平成25年(2013年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月15日(金) 田中由美氏合流、与座調査、平和学習サポート

本日で沖縄滞在ちょうど一週間が経過しました。あっという間の一週間だと思えます。明日から二日間は金光教の遺骨収集奉仕活動に参加させて頂く予定になっており、これまでのような有志による遺骨収集調査活動は本日午前中で終了となります。

また午後は松永さんが高校生を引率してジャングルに入り壕を訪れて平和学習を実施する手はずとなっており、その際は私達もサポートで参加します。

今日までほとんど雨らしい雨が無くて、雨合羽の出番が無いという嬉しい日々が続き、順調に調査を勧めることが出来ましたが、本日の天気予報は、最高気温23度との予想で、午前中に強い雨が降るとの予報が出ています。

午前中の調査は雨なら雨合羽を着れば良いですが、気がかりなのは午後に予定されている平和学習の方です。雨だと中止になるかもしれませんので、その点がとても気がかりです。生徒さんたちにとっては、とても貴重な体験となるジャングルに入っての平和学習ですから、ぜひとも実施して頂きたいのは山々ですが、坂道も多く転倒等のリスクが増すのは必至ですからね。ですから降る雨の強弱、雨量がとても気がかりです…。

それでは今朝の慰霊巡拝は、米須にあります沖縄県立首里高等女学校の戦没職員・生徒・同窓生を祀る「ずゐせんの塔」と、大渡にある 「独立高射砲27大隊本部壕」を訪ねる予定です。それではご一緒に参りましょう。(^o^)

「ずゐせんの塔」

遺骨収集の様子1

国道331号線米須にある米須西交差点、ここは「平和創造の森公園」への入り口に当たる交差点ですが、交差点を折れてすぐのところに「ずゐせんの塔」はありました。ちなみに隣接して「ひむかいの塔」もあります。この「ずゐせんの塔」は那覇市首里桃原町にあった同校敷地跡に最初建立されましたが、後に生徒たちの最期の地となった米須・伊原地域に移すことが検討されまして、結果として昭和34年6月、ゆかりの地である米須に移築されたものです。

遺骨収集の様子2

沖縄県立首里高等女学校の戦没職員15名、生徒33名、同窓生56名が祀られています。同校生徒は「瑞泉(ずいせん)学徒学徒隊」と呼ばれましたが、「ずゐせん」は同校同窓会名称 「瑞泉」から命名されました。

沖縄戦で散華された御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子3

記された33名の氏名は、戦火に倒れた沖縄県立首里高等女学校学徒看護隊戦没者全員の氏名です。戦況の悪化に伴い、浦添から首里、摩文仁へと従軍看護を続けながらの移動で多くの生徒が犠牲となりました。

遺骨収集の様子4

上に写真の続きですね。

遺骨収集の様子5

「この道もこの岩肌も 乙女らが弾にたたかれ 踏み惑ひしところ 夕照」

遺骨収集の様子6

旧校庭から移植された木のようですね。ずいぶんと大きく成長しました。

遺骨収集の様子7

問題なく読めますね。

「独立高射砲27大隊本部壕」

遺骨収集の様子8

ヒェー~~~。二年前に訪れた時は、ちゃんと道がありましたよ~。昨年の台風の影響か、倒木も多いです。正直に書きますと時間も限られているし、誰か見ているわけでもないし、独立高射砲27大隊本部壕に行くのは止めようかと思いましたが、買った献花を持参していますし、「そんな軟弱でどうする!」と自分を叱責し、意を決してこのまま前進することにしました。

何しろここを訪れた時の服装は、上がTシャツ、下がジーパンとかの普段着ですし、手袋はありませんし、靴といえば滑りやすい革靴ですから、それはもう、ホント大変でした~。遺骨収集する時の服装なら、何ら問題なくグイグイと前進できるんですけどね~。

遺骨収集の様子9

ヒェー~。「壕が消えてしまった!!!」この表現はオーバーでは無いですよ!!。

あちこち壕の入り口を探しても無いのです、「壕入り口まで道があったはずなのに…」

下の写真は二年前に撮影したものですが、風景があまりに変わっていて、また草木をかき分けて前進したので、二年前と比べ距離感が狂ってしまった事もあり、すぐに探せなかったのも無理ないですよね~。(^^;)

