕虜をとりたがらないのだ」

7月24日 月曜日 (267ページ後ろから5行目)

丘の斜面を降りて行くと、峠に差しかかる。そこには一人の日本軍将校と、十人か十二人の日本軍兵士の死体が、切り刻まれた人体だけが見せるような身の毛のよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま、横たわっていた。

彼らは峠の防衛戦で倒れ、死体は埋めずに放っておかれたのである。戦闘は数週間前に行われたので、熱帯地の暑気と蟻とがそれぞれの働きをなしていた。

頭蓋骨を覆うわずかな肉片だけが残っている。ある場所では一個の遺体に二つの首が並んでいるかと思えば、他の場所では遺体に首が無かった。

なかには四肢がばらばらになり、身体のかけらしか残っておらぬ死体もあった。

そして同行の将校が言ったように、「歩兵はお得意の商売にとりかかったようだ」。つまり、戦利品として金歯をことごとくもぎとったというのである。

洞窟群へたどり着くまでには山道を横切り、もう一つの丘を登らねばならぬ。山道の片側にある爆弾で出来た穴の縁を通り過ぎる。

穴の底には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。

同胞が今日ほど恥ずかしかったことはない。敵を殺す、これは理解できる。戦争の欠くべからざる要素だ。敵を殺戮する最も効果的ないかなる方法も正当化されるだろう。

しかし、わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾で出来た穴に投げ込んだ上、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸くそが悪くなる。

7月24日 月曜日 (270ページ3行目)

洞窟の中央の奥には最初の洞窟で見たのと同じような小屋が建てられていた。火焔放射の届かないところにあったので、最初の場合よりもましな状態にあった。

小屋の一つが 病院に使われていたことは明らかだ。床にある死体の一つは担架の上に横たわり、半ば布地に覆われたままの姿だ。

ここは日本軍が投降を試みた洞窟だといわれ、わが軍から「顔を洗って出直して来い」とやられたそうである。

8月11日 金曜日 (283ページ後から8行目)

明りのいくらか貧弱なテント内で空箱や簡易ベッドの端に腰掛けたまま、日本人捕虜の問題を話し合った。

私は自分の考えを述べた、相手を捕虜に出来るいつ如何なる時でも投降を受け容れないのは間違いだ、投降を受け容れればわれわれの進撃は一段と速くなり、多くのアメリカ人の生命が救われるであろう。

とにかく投降した場合は必ず殺されると考えるようになれば、彼らは当然踏みとどまり、最後の一兵まで戦い抜くだろう――そして機会があるごとに捕虜にしたアメリカ軍将兵を殺すであろう、と。

大多数の将校は私の意見に同意したが(さほど熱烈に同意したわけではないが)、しかし、わが方の歩兵部隊はそのように考えてはおらぬようだと言った。

「たとえば第四二連隊だ。連中は捕虜を取らないことにしている。兵どもはそれを自慢にしているのだ」

「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜一名に付きシドニーへ二週間の休暇を与えるというお触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」

「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入って来なくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよとうそぶくだけなんだ」

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなったときの話を覚えてるかね? あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ。捕虜を機上から山中に突き落し、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」

「例の日本軍の野戦病院を占領したときの話を知ってるかね。わが軍が通り抜けたとき、生存者は一人も残さなかったそうだ」

「ニップスも、われわれに同じことをやってのけたのだからね」「オーストラリア軍ばかりを責めるわけにはいかない。性器を切り取られたり、ステーキ用に肉を切り取られたりした戦友の遺体を発見しているのだ」

「オーストラリア軍は、ジャップが本当に人肉を料理していた場所を占領したことがある」(昨日、戦闘飛行隊の掲示板に、ビアク島で戦友の人肉を料理中の日本兵数名が捕えられたという告知が出たばかりである)

侵攻作戦の初期に、人間らしい慈悲心がわずかしか示されず、わが軍が数知れぬ残虐行為を犯したという事実はかなり明白に立証される。

後日、戦略拠点が確保されてからは、一部の日本軍将兵も殺害される心配がなく投降できもことを悟るに至った。しかし、わが軍も時には野蛮だが、東洋人の方がもっとひどいように見受けられる。

8月14日 月曜日 (287ページ後ろから2行目)

…。戦闘飛行連隊管制班の連中が自発的に定期的なパトロールを実施し、相当数の"ニップス"を殺したと将校たちは語る。 そのリーダー格は管制班に所属するチェロキー・インディアンの混血であった。

「連中はちょいちょい、自分たちで殺したジャップの大腿骨を持ち帰り、それでペン・ホルダーとかペーパー・ナイフとかいったような品を造っている」。

当地の将校連は、P47の行動半径内に日本軍の抵抗がないと骨肉の嘆をかこっている。

8月27日 日曜日 (295ページ9行目)

…。地面の至る所に弾薬箱が散乱し、アメリカ軍の墓地が出来ている。白い十字架の長い列が整然と並び―十字架の列に次ぐ列が墓地を形造るところもあれば、散乱した弾薬箱の間にぽつんと椰子の木の板材で固まれ、白い板の十字架が立つ墓地もあった。墓標前の土盛りには海兵隊の鉄兜が置いてある。

日本軍将兵―数千人の墓地には墓標らしきものさえ立っておらぬ。死体はブルドーザーが渫《さら》って穴の中に放り込み、その同じブルドーザーが掻き集めた石灰岩で上から蔽ったのである。

島が小さかったので、敵の死体さえ埋めねばならなかったということだ!

同行の士官は第一波が上陸に成功してから間もなく到着したのだが、海兵隊は日本軍の投降をめったに受け付けなかったそうである。

激戦であった。わが方も将兵の損害が甚大であった。敵をことごとく殺し、捕虜にはしないというのが一般的な空気だった。

捕虜をとった場合でも、一列に並べ、英語を話せる者はいないかと質問する。英語を話せる者は尋問を受けるために連行され、あとの連中は「一人も捕虜にされなかった」という。

9月4日 月曜日 (298ページページ7行目)

…。当地のある軍医の話によれば、一部の海兵隊員はスーベニア用の金歯を手に入れるべく日本軍将校の遺体を掘り起こしたそうだ。

ウエブサイトマスター注:9月3日の日記が割愛されています。(この訳書自体が、原著の五分の二ほどの抄訳である。)

自信は無いですが、大体以下のような意味と思います。正確を期したい方は、ご自分で調べるか、英語の得意な人に聞いてください。(特に、"They told me some of the incidents surrounding the capture of this island."の"surrounding"がよくわからないです。)

9月3日 日曜日

夕食と夜をフリーマン大佐や将校連と過ごす。彼らはこの島の占領にまつわるいくつかの出来事を私にに話した。我々は海と空からの凄まじい爆撃から始めた。日本人たちは、いつものように、頑固に戦った。

海兵隊は、いつものように、めったに降伏を受け入れなかった。

9月9日 土曜日 (300ページ4行目)

ケネス・コリヤー中尉、マッコール大尉らと朝食。話題は何となくロイ島の侵攻作戦と占領当時のことに及ぶ。ある将校の話によると、アメリカ軍の損害は大部分が弾薬集積所の爆発にあったという。彼は作戦開始の三日後に上陸した。

アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。

原住民が主として死体の処置に当り、彼らは多くの死体を〝臭気″で見付け出したそうである。

将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯捜しに棒で口をこじ開けたりした。

金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに耳や鼻を切り落されている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。

「兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲問に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の生首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ。

9月14日 木曜日 (303ページページ後ろから4行目)

…。到着したとき、海軍航空輸送部事務所にはたまたまジョン・ヤング大佐ら数名の海兵隊将校が居合わせていた。大佐からエワで一夜を過ごすようにと招かれる。

通関をすませ、車でエワの基地に向かった(税関吏は荷物の中に人骨を入れていないかと質問した。日本兵の遺骨をスーベニアとして持ち帰る者が数多く発見されたので、相手構わずにこのような質問をせねばならないのだと言う。

