平成21年(2009年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月21日(水) 松永氏と摩文仁之丘西端斜面に入り遺骨収集

 6時起床、6時30分付近を散策、7時朝食。

今朝の段階で糸満に4泊した事になりますね。早いもので沖縄滞在の半分が経過したというわけです。宿泊している宿は、18日付けの参加記で紹介していますが、再度書いてみますね。

今までは那覇市内に宿泊していましたが、今年から摩文仁に近い地域に宿泊する事にしまして、ここ糸満市古波蔵の「ペンション喫茶 南の楽園」様のお世話になったという訳です。

宿の女将さんはとても気さくな方で、いつも気軽に会話をする事が出来ます。「自宅にいる時と変わらない」 という訳にはいきませんが、十分にくつろげる事が解り嬉しいです。

長期にわたる遺骨収集活動ですから、「生活のリズムをしっかり確立し、睡眠と食事により疲労を抜く」 という当初の企図は、すでに達成されているという実感を持つに至っていますよ。これもすべて 「ペンション喫茶 南の楽園」 様のお陰です。

なにより睡眠がバッチシです。今までに一度だけ暑くてエアコンを入れましたが、その他の日は快適でした。

食事も十分に満足していますよ。沖縄の料理を交えて、数え切れないほどの料理がテーブルに並べられるので、好き嫌いのない私にはとても有り難いです。食べ過ぎに注意しなければならない程ですよ。

朝夕ともに国道331号線は渋滞とは無縁で快適に走れます。車があまり走ってないという表現が正しく、糸満と摩文仁がとても近くに感じました。ですから那覇市内と摩文仁間と比べても、運転の疲れなど発生するはずもないのです。

これらの理由により、摩文仁に近いところに宿を確保して、本当に正解だったなと感じました。

女将さん。沖縄滞在も後半に入りますが、残り4日間よろしくお願いしま~す。

遺骨収集の様子1

「ペンション喫茶 南の楽園」の正面付近から撮影しました。左側に少し写っている葉はバナナの木だと思います。南国風の植栽、建物が沖縄にいると実感させます。

遺骨収集の様子2

「ペンション喫茶 南の楽園」 の女将さんですよ。色々とお気遣いありがとうございま~す。

「ペンション喫茶 南の楽園」 様および女将さんに登場して頂いたので、ちょうどよい機会ですから、ここで朝の散策の時に撮影しました、宿の周辺部の様子をご紹介する事にしましょうね。

沖縄の午前6時半という時刻は、外はまだ真っ暗です。宿の前を走る県道だけは街灯が一定の間隔で設置されていますが、それ以外の場所については、都会で生活している私たちからすると、街灯も少なく道路という道路はすべて暗いです。最も平和な沖縄は、明るくしておく理由もありませんけどね。

ひとつ意外な印象を受けたのですが、この真っ暗闇のなかを歩くというのは、ちょと怖いのですが、意外と面白いという事です。(笑)

暗い住宅街のなかをこんな時間に歩くと、犬が鳴いたりして迷惑をかけるので、結局は人家のない農道を歩く事となったのですが、繰り返しますが、これが意外とウキウキさせるのです。

理由はまだ自分でも見つけられていませんが、知らない場所だから目の前に何が現れるか解らないという点が、そう思わせるのかもしれません。今のところ言葉では説明しきれません。

時間の経過と共に急速にあたりは明るくなってきます。カメラは常に携帯し、必要に応じてすぐに撮影できるようにして散歩に出かけるのです。

薄暗いなかでの撮影の場合は、三脚は面倒なので、ブレを起こさないように電柱にカメラを付けたりして慎重に撮影します。

ご紹介する写真は自動的に露出設定してくれるので、見た目は明るい時に撮影したのと変わらない印象ですが、実はこのように色々と苦労しての撮影だったんですよ。

遺骨収集の様子3

サトウキビは1年から1年半かけて育てます。この畑は今年いっぱい育て来年の春収穫すると思われます。サトウキビの植付けには「夏植え」「春植え」「株出し」の3種類があり、夏植え・春植えは「挿し木植え」という方法で、株出しは収穫の後の株から発芽させ育てる方法だそうです。

遺骨収集の様子4

収穫を終え結束されて畑からの搬出を待っているところです。刈り取った後放置しておくと糖分が変化し品質を低下させるので、製糖工場の操業にあわせるようにして収穫作業をするそうですよ。

