平成24年(2012年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月27日(金) 松永氏と摩文仁海岸線調査

「寒い…」
今年の沖縄はとても寒いです。(^^;)

今年は私の住まいである埼玉県に限らず全国的に近年に無い厳しい寒さが続いていましたから、沖縄も例外で無いだろうなと思いつつ那覇空港に到着すると、やはりその予想通りの気象状況でした。こんなに寒い沖縄はかつて体験していないような印象です。

昨日夕刻に沖縄の那覇空港に無事到着しました。私も年を重ねてしまいましたから、これまでの早朝5時台に自宅を出発するというパターンではとてもしんどく感ずるようになりましたから、夕方那覇空港に到着するというパターンに切り替えました。朝は普通に出勤し午前は仕事をこなし、午後に羽田空港に向かうという流れです。

夕方那覇空港に到着後、そのまま恒例となっていますが、那覇市壺屋にある「金光教那覇教会」の林先生に到着のご挨拶を兼ねてご訪問させていただきました。一年ぶりの訪問という事になりますが、夕食を一緒に頂きながらの懇談となり、また遺骨収集関連や沖縄に関わる最新情報をお聞きすることが出来まして、とても有意義な一時を過ごさせていただきました。有り難うございました。(^o^)

私の沖縄滞在中の安全と滞在目的が成就する事を願い、ご祈念後「ご神米」 を頂きました。「ご神米」は、“人々が天地の恵みとその恩恵を忘れないように” との思いが表出された御札だとお聞きしています。このご神米は沖縄滞在中は常に書類ケースに忍ばせておく事となりますから、私の行動を逐一見守ってくれるはずです。

今回1月に沖縄に参りました理由は、2月18・19日両日実施される、金光教沖縄遺骨収集奉仕活動の事前調査、及び明日の摩文仁清掃奉仕準備作業立ち会い、また明後日の摩文仁清掃奉仕の清掃作業に参加するためです。

天気予報では、嬉しいことにこの三日間は雨の心配は無いという嬉しい予報となっています。気温は沖縄らしくない寒さが続きそうですが、動いてさえいれば寒さは問題ではなく、逆にハブと出会う可能性も低くなりますから、安心してジャングルでの作業を進められます。

遺骨収集に関わる調査等を開始するにあたり、まずは国立戦没者墓苑参拝からスタートと相成ります。毎年の事ながら、ここ摩文仁の地に立ちますと、なぜか心身がシャキッとします。日本軍将兵そして避難住民の汗と涙と血とが染みこんだ艱難の大地であることが、心の奥深く感じ取れるからでしょうが、緊張感と共に沸き上がるその重みをしっかりと受け止めねばならぬと、いつもその思いを新たに参拝する次第です。

私と平和学習ガイドの松永氏と二人で、国立戦没者墓苑にて献花そして手を合わせ、沖縄戦で亡くなられた御霊様のご安心を願い、そして今年の遺骨収集調査・本番での安全と、仕事の目的を果たせますようにとお願いして参りました。

国立戦没者墓苑

国立戦没者墓園

いつ来ても新しい生花が献花されており、絶え間ない参拝者が居ることを物語っています。

摩文仁砂浜での故人慰霊祭・散骨

沖縄戦に従軍し、戦後は沖縄遺骨収集奉仕活動を精力的に行ったある方が、「遺骨の一部を摩文仁に散骨してほしい」と遺言に残され、亡くなられた方のご親族が、ここ摩文仁に散骨しに来られたので、林先生と共に慰霊・散骨の場に参列させていただきました。

プライバシーがありますからサイトでは多くを語れませんが、金光教の遺骨収集奉仕活動にも何度か参加されており、また沖縄で遺骨収集を実施する際には、平和学習ガイド松永さんを指名してタクシーに何度も乗車されたという経緯があり、亡くなられた方の生前の活動の様子を、松永氏はよく憶えていました。

亡くなられた方のご親族、および林先生と私たちと総勢10名ほどで、摩文仁の「健児之塔」駐車場から海岸に降りて、一部砂浜になっている場所にシートを敷いて、林先生主導でミニ慰霊祭を挙行し、最後にご親族が持参した遺骨の一部を砂浜に散骨し式典は終了しました。

