平成22年(2010年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月20日(土) 第37回金光教沖縄遺骨収集奉仕参加

今年もまた無事に「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」に、参加させていただく事となりました。(^o^)

毎回冒頭で述べていますが、福岡教会教会長、故吉木昭弘先生が生前に語っていた、「健康・時間・お金」の三つのおかげを被り、無事に摩文仁之丘に立つ事ができたという訳ですよね。本当に有り難いことです。m(_ _)m

私の周年サイクルは、正月を基点とするのでなく、「金光教沖縄遺骨収集奉仕活動」の日を基点として一年が回っているものですから、「今年もついにこの日を迎えたか」と、感慨深く摩文仁之丘に立つ事となるのです。

昨今は仕事も減少ぎみで、財布はいつも軽いままですが、今日と明日の二日間は仕事の事はすっかり忘れて、頭の中は100%遺骨収集で埋め尽くされるぐらいの集中力をもって取り組みたいと思います。(^o^)

昨年初めて当サイトに、平成22年「第37回金光教沖縄遺骨収集奉仕」実施要項を掲載させていただきました。(^o^)

実施要項をインターネット上に掲載した理由は、遺骨収集を主催する金光教那覇教会に、信者さんでない一般の方から参加の可能性を探る問い合わせが何件かあるとの事で、そうした問い合わせをしてくる方々向けに、遺骨収集の内容について理解していただくのを目的として掲載させていただいたのです。

これにより参加を打診する予定の方々にも、奉仕活動の内容がよく理解できるものと思われますから、参加の是非について十分な情報を提供できたのではないかと感じています。

実際に今日摩文仁に馳せ参じた一般参加の方が数名いらっしゃるという話ですから、きっと実施要項をご覧になって検討されたものと推測されます。

こうして毎年信者さんの初参加の方も含めて、十数人の初参加の方々が、ここ摩文仁での遺骨収集の体験をされるという訳です。

戦後65年が経過し、また金光教の遺骨収集奉仕活動も、今年で第37回という回を重ね、沖縄戦も益々過去の歴史の一駒へと遠のいて行きつつあります。摩文仁のジャングル内に残存した、“沖縄戦の残像” もまた風化の一途をたどり、そして御遺骨もまた益々発見困難な状況へと追いやられつつあるのが、ここ摩文仁の現状です。

遺骨収集のベテランさんでも、御遺骨発見は容易ならざる事態に直面している現状では、初参加の方々はおそらく、ひとつの骨片を見つけることさえ難しいかもしれません。

初参加の方にしてみれば、しっかり服装・装備を調え、摩文仁での二日間の遺骨収集を経て、一生懸命探したのに見つからなかったという結末は、とても寂しい思いがするかもしれません。しかしながら御遺骨が見つかった見つからなかったという結末に、過度に囚われる必要はありません。

自然に消滅してしまう前に、私たち児孫の手でご遺骨を収集してあげたいというのは、万人の共通する思いでもありますが、残存する御遺骨を発見しようと、後世の私たちがこうして摩文仁にクマデを持って探しに来たという事実こそに注目すべきであり、そのクマデのひと掻きひと掻きが、摩文仁で非業の死を遂げた戦没者の心を慰め、亡き御霊と一緒になって、死を悼む心へとつながってゆくのです。

摩文仁は掃討戦が最も激しく遂行された場所であり、一方的な殺戮が行われた悲劇の地です。米軍機による上空から大量のガソリンを散布した後火を放たれ、また広範囲を一瞬のうちに2000度を超える灼熱の火の海にしてしまうナパーム弾を浴びせられるなど、摩文仁から生還した人の話でも、“岩が燃える” と表現されるほどに焼き尽くされ、いかなる生物の生存をも許されないほどに、何度も何度も繰り返し焼き尽くされたのです。

