平成26年(2014年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月08日(土) 糸満市山城一帯、マヤーアブを調査

「危なかった~。(^^;)」
朝4時起床。何をするよりも早く家の外に出てみると、道路には3センチぐらいでしょうか白く雪が積もり始めており、しかもしんしんと雪が降っているではありませんか~。ガーンガーン。(^^;)

「金曜日は雪が降るという予報通りだ!!」
早朝のうちにすでに雪が降り積もっているという状況では、欠航の可能性が大だが、可能性を信じてとにかく羽田空港に行こう。それに今のところ、欠航になったという通知メールもスマホに届いていない。ここ埼玉県よりも羽田空港辺りの方が、雪の降り方が少ない可能性もある…。身支度を調え、予定通り朝5時05分の始発列車に飛び乗りました。

羽田線モノレールから見える風景も、正に雪国。(^^;)
しかしながら、フライトボードには、欠航の文字が無い!!。
「やった。欠航にはなっていない!!。」
待機中にも、欠航というアナウンスは無く、翼に積もった雪を下ろすために30分ほど出発時刻が送れるとのアナウンスのみ。いいですよ。少々送れても結構。出発してくれるだけで嬉しいです…。と内心思いながら待合室でスマホを見ながら時間を潰していると、機内へ誘導のアナウンス。やった~。結果として一時間遅れぐらいで、無事に羽田を出発できました。(^o^)

11時過ぎ無事に那覇空港に到着しました。(^o^)
聞けば、この日は結果として、首都圏を中心に930便余りが欠航になったとか。朝8時にテイクオフという早い時間帯が幸いし、無事に予定通り沖縄入りが出来ました。もしも欠航していたら、これ程大規模な欠航続出ですから…。それを思うと本当に嬉しかったですね。(^o^)

一難去ってまた一難。沖縄に到着するまでは本当に憂鬱でした。なぜなら2月8日から一週間、沖縄の週間天気予報は全て雨が降るという傘マークが並んでいたのです。一週間傘マークが並ぶと壮観ではありますが、何ともやりきれない思いで羽田空港に向かいましたが、那覇空港に到着してみれば、曇り空ながら雨が降るような雰囲気ではなく、ヤッター、少なくとも今日は雨の心配は無い、大丈夫だとの思いを強くしました。(^o^)

本日は、那覇空港到着後、松永さんを始めとする八重瀬町ガイドの会の皆さんと共に、山城に点在する壕を調査する事になりました。

真栄里アミヤ原の特攻艇艇秘匿壕

遺骨収集の様子1

小高い丘陵になっているロンドン杜公園の北側崖下に、この小型の特攻艇を格納するための秘匿壕があります。国道331号線から200mぐらいの距離でしょうかね。写真では秘匿壕の前はコンクリートで舗装された駐車場となっていますし、その駐車場も嵩上げされて、壕入り口の半分ぐらいが埋められているのが見えますね。

糸満市真栄里はかつて海沿いの集落で、沖縄戦当時はこの秘匿壕の前に川が流れていたそうですが、現在は舗装道路となっています。その道路は写真手前側にある訳ですが、その道路部分が昔は川が流れていたなんて全く想像できない状況ですね~。その川も含めて、この辺りはかなり沖合まで埋め立てられており、沖縄戦当時とはまるで違う風景となっているようです。

遺骨収集の様子2

秘匿壕の入り口です。開口部の半分以上が埋め立てられているという印象ですね。この辺りにはマルレ型特攻艇を隠した秘匿壕は複数あるという話です。特攻艇部隊は1945年3月に渡嘉敷島より海上挺進第26戦隊が転進して来たそうです。マルレ型特攻艇とは、爆弾を積んでアメリカの軍艦に体当たりして自爆する為の特攻兵器です。

遺骨収集の様子3

中はゴミが散乱していると共に、戦後地元の人達が設置したと思われる拝所も見えますね。奥行き20m位、幅は3mあるかないかといったところでしょうか。壁面をよく見ますと、坑木を組んだと思われる窪みが見えますね。

糸満市山城にある壕を調査

遺骨収集の様子4

亀甲墓の前で手を合わせ、「一部墓の上に乗らせて頂きます」とお断りして、調査を開始しました。今2人が立っている場所の横辺りに、目的の豪入り口があります。

遺骨収集の様子5

ここがお墓のすぐ横にある壕入り口です。この壕は最近国吉さんが調査・収集をされたという事を、松永さんが地元情報で聞きつけ、それで一度この壕に入って見たいと思われたそうです。中がどうなっているのか、さっそく一緒に入って見ましょう。