税関吏はまた、手荷物の中にまだ「緑色をしている」日本兵の頭蓋骨を二個も忍ばせていた男を発見したことがあるとも言った)。

【生と死の尊厳】
6月11日 月曜日 (396ページ8行目)

…。無論、このような事が行われているのを、自分は知っていた。しかし、よしんばそれが第三者の撮影した写真を見て得た知識であっても、自らその現場に立ち、この眼で見、この耳で聴き、五感で感じた場合とはわけが違う。

一種、異様な困惑が襲ってきた。以前にかかる困難を覚えたのはどこでだったろうか。南太平洋でか。そうとも、ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけるのを見掛けたときだ、爆撃跡の穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ緑色を呈する日本兵の頭蓋骨が飾り付けてあるのを見掛けたときだ。

かりそめにも人間が――文明人が、かかる次元まで堕落できるとは考えられないことのような気がする。にもかかわらず、彼らは現実にこうして堕落したのである、ここドイツのキャンプ・ドラにおいて、またかのビアク島の洞窟において。

しかも、ビアク島ではわれわれアメリカ人がそれをやってのけたのである、それとは異なる価値のために立ち上ったと主張するわれわれが、だ。

ドイツ人はユダヤ人の扱い方で人間性を汚《けが》したと主張するわれわれアメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのである。

「やつらは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ」。耳に胼胝《たこ》ができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から開かされた台詞《せりふ》だ!「何故、兄弟の目にある塵を見て、おのが日にある梁木《うつばり》を認めぬか」

私はポーランド少年を見やった。このような飢餓状態をどこで見たろうか。それも、ビアク島においてだ。原住民の操るカヌーの光景が記憶に甦《よみがえ》ってきた――われわれのキャンプ近くの岸辺に向ってゆっくりと漕ぎながら、半裸体の武装した原住民に護送される日本軍の捕虜たちだ。

列の後尾にいた若干名は歩行できないほど飢えており、このポーランド少年より瘡せ細っていた。勿論、ドイツ人が捕虜収容所でポーランド少年を飢えさせたように、アメリカ人が日本人を飢えさせたわけではない。

われわれがあまりにも〝文明化″し、手際が良すぎただけの話である。ただ日本人の投降を受け付ないことにより、彼らをして密林内で飢えさせたに過ぎぬ(彼らの責任において)。

単純明快な事態であった。飢餓のために眼がぎらつこうと疾病《しっぺい》の危険性があろうと、われわれは心を動かされなかった。

数マイルにわたる密林がそれを覆い隠し、消し去ってくれたからだ。両手を挙げて投降しょうとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった(「ジャップの投降は信用できない。手相弾を投げつけるからね。即座に撃ち殺してしまう手しかないよ」)。

あるいはただ打切棒《ぶっきらぼう》に振舞い、白旗を掲げて来た敵の使者を怒鳴りつければよいのだ、歩兵部隊の将校連が洞窟で、「顔を洗って出直して来い、畜生め」と勝ち誇ったように。

かかる一連の出来事が走馬灯のように脳裏をかすめて行く。わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。

ホランディア飛行場で、わが軍が日本軍の捕虜に機銃掃射を浴びせた話。ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落した話(「オーストラリア軍は捕虜がハラキリを演じたとか〝抵抗″したからと報告してるんだ」)。

ヌルフォール島で殺されたばかりの日本兵の死体から脛骨を切り出し、ペーパー・ナイフやペン皿を造った話。

「そのうちに、あのジャップの野戦病院をたたき潰してやるぞ」と豪語した若いパイロットの話。

金歯を求めて日本兵の遺体の口をこじ開けたアメリカ兵の話(「そいつは歩兵お得意の内職でね」)。

「スーべニア用としてこぎれいにするため」日本兵の生首を蟻塚に埋めたという話。

ブルドーザーで日本兵の死体を道路の片側に寄せ、浅い、墓標のない穴に放り込んだ話(「それが近くにあったりすると、我慢ができないので埋めてしまうんだ」)。

イタリアの町でムソリーニと愛人が逆さ吊りにされた写真を、高い文化的理想を主張する何千というアメリカ人が容認したこと。

歴史を遡《さかのぼ》れば、かかる残虐行為は古今東西を問わず続けられてきたのであった、ドイツのダハウ、ブッケンワルト、キャンプ・ドラといった収容所においてばかりではない、ロシアから太平洋にかけても、またアメリカ本国の暴動や私刑《リンチ》、中南米のさほど喧伝されぬ蜂起や中国の残酷事件においても、さらに数年前のスペイで、往時のユダヤ人虐殺で、ニューイングランドの魔女焼き、イギリスの八つ裂き刑、キリストと神のみ名において行われて来た火刑においても。

私は人骨の灰に埋まる穴を見降ろした(「一年半に二万五千人だ」)。かかる行為はなにも特定の国家や民族に限って行われたのではないことに気が付く。

ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行なって来たのである。ドイツ人が人間の灰を穴に埋めることで自らを?《けが》したと同じように、われわれもまた、ブルドーザーで遺体を浚い、墓標もない熱帯地の穴に放り込むことにより自らを?したのである。

地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変りがない。「汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり」(新訳聖書・マタイ伝第七章一節)。

この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。

「"Fulaingu" Tigers」から転載させて頂きました

…。

いかがでしたでしょうか…。

せつなく、やるせなく、悲痛なる日本軍将兵の悲しい叫び声が聞こえて来るようでしたね。

戦場で非業の死を遂げられた戦没者に、心から哀悼の意を表したいと思います。

ところで、「"Fulaingu" Tigers 」サイトは、日本語では「フライング・タイガーズ」となりますが、このサイトの左側にこの題名の由来とでもいえる記述がありますので、ご紹介します。

「1941年12月8日、日本は真珠湾を奇襲したと、アメリカ人は言っている。だが、同年、春、米国防総省承認の下、正規のエリート空軍部隊「フライング・タイガーズ」が、 支那の地で国民党に協力して、日本軍と交戦し、日本機を撃墜している。日本はすでに支那でアメリカと戦っていたのである!」

このサイト管理者の言説は誠に正しいです。

そう言うことなんですよね。日米決戦は、1941年の真珠湾攻撃が始まりではなく、同年春から米国戦闘機や戦略物資がビルマルートを通じて中国に大量に運び込まれるようになり、すでに中国大陸で、米国の軍事行動であることを隠す為に、中国軍に偽装された米国パイロット達との間で、日米航空決戦が始まっていたのです。

田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」の中にも同様の記述があります。

「真珠湾攻撃に先立つ一ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。」

という部分がそれですね。

1941年12月8日の帝国海軍による真珠湾攻撃については、宣戦布告が攻撃開始に間に合わなかったという事もあり、米国から "卑怯な騙し討ちだ " と非難されました。

しかしながら、第二次世界大戦が始まるまでは、奇襲攻撃は卑怯な手段ではなく、どこの国の軍隊でも当たり前のように採用していた戦法のひとつです。

日本軍は図らずも真珠湾を奇襲したという結果となってしまいましたが、だからといってそれを非難出来る白人国家は無いのです。米国であろうと英国であろうと、必要に応じて勝利するための作戦の一環として、宣戦布告なしの奇襲攻撃を当たり前のようにやった過去を持つのですから。

当然のことながら国軍が奇襲攻撃をしたこと自体を非難される事はありませんでしたし、奇襲に成功した軍隊は自信を持って奇襲成功を国民に知らしめました。

19世紀、20世紀の時代は、「奇襲攻撃を受けた方にこそ油断があったのだ」、という見方も正当化されるほどの、食うか食われるかの国家の存亡を賭けた、厳しい帝国主義の時代風潮が背景にあった事を見逃しては、歴史の正しい判断は出来ないでしょう。

12月8日、日本軍による真珠湾攻撃を受け多くの艦船が破壊・炎上しましたが、すかさず米国大統領は、ただちに「卑劣極まりない攻撃」を非難する旨の議会演説を行いました。