《過去の写真ご紹介》

遺骨収集の様子10

二年前のほぼ同じ位置から撮影したのがこの写真です。写っているのは吉井さんですが、ご覧のように壕入り口までちゃんと道がありましたよね~。今回すぐに探せないはずだ~。(^^;)

遺骨収集の様子11

三回目のヒェー~~~。(^^;)
壕入り口を見つけたと思ったらご覧下さい。上から落ちたのでしょうか。大きな岩が入り口を塞いでいます。また昨年の台風で倒れたのでしょうか、大きな木が倒れ込んでいます。

遺骨収集の様子12

「独立高射砲27大隊本部壕」内部は馬乗り攻撃で壁面は真っ黒になっています。米軍による掃討戦により、ここでも多くの日本軍将兵が阿鼻叫喚灼熱地獄の中で亡くなっていきました。

沖縄戦で散華された御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子13

「独立高射砲27大隊本部壕」も複雑な構造をしていますが、最初の空間から外を見ています。風葬墓であった所を掘り進み構築していった壕と思われますが、大渡では数少ない構築壕となっています。

遺骨収集の様子14

最初の空間の様子です。卒塔婆なども置かれていますから、ご遺族の訪問もあったようですね。

遺骨収集の様子15

この穴が次の空間に通じる通路です。少し下っているのが見えますね。この先はかなり複雑な構造をしていますし、二年前に入った際は、壁面が真っ黒になっているのに驚きました。馬乗り攻撃の激しさを垣間見たのです。

新たに吉田さん、田中さんを交え、与座で試掘するなど調査を実施

1月に事前調査として三日間沖縄を訪れましたが、1月25日(金曜日)に松永さんと与座に調査で入りまして、下見しておいた場所を今日は本格的に掘ってみようという手はずとなっていますので、松永さん、吉田さん、福岡さん、そして私の四人で与座に向かいました。また午前中の内に田中さんと伊澤さんが那覇空港に到着し、順次摩文仁に到着する手はずとなっています。

松永さんは与座にある下の写真の壕に関する資料を持っており、そこに描かれている壕の情報と、現地調査による壕入り口の数が合わないことを鑑み、埋没した壕入り口が有るのでは無いか…。という事で、埋没したと思われる壕入り口を探し出して掘ってみようと言うことになっています。スコップやバールなども松永さんが準備しておいてくれました。

与座で試掘するなど調査を実施

遺骨収集の様子16

松永さんと私はこの地を1月に訪れましたが、吉田さんと福岡さんは初めてなので、まず守備軍構築壕を見てもらいました。写真奥に写されているのが、すでに収骨が済んでいると思われる構築壕です。

遺骨収集の様子17

もう一カ所の壕も見てもらいました。

遺骨収集の様子18

もう一カ所の壕の落盤状況を見てもらいましたが、吉田さんもご覧の状況を見て、近年落石して埋没したのではないかと話しておられました。

遺骨収集の様子19

火薬が詰まった爆弾がありました。名称は解らないのですが(^^;)、狭い範囲に4個も散乱していました。

遺骨収集の様子20

現代の缶飲料の大きさと同じくらいですね。いずれにしても私達は慎重に扱いました。

遺骨収集の様子21

二カ所試掘してみようという話になり、この部分がそのうちの一カ所です。試掘を予定している場所は1月に訪れた際に見つけ、いつの日か掘ってみようという話になっていました。

遺骨収集の様子22

この部分が二カ所目です。いかにも「穴があった」という雰囲気でしょう~。70年近くの歳月を経て、埋没したのではないかという仮説を立てましたので、掘ってみようと言うことになりました。