遺骨収集の様子6

一段階入った所で入り口を撮影しました。鍾乳石で構成された堅固な壕である事が解りました。艦砲砲弾が何個直撃しても入り口から砲弾が飛び込んでこない限り、壕が破壊するような事は絶対にあり得ないと思えるほど頑丈な壕と見ました。

遺骨収集の様子7

壕内の風景はご覧のようにおどろおどろしい雰囲気となっています。

遺骨収集の様子8

壁面はほぼ乾いた状況ですが、ご覧のような水の流れた後がたくさんある事から、沖縄戦当時の梅雨時などでは、ある程度水が確保できたかもしれませんね。

遺骨収集の様子9

迫撃砲弾です。筒に上から入れてボンと打ち出す砲弾ですね。

遺骨収集の様子10

水色のテープを発見。これは金光教が収骨作業を終えた際に、再び同じ場所を遺骨収集するなど二度手間にならないようにするため設置されたテープです。すなわち “この壕は収骨が済んでいますよ” と言うメッセージを発していることになりますね。本来は壕入り口付近にテーピングしますから、何らかの理由でそのテープが壕内に落ちてしまったのでしょう。テープの劣化具合からして、15年以上前のものではないでしょうか。

遺骨収集の様子11

壕の底部全体を撮影しています。結構な広さがありますよね。壕の形状も単純で、入り口の下に大きな空間があるという状況でした。出入りはスロープのようになっている斜面を行き来するようになっていますから、出入りも比較的楽だったと思います。壕入り口は偽装して穴が無いように見せていたかもしれませんが、若干の光が漏れていたら、壕内は結構明るかったのではないかと想像しています。

遺骨収集の様子12

足が長く足を含めた前後の長さは優に10cmを超えているオオゲジが居ました。洞窟内が主な生息場所ですから、これまでに何度もオオゲジに遭遇していますから、特に怖くはないのですが、以前両手が動かせない状態で、このオオゲジが私の鼻の穴に入ろうとしたことがありました。その時ばかりはさすがの私も、ギャ~と叫んでしまいました。(笑)

驚くことに、オオゲジは毒を持たず足が美しいことから、ペットとして飼育する人も少なくないそうですよ。驚きですよね~。

遺骨収集の様子13

ヤドカリ君も居ました。結構大きいですよね。遺骨収集をしていると、ヤドカリもまた何度も目撃します。

遺骨収集の様子14

ご覧の通り、場所によってはかなり急勾配の斜面が続きます。

遺骨収集の様子15

艦砲砲弾がありました。現存している部分だけでも2センチ程度ですから、結構大きな砲弾です。南部戦跡で一番発見率が高い砲弾ですかね。下の薬莢は機関砲のもので、直径の大きさからみて、もしかしたら米軍のものかもしれないという事です。

遺骨収集の様子16

「壕があったよ」という声に導かれて、全員で壕に入りました。

遺骨収集の様子17

先頭をいく松永さんが、結構奥が深いと声を出しましたが、横に長く続いているようです。

遺骨収集の様子18

ドリルで穴を開けた跡が見えます。天然の壕を利用しつつ、壕を拡張したものと推測されますね。

遺骨収集の様子19

壕は横に30mぐらい伸びているでしょうか。その間に出入り口は合計で三カ所ありました。

遺骨収集の様子20

遺品を探しているところです。

遺骨収集の様子21

下着のボタンが出てきました。日本軍将兵がここで亡くなったのですね。

遺骨収集の様子22

一番端の出入り口から松永さんが出てきました。

遺骨収集の様子23

岩を積み上げたとみられる場所を覗くと、風葬の骨が見えました。

遺骨収集の様子24

風葬墓の内部の様子です。瓶も割れてはいますが現存しています。よく観察しましたが、沖縄戦で亡くなった方々のご遺骨は混ざってないように見えました。

遺骨収集の様子25

写真奥に立派なお墓があるのが見えますね。写真手前にはコンクリート製の小さな祠のようなものがあります。全面にコンクリートブロックが設置されていますから、おおよその大きさは解りますね。

それではクイズです。写真手前側に写っている、コンクリート製の小さな箱のようなものは何でしょうか~。(^o^)