ナパーム弾の広範な火炎が消火した後は、一日経過しても岩盤が熱くて触れないし、とても近づけない状況だったという証言もあるくらいです。

今日までの調査で判明したことは、限りなく安全だと思われる洞窟の中にも、たくさんの日本軍将兵の遺品がある事でした。 とてもショックでした…。摩文仁は、どこに隠れていても、ほとんど生還の可能性は無い場所だったのです。

私たちに出来ることと言えば、戦没者がさまよい歩いたジャングルの岩陰や洞窟の暗闇の中に身を置き、また軍靴や歯ブラシや服のボタンなどなど、戦没された人たちが残していった戦争遺品を見つめ、故郷へ帰る夢を果たせずに、この艱難の大地に果てた若人へ思いを馳せると共に、ご冥福をお祈りする事しかできません。

「私たちの父祖が、沖縄を守るために、日本国を守るために戦い、そして敗れ、この地で、この洞窟で、非業の死を遂げられた…」

クマデのひと掻きひと掻きに心を込め、ご遺骨との応接でなく、戦没者がたどった道すがらを、沖縄戦当時の情景と重ね合わせながら追憶し、もって彼ら彼女らのご冥福をお祈りする…。

摩文仁のジャングルの中で、そして洞窟の中で「戦没者の児孫として何を感じ取れるか」こそが、摩文仁に馳せ参じたところの意義の軽重を決めるものであり、参加したあなたの人生にとって、歴史の連続性のなかで、あなた自身の立ち位置における使命を再発見させてくれる可能性を持つ、生涯忘れ得ぬ、かけがえのない二日間となるのでしょう。

宿で起床した頃は雨が残っていましたが、摩文仁に到着した頃は雲も切れて、なんと晴天が広がってきました。(^o^)
雨と曇り空がずっと続き、なんか久しぶりにお天道様を見てさわやかな気分となり、がぜんやる気が湧いてきました。人間て単純ですね~。(笑)

平和祈念公園内の旧奉賛会建物が集合場所となっていますが、9時の集合時刻よりかなり前の時刻ですが、すでに大勢の参加者が集まって来ています。

金光教遺骨収集奉仕活動も今年で37回目となりましたが、他府県から信奉者46名、一般参加者15名、地元沖縄からアメリカグループの3名を含む25名の参加の参加となり、総勢86名の方々がここ摩文仁に参集されたようです。

一年ぶりの再会となりますし、皆さん常連の方々が多いですから、合流した途端に親しく会話が始まります。冒頭で紹介しましたように、皆さんもまた故吉木昭弘先生が生前に語っていた、「健康・時間・お金」の三つのおかげを被り、この摩文仁に来られた事こそを喜び合っているようにも見えますね。

会場に到着しますと、まず保険手続きをするため名簿に氏名等を記入していただきます。続いて手の空いた人達で、簡易テントの設営を行います。もう皆さん慣れた手つきで、グングンとテントは起こされ設置されていきます。

集合時刻も過ぎますと、金光教那覇教会教会長林雅信先生のお声がけで、恒例の「朝のご祈念」が始まりました。

今年もこうして摩文仁に集えた事をまず感謝し、摩文仁をはじめとする沖縄各地で戦没された多くの御霊様のご安心を願い、また参加者全員が「事故もなく無事に一日の作業が終えられますように」と願います。そしてささやかではありますが、私達の祈りの行為により摩文仁の大地が清められますように…。願わくばご遺骨に出会わせていただけますように…。という祈りが込められています。

「朝のご祈念」を終えますと、林先生がマイクの前に立ち、今年の探索地域の説明や各種注意事項の解説があります。

今年は一般参加者で初参加という方が多かったので、このカテゴリーでひとつの班を設け5班とし、担当班長として因藤さんが指揮をとって下さる事になりました。

4班の沖縄グループは、ロンさん達アメリカグループがすでに発見していた、洞窟内にある御遺骨の収集をする事になりました。

1・2・3・5班の方々は、昨年の調査・収集地域と隣接する地域で活動する事となりました。

作業は午後4時まで継続し、以降は本部テントに戻って来るという流れになります。さあそれでは、今日と明日の二日間、事故やケガに気をつけて、一年間貯めに貯めてきたエネルギーを爆発させるべく、大いに頑張ってクマデを掻きまくりましょう~。(^^)/