遺骨収集の様子5

定植まもないと思われる電照菊の様子です。電照灯がすでに配置されていますね。菊は短日植物ですから秋になると通常は開花するのですが、夜間照明により「まだ昼が長いですよ」と菊に錯覚してもらうわけですね。

遺骨収集の様子6

こちらはそろそろ蕾が見えてくるという段階でしょうか?。菊は供花として年間通して需要があるそうです。菊生産では沖縄は愛知に次ぎ生産量全国2位だそうですよ。

遺骨収集の様子7

こちらは草姿でお解りのように「トウモロコシ」ですよね。雄穂が展開していますが、よく見ると雌穂も出ています。2月には収穫できそうですよ。早いですよね~。

遺骨収集の様子8

この野菜は何だと思いますか?。リーフレタスではありません。これは結球レタスなんですね (^o^)。野菜サラダでよく食べるやつですよ。白く光るビニールマルチが敷かれていますが、これは「アブラムシは光り物が嫌い」というのがその理由です。世の女性陣とはまるで正反対ですね 。(笑)

遺骨収集の様子9

畑のマルチをしていない通路部分に、腐葉土のようなものが敷かれています。オッ これは「製糖工場でのサトウキビの絞りかすを有効利用したものか」と思いましたが…。よくよく観察しても樹木のチップの印象ですが、沖縄ですからキビの絞りかすの可能性もありますよね。次回はもっとよく精査してみようと思います。

遺骨収集の様子10

付近の散策で一番驚いたのはこの看板です。 農地法により農地転売は容易でないはずですが…。でも沖縄では不動産屋さんが、ごく当たり前のように農地を売買しているとは驚きです。沖縄では農業から他産業への労働力流出が全国一位であり、沖縄県の耕作放棄地のうち、農業に従事しない「土地持ち非農家」が所有する面積は60パーセントを超えこれまた全国一位となっており、沖縄農業は抜本的な対応が迫られているようです。上記看板は離農の増加を象徴するものとなっていますね。

現存する沖縄戦当時の「貯水タンク」

遺骨収集の様子12

糸満市小波蔵交差点にほどちかい道路脇に、この「貯水タンク」があります。精査すると給排水用の配管穴や清掃排水口がないので、本当に 「貯水タンク」? という印象ですが、いずれにしても沖縄戦当時の弾痕が生々しいですね。

松永さんと糸満市荒崎海岸で調査

今日の行動予定は、平和学習ガイドの松永さんと共に、荒崎海岸と摩文仁で遺骨収集や調査を行う予定です。

荒崎海岸で調査してみようと提案したのは松永さんでした。といいますのも、昨年の11月中旬ですが、荒崎海岸にある「ひめゆり学徒散華の跡」周辺の海岸線でご遺骨が発見されたそうなのです。しかも発見の柱数が27体分という事でしたから、かなりまとまった数の発見だった訳です。

沖縄戦末期、6月に入っての荒崎海岸は米軍の南部への掃討戦から逃れるために、南部へ南部へと軍民共に逃避行を繰り広げ、ついに喜屋武岬や荒崎海岸まで追い詰められてしまった人たちがひしめいていた場所です。

陸からは米軍の火炎放射器が火を噴き、海からは艦砲砲弾が撃ち込まれ、多くの人たちがこの地で命を落としたのです。

狭い範囲で27柱もご遺骨が発見されたという事ですと、更に探索範囲を広げるとまだまだ発見される可能性があるのではないか…。もしもそうだとしたら、摩文仁から荒崎海岸とはそれほど離れていないので、ご遺骨がいまだ存するのを確認する事となったら、金光教の遺骨収集奉仕団にご紹介しようという訳です。

という訳で、私たちは松永さんの車で、まず荒崎海岸にある「ひめゆり学徒散華の跡」へ向かいました。

途中で松永さんも会員の一人である「沖縄県観光ボランティアガイド友の会」の方々集まっている場所があったので、車を止めて松永さんは会員メンバーの人たちとしばし会話をしていました。

「沖縄県観光ボランティアガイド友の会」は、沖縄修学旅行生を対象とした各種ガイドをされている様ですが、ガイドレベル向上の為に、自主運営の講座を開くなどして、会員全員が常に最新の知識を得るよう努めているいいますから、更なるご活躍を期待したいですね。