議会演説は、あたかも原稿が準備されていたと思えるほどの素早さでした。それもそのはずで、この時期すでに米国諜報暗号名「パープル(紫)」と呼ばれた日本の外交暗号文は、オペレーション・マジックに携わる米軍の暗号解読者によって、かなりの早さで解読されていたのです。

それはともかくとして、1941年12月8日のルーズベルト大統領の議会演説の内容を確認してみましょう。

【1941年12月8日 ルーズベルト大統領の議会演説】

昨日、1941年12月7日、この永遠に汚辱に生きる日に、アメリカ合衆国は日本帝国の海軍および飛行部隊に突然、そして計画的に襲撃されました。

合衆国は日本と平和の状態にあり、また日本の要請を受けて、太平洋における平和を維持するためにその政府および天皇と一貫して対話を続けていたのです。

事実、駐米日本大使とその同僚は、日本の飛行部隊がアメリカの領土たるオアフ島への襲撃を開始して1時間後に、アメリカの最新のメッセージに対する回答を、わが国務長官に手渡しています。

そしてこの回答は、現在の外交交渉を継続することは無意味であると述べてはいるものの、戦争あるいは武力攻撃をもって脅したり、それらを示唆したりするものではありませんでした。

これは記録に残るでしょうか、日本からハワイまでの距離に鑑み、この攻撃が何日も、あるいは何週間も前から入念に計画されていたことは明らかです。

この間に日本政府は、偽りの声明の数々や継続的平和に対する希望を表明することによって、合衆国を用意周到に欺こうと努めてきました。……

私は陸海軍の最高司令官として、母国の防衛のためにあらゆる手段が講じられるよう命令しました。

しかし全国民は、われわれに対するこの殺戮の性格を、常に覚えていることでしょう。この計画的な侵略を克服するためにいかに長い歳月が必要であろうとも、正義の力を持つアメリカ国民は戦いに勝ち、完璧な勝利を遂げるでしょう…。

現在、交戦状態が続いています。わが国民は、わが領土、そしてわが権益が深刻な危機に直面しているという事実を、決して見逃してはなりません。わが軍隊を信じ、なにものにも拘束されないわが国民の決意によって、われわれは必然的勝利を手にするでしょう。神よ、なにとぞ我らを守りたまえ。

私は議会に、1941年12月7日日曜日の、日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃が始まって以来、合衆国と日本帝国の間に戦争状態が存在することを求めるものです。

しかしながら、この演説でルーズベルト大統領は、日本による真珠湾攻撃の1ヶ月前が作戦実行日である 米国の戦略爆撃機による日本本土に対する先制的な焼夷弾爆撃を後押しする計画 があった事を、演説に付け加えはしませんでした。

下に掲示した米国大統領承認の当時の公文書をご覧下さい。

中国大陸から日本への先制爆撃計画を承認したルーズベルト大統領サイン入り文書

大統領のサイン画像

日本への先制爆撃計画「JB-355」を承認したルーズベルト大統領のサイン入り文書。「1941年7月23日。 了解――ただし、軍事使節団方式にするか、アタッシュ方式を採るかについては、再検討されたし。FDR」
【「幻の日本爆撃計画」から転載させて頂きました】

「陸海軍合同委員会計画JB-355計画」 とは、中国東部から戦略爆撃機を発進させ、宣戦布告なしに日本の東京をはじめとする全国主要都市を絨毯爆撃するという「米中合作の対日先制攻撃計画」だったのです。

1940年にはすでに米国でこの中国大陸から発進する秘密戦隊による日本本土爆撃構想の討議が開始された訳ですが、もしもこの作戦が実行されていたら、東京大空襲での惨事でもお解りのように、日本の主要都市は壊滅的なダメージを受けたでしょう。真珠湾攻撃を非難する米国もまた、裏で「宣戦布告なき先制攻撃」を計画していたのです。

日本も米国のこの 「JB-355計画」 の情報を、中国に張り巡らせた情報網や、米国でのスパイ活動で、かなり詳しく情報を得ていましたから、この米国による日本空爆計画が、日本の真珠湾攻撃開始日の決定に強く影響したことは間違いないでしょう。

日本軍は真珠湾攻撃において、軍事施設のみを的確に攻撃し民間施設はほとんど損傷を受けないという、素晴らしい攻撃能力を見せつけました。

だが、米国によるこの「JB-355計画」は、恐ろしくも第一撃から一般市民が住む、"木と紙"でできた日本の家屋に焼夷弾の雨を降らせようと計画されたものなのです。

米国はこの「JB-355計画」 を予定通り実行に移そうと、中国の蒋介石政権に数十億ドルにのぼる借款と物資を供与してきました。中国東部の複数箇所に、中国人労働者を大量動員し、米軍の戦略爆撃機が離発着できる飛行場建設を急がせたのです。

そしてこの「米中合作の対日先制攻撃計画」の指揮をとっていたのが、米陸軍航空隊のシェノールト大尉であり、戦後フライング・タイガーズと呼ばれた、米軍から派遣されたパイロット達だったのです。

結果として 「陸海軍合同委員会計画JB-355計画」 は実行されることはありませんでした。

理由は、「幻の日本爆撃計画」 訳者が指摘するように、「アメリカは、爆撃機供与を中国に約束したものの、ナチスの猛攻に喘ぐイギリスを優先的に支援する必要から引き渡しが遅延し、真珠湾攻撃に後れを取ったのだった」 というのが、"幻"となったその理由です。

米国は戦後、この秘密計画に関して口をつぐんできましたが、訳者が記すように、ヨーロッパ戦線でイギリスがあれほど "弱く" なかったら、米国が当初実行日と定めた1941年11月に「宣戦布告なき先制攻撃」を日本に仕掛けた可能性は大いにあり得たという事です。

「幻の日本爆撃計画」 (副題:真珠湾に隠された真実)

アラン・アームストロング著/塩谷紘訳 日本経済新聞出版社 平成20年(2008年)初版

この本をぜひ読んでみて下さい。
予見された米国による 「対日先制攻撃計画」 とのせめぎ合いの中で、日本の真珠湾攻撃が、本当に "卑劣" であったのかどうかが見えてくるでしょう。

「幻の日本爆撃計画」などのような訳本を読むとき、私はまず最初に「訳者あとがき」から読み始める事が多いですね。

訳者が本の全体像をまず解き明かしてくれていますし、訳を引き受けた理由とか、訳に取り組むに際しての思い入れなどはもちろん、読むべき重要な箇所まで指し示してくれる場合もあります。

ですから、「訳者あとがき」で全体のイメージをつかんでから、本文を読み進むという流れにすると理解が深まるような気がしますよ (^o^)。

「幻の日本爆撃計画」 訳者の塩谷紘氏は、ジャーナリスト生活の多くを米国で過ごす取材活動の中で、"計画通り実行に移されていたとしたら、奇襲によって太平洋戦争の口火を切っていたのはアメリカだったのではないか" という思いが募っていったと語っています。

"あれは日本の卑劣な騙し討ちだった" の決まり文句に辟易させられていた訳者は、この爆撃計画はぜひ日本の読者に伝えなければならないと思ったそうです。

有り難うございます。私も読んでみて、米国のこの日本の一般市民の殺戮を狙った、おぞましい爆撃計画の内容を十分に理解できました。

この本は、日本の多くの方々に読んで頂きたい本です。全国の皆様、ぜひ読んでみて下さいませ~。

それでは、最後に「幻の日本爆撃計画」を訳した塩谷紘氏の「訳者あとがき」を転載させて頂きまして、この項を終わりにさせて頂きます。塩谷紘氏の、この訳本にかけた "思い入れ" をお読み下さいませ。

【訳者あとがき】

真珠湾攻撃の日が、まだ巡ってくる。67年目に当たる本年12月8日(アメリカ時間、12月7日)も、例年どおり、平和と日米友好を謳うパールハーバー記念式典がホノルルで催され、両国の関係者が参列するだろう。