朝の御祈念・注意事項伝達・体操

遺骨収集の様子1

まずは全員が摩文仁岳山頂に向かって、朝のご祈念として 『神徳賛詞』 を奉唱します。「仰ぎまつれば天高く 拝みまつれば地は厚し 神の恵みに生かさるる身の幸いぞありがたき…」、金光教の遺骨収集奉仕作業では、いつの時もこの心を込めた「ご祈念」と共にあります。

遺骨収集の様子2

金光教那覇教会教会長の林雅信先生が、各班の捜索地域の範囲説明やジャングルでの諸注意事項などを説明しています。今年は初参加者が多いそうですから、沖縄戦の概説も交えて諸注意事項を詳しく説明されていました。

遺骨収集の様子3

金光教那覇教会の林先生です。まず冒頭で今年も天候に恵まれたと語りました。実際昨年も劇的に天候に恵まれましたし、今年も昨日までの天候不順が嘘のように晴れ間が広がっています。8日前から摩文仁に滞在している私が言うのですから間違いありません。

遺骨収集の様子4

「さあ、準備体操をしま~す」 大きく元気なかけ声を発するのは、那覇教会信者さんの嶺井さんです。

遺骨収集の様子5

歳を重ねるほど、頭で思うほど体は動いてくれないものですよね、特に朝は。このように準備体操をしてからジャングルに入れば、足も軽快に上がるかもしれませんよ~。

遺骨収集の様子6

皆さんが眠っている体を起こそうと、一生懸命体を動かしていました。

ジャングルでの活動開始!

遺骨収集の様子7

昨年作られた「新道」です。この道が出来たことにより、海岸に降りるのが本当に楽になりましたね。ルート上は所々コブが設けられたロープも張られ、女性や高齢者でも安全に移動出来るようになっています。

遺骨収集の様子8

もうすっかり道になっていますね~。

遺骨収集の様子9

海岸線近くの歩道に出ました。ここから150mほど東に向かって移動します。

遺骨収集の様子10

東部上水道水源地に達しました。ここで作業開始に先立ち御祈念を行いました。沖縄戦当時は、常に艦艇の機銃がこの水源に照準を定め、やって来る人達を狙撃したそうです。

遺骨収集の様子11

さあこれから、班ごとに別れてジャングルに入ることになります。事故やケガが無く、夕刻には全員が再びここに戻って来られることを祈りたいですね。

遺骨収集の様子12

クマデを掻きながらの前進が始まりました。皆さんが散って、思い思いの場を掘り返しながら少しずつ前進していきます。

遺骨収集の様子13

ここは昨年御遺骨が発見された場所の近くですから、皆さんが慎重に探しています。

遺骨収集の様子14

一般で今年初参加の古井さんです。 頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子15

同じく一般で今年初参加の福岡さんです。 頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子16

代わって大ベテランの濱出さんです。 濱出さんは初参加者のガイドもして下さっています。仕事はまだ現役ですが、安全のためになるたけ車を運転しないようにしていると語る濱出さんです。

〔4班〕洞窟ですでに発見されている御遺骨を収集

4班の沖縄グループとアメリカグループは、ロンさん達アメリカグループが事前調査で発見した、洞窟内にある御遺骨の収集をする事になっていますので、私も1・2・3・5班の方々がジャングル内で遺骨収集作業を開始した後、そちらに向かってみることにしました。

途中、一度本部テントに戻り、林先生と情報交換することにしました。

本部お清め班の様子

遺骨収集の様子17

お清め班ではすでに御遺骨の清掃作業が進められていますが、この御遺骨は他の団体が収骨したものですが、金光教で御遺骨の清掃をさせていただいています。御遺骨が泥で汚れたまま火葬されるのは忍びないという事で財団に御願いして実現しました。