「沖縄県観光ボランティアガイド友の会」メンバーの皆さん

遺骨収集の様子13

「友の会」は沖縄修学旅行生を対象とした、ガマや戦跡、米軍基地を案内する平和ガイド。首里城など世界遺産や琉球の史跡を案内する歴史ガイド。壺屋などの琉球文化のガイド等々、沖縄県内を幅広く案内することを目的としています。約50名が会員として在籍しているそうですよ。

「沖縄県観光ボランティアガイド友の会」の皆さんとしばし会話をした後、一路荒崎海岸に直行しました。

海岸近くの駐車場に車を止め、歩くとすぐに海岸に出ます。荒崎海岸から見る太平洋は実に雄大で美しいですよね。今日の荒崎海岸は"なぎ"状態で、天候は晴れ時々曇りですから見通しも抜群で、東側に位置する摩文仁之丘もいつになくはっきり見えます。

荒崎海岸における「ひめゆり学徒散華の跡」へのアプローチは、一定レベルで整備されていまして歩きやすくなっています。ただ、標識等は少ないので、いきなり海岸に来ても、おそらく「ひめゆり学徒散華の跡」は見つける事が出来ないと思われます。

本日今から見に行くところは、昨年11月16日琉球新報により報道されました、荒崎海岸の岩の間や岩陰などの地表を掘り返したところ27柱の遺骨を発見されたというのです。

私にとってもこの報道は衝撃的であったのは勿論です。ある知人の伝言ですでにそのニュースは知っていましたが、松永さんはそのニュースを事前に察知し、すぐに荒崎海岸の現地に出向き、収集団の作業している様子をつぶさに見て来たというのです。

荒崎海岸での「ひめゆり学徒散華の跡」へ至る途上、松永さんからその収骨に際しての様子を色々とお聞きしました。松永さんは頭骨などの様子も携帯カメラに納めたのでご紹介できますよ。

遺骨収集の様子14

白い花は俗称「ベトナム帰りの花」と言われています。ベトナム戦争に従軍し帰還した兵士の服などに付着した種が、沖縄に落ちて広範に広まったそうです。

遺骨収集の様子15

荒崎海岸に出てから東側に100メートルほど岩場を歩くと「ひめゆり学徒散華の跡」があります。碑には6月21日職員・生徒合わせて14名がこの地で自決し、2人がこの付近で亡くなったと記されています。碑のある場所は壕などではなくちょっとした窪みに過ぎず、ここで肩を寄せ合うように亡くなったのですね。
※仲宗根政善著「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」のP.246に、ここで起きた悲劇の様子が兼城喜久子さんの手記として記載されています。

遺骨収集の様子16

「ひめゆり学徒散華の跡」の碑文です。「島はてに華と散りにしいとし子よ夢安らけく眠れとぞ祈る」 と刻まれています。

遺骨収集の様子17

「巌かげに一すじの黒髪乙女ごの 自決の地なり波もとどろに」 と刻まれています。

遺骨収集の様子18

「ひめゆり学徒散華の跡」にほど近いこの場所から、アダンの茂るジャングルに入っていきました。遺骨収集作業の際、大勢が出入りしたせいか、すでに道が出来ていましたね。

遺骨収集の様子19

松永さんの説明によりますと、この場所から27柱のご遺骨が発見されたそうです。遺骨収集作業が行われたこの場所は、見事に枝葉や岩石が撤去されていました。完璧な作業ぶりですね。

遺骨収集の様子20

この写真は、松永さんがここで携帯で撮影しB4サイズの大きさにプリントしたものです。松永さんはさすがに地元の人ですよね。このような重要な情報がすぐに入ってきて、タイミング的に撮影まで出来てしまうのですから。

遺骨収集の様子21

この写真も同じく、松永さんがここで携帯で撮影しB4サイズの大きさにプリントしたものです。この度の遺骨収集に関する新聞記事もスクラップしてありました。

「平和創造の森公園」で調査、慰霊塔巡拝

荒崎海岸で27柱のご遺骨が発見された現場の見学を終え、私たちは摩文仁に戻る事にしました。

帰路の途中にある第44回全国植樹祭の会場ともなった緑豊かな「平和創造の森公園」の一角に、松永さんは気になり壕があるという事で、そちらに寄っていく事にしました。

「平和創造の森公園」にある「魂魄の塔」の横には、一昔前まで献花用の花を売る「花売りおばさん」が居たのですが、近年は生花とお金を入れる箱が置いてあるのみとなり、少し寂しいですね。