式典は50周年(91年)と60周年(01年)に取材したが、心境は毎回複雑だった。アメリカの軍事雑誌 Soldier of Fortune で以前読んだ、「米国は、日本海軍空母機動部隊による真珠湾奇襲の約一ヶ月前の1941年11月1日に日本本土を先制攻撃する計画を、密かに進めていた」という内容の特集記事のことが久しく気になっていたからである。

同誌89年1月号に掲載された13ページの詳細は、ルーズベルト大統領が同秘密計画を承認していたことを記す証の一つとして、「了解……FDR。1941年7月23日」と署名され、戦後、アメリカ国立公文書館が解禁した陸海軍合同軍事委員会の機密文書をイラストに使っていた。

「本誌独占 パールハーバー以前にあったアメリカの日本空爆秘密計画」というタイトルに引かれて任地ニューヨークで読んだ記事だったが、軍関係者しかまず購読しない特殊な雑誌だったこともあって、中身を鵜呑みにするわけにはいかなかった。

だが、その後の調べでこの秘密計画なるものの全体像が少しずつ明らかになり、"計画どおり実行に移されていたとしたら、奇襲によって太平洋戦争の口火を切っていたのはアメリカだったのではないか"という思いが、徐々に募っていった。

秘密計画が実在したことが確信できたのは、公文書館とスタンフォード大学のフーバー研究所につめた数年後のことだ。

ジャーナリスト生活の半分近くをアメリカで過ごすなかで、真珠湾の日が近づくたびに毎年、周囲から厭でも聞こえてくる"あれは日本の卑劣な騙し討ちだった"の決まり文句に辟易させられてきた身としては、この計画は何としても日本の読者に伝えなければならないと思った。

そして折りあって、拙文は『文藝春秋』2002年9月号に、「ルーズベルト『日本奇襲』新資料」の題で掲載された。

対日先制攻撃は、蒋介石に雇われたアメリカ人義勇兵が操縦する150機の長距離爆撃機を中核とする一大航空部隊が中国大陸南東部の秘密基地から本州を襲い、続いて各地の主要都市に連夜、焼夷弾の雨を降らせる計画だった。

だがアメリカは、爆撃機供与を中国に約束したものの、ナチスの猛攻に喘ぐイギリスを優先的に支援する必要から引き渡しが遅延し、真珠湾奇襲に後れを取ったのだった。

東京大空襲の惨禍を考えれば、焼夷弾爆撃による被害は甚大だったに違いない。その場合、もし東条首相が真珠湾の翌日にルーズベルトが議会で行なったあの"汚辱の日" 演説並みの激しい口調で国際世論に訴え、アジア・太平洋地域の平和のための日米交渉が続行中に、中国空軍の隠れ蓑で行われた奇襲は"卑劣極まりない背信行為"であると非難していたら、国際社会はどう反応しただろうか。

また、これは著者自身も触れていることだが、もし41年11月に先制攻撃を受けていたとしたら、日本は果たして一ヶ月後の12月8日に予定されていた真珠湾攻撃を強行していただろうか。そして、中国大陸の秘密基地に配備されたアメリカ製爆撃機による本土空襲は、南進作戦の展開にどう左右していただろうか。

アメリカは戦後、この秘密計画に関して口をつぐんできた。わずかにABCテレビが、人気キャスターのバーバラ・ウォルターズの「20/20」ニュース・ショウで91年12月26日に特集を組んだが、目立った社会的反響はなかった。

ちなみに、訳者が二度のパールハーバー記念式典で取材したアメリカ側参列者は、いずれもこの計画を"修正主義者の戯言に過ぎない"と決めつけたし、あからさまな敵意を示す場合もあった。

だが、こうした反応は、訳者が感知したアメリカ人参列者の心理を考えれば驚くに当たらない。彼らは押し並べて、日本側参列者(なかには、真珠湾攻撃に加わった元零戦パイロットもいた)は、真珠湾攻撃を"反省し、過ちを詫びる"ために毎年参列していると思っている、というのが率直な印象だった。

真珠湾奇襲は戦術的には空前の成果を挙げたが、開戦冒頭米太平洋艦隊の主力部隊に"痛撃を与え……西太平洋侵攻を不可能"にすることによって敵に戦意を喪失させるという山本五十六連合艦隊司令長官の目論見に反して、開戦直前までひたすら非介入を訴え続けた米国民は"リメンバー・パールハーバー"の合い言葉の下でたちまち固く結束した。

真珠湾作戦は戦略的失敗だった。短期決戦を目指してアメリカに一か八かの勝負を挑んだ日本は、そもそも勝ち目のない総力戦を3年8ヶ月の長きにわたって戦う羽目に陥り、その結果、国は疲弊し、国土は焦土と化した。

死者は軍人・軍属230万人、民間人80万人といわれる。また、真珠湾をめぐってルーズベルト政権が執拗に展開した反日プロパガンダ作戦は、国際社会に日本人の"卑劣さ" を印象づけ、それが東京空襲や広島と長崎への原爆投下を懲罰として容認させる要因となった。

戦争回避を目指す日米外交交渉の切り上げの対米通告は、周知の通り奇襲開始後になされた。事前に通告せよとの本省指令に背いた日本大使館の体たらくはお話にならないが、ルーズベルトは、奇襲の前日に14部に分けて日本大使館に送信された日本政府の長文の最後通告を、その日のうちに読んでいた(日本の戦争指導者は外務省公電がほとんどすべて傍受・解読されていたことに気づいていなかった)。

だが、自国の奇襲計画を棚に上げて通告の遅延を盾に取り、日本人移民の問題等で20世紀前半から高じてきた米国民の反日感情を巧みに煽り立てたのだった。

アメリカを長年観察するなかで訳者は、アメリカ人の心理の根底に戦後なおくすぶり続ける言い知れぬ対日不信は、真珠湾奇襲の翌日のルーズベルト演説に起因する反日感情の残渣ととらえてきた。演説はラジオの実況放送で全米に流され、少なくとも数百万人のアメリカ人が聴いている。

残された録音を聴くたびに、実に巧みな演説だったと思うが、それにしても日本は、なぜその時、国際世論に訴えようとしなかったのだろうか。

満州問題をめぐって、1933年に国際連盟を脱退していたからだったのか。理由はともあれ、当時の政府は、日本は対米戦争を回避するために大幅な妥協に甘んじる覚悟で交渉の最終段階に臨んでいたこと、だがアメリカは、最後まで原理原則に固執する高圧的な姿勢を変えようとしなかったこと、さらには、日本が対日最後通牒とみなした41年11月26日の"ハル・ノート"が当時のわが国にとって極めて理不尽なものであったことを、世界に対して明確に主張することを怠った。

国際情報戦略は、端からアメリカの独り舞台だったと断じざるを得ない。

いまさら、歴史の"もし"を論じて何になる、と考える向きもおられよう。だが、訳者は敢えて問いたい。
もし日本がその時、自らの立場を国際社会に明示していたとしたら、連合国による経済封鎖に直面する資源小国の立場を理解した国もあったのではないだろうか、と。

現に、東京裁判で日本無罪を主張したインドのパル判事は、「あのような文書を突きつけられたら、モナコのような小国でもアメリカ相手に立ち上がらざるを得なかっただろう」と述べているのである。

つらつら思うに、真珠湾を"卑劣な騙し討ち"と非難したアメリカとて、日米交渉継続中に中国の隠れ蓑で日本を先制空爆する秘密計画を温めており、それを大統領が承認していたという点では、日本と"同じ穴のムジナ"ではなかったか。

計画どおり日本を先制空爆していたとしたら、果たして日本に事前通告していただろうか。

本著は、中国国民党政府に空軍顧問(大佐)として雇われた米陸軍航空隊退役大尉シェノールトが、モーゲンソー財務長官、カリー大統領補佐官等ルーズベルト政権の重鎮の強力な支援の下で密かに立案し、大統領のお墨付きを得た対日先制攻撃のための秘密計画の全貌を、単行本の形で初めて解き明かした労作である。