遺骨収集の様子18

 

〔4班〕洞窟ですでに発見されている御遺骨を収集

遺骨収集の様子19

この洞窟は奥行きが5m程度の穴で、遺品がたくさん出ていますから日本軍の陣地だった可能性が高いです。この横穴は「ひめゆりの塔」の北側に位置し、摩文仁にも比較的近いですし、開口部も那覇方面に向いており、南部最終戦線の一翼を担った可能性があります。

遺骨収集の様子20

 

遺骨収集の様子21

収骨された御遺骨は、すでに第一便として本部に運ばれたそうで、この御遺骨はその後収集されたものです。ほとんどの骨が黒く焦げたようになっており、激しい火炎攻撃を受け続けた可能性がありますね。二カ所から発見されたとの事で、御遺骨は二つに分かれています。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子22

皆さんが笑っていますが、実は私がここへやって来ると、ロンさんが「スパイダーマンが来た」と言ったので、皆さんが笑ったという訳で~す。(笑)

遺骨収集の様子23

ロンさんたちがロープを持っていましたが、足下の縦穴洞窟の中にアメリカグループの一人が降りて、内部空間を調査しているところです。7~8m程度はありそうです。かなり深いです。横穴があるかどうかも調べているようです。

遺骨収集の様子24

降りている人を引き揚げる時が大変です。降りている人の動きを見ながらロープを引き上げます。結果として縦穴底部には遺品や御遺骨は無かったようです。

遺骨収集の様子25

小さな骨片を見逃すまいと、慎重にふるいを掛け、目視で骨片を拾っていきます。

遺骨収集の様子26

日本軍将兵の軍靴が出てまいりました。このような姿を見ると心が痛みますね…。

遺骨収集の様子27

ご覧のように穴の中にあった岩石は外に運び出され、細かい土砂をふるいで選別していきます。土石や御遺骨に共に、たくさんの鉄片が含まれているそうです。砲弾破片の鉄片はわずか2~3ミリの大きさでも、人体を直撃すると命を奪うそうですから怖いですよ。木々がなければ山裾からよくこの横穴は見えますので、狙い撃ちで、おそらく戦車砲弾など沢山この横穴めがけて打ち込まれたものと思われます。

遺骨収集の様子28

お昼ご飯の時間です。 樋口さんら皆さんが、美味しそうにご飯を食べていました。

遺骨収集の様子29

アメリカグループの皆さんです。いつも危険な作業を率先してやっていただき有り難うございます。

〔1・2・3・5班〕水源地付近での作業の様子

4班の皆さんが作業している洞窟の様子を林先生に伝えるべく、一度本部テントに戻ることにしました。

本部テントでもお昼時でしたから、皆さんが昼食を食べていました。私もお弁当を食べようかなと思いましたが、なぜか食欲がなく、それでも食べないと午後が持たないと思い、接待の方が準備されているサーターアンダギーを二個いただき、すぐ1・2・3・5班が作業している水源地付近に向かいました。

※昼食をしっかり食べなかったことがエネルギー切れを誘い、午後三時過ぎから作業終了時まで脱力感にさいなまれ、思考力の低下をも招いてしまいました~。皆さん、昼食は所定の時間に、しっかり食べましょう。!!

本部お清め班の様子

遺骨収集の様子30

本部テントで昼食を食べているスタッフ・お清め班の皆さんです。毎年北海道からやってくる、79歳になられた後藤さんの姿も見えますね。

水源地付近での作業の様子

遺骨収集の様子31

お三方共に一般参加で、飯島さん、北田さん、粟津さんです。中央の北田さんは奥様と共にずっと参加されています。今回は友だちも誘って参加しました。

遺骨収集の様子32

顔が写ってなくてすいません。一人で一生懸命探していたので撮影させて頂きました。東京は川上教会の越智さん(女性)です。頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子33