遺骨収集の様子23

まず松永さんが掘り始めました。土は圧密され確かに固そうですが、岩と混合していないことからしても、長い歳月上から土が落ちて滞積したという見方も出来そうです。

遺骨収集の様子24

グングン掘り進められます。

遺骨収集の様子25

替わって吉田さんが作業を引き継ぎました。

遺骨収集の様子26

予報通り雨が降り出しました。11時10分過ぎ、突如激しく雨が降り出し、やむを得ず作業を中断し壕内に避難しました。もう少し続けたかったな~。

遺骨収集の様子27

雨宿りの図です。じっくり遺骨収集の話が出来ますからこれも良しですね。

遺骨収集の様子28

この壕内を見てない方が複数人いらしたので、内部を見学することにしました。

遺骨収集の様子29

地面に掘られた跡がありますが、国吉さんグループにより収骨作業が為されました。それにしても、露天と違って壕内でこれだけ掘り進めるのは大変な作業量となります。正に流す汗と根気の賜であり、脱帽ですね。

遺骨収集の様子30

構築壕としては異常に内部空間の高さがありますが、戦後落盤した部分も多いと思われます。

遺骨収集の様子31

行き止まり部分は間違いなく落盤により封鎖されたものですが、皆さんで状況を検証していました。

お昼ご飯ですよ(^o^)

遺骨収集の様子32

結局雨は止むことが無く、作業を中断したまま昼食となりました。作業に汗を流したため、カレーがとても美味しかったですよ。(^o^)

遺骨収集の様子33

本日参加の皆さんです。お疲れ様でした~。(^o^)

左から吉井さん、福岡さん、吉田さん、松永さん、田中さんです。

危険なジャングルに分け入り平和学習を実施

ここ摩文仁の平和祈念公園内で本日の午後、神奈川県鎌倉市にある栄光学園の生徒さんを対象に平和学習が行われます。平和学習ガイドは松永さんで、同校生徒を摩文仁の壕に案内するのは昨年に続き二度目で、昨年入壕した生徒さん達の反応がすこぶる良かったそうで、学校側も継続実施に踏み切ったようですよ。

私たちは松永さんの依頼を受け、生徒を誘導し、そして特に危険な場所に張り付いてサポートするなど、せっかくの機会を事故で台無しにしないよう全力で取り組みました。サポートメンバーは次の通りです。吉井さん、吉田さん、伊澤さん、福岡さん、田中さん、そして私です。

沖縄で平和学習を体験する生徒さんの年間の延べ人数は20万人とも言われています。ホントすごい人数ですよね。そして実施される平和学習は、「平和祈念資料館」「ひめゆりの塔」「轟壕」「糸洲壕」「糸数壕」「ヌヌマチ壕」などをバスで、或いは小グループに分かれてタクシーなどで移動しながら体験プログラムをこなしていくというのが一般的です。しかしながら栄光学園の生徒さんが体験する平和学習は、空前絶後、ジャングルの中にある壕まで徒歩で前進し、その堅牢な壕内で平和学習を実施するというものです。

確かにリスクは存在します。これはジャングルを良く知る私達だからこそ断言できますが、と同時にリスクを把握している松永さんや私達だからこそ、リスクを避ける手立ても同時に心得ており、無謀な計画を推しているわけではありません。

この平和学習プログラムを実施する上で、確実に安全性を高めている点がふたつあります。ひとつは、生徒さん達に沖縄に旅行するに際し、「沖縄のすごいジャングルの中にある壕で平和学習をするけれども参加したい生徒は手を上げて」、と参加者を募って選抜している点です。生徒全員が参加と言うことになりますと確実にリスクが増しますが、松永さんが安全確保のために上限を25名前後と制限し、その人数の範囲内で、ジャングル行に関心を持ち「参加したい」と手を上げた生徒さんたちだけを入壕させるという方式です。自ら望んで手を上げた生徒さん達だからこそ、緊張感を持って取り組んでくれる事でしょう。

もうひとつは、昨年初めてこの平和学習プログラムを実施するに際して、先生方が実際に現地のジャングルに入って壕までルートを歩で体験しているという点です。先生方自身が体験され、問題ないと太鼓判を押している点は強いです。想起されるリスクを乗り越え、生徒さん達に “更なる高みの体験をさせてあげたい” という熱血先生の存在が無ければ、この企画は実現しなかったに違いありません。