著者アラン・アームストロングは、ジョージア州アトランタで航空関係の訴訟を専門とする弁護士で、復元された第二次大戦の戦闘機の操縦を趣味とする。少年期から、太平洋戦争初期に勇名を馳せたアメリカ義勇兵航空部隊"フライング・タイガーズ"に強く惹かれていた著者は、同部隊の活動記録「ペンサコーラ文書」に遭遇したことをきっかけに、対日先制攻撃計画の企画書であるアメリカ政府機密文書、"JB-355"の存在を知った。

そして、敏腕訴訟弁護士ならではの周到さで、事実関係の検証と執筆に5年の歳月を費やしている。

(以下省略)

「幻の日本爆撃計画」から転載させて頂きました

大東亜戦争を論ずるに、あと8冊是非ご紹介させて下さい。(^o^)

「オレンジ計画」 (副題:アメリカの対日侵攻50年戦略)

エドワード・ミラー著 新潮社 平成6年(1994年)初版

米国は時代を遡り、日本が「日露戦争」 でロシアに勝利したときから対日戦争を、「戦況に応じて必要とされ、あるいは望ましいとされるしかるべき行動によって日本を貧窮と病弊に追い込むこと」と定義して、オレンジ・プラン(対日戦争計画)を練り上げたのでした。

(このオレンジ・プランという言葉は、米国は仮想敵国を色分けで表していまして、日本はオレンジ色で表現されていたという訳です)

実際に、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督は、「戦争は海軍の図上演習で予測した通りに展開した」 という旨の有名な発言があります。

つまるところこの本から知りうるところの最大の眼目は、日本は「日露戦争」 に勝利して以降、確実に米国の "ターゲット" にされていたという事実です。

「真珠湾の真実」 (副題:ルーズベルト欺瞞の日々)

ロバート・B・スティネット著 文藝春秋 平成13年(2001年)初版

著者ロバート・B・スティネット氏は、冒頭の「まえがき」で、次のように記しています。

【真珠湾の真実】

1941年12月7日に生起した、日本の真珠湾攻撃に至までの経緯と決定事項に関しこれまでさまざまに語られてきた多くの事項に関して、本書は疑問を投げかけ、主張を異にするものである。

著者である私の唯一の目的は、海軍基地及び周辺の陸軍施設に破壊的攻撃をもたらすに至った出来事の真相を明らかにし、それがフランクリン・ルーズベルト大統領とその軍事・政治顧問である側近高官の多くの者にとっては、決して 「奇襲」 ではなかった事実を伝えることにある。

本書は、アメリカ合衆国が自由世界を恐怖させた血なまぐさい戦争にいかにして介入したか、そのありのままの物語である。

本書は、アメリカの戦争介入が賢明であったか否か、を問うものではない。

太平洋戦争を経験した退役軍人の一人として、50年以上もの間、アメリカ国民に隠蔽され続けた秘密を発見するにつれて、私は憤激を覚えるのである。

しかし私は、ルーズベルト大統領が直面した苦悶のジレンマも理解した。自由を守る戦いに参加するため、孤立主義に陥っているアメリカを説得するに、彼は回りくどい手段を発見するよりほかなかった。

そのためには人命を犠牲にするだろうこと彼は承知していたが、それが何人になるかは知ることができなかった。

(以下省略)

「真珠湾の真実」から転載させて頂きました

ルーズベルト大統領は、ヨーロッパ戦線に参入しイギリスを救うために、三国同盟の一角である日本をターゲットにして、「日本に先に引き金を引かせる」 為の "戦争挑発諸政策" を練り、日本に向け忠実にそれを推し進めました。

1940年の半ばには、"日本が米国に対し公然と戦争行為を仕掛けることを余儀なくさせるため"、米国海軍情報部極東課課長のアーサー・H・マッコラムは、「八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)」 というアクション・プランを書きました。

ルーズベルトにより開戦を強要する日本への最後通牒だと捉えられた "ハル・ノート" が特に知られていますね。「ハル・ノート」の内容を要約すれば、「すべての陸・海・空軍および警察権力を、中国およぴインドシナから撤退させること。中国の蒋介石以外の政府または体制を支持しないこと」、そして事実上三国同盟の破棄を要求したものです。

しかしながら、この米国から発せられた最後通牒に先立ち、真珠湾攻撃の一年以上前から、米国では「八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)」 など、"日本に先に引き金を引かせる" 為の戦争挑発諸政策が行動に移されていたというのはあまり知られていません。

この本の著者ロバート・B・スティネット氏は、この八つのアクション・プランについて、次のように書いています。

「これら八つの行動は、ハワイに駐屯するアメリカの陸、空、海軍部隊のみならず、太平洋地域におけるイギリスとオランダの植民地の前哨基地に対する攻撃を、日本に事実上けしかけるよう求めたものである」

と語っています。

※マッコラムが作成した 「日本に先に引き金を引かせる」 ための、「八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)」 の内容はどのようなものだったのか!。

【八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)】

1,太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結。

2,蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結。

3,中国の蒋介石政権に可能なあらゆる援助の提供。

4,遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピン又はシンガポールへ派遣すること。

5,潜水戦隊二隊の東洋派遣。

6,現在、太平洋のハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。

7,日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するように主張すること。

8,英帝国が日本に対して押しつけてくる同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止。

以上の8項目です。

6番については、なぜ? と思うかも知れません。もともとハワイには、訓練施設や弾薬・燃料等の補給、工作所、支援船などあらゆるものが不足した状況でしたから、もともと米国の主力艦隊の泊地ではありませんでしたが、日本連合艦隊の奇襲攻撃を誘い寄せる "餌" として、「八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)」外交軍事戦略が動き出してからは、真珠湾攻撃を受けるまで米国大統領ルーズベルトにより、ハワイに米主力艦隊は留まれ と命令を受けていました。

日本の真珠湾攻撃の当日、湾内に係留してあったのは老汚艦ばかりであり、米主力空母艦隊は湾外に避難していたというのも、この点から "偶然" でなかった事が理解できるでしょう。

日本は石油を含むあらゆる物資の輸入をストップされるなど、「八つのイニシアティブ(戦争挑発行動)」により、部屋の隅に追い込まれ 「窮鼠猫を噛む」 状態に、徐々に締め上げられていったのです。

「日米・開戦の悲劇」 (副題:誰が第二次大戦を招いたのか)

ハミルトン・フィッシュ著 PHP文庫 平成4年(1992年)初版

著者は第一次大戦に従軍の後、1919年、米国下院議員に選出され、1945年まで12回にわたり共和党議員として、米国の外交政策に関わっていました。

ハミルトン・フィッシュ氏は次のように述べています。
「日米の開戦は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り (サイト管理者注:「ハルノート」の意)、日本の指導者に開戦を強要した」 と主張しています。

そしてそれに留まらず、驚くことにヨーロッパ戦線で勃発した第二次世界大戦の口火をも、ルーズベルトが誘導したと語っているのです。

「ルーズベルトの外交政策は、虚飾に満ち、米国国民を裏切ったものであり、米国国民およびヨーロッパ戦線での、流血と犠牲のその責任の大半はフランクリン・ルーズベルトにある」 と述べています。

【干渉政策の忌むべき証拠】

当時のルーズベルトの対ポーランド政策は、1930年代、ポーランドの駐米大使であったイエルジー・ポトツキーの報告に詳しい。

この報告は、ワルシャワで、ドイツ側に押収されたポーランドの外交文書の中から見つかり、後に、当時、南米に住んでいたポトツキーにより確認されたものである。

以下の発言は、1939年1月16日、ルーズベルトのヨーロッパにおける重要な代表であったウイリアム・C・ブリット駐仏大使が、パリに帰任する際に、ポトツキーと会談した時に行われたものである。