おそらく参拝者の数が減って、"十分な"売り上げが確保できない状況になって来たという事でしょうね…。

実際に私たちが訪ねた時にも、この一帯には誰もいませんでした。10年20年前は、いつ来ても必ず何人か居たものですけどね…。

松永さんが気になる壕があると語っていたその壕は、公園内道路に隣接してありました。

道路のすぐ横にあるという訳です。意外に思うかもしれませんが、このような意外に思う所こそ"穴場"といえるのです。
それは長い間の私自身の経験に照らしても、それはハッキリと是認できる事柄なのです。

ですから、道路に隣接する直径1メートルあまりの壕を見た時に、「オッやってみる価値はあるな」と感じたものです。もちろん、その多くが徒労に終わるわけですが、結末がたとえそうであろうと、いささかも開始前の「意欲」に影響を与えるものではありません。

私たちは遺骨収集奉仕活動のセオリーであるクマデ・小型スコップを準備して、畳二畳ぐらいの壕内の床面を徹底的に掘り返しましたよ (^o^)。

結末としては、いつもと同じ × でした~~。
でも松永さんの長年にわたるこの壕に対する "わだかまり" は見事に雲散霧消したはず!!。それだけで十分な成果があったと言えるでしょう。

平和創造の森公園

遺骨収集の様子22

「平和創造の森公園」の一角から摩文仁方面を見通しています。

遺骨収集の様子23

松永さんは「平和創造の森公園」の道路脇にあるこの壕が気になるというのです。確かにこの様な位置にある壕というのは、もしかしたら穴場中の穴場かもしれませんよ。ワクワク。壕内はあまり広くありませんでした。30分かけて30センチの土砂を全てひっくり返しました。遺品が少しありましたが、ご遺骨は発見されませんでした。

遺骨収集の様子24

「魂魄の塔」です。1946年2月27日つまり終戦の翌年、沖縄で初めての慰霊塔が建立されました。沖縄には全国46都道府県が設立した慰霊塔があるそうですが、「沖縄県」の慰霊塔はありません。しいてあげれば「魂魄の塔」がそれにあたるそうです。ここには多くの沖縄の人達が参拝に訪れるそうです。

遺骨収集の様子25

終戦直後の真和志村村長である「金城和信」氏の銅像が、「魂魄の塔」に隣接して建てられています。金城氏は沖縄戦で2人の娘を失った事もあり、1946年4月に「ひめゆりの塔」、「健児の塔」も建立しました。

遺骨収集の様子26

「魂魄の塔」よりも少し奥まった所に「有川中将以下将兵自決の壕」と書かれた慰霊塔がありました。

遺骨収集の様子27

「石第64旅団は沖縄県民の絶大なる協力を得て奮戦力闘したが、武運拙なく将兵は玉砕し旅団長有川主一中将は高級副官竹下勇大尉以下の将兵と共に此の壕で自決した。時に昭和20年 6月21日の未明であった。滋に全国篤志家の賛助を受け記念の碑を建てその偉烈を後世に伝える云爾」昭和56年 6月12日建立 鹿児島県沖縄戦没者慰霊会。

遺骨収集の様子28

慰霊塔のすぐ左隣におおきな壕が口を開けていました。降りてみる試みはしませんでしたが、直径がかなり大きい割に深さはあまりありませんでした。

遺骨収集の様子29

黄色いハイビスカスの花が咲いていたので、珍しいと思い撮影してきました。

沖縄のユニーク植栽あれこれ (^o^)

「平和創造の森公園」から摩文仁に帰る途中、松永さんが「面白い植栽があるよ」といって、少しばかり寄り道をして紹介してくれたのが、実にユニークな沖縄ならではの植栽や樹木が少しばかりありましたので、皆様のご紹介します。

松永さんには、これからも沖縄らしいユニークなものがあったら、ドシドシ紹介して下さいとお願いしておきましたので、来年以降もご紹介出来る面白い物件に出会うことが出来ましたら、このサイトでご紹介していきます。

遺骨収集の様子30

米須にある一般住宅の外観です。ガジュマルの木で植栽された生け垣は圧巻でした。ビシーッと見事に刈り込んであるでしょう~。プロフェッショナルな技が光っていますよね。あえて内部の様子は撮影しませんでしたが、内庭もすごく凝った植栽がたくさんありましたよ。