本日は午後1時過ぎまで雨が降り続き、危険度が確実に増しているので、私達がサポートする平和学習プログラムは没となり、平和祈念資料館見学一本に絞られるなと観念していましたら、観光バスから降りてきた担当の先生が雨の降る空を見上げ一言、「オッ行けるね。行きますよ」だって。万全の準備をしてきた私達ですからね、とても嬉しかったですよ。さあ頑張るぞ~。(^o^)

(これから生徒さん達と壕に向かいます。青少年ですからサイト掲載には十分注意せねばなりません。この平和学習プログラムをサイトに掲載するに際しては、栄光学園から掲載の許諾を頂いてはいますが、解説は必要最小限度となりますことをご了解下さいませ。画像は巡回するロボット検索から外れるようにHTMLタグが組まれています)

危険なジャングルに分け入り平和学習を実施

遺骨収集の様子34

バスから降りてまず最初に沖縄国立戦没者墓苑で手を合わせます。写真は生徒6人が代表で献花しているところです。

遺骨収集の様子35

沖縄国立戦没者墓苑での献花を終え、軽い体操で身体をほぐした後、吉井さん福岡さん先導でジャングルに入っていきました。この段階で雨脚はかなり細くなり、心配された路面のぬかるみもほとんど無くて、雨の影響はほとんど無いといえる状況でした。

遺骨収集の様子36

平坦な場所を過ぎて下り道に入ってきました。サイト管理人は最後尾につけています。前の黒い服を着ているのは栄光学園の先生です。

遺骨収集の様子37

ご覧のようにかなりハードなコースとなっています。

遺骨収集の様子38

右側の人は登ってきているのではありません。お尻側から降りようとしています。お尻側から降りると思いのほか簡単に、そして安全に降りられますよね。

遺骨収集の様子39

ここは正にトンネルですね。小さくなって降りていきます。

遺骨収集の様子40

ここもお尻側からでないととても降りられませんね。

遺骨収集の様子41

ここも狭いですね~。でも皆さん無事に通過されました。

遺骨収集の様子42

無事に目的の豪に皆さん全員が到着しました。良かったですね。(^o^)

グリーン色の雨合羽を着ているのか松永さんです。生徒の前に立ち平和学習講義をしているところです。一度は懐中電灯などの明かりを全て消して、若干光が射す程度の明るさの中で、松永さんの講義が進められました。

遺骨収集の様子43

この壕は複数出入り口がありまして、入ってきた入り口とは反対側の出入り口に来ています。壕内部の暗さに順応した目は、日の光にとてもまぶしさを感じました。

遺骨収集の様子44

すべての行事と平和学習が終了しました。さあ帰路につきましょう。(^o^)

遺骨収集の様子45

一列縦隊で帰りますから、出口への登坂の順番を待っているところです。大きな壕であるのがこの写真からも解りますよね。(^o^)

遺骨収集の様子46

再び光が見えてきました。

遺骨収集の様子47

帰りは登りが中心となります。

遺骨収集の様子48

小さい穴は下りよりも上りの方が格段に早く登れますね。

遺骨収集の様子49

ここも狭いですね~。太っている人は無理かも~。

遺骨収集の様子50

危険な箇所はロープを張るなどして安全対策を強化しています。

無事に平和学習が終了しました。心配された雨による悪影響もほとんど感じませんでしたね。サポートして下さった皆様、お疲れ様でした。(^o^)

おまけ/「黎明之塔」を慰霊巡拝

遺骨収集の様子51

平和学習も無事に終了しました。サポートメンバーの皆様お疲れ様でした。日没まで少し時間があるので「黎明之塔」やその付近を散策することになりました。写真左から伊澤さん、吉井さん、田中さん、福岡さんの皆さんです。しばしこの一帯で懇談したり散策したりしました。(^o^)

おまけ/電照菊の栽培風景

遺骨収集の様子52

ホテルへの帰り道、大渡付近で電照菊栽培をしている畑があったので撮影しました。暗いので菊の成長の度合いは見えませんが、電照菊栽培の雰囲気はご理解いただけるものと思います。沖縄は菊生産で愛知に次ぎ生産量全国2位だそうですよ。

電照菊栽培とは、菊は短日植物ですから秋になると通常は開花するのですが、夜間照明により「まだ昼が長いよ」と菊に錯覚してもらい開花時期をコントロールしているのですね。

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