「英仏は、全体主義国家と、いかなる種類の妥協もやめなけれぱならないというのが、大統領の確固とした意見である。領土的変更を目的としたどんな議論も許されてはならない。合衆国は、孤立政策から脱却し、戦争の際には英仏の側に立って、積極的に介入する用意がある旨を道義的に確約する」

これこそが、介入を約し、ダンチヒ問題に関して、いかなる平和のための妥協に対しても、はっきりと反対した、ルーズベルト大統領の戦前の干渉政策の忌むべき証拠である。

ルーズベルトが、1939年の初めから 「全体主義国家との、いかなる種類の妥協もやめなければならない」 として、英仏に対し、影響力を行使していたのを証明しているのだ。

ブリット大使は、合衆国は、「戦争の際には、英仏の側に立って、積極的に」介入する用意がある」ということを、確約しているのである。

ブリット大使の発言は、アメリカの不干渉主義者たちが、ヨーロッパで戦争が勃発する前に主張していたことを、まさに裏付けるものである。それはまた、もしルーズベルトが、余計な介入をせず、英仏を戦争に追い込まなかったならば、ヨーロッパで戦争は起きず、ダンチヒ問題も、平和的調停により解決されていたであろうとする、対ルーズベルト非難が正しかったことを証明するために極めて重要なものである。

チェンバレン英国首相とジョルジュ・ボネ仏外務大臣の二人も、ドイツに対して戦争を起こすよう、ルーズベルトからの圧力があったことを公に認めている。

このブリット大使との会談についてのポトツキー大使の報告は、ルーズベルト大統領が、ブリット大使を通じて、また直接チェンバレン首相に対して、強力な戦争を起こすための影響力を行使したことの明確な証拠の一つである。

合衆国大統領が、ヨーロッパの政治に直接介入し、平和ではなく、戦争を推進したのはアメリカの歴史が始まって以来の出来事である。

「日米・開戦の悲劇」から転載させて頂きました

※ 「ハル・ノート」

ハミルトン・フィッシュ著 「日米・開戦の悲劇」 でも、「日米の開戦は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要した」 と表記されていますが、この 恥ずべき戦争最後通牒 → 「ハル・ノート」 を詳しく解説してある本がありましたよ (^o^)。

この「ハル・ノート」は、"真珠湾" を読み解く上で、とても重要なキーワードですから、皆様もよくお読み下さいませ。

「真珠湾の審判」 (副題:真珠湾奇襲はアメリカの書いた筋書きだった)

ロバート・A・シオボールド著 講談社 昭和29年(1954年)初版

著者は、日本軍の真珠湾攻撃当時、米国太平洋艦隊駆逐艦部隊司令官であったロバート・A・シオボールド海軍少将です。真珠湾で何があったかを執筆するに、極めてふさわしい人物ではないでしょうか。

日本の暗号電報は真珠湾攻撃以前から、米国にほぼ完全に解読されていましたが、彼は著書の中で傍受解読された日本側の極秘暗号電報を、惜しげもなく発表し暴露しているのです。

「かくて私は多年にわたって、あの攻撃の前後にワシントン政府内幕で一体、どんなことが行われていたかを明らかにするように思われる。あらゆる証拠資料を入手できる限り収集して、これらをつなぎ合わせてみた。この研究の結果、わが米国の戦略が日本の真珠湾攻撃を誘発するために、どんな風に計画されてきたか、またこの事実をアメリカ国民に知らせないようにするために、その後どんなどんな努力がはらわれてきたかなどについて、きわめて明確な結論が導き出されたのである。」と述べています。

米国では真珠湾奇襲の被害の規模が大きいことに驚がくし、議会や陸・海軍を中心に八種類もの「真珠湾事件調査委員会」等が設置されました。

これらの公式調査では、真珠湾の被害の責任を、当時ハワイ方面の陸・海軍最高指揮官であったハズバンド・E・キンメル海軍大将とウォルター・C・ショート陸軍中将に負わせましたが、著者のシオボールド少将は、真珠湾の全責任をただ一人の人物、すなわち開戦時の米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトが負うべきだと主張したのです。

私たち日本人はもちろん米国民も、真珠湾奇襲は日本軍の「だまし討ち」だとか「おぞましい犯罪的攻撃」だと刷り込まされてきましたが、シオボールド海軍少将がワシントンの裏側を暴露した事により、米国内でも大衝動を喚起し、この本は全米で何週間もベスト・セラー入りしていたようです。

ロバート・A・シオボールド海軍少将は著書の中で、次のように結論づけています。

フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、ナチ・ドイツ打倒の対独戦争に米国を参戦させるため、計画的に日本攻撃を誘発したものであり、また日本軍がその手に乗って攻撃してくるのを万々、承知しながら、わざとハワイ方面の米国陸、海軍両司令官にはこの事実を隠して知らせなかったのだ。

それでは、歴史を動かした 「ハル・ノート」 がどのようなものであったかご覧下さいませ。

【真珠湾の審判】

1941年(昭和16年)11月26日、ハル国務長官は日本の野村、栗栖両大使を呼んで、日米両国間の紛争を解決するための米国の提案を明示した通告を手交した。

この対日通告には、一切の外向的辞句が取り除かれて、用件があからさまに述べられていた。

すなわち、それは新しい日米通商条約の締結と、相互に資産凍結をする代りに、日本が次の諸条件に同意すべきことを要求したものであった。

(1)日本は中国より全部隊を撤退させて、日支戦争における完全な敗北を認めること。

(2)日本は仏印から同様に撤兵して、経済封鎖に屈服したことを暗黙のなかに認めた上、今後は仏印の主権を侵さぬようこれを尊重すること。

(3)日本はフィリピン、ソ連領シベリア、蘭領東インド、中国、タイ国が攻撃されないように保証すべき実際効力のある多辺的不可侵条約に参加すること。

(4)日本は中国及び満州国において日本の作り上げた傀儡政権を廃止し、中国においては蒋介石政府以外のいかなる政権も支持しないことを米国に公約すること。

(5)日本は日独伊三国同盟条約に規定された独伊両国に対する義務を事実上、破棄すること。

この米国政府の対日通告(一般にハル・ノートと呼ばれた)の詳細は、ワシントンの日本大使館から公電(米国側資料1189号)をもってだちに東京に打電された。

これらの米国側の提案には、外交的な品位というものは微塵もなかった。日本側の提案してきた解決案に対して、もっとずっとおだやかな断り方をしたところで、日米交渉を決裂させるさせる点では同様の結果をもたらしたことであろう。

ただルーズベルト大統領としては、米国側の通告に対する日本の回答が宣戦布告であることは絶対、確実であることを切望した、と結論を下す他はないのだ。

彼はその目的を達するために、外交官の礼装用の細い長剣を用いずに、先端に鉄をはめた棍棒を揮ったのであった。

(途中省略)

ルーズベルト大統領は、11月26日付の対日通告によってね決定的に且つ計画的に米国を戦争に引きずり込んだのであった。彼はいわば日本の面へ籠手を投げつけた如く、挑戦したのであった。

一方、日本が経済封鎖を突破せんと必死になって企てた努力は失敗に終わった。日本は今や屈服するか、さもなければ開戦するか、そのいずれかを択ばねばならなかった。

ここに至って、日本の回答がなんと出るか、それは判りきったことであった。

「真珠湾の審判」から転載させて頂きました

皆様も 「ハル・ノート」 の文面を読まれて、どのような印象を持たれましたでしょうか?。

"完全な敗北を認めよ" "屈服したことを暗黙のなかに認めよ" …。著者であるロバート・A・シオボールド氏が指摘しますように、外交文書とはとても思えないですし、対等な独立国国家相互が交わす文書とはとても思えない、命令口調の無礼至極な文字の羅列ですよね。誰が読んでも、まさに結果は判りきったものだったのです。