遺骨収集の様子31

門扉とガジュマルの木で構築された庇の様子です。

遺骨収集の様子32

魔よけの石碑とされる「石敢當」を除き、反対側も見事にビシーッと刈り込まれています。ガジュマルの木を何年ぐらい育てるとこれだけ密植した生け垣になるんでしょうかね。

遺骨収集の様子33

これはパパイヤの実がなっているところです。なんかすぐにでも割って食べたくなりますね。パパイヤは種が風で飛び、あちこちに生えると言われますが、まさかこの大きな種が飛んで来るのかな。(笑)

遺骨収集の様子34

ここも米須にある一般住宅の植栽の様子です。ガジュマルの木が沖縄らしい独特の成長をしています。消火栓の鉄柱が途中で曲がっていますが、ガジュマルの木がその真似をしたということかな。(笑)

遺骨収集の様子35

ここも米須にある一般住宅の生け垣の様子です。絡まる根の部分には石がたくさん入っていますね。

松永さんと摩文仁之丘西端斜面で調査活動

夕方までには十分時間があったので、松永さんと共に摩文仁之丘西端斜面ジャングルに入り、調査をする事になりました。

その際にまずは、私が20日にご遺骨を発見した場所二カ所のうち一カ所の風葬骨?と思われるご遺骨について、松永さんのご意見をお聞きしてみる事にしています。

お土産屋さんだった前門さん宅の横に車を止め、徒歩にてジャングルへと歩みを進めました。

遺骨収集の様子36

アブラナ科の野菜でしょう。すでにトウが立ち菜の花が咲いていました。

遺骨収集の様子37

沖縄ではいわゆる紅葉と呼べるような鮮やかに赤く色づく葉は見かけませんが、1本ありましたよ。沖縄は常緑樹が多くジャングルを上から見ると緑一色ですが、紅一点といった印象ですごく目立ってました。

沖縄のお墓
遺骨収集の様子38

途中に古いお墓がありました。新築が、繰り返しますが新築が大正二年九月だそうですよ~。伊集門中の方々は旧正月ともなると、この墓前にある広場に参集して会食や先祖供養をするのかな。このお墓は父系血縁集団が使用する「門中墓」だと思われます。

ジャングルに入り探索活動を開始して間もなく、雨が降ってきました。幸いこの地域には、調査すべき壕がたくさんあるので、2時間ほど雨は降り続いたようですが、雨の影響は実質あまり受けませんでした。実際雨カッパを着用する事もしませんでした。

影響があったと言えば、雨空となりジャングル内がかなり暗くなった点ですが、それも壕と壕との間の移動だけでしたから、大した事はありませんでした。

途中で、例の私が発見したご遺骨で、風葬の骨かどうかの疑念を持ったご遺骨を松永さんに見てもらいましたが、やはり松永さんも風葬の骨ではない結論づけてくれました。

これで、あとは金光教の遺骨収集奉仕活動の際にベテランさんにチェックして頂き、オッケーが出れば収骨させて頂く事になります。

ジャングルでの探索活動

遺骨収集の様子39

前にも解説しましたが、谷の幅は数メートル。底の部分はかなりデコボコし小さな壕がたくさんあります。

遺骨収集の様子40

ある壕の底の部分に沖縄戦当時の日本軍将兵が食べたと思われる開封された食料缶がありました。

遺骨収集の様子41

今日は松永さんと二人ですから、この様な奥深い壕にも問題なく入れますね。

遺骨収集の様子42

壕内にはスズムシを小さくしたような虫が結構居ました。鳴いてはいませんでしたけどね。

遺骨収集の様子43

この壕では、医療関係者が居たのか、医療に関連する遺品が少し出てきました。

遺骨収集の様子44

アンプルの欠片等が出てきました。医療関係者が居たのかな?。

遺骨収集の様子45

次の壕では明らかに、日本軍将兵の遺品がかなり出てまいりましたよ。

遺骨収集の様子46

小銃の銃弾を集めてみたらこんなにも数がありました。複数の兵士が居た可能性がありますね。

遺骨収集の様子47

手榴弾も安全ピンがしっかり差し込まれている状態で見つかりました。過去の経験から手榴弾は強い衝撃と火花を同時に当てなければ、爆発する危険性はないと思われます。私も過去に何度か探索中に手榴弾をクマデでガリガリ引っ掛けましたが、特段問題ありませんでした。
※でもでも手榴弾と認識した時点で、すみやかにその様な行為は止めましょうね。

遺骨収集の様子48

小銃の銃弾と共に日本軍将兵の遺品も結構出てまいりました。

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