遺骨収集の様子26

今度は正面から撮影してみました。正解は…、この小さな箱もお墓だそうです。

門中の立派なお墓には入れなかった親族が、この小さなお墓に入っているそうですよ。松永さんの説明では、自殺した人、嫁に行って離婚して帰ってきた人、ライ病の人、海難事故で死んだ人等は、門中墓に入れてもらえず、このようなおまけのようなお墓に入れられたそうです。また「わらぴ墓」というのもあって、これは6歳未満の子供が入るお墓のようです。(※7歳以下という説もあるそうです)

遺骨収集の様子27

松永さんの説明では、この草は「ヤブカラシ」だそうです。蔓性で大きく繁茂するのでしょう。実際に目の前には「ヤブカラシ」が面規模で繁茂しています。文字通りこの草が繁茂すると、「薮を枯らす」という意味なのでしょう。ただ本土の「ヤブカラシ」とは、葉の形状が微妙に違いますね。

遺骨収集の様子28

中里さんが近くの雑草をグイッと引き抜いて私達に見せてくれたのですが、これは「苧麻」(チョマ)、沖縄ではカラムシと呼ぶ草です。草なのになぜ虫なんだ、という突っ込みは無しね。(^^;)

この草はただの雑草ではなく、この茎から繊維を取り布になるんだそうですよ。知りませんでした。このカラムシで織った布を上布(じょうふ)と呼び,越後上布,小千谷縮(ちぢみ),宮古上布などが有名だそうです。宮古島で盛んに織られたようですが、上等な反物として取引されたようですよ。

遺骨収集の様子29

ご覧のように、実際に皮を剥がして見せて下さいました。草の背丈は2メートルほどにもなるそうですから、結構長い繊維が得られそうですね。

遺骨収集の様子30

午前の調査作業終了です。皆様お疲れ様でした。お昼ご飯を食べに行きましょう。

「マヤーアブ」を調査

遺骨収集の様子31

「マヤーアブ」は、糸満市山城にある平和創造の森公園の一角にあります。マヤーとは沖縄方言で、猫という意味だそうです。この壕の所在地は、もしかしたら公園の整備された芝地に隣接するジャングル内にありますから、ギリギリのところで公園外にあるといえるかしれません。いずれにしても、行くには公園の中を通らなければなりません。

ここが「マヤーアブ」入り口です。ちなみに私達は何度もこの壕に入っています。ご覧のように開口部は大きくて、偽装するのも難しかったでしょう。早期に発見され、米軍の激しい掃討を受けたものと推測されます。

遺骨収集の様子32

10メートルほど降りたところで、振り返り開口部を撮影しました。序盤の斜面は比較的緩くて難なく降りられました。こうして見上げると、開口部の大きさが実感できると思います。

遺骨収集の様子33

降り始めて最初の平らな場所が見えてきました。

遺骨収集の様子34

更に降りていくと、ご覧のような人骨がありました。しかしながら収骨しようとしても、ご覧のように鍾乳石化していますから、簡単には取れません。

遺骨収集の様子35

もう一点骨の様子を写しました。骨の雰囲気からして、間違いなく沖縄戦戦没者のご遺骨と思われます。その点については、私と松永さんでは意見が一致していますが、69年の歳月は、これほどまでにご遺骨を鍾乳石化してしまうのですね。

遺骨収集の様子36

ずいぶんと降りて参りました。写真奥の写っている部分が、この「マヤーアブ」の一番奥深い部分という事になります。

遺骨収集の様子37

遺留品も目立って多くなって参りました。食事に使用したお茶碗が多いですね。大勢の人がこの壕に入っていたのでしょう。

遺骨収集の様子38

軍靴などの革製品が多いですね。日本軍将兵も大勢居たと思われます。

遺骨収集の様子39

壕の壁面が実に不気味でおどろおどろしいですよね。

遺骨収集の様子40

水滴がたくさん落ちている場所がありました。この水滴を24時間集め続ければ結構な量になるかもしれません。溜まった水は、右側の穴から入ってどこかに流れ出ているようです。

遺骨収集の様子41

水滴が沢山垂れていました。鍾乳石のツララが今でも作り続けられているようです。

遺骨収集の様子42

なんか怖い雰囲気ですね。(^^;)

遺骨収集の様子43

メガネの一部がありました。

遺骨収集の様子44

壕内が非常に暗いですね。ここに居るだけで陰気な気持ちになってしまいます。湿気も強く、地面はジトジト…。ここに避難しておられた方々も、この環境には音を上げていたかもしれませんね。

遺骨収集の様子45

水瓶などもありました。瓶も見えますね。遺留品がとても多いです。それだけ大勢の人達がここに居て亡くなったのかもしれません。
この「マヤーアブ」で亡くなられた戦没者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

PAGE TOP