"日清戦争以前までの後退" を意味する、ハル・ノートを読んだ 東郷外相 は次のように語りました。

「目もくらむばかりの失望に撃たれた」
「日本がかくまで日米交渉の成立に努力したにもかかわらず、アメリカはハル・ノートのごとき最後通牒を送って、わが方を挑発し、さらに武力的弾圧をも加えんとする以上、自衛のため戦うの外なしとするに意見一致した」

ハル・ノートはルーズベルト大統領の指示により、当初米国議会でさえも開示されず秘密にされましたが、知れ渡って以降、米国内でも非難が巻き起こり、セオボルト海軍少将 は以下のように述べています。

「まさしくハル・ノートは日本を鉄棒で殴りつけた挑発だった」

グルー駐日大使 も、「この時、開戦のボタンは押されたのである」と述べているのです。

また東京裁判で日本無罪を主張した唯一の国際法専門家である パール判事 は以下のように述べています。

「真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒を受け取った場合、モナコ公国、ルクセンブルグ大公国のような国でさえも、矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」

大いなる犠牲を考えれば、「ハル・ノート」 を呑んで戦争を回避すべきだったという、至極もっともな意見もあるでしょう。しかしながら、第二、第三のハル・ノートを突きつけられる事は無いと、誰が断言できるでしょうか。

いずれにしても、ハル・ノートにより日本は、自殺するか、戦わず屈服するか、さもなくば戦うかの選択肢しか残されていなかった事がよく理解できましたね。

仮にあなたがあの時代の日本の指導者であり、この挑発に満ちた「ハル・ノート」を胸元に突きつけられたら。

諸手を挙げて屈服しますか?、それとも…。

「アメリカの鏡・日本」

ヘレン・ミアーズ著 メディアファクトリー 平成7年(1995年)初版

この本の原著「Mirror for Americans :JAPAN」が米国で出版されたのは、戦争が終わって間もない1948年でした。著者ヘレン・ミアーズから本を送られた原 百代氏はね翻訳出版の許可を連合国総司令部に申請しましたが、その申請は却下されました。そしてマッカーサーがトルーマン大統領により解任されたのちの、1953年になってまず「アメリカの反省」と題して、日本語訳で出版されたものです。「日本の反省」でないところに注目ですよ (笑)。

訳者は、「アメリカと日本の戦争をめぐる政策に対する彼女の論拠には、私たちの認識をはるかに越える鋭さと、公平さがあり、真実を静かに語りかける文章の迫力に圧倒される。アメリカで出版されたとき、当然のことながら日本擁護者として批判され、それゆえ彼女は、この本とともに、学者として世に出ることができなかった。」と語っています。

実際に読んでみて訳者の語るように、鋭い分析と日米の双方から俯瞰するその公平な視点にはとにかく驚かされます。
大東亜戦争は、日本がすべて悪者にされている今、私たち日本人はこの本を読んで大東亜戦争および太平洋戦争の "真実" を掴み取って欲しいですね。

日本はファシズムを信奉する中国国民党蒋介石政権と、同じく共産主義国家建設を目指す中国共産党、そしてそれらを背後から操り、東アジアの不凍港を手に入れようと南進するソ連と国家をあげて戦っていたにも関わらず、米国はそれが理解できず、不当にも共産主義国家であるはずもない、自由民主主義国家たる日本を叩き潰した!。

つまり "米国は後ろから日本の足を引っ張った" という経過事実が解りやすく記述されている箇所がありますので、ここでご紹介します。

著者のヘレン・ミアーズ氏は、朝鮮戦争の泥沼を見て、次のように述べています。

【アメリカの鏡・日本】

アメリカは戦時中はソ連に協力していたのに、戦後は手のひらを返したようにソ連を敵視している。

この豹変を見る日本と「後れた」地域は、いまの教育者である私たちが、自分たちに何を教え、どういう国になってほしいと思っているのか、混乱するに違いない。

私たちは現在、「ソ連を押しもどす」そして「共産主義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。

これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた政策だ。

ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満州を緩衝地帯にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に無能だったことになる。

そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。

(以下省略)

「アメリカの鏡・日本」から転載させて頂きました

「日本はアジアにおける共産主義浸透の防波堤だった」

日本が防共におけるアジアのトーチカであったのは、疑うべくも無い厳然たる事実でした。ロシア革命以降の共産主義防遏に、日本が大きな犠牲を払いながら、どれくらい国力を傾注し、かつ苦慮していたか…。

著者のヘレン・ミアーズ氏が語るように、対赤露防遏は、日本が "全近代をかけて実践してきた政策" だったのです。

そんな日本にしか出来ない掛け替えのない防波堤を、あろうことか米国は共産主義でなく、自由民主主義陣営たる日本を徹底的に破壊したため、第二次世界大戦が終わった後どのような世界が待ち受けていたか…。

朝鮮半島はいくばくかの平和を味わうことなく再び「朝鮮戦争」に巻き込まれ、中共では革命が起こり、毛沢東の「大躍進運動」という失策による餓死者も含めると、共産主義という妖怪は、7000万人を超える中国民衆を死に追いやった。

また「ベトナム戦争」ではアジア人の命が耐え難いほど奪われ、身の毛がよだつほどの血が流されたのです。あげく米国は、「トンキン湾事件」をでっち上げ、ベトナム戦争に深く介入したにも拘わらず、惨めな敗北を喫しました。

【トンキン湾事件:】

トンキン湾事件は、1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。
アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領決議を支持した。
しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、7,000ページに及ぶペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

「『ウィキペディア(Wikipedia)」から転載させて頂きました

米国の失策と人種的偏見と傲慢さとが、アジアを共産主義との主戦場にしてしまったが、日本がアジアでの果たしている役割をよく理解していれば、これらアジアの惨劇は起こりえなかったのです。

著者のヘレン・ミアーズ氏と同じように、米国の不当な介入により、アジアへの共産主義浸透の防波堤だった日本を破壊し尽くしたため、米国はアジアに大厄災をもたらした とする同意見を見つけましたので、ここで皆様にご紹介したいと思います。

「板垣征四郎と石原莞爾」

福井雄三著 PHP研究所 平成21年(2009年)初版

「満州事変」 で石原莞爾氏の事はよく知られています。
板垣征四郎氏については、よく知りませんでしたが、この本を読みもう一人の立役者であったことを理解しました。

板垣征四郎と石原莞爾の二人が満州国の建国を実現させた立役者と言えるでしょう。

日本のマスコミは、けっして満州国の建国の経緯と繁栄の歴史を取り上げません。

この本には建国から、鉱工業の劇的な発展、特に自動車産業まで発展する過程が詳細に描かれています。驚く事に建国からたった10年で自動車産業が興るという事実は、世界史的見ても驚嘆に値するでしょう。

ちなみに戦後の出来事ですから、この本では取り上げられていませんが、1948年に中共独裁政権が満州の長春に住む一般市民10万人から30万人を餓死させたという事実が、明らかになっています。中共の毛沢東革命が、敵対者を虐殺する恐ろしい恐怖政治になりさがる前兆での出来事でした。

日本の莫大な国富を投入して築いた満州国の繁栄が、わずか三年で以前と同じような "荒野の満州" に逆戻りしてしまったという訳です。

それはともかくとして、この本の巻末の西尾幹二氏の〔解説 言葉の最も正当な意味における歴史の書〕 も一読の価値がある部分ですよ。

マスゴミのせいで、負の面ばかりが目立つ満州ですが、古き良き日本人に誇りを感じさせてくれる内容となっていますので、ぜひ皆様に読んで頂きたい本です。

この本は板垣征四郎と石原莞爾の二人を通してみた戦前史とも言えるもので、本の中で著者は、「第一次世界大戦の場合と同様に第二次世界大戦も、アメリカの果たした役割は結局、世界を混乱させてしまっただけなのである」 と断じています。