摩文仁砂浜での故人慰霊祭・散骨

摩文仁散骨の様子1

遺言者の「遺骨の一部を摩文仁に散骨してほしい」という希望に添い、ご親族の方々が摩文仁海岸を訪れ、散骨する前に林先生主導によりミニ慰霊祭を挙行しているところです。

摩文仁散骨の様子2

亡くなった方ご本人の希望により、ごく少量の遺骨が海水面に散骨されました。この方は沖縄戦を戦い抜きましたが、他の所属部隊員全員が戦死され、唯一生き残ったという事で、この方は戦後年金を使い果たすくらいに精力的に沖縄に通い続け、遺骨収集奉仕活動に取り組まれたという話です。金光教の遺骨収集奉仕活動にも何度か参加されました。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

沖縄に到着早々、“摩文仁散骨” という印象深いイベントに遭遇し感激しました。結果として摩文仁散骨イベントの最初から最後まで同席させていただきました。列席参加者である親族の方々の会話も自然と耳に入ってきましたが、ご遺族の方々も遺言者の願い通りに散骨を無事終えたという安堵感からでしょうか、イベント終了後笑顔で皆さんが会話をされていたのがとても印象的でした。

摩文仁散骨を願った遺言者も、沖縄戦を戦った部隊で、戦闘激化に伴い戦死者続出のなか、部隊員のなかで唯一生き残ったそうですから、“戦友” という言葉に表れる軍隊の強い連帯感ゆえ、戦後は仲間の全ての遺骨を収集するという強い意志に突き動かされ、これまで長く遺骨収集に取り組まれたという話のようですから、本日厳かに執り行われた散骨により、きっと責務を果たされ満足する形で戦友の待つ天国に合流されたと思えます。ご冥福を心よりお祈りしたいですね。

松永氏と摩文仁海岸線調査

さて時刻も午後三時を回り、夕刻まであまり時間が無い状況でしたから、松永さんと相談した結果、2月 17日(金)に松永さんがガイドとして主導する平和学習では、高校生を摩文仁の壕に案内して壕内で平和学習を実施するというお話なので、その壕へ至るルートの安全確認をしようという事になりました。

沖縄における平和学習と言えば、例えば「轟壕」に代表されるように、バスから降りてすぐに壕や戦跡があるというパターンが一般的ですが、 17日実施の平和学習では、わずか200m足らずではありますが、ジャングルの道無き道を前進するという、極めてリスクを伴う行程となりますから、万全の安全対策を立てなければなりません。

人身事故を起こさないための安全対策を検討するために、まずは平和学習を予定している壕までまず歩いてみようという訳ですね。

松永氏と平和学習ルートを調査

摩文仁海岸線調査の様子1

午後夕暮れも迫っていたので、松永さんの話では来月二月に実施される平和学習で、高校の生徒さんたちを摩文仁の壕に案内することとなっているとの事で、その壕に至るルートを実際に歩き、生徒さんたちが安全に行き来できるかの検証を行いました。

写真はすでに歩行ルートの一部を撮影しています。

摩文仁海岸線調査の様子2

この壕内で松永さんが平和学習の講義を行う予定です。ジャングル入り口からこの壕までの所要時間は、概ね30分ほどでした。実施に際しては更にゆっくりとした時間配分を必要とするはずですが、歩行ルートの安全については、かなりハードではあるものの、致命的な事故が発生する可能性は無いと二人で結論づけました。

摩文仁海岸線調査の様子3

コンクリートと石で四角く積み上げられた貯水槽です。平面に黒っぽく写っているわずかばかりの滴り落ちている水の流れが、貯水槽の中に落ち込んでいるのが見てとれます。今は冬で雨も少ない季節ですから流量もほとんどありませんが、これが梅雨時にでもなれば、相応の流量があるのかもしれませんね。いずれにしても、沖縄戦当時とてもかなりの人数分の貴重な貯水槽であった事が推測されます。

摩文仁海岸線調査の様子

壕内の鍾乳石を写しています。鍾乳石は実にバラエティーに富んでいますが、この丸いつぶつぶもどのように生成されるのか…。本当に不思議に思われましたから写してみました。

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