土居先生、関口さん、小笠原さんです。湯飲み茶碗があったと見せてくれました。右側のご婦人は78歳の関口さんです。関口さんはご高齢ながら、御遺骨を自らの手で収集したいと、このジャングルにやってまいました。頭が下がりますね。

遺骨収集の様子34

こちらも随分掘り進みましたね。寺本先生、池田さん、小出さんのお三方です。砲弾が着弾したと思われる背後の黒ずんでいる岩陰で、骨片を一個発見したということで、この付近を一生懸命掘っているところです。

遺骨収集の様子35

御遺骨が発見されたというので、ロープ伝いに降りていきました。すごい急斜面でした~。

遺骨収集の様子36

頭骨等の骨片が現段階でこれだけ見つかりました。引き続き周囲を探して見るそうです。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子37

頭骨を発見した皆さんです。皆さんベテランさんですよ。小出先生、一般の窪山さん、安武先生です。

遺骨収集の様子38

小休止しているところをお邪魔しました。お疲れ様で~す。

遺骨収集の様子39

小休止しているところをお邪魔しました。ご兄妹で、吉永さんと吉永 千先生です。

遺骨収集の様子40

同じく2班の吉永さんです。吉永さんの手袋に注目です。この手袋は革製で、手に装着しただけですごい掘削力を発揮する優れものですよ。 吉永さん兄弟妹は五人いらっしゃるんだそうですね。兄弟が多くて楽しそうですね。

遺骨収集の様子41

35センチ程の艦砲不発弾がありましたよ。さっそく皆さんが赤テープで"要注意"の表示をしてくれました。

遺骨収集の様子42

ゲゲッ 解りますか 頭骨がひとつ岩陰に見えますね~。岩を除けたら頭骨があったそうですが、発見したのは初参加の方だそうです。よく見つけましたね~。

遺骨収集の様子43

接近するとこのような感じです。頭骨は横になっていたので可哀想だからと起こしたそうです。岩を積み頭骨を埋めてあったという印象だったそうです。頭骨を手に持って、歯の治療をしていないか、弾痕などの穴があるかどうかなど精査したようですが、沖縄戦戦没者の御遺骨であるという決定的証拠はなかったようです。

現場ではベテランさんの「風葬の可能性がある」という意見が出たらしく、収骨は慎重に検討してからにしようという話になったそうで、収骨する場合でも、作業は明日に持ち越しとなりました。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

遺骨収集の様子44

一般で今年初参加の浅木さんです。手榴弾が見つかったという事で、一生懸命掘っているところです。頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子45

遺骨収集を含めボランティア活動にとても熱心な、北九州市にある若松教会から参加の原田さんです。装備はかなり凝っていますよ。

遺骨収集の様子46

また今年も参加された一般の戸部さんと、一般で今年初参加の福岡さんです。 頑張って下さいませ。

遺骨収集の様子47

今年初参加の神尾さんです。 初参加ながら装備も見事です。一般参加で20歳だそうです 若い。

遺骨収集の様子48

撤収時刻となり、皆さんが崖上に向け移動を開始しました。

遺骨収集の様子49

昨年作られた「新道」をこれから登って行きます。ロープが張られているので安心ですね。

遺骨収集の様子50

お疲れ様でした~。(^o^) 皆さん怪我もせず無事な下山ができ良かったですね。一番左側の金光教の遺骨収集に最初から参加しているベテラン因藤さんと、二回目女性の戸部さんを除き、他の方は一般で初参加された皆さんです。今回はネット上に "要項" を掲載したこともあり、一般の初参加者の方が多かったので、ベテランの因藤さんに引率していただきました。ありがとうございました。

遺骨収集の様子51

特別怪我をされたという報告は無かったようですから、皆さん無事に下山されたようで良かったですね。今日の収骨状況と共に、各班長さんの報告を受け、林先生が明日の各班の担当地域等を説明しています。過ぎてしまえばあっという間の一日でしたね。残るは明日一日のみ。頑張って取り組みましょう。

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