【板垣征四郎と石原莞爾】

大東亜戦争を回顧するとき、私にはいまだにどうしても腑に落ちない、ひとつの謎がある。それはアメリカの参戦理由である。アメリカはなぜ第二次世界大戦に参戦したのか。

イギリスの場合はたしかに、アジアの市場をめぐって日本と経済的利害が鋭く対立していた。日本製品はシナ大陸のみならず、英領インドをも席巻しようとしていた。日本が大東亜戦争でイギリスと戦端を開くにいたった経緯については、経済史学的な史料を渉猟すれば、大いに納得できるところである。

だがアメリカについては、これはどうもよくわからないのである。大東亜戦争も含めた第二次大戦に、なぜアメリカが国を挙げて参戦してきたのか、考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。少なくとも極東において当時アメリカの有する利害は、とるに足らぬほど微々たるものだった。

たしかにアメリカはイギリスを救うためにドイツと戦いたい。ドイツと戦うためには三国同盟を利用して日本を挑発し、戦争に引っ張り込みたい。ここまでは理解できる。

だがドイツと日本を倒した後、アメリカは何を得たのか。シナ大陸は共産化し、東欧は共産ソ連の支配下になり、その後の共産主義の浸透はとどまるところを知らず、世界政治はかえって混迷におちいってしまった。

第一次世界大戦の場合と同様に第二次世界大戦も、アメリカの果たした役割は結局、世界を混乱させてしまっただけなのである。

あれだけの国富を費やして第二次大戦に関わり、しかも終戦直後世界を圧倒していたアメリカの軍事力・経済力をもってすれば、このような悲劇を未然に防ぐことは十分にできたはずである。

だがアメリカはそれをしなかった。まるでフットボールの試合が終わった後、選手たちが早々と試合場を引き上げていくように、アメリカは東欧と極東を放置し、ソ連と中華人民共和国を野放しにした。

無責任といえばこれほど無責任な話は無いであろう。

(途中省略)

アメリカは極東における日本との最大の争点だった、シナ大陸の「門戸開放」・「機会均等」を達成できたか。

答えは否である。これこそがアメリカにとって、日米戦争の最大目的であったにもかかわらずである。

アメリカは蒋介石の国民党政権に対して、天真爛漫ともいえるほどの過度な幻想を抱き、莫大な援助を行って抗日戦を煽ったが、さすがに戦争末期になると、そのでたらめな実態にほとほと愛想をつかし、今度は逆に毛沢東を美化し始める。

大戦後四年間に及んだ、シナ大陸の国共内戦にも介入することなく放置し、シナ大陸の共産化を許してしまった。

その魔手が朝鮮半島に及ぶにいたって、アメリカはようやく事の重大さに気づいたが、これまた三年に及ぶ朝鮮戦争の悲劇を生じさせてしまった。

何のことはない。アメリカは結局、戦前の極東で日本が果たしていた反共の砦としての役割を、みずから背負い込んだだけのことである。

(途中省略)

ドイツが降伏したとき、アメリカを主力とする連合軍は、エルベ川以西の東部ドイツを大部分占領していた。それをあとから進駐してきたソ連にそっくり譲り渡して、その後の東西ドイツ分断の原因をこしらえてしまった。

チャーチルはすでに戦後の世界政治を見すえたうえで、共産主義の脅威を察知していたのだが、アメリカはそれもしなかった。結局アメリカは西欧諸国を主戦場にして国力を費やし、東欧は共産ソ連にただでくれてやってしまったのである。

ルーズベルトのとったこの奇怪な行動は、戦後の東欧とアジアで、鉄のカーテンに遮断されてしまった十数億人の諸国民たちに、共産主義恐怖政治の塗炭の苦しみを強いることになった。ルーズベルトはいったい何を考えていたのであろうか。

(以下省略)

「板垣征四郎と石原莞爾」から転載させて頂きました

「冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」

反戦イラク帰還兵の会 アーロン・グランツ著 TUP(平和をめざす翻訳者たち)訳 岩波書店 平成21年(2009年)初版

懲りない米国は、今もアジアで、そして中東で、大厄災をもたらしているようですよ。

イラク・アフガニスタンでの占領政策では、米国の交戦規定は無きに等しい無法ぶりのようです。

「米国兵士は近づくものすべてに銃弾を打ち込んでゆく。殺した相手が武器を持っていなかった時は、用意しておいたスコップや銃を死体の傍らに置く」

「白旗を持つ住民は罠、逃げる住民は何かを画策しているとみなす。軍用車が子どもを轢いても放置する…」

「多くの犠牲者を出した部隊が、血に飢えたように殺害を続ける…」

米軍兵士の行動を見ていると、殺戮や虐待に人種的偏見と憎悪が充ち満ちています。

以下に紹介するユーチューブ動画も、あわせてじっくりとご覧になって下さいませ。

ここには米国政府広報官の楽観的な話でなく、現地の生々しい戦場の姿が、そして米国の戦争指導者たちが、私たちに知られたくない恥部、すなわち米軍による現地住民殺戮の場面が、これでもかと露出されています。

ご紹介する本や動画により "アメリカの本性" もまた、垣間見ることが出来るはずです。

米国は、先住民であるインディアンを大虐殺して入植してからというもの、"自由" という名の下に、 "自由" を冒涜し、"民主主義" という名の下に、"民主主義" を冒涜し、美しい言葉を用いて帝国的支配をカモフラージュしてきた。そしてマッチポンプで、世界中に 「脅威」 を作り出し、大略奪・大暴虐の限りを尽くしてきたのだ。

米国大統領の背後には、地平の先まで屍の山が見える!!。

「アメリカが外国に戦争をしかけるのは、地理の勉強をするためだ」というジョークがある。だがもはや、お勉強をしている余裕はない。

自業自得とはいえ、米国の金融危機はとても深刻だ、一年以内に二番底がやってくるだろう。それに米国はこれだけ輪転機を回し続けたのだ、ペーパーマネーである赤字通貨のドルは、ハイパーインフレという恐ろしく受け入れがたい事態に直面するリスクが極めて高い。(もちろんマネーの電子化・口座化の趨勢により、実際に輪転機を回してプリントした訳ではありません)

そうなる前に次なるバブルを創出するか、米国もしくはイスラエルが、イラン核施設へ奇襲攻撃し (こっちのほうが断然確率が高い!)、第五次中東大戦争を勃発させない限り、ドルの劇的な還流は起こりえず、ドル基軸通貨体制の動揺を覆い隠すことが出来ないまま、ドルの信認は早晩失われていくだろう。(米国がマッチポンプで中東で戦火を拡大しても、帝国の延命にはほとんど貢献しないと思われる)

もともと米国は、世界から借りた借金を返す意思を持たないが、基軸通貨・決済通貨としての米ドルの、国際的地位が風前の灯火となりつつある現在、米帝国の終焉も視界の先にはっきりと見えてきた。

「すぐに金融危機以前の世界が再びやってくるさ」 と、楽観的に思わない方が良い。米国は第一バイオリンではあり続けるだろうが、再び世界の指揮者に戻ることは出来ない。代わって 「帝国の末路」 は存分に味わうことが出来るはずだ。

米国人は自分たちが、世界の他の国々の人々に "どう写っているか" を、まるで気にしていないようだ。

聞きたくない話だろうが、アフガンの泥沼は、大英帝国没落のきっかけになったボーア戦争にそっくりだ。

帝国喪失の先に待ち受けているものは、"脅威" に仕立て上げられ、米国により軍事侵略され、虐げられ殺戮された、罪のない人々からの、ブローバック、つまり報復だ。

米国大統領の背後に築かれた屍の山は、これから法外な代償を支払い続けることになるだろう。

建国以来初めての体験かもしれないが、今度は君たちが虐げられる側に立つのだ。

米国人よ、覚悟して臨むがよい。イラク・アフガン戦争の泥沼と迷走は、「世界からの報復」 という演目の、まだ序章にすぎないのだから。

イラク戦争動画ご紹介

「3年前の米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像、告発ネットが公開」

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